2024 年 5 月 27 日 のアーカイブ

舞台を 振り返る

2024 年 5 月 27 日 月曜日

ダンスブルームさんの 舞台に のっけさせていただくようになって 15年になるのだろか?

きっかけは ウイメンズパフォーマンスでの 再会(その十数年前に カルチャーセンターの ステージダンス科で 舞台ご一緒したことがあった)

「近々舞台があるの よかったら観に来て」の 言葉に

多賀城文化センターに 行ったのだったな

そして アンケート用紙の 裏表 みっちりと 感想書いちゃって

「こんな風に思ってくれるのならよかったら一緒にやりませんか?」の お誘いへと 転じたのでした

はじめのうち ダンスの舞台だから…と お着替え時間のために 合間を埋める役割のような気持ちで 小ネタ的なことを やらせていただいたものの

ある時 己のパントマイム作品を やらせてもらってもいいのか…てことになり

それまでに 生み出した作品を のっけ

いつしか 持ちネタがなくなり

その都度 新しい作品を 生み出すことにしていった

これがあるからこそ 生まれた 作品のほうが 多くなってきたかもしれない

わたくしなんか 泣きたいくらい 何にもなくて 空っぽで…という「わたしなんか病」に 絡め取られそうになりながらも

生み出すことへ なんとか つなぎ結ばせていただく きっかけにもなっていて

ある意味 いのちの

気持ちの 恩人でもあるのだわ と しみじみと思う

歳を重ねて

より しなやか やわらかに ひろびろ 気持ちの良い 抜け感さえ醸し出しておられる ゆきこさんに 感謝とともに

ご迷惑にならぬよう

また 気持ちよく幸せなひととき ご一緒できることを 先々の 楽しみ希望の光として

日々を重ねてゆこう と 思うのでした

…つって 日々の暮らしの大事なとこ ぬけぬけなんだけどな

まぁ 明日には ちみっとでも 洗濯とか 植木の剪定とかに 動き出す予定

作品振り返り その5 ゆきこさんとの コラボ(ダンス)

2024 年 5 月 27 日 月曜日

今回の 舞台に のせさせていただいた 作品を 己のためにも 振り返る

舞台写真は ゲネプロのとき 本儀せんせいが 撮ってくださったのを 用いさせていただいてます

その5 ゆきこさんとの コラボ(ダンス)

ひとつめ『ハンガリー舞曲 第5番』

ゆきこさんが「この曲で あやこさんとやろう」と 思いついた後 

振り付けが すぐできたそうな

そんなふうに 思いながら 作ってくださったことが すごくうれしかった

昔から「振り付け 忘れる天才」と 太鼓判押されていた わたくし

これについては お手紙で受け取った時点で

なんとなくの イメージが つかめた

あそびごころ て ことばが うかぶ

なので 思いっきり 遊んでる気持ちで 踊った

たのしかった♪

ふたつめ フィナーレに当たる『アイノカタチ』

もとうたは MISIAさんのもの(舞台では 歌なしバージョン)

選曲 提案は ヴァイオリンの 克之さんからだったそう

音源 送ってくださったとき ゆきこさんから

「あやこさんのツボかも…歌詞見たら 泣いちゃうかも」なんて言われて 構えた

でも 大丈夫だった…はじめのうちだけね

フィナーレは いつも お客様へのご挨拶も含めていて

振付も少なめとはいえ

いつも やはり 呑み込み遅いわ あちこち 不具合あるわ…の わたくしのこと 思って 振り付けてくださった感じ

ソロ部分では いま気にいってる ステップとか 踊りたいものを詰め込んで…の 1日目だったのだけど

2日目 朝に ちょ と 痛みがまた 顔出し始めたもんで

ほぼ パントマイム的な ステップや 跳躍など入れぬものに まるっとかえてしまった

いや むしろ このほうが しっくりするかもなぁ 自分…と 思ったりもした

そこに

歌詞が流れていなくても

ずっと「あのね 大好きだよ♪」の思い ひたひたで 踊ってた

指先から なんか そういう 汁とか 光線とか 出ちゃってたかも…くらいの勢いでね

みっつめ アンコール『My Favorite Things』

ゆきこさんとしては

今回 わたくしの 不具合が ここまでひどい と 思っておられなかったであろう…てことで

最後の方に「ほら ここ よくあやこさんがやっておられる あの ステップを」と言って

バレエとかである 振り上げた足に 飛び上がりながら 軸足だった方を 打ち付けるやつ いれてくださってて

それを 滞りなく 成し遂げるために

足の付根のメンテナンスに 精を出してた感じですの

リハーサルでは 飛ばず

本番にて しかと やりましたとも

着地だって 痛みを伴わなかった

克之さんとのコラボでやりたい といってて もう ゆきこさんとのコラボ曲として決まってるから…と やれないことになったけど

結局 フィナーレで やれて

なんだか うれしかったのでした

作品振り返り その4『I would have danced all life』

2024 年 5 月 27 日 月曜日

今回の 舞台に のせさせていただいた 作品を 己のためにも 振り返る

舞台写真は ゲネプロのとき 本儀せんせいが 撮ってくださったのを 用いさせていただいてます

その4『I would have danced all life』

ミュージカル『マイ・フェア・レディ』のなかの『踊り明かそう』とか『一晩踊れたら』という訳で 有名な『I could have danced all night』用いさせてもらいました

しかしあれって「踊り足りないわ 踊りたいのよ〜」みたいな 訳詞で 歌ったことあるけど

もともとの歌詞って そういうことじゃなくて

反発心さえあった ヒギンズ教授と 踊ったら 身も心も軽やかうきうきになって 一晩中でも 踊っていられるような気がしたわよ♪てなことだよね?

ま それはさておき

はじめは まるっと 

踊る作品として やるつもりだった

出会ってきた あのダンス このダンス…まぁ 主に タップなのだけど…

でも 日増しに

関節の不具合の 酷さが 増し増してきて

たかだか 2分51秒なのだけど

まるっと 踊り続けるのは 辛いかも…と 躊躇いが 生まれた

んで その 2分51秒のなかに

憧れの タップシューズに 出会ったときから ステージイメージの ステッキ踊り 経て

傷めて 踊れなくなる辺り

今より先の もしかしたら…までを 詰め込んで

途中 もう 座っちゃって

杖突いちゃって…になっちゃったのでした

短時間に 詰め込み凝縮し過ぎたね

ほぼ タップじゃない と言われそうなものとなりましたね またもや

でも いいの

どんなふうでもきっと あたしゃ踊っていくんだろうな

踊っていただろな てなかんじ

ほら 車椅子でも 指先だけでも 踊り続けてた 大野一雄さんみたいにさ て

烏滸がましいけど

こうじゃなきゃいけない じゃなくて

もりあやこじゃなきゃできない なんだものね と

開き直ってみたりしてるわけだ

踊り最中より

ハケて行くときに 笑いと拍手が たくさんいただけてたなこりゃ て 思いながら

もりあやこばあちゃん 袖に 引っ込んだのだわよ

作品振り返り その3『A Rebellion Seed』

2024 年 5 月 27 日 月曜日

今回の 舞台に のせさせていただいた 作品を 己のためにも 振り返る

舞台写真は ゲネプロのとき 本儀せんせいが 撮ってくださったのを 用いさせていただいてます

その3『A Rebellion Seed』

種 好きで

草 好きで

日々の 出会うものや 出来事から 湧き出てきた

怒りやいらだちや申し訳無さやらが 混ざりあって 生まれた

いい気になって 破壊ばっかりしてんぢゃねぇよ人間どもがよぉ…てな 思い

ちょ と 伝わりづらいこともあるかな?と 思いながらも

『AKIRA IFUKUBE BEST OF GODZILA』の 音楽に 助けてもらった

もちろん ゴジラを知らない人にも あの音楽の力は 何かしら ざわつくものを 呼び起こしてくれたであろうし

よく知ってる方々には

「…てことは あの場面は そういうことだったのね」と その先への思いを 橋渡してくれたであろうし

…と 音楽に頼ってしまってた

では 音が届いていない人にとってみたら 伝わることなのだろうか? なんてことも

すこぅし 気になるとこではありました

そして そこまで 考えると

ではでは 観ることができない方へは どうやって届ける?という課題も 生まれていたりして

色々もう できないやぁ と 己の空っぽさに うなだれたりしてる割には

あれこれと 欲張ってるよね なんて思ったりもしてるとこ

ちょ と前に 観た シネマ・チュプキ・タバタの ドキュメンタリー映画『心の通訳者たち』の おかげでもあるかな…

先々の 宿題も 思いながら

作品振り返り その2『ドレミの歌』

2024 年 5 月 27 日 月曜日

今回の 舞台に のせさせていただいた 作品を 己のためにも 振り返る

舞台写真は ゲネプロのとき 本儀せんせいが 撮ってくださったのを 用いさせていただいてます

その2『ドレミの歌』

サウンド・オブ・ミュージックの中の曲 というよりも

概ね 幼稚園か 小学校で 出会うであろう ペギー葉山さん作詞で あまりにも有名な 曲

ヴァイオリンの 克之さんとの コラボで なにか と 言われたとき

初めは『私のお気に入り(My Favorite Things)』やりたい といったのでしたが

既に ゆきこさんと コラボするプログラムに 決まってるから と言われ

では 同じ サウンド・オブ・ミュージックの中から てことで 選んだ

克之さんが 演奏用に と 探し出してくださったのは 3分ほどのもの

この曲の後 ゆきこさんの 出番で 素敵お衣装替えが どうも 3分では ぎりぎり…とのことで

曲始める前に 何かで時間を…となったとき

物事のはじめ ABC とか

いろは とかみたいに使われることもある

ドレミ なわけだし

タップの ドレミ 的なことを 紹介させてもらおう と

靴のこと

基本ステップを いくつか みなさんにも 踏んでいただいたり

こじつけドレミステップ→ド…んなタップスタジオでも大抵出会える シムシャムステップ…とか

お喋りさせてもらった

観るつもりで来たのに 喋り 聞かされ 動かされ

浮いちゃうかな…と 不安はあったものの

思った以上に お客様によろこんでいただけて

「知らなかったわ なんか すごくうれしかったわ 見ててわかると楽しくなるものねぇ」と 年輩の方に 後ほど 声かけていただいて こちらこそ すんごく嬉しかった

せっかく「ドはドーナツのド」で 知られてるのだから

最後のフレーズのとこでは ドレミファソラシの 言葉のものを出すでぇ と 張り切って あれこれ ブツを引っ張り出してみたり 小道具作ったりしたの…これなのでした

違う素材をかけ合わせて 思ったようにうまくいかなくて 四苦八苦…でも 思いがけない 組み合わせの妙で うまくいったこともあり…

ド→うちの 外れてしまった トイレの ドアノブ

レ→レインコート(着て踊ったら そりゃもう サウナスーツ張りの 蒸し暑さ…キツかった)

ミ→Tシャツに ミカンの絵 描きました

ファ→ファイル(にゃんこらの 手術のときの書類 入れたまんまで 滑り落ちそうで 焦った)

ソ→父の そろばん

ラ→ラジオ(震災のとき 母が引っ張り出して使ってたやつ これが 何度やっても 間に合わなくて 最後のとこで ラ…間に合わなかった〜!と 出して終わるという 事態に…とほほ)

シ→獅子舞(かつて つちびと可南さんの つちびとパネルをいれるために 拵えて 東京まで 背負っていった 袋の一部の 赤い布だけでこさえようとしたら うまくいかなくて泣きそうになり ふらふらと 気分転換に さがしものしてたら ふと目の前に落ちてきた 段ボールを芯にして なんとか 形になった 父の靴下で 鼻と目と耳 歯は 父の下着…という ミクストメディア!?あんちゃから「鼻と目の距離短くない?」て 言われた…たしかにそう思う 鼻支えに こっそり ちび獅子舞)

途中 アドリブ的 演奏のとこで

己も アドリブで 調子に乗って 

最後のフレーズに ピッタリ合わず

どさくさして ちゃんと観てもらえる出し方ではなかったな と 悔やみ ありあり

でも あのどさくさしたとこが「愉快だわねぇあなた」とか

またもや 見知らぬ方に よろこんでいただいたらしく

いや もちろん それに 甘えるばかりではいかんけど

ちゃんと 狙い定められる凄さとか

タップの技とか

そういうことを観ていただきたくて 組んだものではなくて

ただひたすらに 自分が面白がれること

誰かも 面白く驚いてくださるであろうことを 目指していたなぁ て 思う

さんざん「あなたって なんか タップじゃないよね」とか

「あんまりタップ踏んでないよね」とか 言われたりしたけど

それって タップを かじった とか

自分は タップを習って 結構踏めてる自負のある人 とか

タップとは!と タップ道を 追究してる人 とか 

その人の中の あるべきタップというものを基準にして みたときに 発する言葉で

それもわかるけど ここでは それを求めてないのですわたくしは てことで よしとする

この時のズボンも 父の 形見みたいなものでした

ほんとは ラのとこで 小学校の時使ってたランドセルを 引っ張り出したかったのだけど

ある と 思ったとこに無くて(そこにたどり着くまでに かなりの ものものをどけねばならなくて)

もんのすごくがっかりしたのだけど

まぁ そのかわりに てなかんじで あれこれと 別のものから引っ張り出して

別の ものものの 思い出にも 支えられた

今回用いた タップボードは

いつもの 木の板ではなくて

ベークライト的なやつ

何かと お世話になった

今は亡き 仙南初女性市議会議員議長も つとめられた 古積恭子さん(同級生 けんちゃぶの ははうえ)に いただいたものを 久しぶりに 引っ張り出しました

そんなこんなも含め

ここまでの道のりとか 思い返して ありがとう 色んな人たちものたち と 感謝でいっぱいの気持ちだったのでした

ま そんなこと 1ミリも 感じないような どっさくさどたばたな見てくれでしたけどね

作品振り返り その1『蜘蛛の糸』

2024 年 5 月 27 日 月曜日

今回の 舞台に のせさせていただいた 作品を 己のためにも 振り返る

舞台写真は ゲネプロのとき 本儀せんせいが 撮ってくださったのを 用いさせていただいてます

その1『蜘蛛の糸』

「言わずと知れた」と言ってもいいですかね 芥川龍之介のやつ

正直 あまり好きな話ではなかった

用いられ方のせいかな?

教育童話みたいで

救いがなくて…

んで 勝手に 途中から 光に向かいたくなった

もしかして お釈迦様が「こいつだめだわ」て 手を放したとしても

もしかしたら かつて救われた 蜘蛛としては

いやいやまってまっても少し チャンスやりましょうや とか 願ったかもしれないじゃない?とかね…

畏れ多くも お釈迦様になってみたり

かんだたに なってみたり…

あまり 役の 成り分けしないのだけど

やってみました

お客様に「そのままやるかと思ったら なんとも斬新で!よかったわぁ」と お声がけいただいて

もとの話 あまり好きじゃなかったもんで…なんて言ってしまった 

己の 生み出したものとて もしかしたら 人によっては 教育童話的 とか 思われるかもしれないけど

芥川さん ごめんよぅ

そして 劇中音楽として 用いさせていただいたのは

のこぎり演奏界の 重鎮 稲山訓央さんの

「Sawful Decade」から

『殪噎』(えいえつ…稲山さんによる 新造語…倒れ 伏し 咽び泣くというような意味合いの言葉かけあわせ)

たしか とうさまを 見送られたときに 作られた曲だったとか

込められた思いと また違ったものに用いる 申し訳無さもありましたが…

初めて のこぎり演奏に 触れたとき

その つゆゆゆゆ〜ん てな 艶々な響きに

揺すられて 強張りがほどけるような心地がした

鋸を 弓で弾く音は 純音で

難聴の人にも とらえやすいのだとか

いつか この音の中で ゆやゆやしたいなぁ てな思い

助さん(ドリアン助川さん)きっかけに つながってから 10数年?

作品生み出しで ぐにゃぐにゃしていたときに

ふいに 

あ そういえば 稲山さんの曲!と 思い出して まとめに 導かれるような思いもあったのでした

ありがたや

大好きな人たちは

2024 年 5 月 27 日 月曜日

ダンスブルームさん舞台で ご一緒させて頂く方々は

主宰の ゆきこさんはじめ

舞台監督 こうさん

照明 あきさん

音響 本儀せんせい

ビデオアトリエ やまださん

アナウンスや受付 むつみさん

ケータリング全般と受付 るりこさん

ヴァイオリン 克之さん

そして 仕込みバラシとなると どこからともなく 集ってくださる 10-BOXスタッフの方々

ここ数年 舞台脇の 装飾をしてくださる ゆーすけさん

最強 オールスターキャストなメンバーに 支えられ

お客様たちも いいのすか!?そんなに懐広く深く受け止めてくださって!と 慄くほどに 温かくやさしいの

名前 存じ上げぬのだけれど

「毎年観てます〜!」て 笑顔で お声がけくださるかたも

大忙しなのに なんとか 時間見繕って とか

迷いながらも 辿り着いてくれた おともだちたちも

ひとりひとりと ハグしたいくらい(観に来てくださったかたがたとの お写真は きょんちゃんとしか 撮れませんでしたで 1枚)

毎度 好き好き言ってて なんか 新興宗教みたいになって 気味悪いので 控えめにしとくけど

フィナーレ曲『アイノカタチ』の ワンフレーズを やはり 浮かべる

♪あのね 大好きだよ♪

大好きな場所は

2024 年 5 月 27 日 月曜日

昨日一昨日あたりの 劇場写真を 見返して

あぁ 大好きだぁ て ひたひたしていたひとときを 思い出す

より快適に 表現をするには?ということへ

知識 経験 工夫 想像 創造を 総動員して 作り上げられた場所 シン10-BOX(改装を経たので 今流行りな感じの言い方にしてみました)

ただの場所としても 素晴らしいけれど

そこに添えられる手の

思いの 

湿度や 温度が 

じわりと 伝わってくるから たまらなく 素敵なのだ

できうれば そこに 集う人たち 丸ごと 風呂敷に包んで 持ち帰りたくさえなるけど

やはり それぞれが

それぞれの日々の いろんなことを 抱えたり 手放したりして 越えて 肥えて ここに ひととき 集うからこそのものでもあるよな…と

お持ち帰りはせずに

またきっと と 思って 辞す

そこへ集うことへ 申し訳なく恥ずかしい思いにならないように(今回は 特に ギリギリまで そんな気持ちが うずまきすぎてて 自分で へとへとになってたとこもある)

己の これからの日々も しかと 踏みしめて 生きたいと思う

安定してる と言えよう

2024 年 5 月 27 日 月曜日

こことこ 粗雑にならないように と 心がけていたとはいえ

だいぶ 母への 助太刀が 手薄であったことは 否めない

足腰問題で トイレ介助も 近くにいたとて あんちゃまかせ

母の 体調がどうであるか 気にかけては いたけれど

ちょ と 心身ともに 距離 置いちゃってた感じ

舞台衣装の中に 父の形見?の 靴下を用いて こさえたものや 父の靴下を履いたりしたほか

母の靴下も借りて履いて出るから 一緒に舞台に立つ感じだよ…と 話しかけてたら

「あぁ うれしいね がんばってね」て 言ってくれた次の瞬間

行ってきます と 声かけたら

「どごさいぐの?」ときたもんだ

わはは

通常運行なかんじですわね

昨日は 楽屋入りした後 母から電話 2件も留守番電話にはいってて 何事!?と思いきや

「おねがいしま〜す!」絶叫 2件とも

昼寝から目覚めて おしっこ助太刀お願い てことだな あんちゃ気づかないんかな?だいじょぶかな?と 家に電話したら

「あ〜 いま トイレに座らせたとこ」でした

ふぅ

今朝は 起きても ねむねむな感じのようだけど

デイケアお迎えスタッフさんの ご挨拶に しっかり 応えてたので

良い感じだ

洗濯物溜めててすまぬ

おいおいやりますわよぅ(おいおいものが ものすごく他にもありますけど)

舞台翌日

2024 年 5 月 27 日 月曜日

25 26日の ダンスブルームさん舞台 Scene27

やさしくあたたかなまま 楽日締めることができました(初日と 楽日しかなかったが)

初日より 足付け根の不具合が ちと 出るかもよ信号があり

念入りに ほぐしゆるめあたためめぐらせ…やってたら

あわや 開場前の円陣の時間 失念するとこでした

舞台の あれこれ 振り返るのは また 後ほど…

終わった途端 歩くのが かなり 辛くなり

なんだなんだおめぇ さっきまで とんだりはねたりしてたぢゃねぇかよ!?と 己突っ込み

あぁ でも 以前 アクロバット芸人 大先輩さんが 舞台で もんのすごい わざもの ぴょんぴょこくるくるしてたのに

舞台降りた途端 楽屋への廊下の手すりに しがみつくようにして よたりよたり と 移動しておられたの こんな感じのことかな…と 身にしみるように思う

まぁ 不都合あるのに のるあどれなりんどーぱみんせろとにんおきしとしん…やらなんやら 大放出で 舞台に立たせてくれてたんだね ありがとね身体よ と 己突っ込みを 引っ込めて

撫でる思い

よたよたなんとか 帰宅したら

はは あんちゃ ばんげ時だったで 

ちょいと 舞台報告して

ちょみっと 休んでから食べるわ と 伏したら 

21時過ぎまで めるとだうん

そののち

起き出して もそもそ 食べて

「食べてすく寝ると牛になる」ので

しばし 動画観たり 音楽聴いたりして ぼやんとしてから

久しぶりにゆっくり 風呂にも浸かり 寝た

朝 まだ ちくりちくり よたりよたり だけど

何かが 寸断されて動けない というわけではないので

また 重心移動など探り 動かし巡らせ休息 など 気をつけてまいる

お隣さん 三軒に ご迷惑おかけしてる植木問題はおいおい…で やることにするしかないな(「舞台終わったらやります」お手紙を 出してある)

8月にも「踊る 踏む 跳ねる」舞台…ジャズダンススタジオグァテマラさんの…あるからのぉ

整え調えゆく日々

味わい楽しんでゆくでぇ

今回 肩出し衣装なかったので なんの問題もなかったけど

わたくしの 左肩から背中にかけて かなり

ざらざらぼろぼろになっとるのは

日々の 肩乗り猫 だーちゃん(避妊済 4歳)の おかげですわ

5月後半に ねこさまたち みんな 生まれたであろうから

そろそろ みんなの歳 ひとつ 重ねることにするかな なんてことを 思う 

のんびりの朝

…と思いきや 母デイケアお支度 まだぢゃった!

まだ 慌てなくても〜て のんびりしすぎて どたばた いつものこと