‘歳時記’ カテゴリーのアーカイブ

舟出

2025 年 1 月 3 日 金曜日

初夢 宝舟

阿武隈川に 流しに行った

何故か 14艘もあり(折り紙の船を 艘…と 数えるのもどうかと迷う)

にゃんこも含む 家族分のほか 誰の夢も乗せていないであろう 5艘は

本日のご飯会で さなおばの頭に擦り付け

悪夢もらっとく みたいなこと言って こじつけて

舟出に 臨んだ

下から巻き上げるような風だったので

橋の真ん中よりも 東へ進んで

一気に 放ったものの

何故か 2艘だけ 舞い戻ってきて 

わちゃちゃちゃちゃ!なんつって

舞い上がる舟 追いかけて

しゃがんで 再び…しかし やはり 戻る

3度目 反対側から 放って どうにかこうにか

かなり怪しい風情のわたくしでありました

自転車で通りかかった おんちゃんから

しゃがんでるとこに

「やぁ こんにちは♪」て 声かけられたけど

顔も見る余裕なく…

もしかして なんか ヤバいこと やらかそうとしてる?て 思って 声かけてくれたんか?

わからんけど

こんな 強風でも 奇跡的に すべて 着水して

なんとか 14艘が 流れ行くのを 確認した

橋から眺める 蔵王は

うちから見るより 近く見えるものだなぁ なんて 思いながら

鼻水拭き拭き 帰った

きっと よき 道のりであろう

舟も

わたくしたちも

今年も 折り折り

2025 年 1 月 2 日 木曜日

2日夜に 見る夢が「初夢」の 森家

恒例の 回文「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」書いて

宝船を 折り

夜寝るときに 枕の下に入れる

猫らの分もある

大抵いつも なにかの包み紙で こさえるのだけど

今年 がさごそ 掘り出した 包み紙は

あら 懐かしや♪

大好きだった「八重洲書房」(かつて 丸光の横の 小路はさんだ 向かいにあった)の ブックカバーと おんなじ柄だよ

あぁ あの時 あの二階で…とか

いろんな 思い出 蘇るのを 掃き飛ばすようにして

正方形を 切り出した

回文書くため 毎年用いてる 習字セットを…と いつもおいてあるはずのあたりに 取りに行ったら 見当たらず

ややややや!?

去年 喪中とかいいつつも 父の遺影の分も とか言って 初夢宝船は やったよね?

始末の悪さ極まれり!と 諦めて 母の 書セット借りようか と 出して 切り替えようとしたものの

諦めきれず

再びがさごそ…

ありましたっ!

そして がさごその結果の ものもの サグラダ・ファミリア状態 構築

うひぃ

初ちらかし…

年 改まりても お馴染み相変わらずのわたくし てことですね

気持ち 落ち着かせて 墨など すりすりして

筆慣らしして

書き出したとこで

散歩から帰ってきた みみげながながちゃん(避妊済 3歳)が 飛び乗ってきて

ちょちょちょいょちょい〜!やめれ〜!!なんて 叫びつつ

どいてもらうために 食べ物を差し上げてしまう…やれやれ

たっぷり 墨をつけて 一気に書くので

書きはじめの「な」が なかなか 乾かぬ

乾くまで ゆるりと 茶など 飲んでおったら

回文書いた紙 散らばる 飯台が 

なんやら 呪詛…てな 有り様で 愉快

おいおい 折り折りいたします

改まる感じでもなく

2025 年 1 月 1 日 水曜日

朝 起き抜けに みみげながながちゃん(避妊済 3歳)が 獲ってきた メジロを 弔うことになって

おたおためそめそしてたら

あんちゃが

「すごいね 地面に降りない鳥て言われてるのに 獲ってくるなんて…」と 感心して言う

かつて 野鳥専門誌の 編集なんかもやったことあって

鳥たちに詳しかったり(病を得た後は「思い出せない」情報も多少あり)

庭で 雀こさんたちに「さばげ」さしあげていたものの

「今 庭に ご飯なんて 撒いたら 罠仕掛けてるのと同じことになるから 申し訳なくてやめた」と のたまう 良寛様あんちゃ

悼む気持ち無いわけではないだろうけど

その 諸行無常を そのまんま 受け止め 受け流すさまが

毎度 清々しい

わたくしときたら 受け止めるは 受け止めるものの 

どうしても おたおためそめそが 伴ってしまう

面倒くせぇ自分 と 思いながら

柳の根本に 仮弔い

そんなふうに 新年あけました 

特別な 設えをしたわけでもないので

新年だ〜正月だ〜2025年だ〜…あれれ令和でいうと何年だっけ?(7年…昨年一時期 令和七年と書いてしまってたこと判明…あわわ…)

…と 相変わらずの どさくさとてぱたの 今日

お正月料理じゃないほうがうれしいなぁ…てな うちの人々のために

うっすらやんわり「正月風」

昼には 母 あんちゃ わたくし の 三人 揃うことができました

やんだくても 餅は 食え…と

何故か 乱暴な命令形で言ってしまう わたくし

苦笑いするしかない 母 あんちゃ

区切りや切れ目なく

今 今 今 を

すこやかゆかいにいきてくらしをまわしてゆくのだよ

お年賀は 数年前に 買い込んで そのまんま 寝かせといたのを 引っ張り出して

不足分切手が 買えるような懐になってから(また夏秋すぎるか!?)

おいおい出そうかと思っております

…年賀じゃねえぢゃん!て また 叱ってくだされ

一応 締め

2024 年 12 月 31 日 火曜日

大晦日 とはいえ

気張って 掃除するとかいうわけでもなく

のろりと 起きて(そこそこ早起き)

赤子の頭くらいある 蕪を 漬物にしてみた

作業で かじかむ指先を

蒟蒻灰汁抜きの 鍋で温めて

ひっぽの元気な味噌と いただいた 柚子で 柚子味噌こさえて

蒟蒻にかけて 食べたりしてた

おひさまさしてきてからは

日向で うとうとしたり 本 読んだり

年越しそばも 気張って こさえなくてもいいかなぁ と 思ってたものの

あんちゃから「今年の年越しそばは〜?」と 期待の眼差し 向けられたので

賞味期限切れた 蕎麦粉が 冷蔵庫にあるので…と 言いかけたら

「却下!」と 遮られた

ちぇっ 

まぁ そう言われると思ったので 夕方には 蕎麦(乾麺)を 買って

すいっこすいっこ 石巻 丸平さんの 本枯節を 削って 

いい出汁 とったとも!

今年も 母姫の 血糖値問題考慮で 

ばんげに 年越し蕎麦 いただきましたる

天麩羅 失敗したけど

出汁の うまさに 助けられた

母も あんちゃも 相変わらず 正月餅は なるべく食べたくない とはいえ 雑煮の汁は飲みたい…という 調子に乗ったこと言ってるので

これから 雑煮の汁を 仕込もうかと思う

なんだかんだ 簡略化してはいるけど

そこそこ 歳時記の 句読点は つけてゆくかな

年末年始だから というだけでなく 

ひとときひとときを 健やか楽しく過ごしていきましょう

いろんなこと ありがとうありがとうありがとうございます

引き続き よろしくお願いいたします〜

結婚記念日に

2024 年 10 月 7 日 月曜日

本日 ちちははの 結婚記念日なのだけど

朝にその話をしたら

「んだって もう おとさん いねんだぉん 関係ねぇんだわ」と 母

…まぁ そうだね 母がそういう気持ちなら しょうがないね

でも わたくしとしては ちちははが 結婚してくれたからこそ 今ここにこうしていられるってことで ありがとううれしいよおめでとう なんだよ と 言ってみるも

ふぅん と 意に介さない感じ

ま いいや

デイケアに 送り出した後

用足ししたり

出張タップ稽古したり ののち

母帰宅

すると 呼ばられ

「おとさん わがんねがもしゃねげんとも ちょっこら 言ってみっかど思う」と 言い出した

何を?父に?どこで?

「ベッドんとごさ行って おとさんさ 結婚記念日だよ て 言ってみっかど思ったんだぃん」

…あ〜 父 ベッドんとごさいっと思ってんの?

うなづく母

仏壇のとこの 大きな 遺影(まだ 仏壇前に どかん とおいてある)目の前に 差し出してみた

「あらら なんだぃん でっけぇごだ」

いや だからさ これ 今 仏壇どごさ 置いである写真だでば

「…あれ?」

うん そうなんだよ 今 ベッドさ 寝でっと思ったった?

「なんだべ 死んずまったんだっけが?」

去年の9月7日な

「あらら んだったなぃん わりがったなぃん ごめんすてくなぃん」と 

ちみっと 埃帯びた 写真入れの硝子を撫でた

埃を 拭き取りながら

いや まぁ ベッドは今 ねぇげんとも そごいらさ いでけっから 父 わがってでけでっからよぃん と 母の背中を さすさす と 撫でてみる

さほど かなしそうでも がっかりでもなく

「ちょっこら 忘っしぇですまったや んだったんだった 見守ってでくなぃん」なんて おどけたようでもある 声色

穏やかしみじみと やり取りしているような 書きっぷりだけど

このやり取りの最中に みみげながながちゃん(避妊済 3歳)が 子ねずみを咥えてきて

醤油(去勢済 3歳)とともに わざと逃がしたり 放り投げたり 追いかけたり 取り逃がしたり…の すったもんだてんやわんや!と共に だったのでした

程なくして あんちゃ帰宅して

3人で 特別 というでもない ばんげ 食べ終えたら

「記念日にふさわしい ごっつぉおでござりますた」と なんて 手刀を切った

ごちそうさまも言わずに 食べ終える ぼんやりなことも あったりするこことこだけど

今日は 巻き返し的な 締めだったな

なんだか おかしいような せつないような気持ちでおったら

「んで デザート ねぇのがんや」ときたもんだ

おいこら 明日は 糖尿外来だし もう 夜8時過ぎたから 採血に響くで と 鬼なこと言いつつ

ま でも 蜜柑半分だけ 食べてもいいかな?と あんちゃに剥いてもらった

「酸っぺごだ でも 今頃の蜜柑は 大体 こだもんだべん」とな

五十鈴お嬢様 なかなか いい調子ですわね

明日 雨かな? でも 病院への道のり 頑張っぺなぃん

父のいない日々を重ねてゆく 

でも たしかに 父がいてくれたからこその日々だ

ありがとう と 殊更に思った日

とりいそぎの 苺忌

2024 年 7 月 2 日 火曜日

とりいそぎ

とりつくろい…な 感じ

苺忌

会ったことないけど

幼いまま 逝ってしまった 母のすぐ下の妹 妙子おばちゃんを 思う

「苺が食べたいよぅ」て 言ってたその気持ちを

それを なす術なく見守るしかなかった ばあちゃん(母親)はじめ 周りの人たち

車もそうそうない時代に

不可能と思われた 苺探しに 奔走してくださった「女中さん」たち

奇跡的に 山越えた 亘理あたり?の 農家さんで 見つけて届けて

口に含んだ途端に 亡くなった…という話

歌稿 書きが すすまぬ ねむねむの 母に

そんな話思い出してもらい

ひとっ走り 苺ものを 買ってきて

「ガツン、といちご」で 目を覚ましてもらう

いちごみるくイメージの 線香は だいぶ前に 金子さんとこで 父の会葬代 分け分けの お支払いの折に 半額セールの 買ったものだけど

この匂いは やはり 気持ち悪くなるのだった…くうぅ…

そんなん 焚いて 申し訳ない

そういや 紫陽花…先月の 歌詠み刺激のために 切ってきたものだったな

また これ以上ないくらい 短くして 水揚げ

で もう一本 新しく 切ってきて 挿した

ま とにかく もすこし 頑張ろうぜ

記憶がずれてゆく

2024 年 7 月 2 日 火曜日

顔本 思い出機能にて 表示された写真見て

はっ!と 気づく

↓↓↓↓↓

ちょ と 前に「苺忌」を 7月3日 なんていってたけど

間違った

2日…今日だ

やっべぇ!

本日中に どうにか 苺ものを 調達してこよう

ごめんね 妙子おばちゃん

みみっちいやつ わたくし

2024 年 5 月 13 日 月曜日

母の日で

あんちゃは ハンカチを プレゼントたらしい

なんで 47てかいあるのかな?母誕生日のナンバーだから?と 思いきや

KAWABEさんという メーカー(100周年)で

47都道府県の 魅力再発見と 能登の地震への 支援の思い込めた シリーズなのですて

https://www.kawabe.co.jp/information

ピアノ柄…静岡県

宮城県を 選ぼうと思ったものの ホヤ柄なので

「君にならまだしも 母ちゃんには ホヤじゃだめだと思って」とのことでした

わはは

そうだね

わたくしからは また 帽子…とはいえ

これは わたくしが買ったというよりも

母の お三越友の会カードで 母の代わりに 買ってきただけ…てな感じ

かつて

母が 頻繁に 帽子を購入するお洒落さんだったので

似たようなの まだまだ うちにあるのだろうけど

新しいものって 気持ちも つられて 新しくなるような瞬間があるから いいよね

そして 多分 純粋に わたくしからのプレゼントになるのは

ティッシュボックス

やたらと 目と鼻と口とを ティッシュで 拭くようになった 母

ティッシュの 消費量 半端なくて

しかも こことこ しゃっしゃっ と 2枚取る癖もついてて

一枚ずつでやらんかいいぃ〜!と みみっちいことをいってしまう わたくし

あぁ これじゃいかん と 反省してたので

母にプレゼントした体でおれば

わたくしがいちいち みみっちく 制する筋合いじゃなくなるはず と 思ったのでした

そんなことせずとも 思う存分 使ってもらったらよいのにね

ばぁか!と 己の後ろ頭に 吐き捨てたい気持ちもあるが

ま とにかく これからも そこそこ すこやかたのしくいましょうや

ごねたり どさくさすんの わたくしだけですけどね

懲りずによろしくお願い

へろへろ帰宅

2024 年 1 月 3 日 水曜日

宝船を 流しに 歩いて行ってみた

片道 ぴったり30分で 角田橋の真ん中に 到着

阿武隈川を吹く風は 南東からのようで

中洲の 真上あたりから 放れば なんとか 着水するであろか と

風を読んでからやったのに

二艘 橋の上に 舞い上がる

そういや 毎年 吹き上げる巻風みたいなもん あるのだったな

追って また その二艘も 放つ

先陣 追いかけるかと思いきや 

淀みの方にいくものもおり

どこにどういったか 行方追えぬものもあり

でもまあ そのうち 流れてゆくであろ

どれが誰の船だったかな?

いちいち わかったとしたら 

そこから なにか 意味を見出そうとしてしまいそうだから わからないほうがいいや

みんなそれぞれに 思いが叶う日々でありますように

おばたちに あげようとしてたのだが 連絡返信が遅くて 届けに行かなかったのと

包み紙から 切り出したので

必要より多めに できたのだったよ

こんな風習預かり知らぬ方々の 思いも叶えられたらよいな なんて 虫のいいこと浮かべたりもする

そういや 父の分ないのは 初めてだよね…と あとから 気づく 

それが直接 かなしい には 結びつかない

こうして 喪失状態が 日常になってゆくのだろうかね

鴨たちが ぎゃぎゃぎゃ?て

尻上がり 半疑問文みたいに 鳴いた

あまり 身を乗り出しすぎると 怖いので(遠くから 見るともなしに見てる 通りがかりの人や 車もおるようだし)

早々に退散

不具合の 股関節などまだ 悲鳴は上げてないけど

かなり もう 疲れてますから アピールありありなので

ゆっくりと 復路

途中 買い物もして 帰宅

たかだか 一時間二十六分の 道のりで 汗だく へろへろ

体力回復も 心がけねばならない と 改めて思いつつ

値引きになってない 〆鯖太巻き 蛇が丸呑みするみたいな勢いで 食べてしまった 

お茶でもいれようかな

祈る思い

2024 年 1 月 2 日 火曜日

石川県周辺の地震で

はらはらじりじりするも

差し当たって何ができる でもなく

公共の電波的…とはいえ ブログも 顔本(Facebook)も 多くの人が見る テレビ番組的なものでもないので 

なにか呼びかけて 届くわけでもなく

せめて 周辺の方に 連絡をつけてみる

渦中におるときは 返事などできないし

むしろ バッテリー消費させてしまうこともあるので 迷ったものの

返信は求めず

祈る思いでいること

手隙のときに

落ち着いたあとに 

必要なこと

足りないことを 求めるような

なにかの 足がかりに…と 思いつくきっかけになれば とか

そんな感じで…

自分ができなくても

誰かに 何かにつないだり

かつての ごくごく個人的な経験が 役立つのであれば…と 思う

大変であろう その地の周辺の方から ご無事のお返事を頂いてしまった

申し訳ない

ありがとうございます

引き続き どうか なるべく大変なこと 少なく 

知恵と工夫で 乗り越えてゆけますように

筆との 仲良しやりとりを 思い出しつかめぬまんまの母ではあったけど

どうにかこうにか 初夢宝船の 回文を 書いてもらった

なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな

おだやかな なみでありますように

祈る思いで 宝船を折る