2019 年 6 月 のアーカイブ

いいたて村 食を考える会の方々

2019 年 6 月 30 日 日曜日

24日(月)

飯舘村 交流センターで 鴫原さんの お話をうかがったあとは

「いいたて村 食を考える会」の みなさんによる 心尽くしの お弁当を いただいた

まんず 隅から隅まで 滋味というか

素朴に んまいのよ

「農作業の合間の 楽しみでねぇ…凍み餅の天婦羅とか♪」て 鴫原さん

「朝 四時半から 夜の七時まで ずっと働いてたの 避難して 動かねぇぐなったから 糖尿とか 病気出っつまったんだげんとも…んまいものは んまいっ♪て 食うのが いいんだよ…なぁ」と

お連れ合い「かあちゃん」が 食べない と 言った 桜餅を もらって

笑顔で ぱくりっ と かぶりついた

嘆いてばかりいられないんだ

大切な日々 今このとき

たのしく 笑いながらやっていこう と

「また ぜひ 来て」と みなさん 笑顔で 手を振ってくださった

先日届いた『もどれない故郷 ながどろ 飯舘村帰還困難地区域の記録』(芙蓉書房出版)には

笑顔で 話してくださった 鴫原さんたちの あの日からのことが 更に 丁寧に 掬い上げられている

喉元過ぎてしまっていた いろいろなこと

さておきにしてきたこと

これから 大切にしていきたいこと

改めて取り出す思い

長泥地区のこと

2019 年 6 月 30 日 日曜日

帰還困難地区 長泥の 地区長 鴫原良友さんからのお話

終始 ユーモアあふれた 温かな 語り口

しかし それは 深く重い 悲しみと怒りとやるせなさを 越えて 前だけを向いて ゆこうと 思い改めた日々の裏付けがあってこそのこと

そんな 貴重な 体験を 軽やかに受け渡してくださることに

おののき震えながら

しかし 思わず 笑いながら おうかがいした

わたくしの 薄浅い 感想や 解釈や

鼻くそみたいな 比喩で 歪曲してしまうのは失礼すぎる

受け渡し伝えるときに ついついさしはさんでしまう「余計なもの」を 省きたくて

いただいたことばは なるべく そのまんま かぎかっこ「」で お伝えしたい

「話上手なわけじゃねぇんだげんとも」と 照れながら

しかし「言わねぇと わかんねぇことだから 今もずっと続いてること わかってもらいでぇがら」と しんみりしたかと思うと

「んで マイク持つと 五~六時間は とまんねえで 喋っつまうんだぁ」と 笑う

震災後 すぐに 浪江 大熊 双葉からの 1200人を越える 避難してこられた方々の 受け入れ助太刀に 炊き出しをし続けた 鴫原さん

自衛隊の方々も たくさん来てくれた と心強い思いでおられた

しかし 15日になって 飯舘村の 放射能汚染を 知らされ 愕然とする

「知らずに 炊き出しして 内部被爆したんだべな させてしまったんだな…て 悔やんでも悔やみきれねぇがった」

「あんなにいた自衛隊の人たちも すぐにいねぐなっつまった…代わりに 防護服の人らが 来たのさ」

避難所は すぐさま閉鎖され 避難してきた人たちは 別のところへ

22日に 全村避難となった 飯舘村は

遅れをとったために すぐに 避難所に 入ることができず

まず 250名が 財務相の建物に 避難できた…とか

馬と牛を 育てる農家であった 鴫原さんの 共に暮らした 牛たちは

「手足をもがれる思い」で 手放した…と

しばし 言い淀む 鴫原さん

「『マスクしないでも 大丈夫』なんつって 安部…来たけど 冗談じゃねぇのさ。大丈夫だの コントロールできてんのいうなら 放射能あっとごで 会議してから物言えっつうの。埋め立てに使えるっつうなら 霞ヶ関さ 使えばいいのさ 汚染土」

笑いながら しかし 静かな怒りがにじむ

「もとに戻らねぇ 放射能なくならないとこにいて 忘れたいけど忘れらんねぇならば 引き受けて生きていくしかねぇのさ」

環境省が フレコンバッグの処理施設や 再生事業を始める

ハウスのなかでの 飼料植物を育てはじめているのは
「見せかけでしかねぇ ままごとみでえなもんだ」

「土のことに関しての エキスパート農水省でねくて 環境省がやってるのが 何より 環境が駄目なまんまっつうごどなのさ」

汚染土を 深く埋めた上に 防護シートで 塞いで 汚染されていない土を被せて 農業する試みには 国内外からの 非難が 集まっている

「その事に 何で賛成したんだって言われても 賛成しねぇと 他の支援しねぇぞっつう 取引みたいな 脅しみたいなやり取りはあるんだ。苦渋の選択なんだ。たくさんの 判子ついたあとに こっつさ 伝えられるだけだがら 市井のものの意見なんて いちいち聞いてらんねぇのさ」

「批判して反対すんのは 楽だげんとも んでは 反対する人らは たくさんあってなぐなんねぇ 汚染土を どうすっか 具体的に なんかできんのかっつうの…誰かが引き受けなくてなんねぇのさ…どうやったら助けてもらえるか 考えながら 反対したり 受け入れたりしてんだ 俺たちは」

被災した身の上にさえ 批判や非難が ふりかかっておられるとは

かといって そんな声に 怒りをぶつけるつもりはない

「『までい』つうのは 丁寧にだけでなぐ、相手のこと ちょこっとでもいいから 思いやるのさ。国のやり方に対してもさ」と

取引のようなことを 言ってくる 国に対しても までいに 向き合っておられる

「震災後 後悔しない生き方とか 生き甲斐について 考えるようになったんだ。今まで育ててくれた父ちゃん母ちゃんありがとう て 感謝して 思いやりとか ありがとう つう 感謝の心をもっていかねばな」

「現場に来て 見てもらいたい 楽しんでもらいたい 」と 願っている

まだ戻れない 戻らない それぞれバラバラに 暮らしておられる 長泥地区の人たちは 0歳から 九十代まで

飯坂温泉などで 定期総会をひらきながら

またいつか ふるさとに 戻れることを 夢見ている

「解体したり よけた草とか 燃やさんねぇんだげんとも 気休めの マスクしながら 片付け行ったりしてるんだ」

これが 八年経った今

それでも 前を

希望の光へと 眼差しを向けて 暮らしておられる

「今まで 俺が どっかで話すっとしても 出て来ねがった かあちゃん…今日はじめて 来てくれたんだ」と

照れながら しかし うれしそうに お連れ合いを紹介なさった

「ほんと 感謝してる ありがでぇ…」と しみじみと お しゃった

受け取り 活かして 生きている

「までい」なる ありかたを みせていただきましたる

信念と覚悟

2019 年 6 月 30 日 日曜日

もう一週間も経ってしまった

飯舘村に 暮らしておられる方々に お話をうかがったこと

ことばは 軽やかに朗らかに和やかに 伝えられたものの

改めて その 重みを

今もまだある ただならぬ 大きさを 思って

薄浅く軽々しく 伝えられない気もして

でも これは 受け取ったものが つたえてゆかねばならぬことでもあるな と 気を取り直して思う

はじめに お話しくださったのは

村役場 総務課の まつしたさん

震災当日 地震の被害は比較的 軽微だったものの

災害対策本部を設置し

浪江 大熊 双葉からの 津波 原発被災者の 受け入れに 奔走なさっていたそう

しかし 震災の 三日後 モニタリングポストを 設置したのち

4号機壁一部破損

モニタリングポストが 44.7μsv記録

すぐさま 避難受け入れの人たちを 他所へと 避難していただく手筈…

その時 お連れ合いの方が 妊娠三ヶ月だったとのこと

その数字が明るみに出るまで 何の情報も 入ってこなかったことが 悔しい悲しいいってられぬほどの てんてこまい

3月中に 希望者避難だったものが

4月には 全村避難に指定されたものの

ご自身が 避難なさったのは 8月のお盆の頃だそう

今でも 復興も復旧も 完了などしていない

とても分かりやすい資料を作ってくださって

大忙しの 合間をぬっての 駆け足だけれど ちゃんと ていねいにわかりやすい まさに「までい」な おはなしでありました

ここでみんなと よりよくくらしいゆくために これからも 働き続ける 信念と 覚悟

受けとりましたる

飯舘村で

2019 年 6 月 30 日 日曜日

飯舘村の 「いいたて村の道の駅 までい館」はじめ

FFCが支える美しい村の「復興」と「未来」

交流センターに たくさん みられた 重岡建治氏の 彫刻

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/重岡建治

飯舘村ゆかりの方ではないらしい…とは 前に ご紹介しましたが

震災がきっかけ ということでしょか?

その辺りのこと 確認できてないのですが

交流センターのかたからは「つながり とか ぬくもりとか自然をテーマにされてる作品を 寄贈されたものなのです」とのことでした

触っても壊れない…が コンセプトだとか

までい館の 前のとこのは 横に座りたくなる

ジャコメッティ 思い出す 鋭角…のようで

尖ってない

触れると するり と 柔らかく滑る

角度によっては とても ふくよか

ぐるぐるじろじろなでなでしたくなる

交流センターの 中にあるのは

建物の一部みたいな 温かみのある木彫

えん や ゆかり というものは

元々のものだけではなくて

新しく生まれたりもするものだ

脈絡ないようで これもまた 通低する テーマだったなぁ と 改めて思う

完璧だからこそ

2019 年 6 月 29 日 土曜日

完璧だね♪と 言い合った日々は遠く

振付絶賛記憶喪失中

頼みの綱の 動画も「完璧」だから 録らず

相方 沙世さんも 本日は 欠席か?

ううううぅむ

一人でやらねばならんときは

なんとか 空白は 何かして踊りますけども

あまりにも見事に まっさらになってて

呆然としながら

入っているはずの引き出しの取っ手を探すように

ちょいと 目と からだと 思いとを 巡らせる 待機時間

楽しみリハーサル

2019 年 6 月 29 日 土曜日

昨日は リハーサル前の 振り確認や 打ち合わせ…のはずが

先方の 体調不良により キャンセルになり

思わぬ お休み

さぁて あれやってこれやって…を 巡らそうと思いきや

あれれ?

わたくしのからだも よろしからぬ感じ

何を 同調しておるのだ!?

でも 休んでいいとなると 不良箇所を 訴えてくるたぁ お利口なからだだ

おとなしく 養生してました…ごろごろしてただけだが

時間空いたからとて やらねばならんことがやれたわけでもなく

まぁ おいおいね…なんて 相変わらずでおります

本日は ジャズダンススタジオ グァテマラさんとこの 舞台リハーサル 缶詰め(本番は 7月20日 画像は先週金曜日の舞台稽古のときのもの)

へばらず 楽しむだ

天鵞絨の声 ヴォーカリストの 広瀬あけみさんも おられる

たのしみだ~♪

たえさんブログ

2019 年 6 月 28 日 金曜日

たえさんの 記事
ぜひ読んでみてくだされ

↓↓↓↓

私のコラムが『yahoo!ニュース』に紹介されました🌸

そして、yahoo!に多くのコメントを下さっているようで、ありがたいかぎりです。

「死」について考えさせられたある犬の行動」
「わいどなニュース」
https://maidonanews.jp/article/12491589

学びながらゆく

2019 年 6 月 28 日 金曜日

原発事故後 八年目の福島を体験する みっちり 学びツアー24日(月)

清水修二さんの お話を聞きながら

バスは ほぼ予定通り 飯舘村の道の駅「までい館」に 到着

までい…とは 飯舘村の 政策で だいぶ 広まった気がする…福島~宮城辺りの言葉

村の 自治体としての 政策目標(飯舘村第五次総合振興計画スローガン平成17~26年)を 横文字にすると

年配の方々には 馴染みなくて親しんでもらえないから…ということから

馴染みのある言葉ってなんだろう?と 考えて 行き当たった「までい」

そこから「までいライフ」というのが できたそうな

「までい」は 両手とか左右揃った手という意味の「真手」が 語源となっているらしい

「丁寧に」「大切に」「じっっくりと」「心を込めて」「手間隙惜しまず」という意味合いで用いられる

粗雑な わたくしも よく じいちゃんばあちゃんに「もつっと までぇに やらぃん(もう少し 丁寧に やりなさい)」と たしなめられてたっけな

飯舘村と その周辺の 魅力的を 気持ちよく 紹介する施設

豊かな森林資源の恩恵 林業も盛んな 飯舘村ならでは を 表すために

温もりのある木の良さと 光を取り入れ

特殊な技術で 設えられた 垂れる花花…うつくしや

地場産の 新鮮お野菜も ありあり

んでもって まるっと 放射性物質の検査のできる機械もあり(無料)

清水修二さん さっそく 購入して 量っておられた様子(タイムリミットにて のちほど 別物の データを おしえてくださった)

のちほど土産物をゆっくり買う時間はない ということで

みなさん あれやこれやと 買い込んでおられた…つられて買っちゃった…でも 帰りの電車賃のこととか かろうじて 思い出して そこそこにしといた

屋外の 放射線量測定パネルには 0.16μsv

周辺は 徹底した 除染が行われているから そんなもんで 済んでるのだ

これ 角田市の 台山公園とかと 一緒だな

https://www.r-info-miyagi.jp/r-info/mobi_space_detail_map/?aid=2(放射線情報サイト参照)

ロータリーのとこにある独特の味のある 彫刻

後に 訪れた 飯舘村地域交流センターにもあって

ここいらゆかりの作家さんかと思いきや

そういうわけではなく

震災きっかけだか

ご縁で 多数の 製作 寄贈なさった 彫刻家 重岡建治氏のものだそう

自然の 豊かさや 人との ふれあい 温もりの作品…じわっと くる

ゆっくり ソフトクリームなめながら そこに座っていたかったものの

あいにくの 雨&次への学びのための移動

そそくさと また バスに乗り込んだのでした

棗の花

2019 年 6 月 28 日 金曜日

初めて 見た

月桂樹の花に 似てる 小ささ

柿の花にも 似てる 丸っこさ

いやいや 喩えてばかりじゃいかんけど

これが 棗(なつめ)の花

かわゆ

伝えつなごう

2019 年 6 月 27 日 木曜日

先日の 原発事故後 八年目の福島 学習ツアー

後半の取りまとめも ままならぬまんま

どたばたと 日々を 越えることに いっぱいいっぱいに なりがちなのですが

あのとき お話をうかがった 飯舘村 長泥地区の 区長 鴫原さんの インタビューも載ってる ご本『もどれない故郷 ながどろ 飯舘村帰還困難区域の記憶』 長泥記録誌編集委員会 編(芙蓉書房出版)届きまして

あとでまた じっくり 読んだり 振り返って 伝えたりせねば と 思う

また どたばた いってきます