‘東北関東大震災(東日本大震災)’ カテゴリーのアーカイブ

2014年の 今日の投稿

2023 年 1 月 17 日 火曜日

敢えて リンクではなく

コピー ペーストにした

なにもできなくても

これからのなにかにつながればいいな と

思うばかりなのだけど

思わないよりはいい

とにかく 生きていってほしいとおもう

生きていこうと思う

↓↓↓↓↓

その日は ぼうとしていた

ニュースから流れる映像は

何を意味しているとか

呑み込めなかった

かなり経って きれいになってからいったので

大変さの はじっこも 感じることができなかった

その後 偶然 思わず知らず 阪神淡路大震災を乗り越えられた方と

ブログをつうじて 知り合い

そしてまた 月日が流れ

3年前の震災後すぐ 心を痛め心配し あれこれ助太刀してくださった方の筆頭に

その 被災経験の先輩でもある方がおられる

先輩方が あの日々を 乗り越えられたことが

とてもとても 心の支えになった

状況は違えども

大変なことを経験することで

思いめぐらせる 想像力応用力の底辺は 広がるものなのだな

いかしていこう

助けていただいたことを 無駄にせず

つないでいこう

伝えていこう

あらためて

大切に生きていこうと思う日

阪神淡路辺りを 思う

震災を思い出して

2021 年 11 月 28 日 日曜日

震災の夜など 不意に思い出し

ちょっとの間 蝋燭の 灯りのもとで ばんげの支度

でも 本日の 主菜の 下拵えには ちと 難あり

通りがかりの あんちゃからも「ちょっと 怪しすぎるよ 危なくないか〜」と 笑われ

夜の ズーム会議の準備も も少し灯りないとな と 電気点灯

意志薄弱 文明の利器に 甘えまくり

そんなとこへ

ちょ とした 退っ引きならない…てな 思いの連絡あり

むむむ

どうする 会議…と 迷うより

大切にしたいのは 

なるべく 身近の 目の前の 人の安心感の…

てことで

偉大なる 素晴らしき働きへ向かう会議なのですが

ごめんなさいすることにしてしまった という

わたくしには なんの力も無いとしても

伸ばされた 手は

握り続けられなくても

握ることのできるところへと繋ぎたいのだ

動く

当選!

2021 年 9 月 18 日 土曜日

朝 荷物が届いた

思い当たらぬ われもの注意シールの箱

送り主の名前を見て あっ と 思い出した

hontoさんで 本を 注文すると

時々 封入されてくる

UR都市機構の PR誌『UR PRESS』

著名人の巻頭インタビューや いろいろな街の 試み 魅力紹介 満載

震災復興の話なども 載っていて

その中に https://www.yagisawa-s.co.jp/

陸前高田 八木澤商店さんの 奇跡の醤が 紹介されていた

震災で 何もかもが失われた…と 思いきや ひととひととの 繋がり出会いにより 復活したという 

まさに 奇跡のお話

親戚 新澤醸造店の 経緯にも通じる

思わず いつも 素通りしてしまっていた 読者はがき(プレゼント応募) 書いて 出したのだったよ

懸賞当選品 受け取ったというより

八木澤商店さんの 乗り越えてきた日々

越し方の 物語

人の思いを 受け取ったような 思い

ありがたくいただきます

いただいた思い つなぐよ

2021 年 8 月 21 日 土曜日

うっかりおんなじ本を取り寄せてしまう

復刊を扱うサイトからと

いつもの hontoさんからと

『知られざる古墳ライフ』…復刊リクエストしてたのだったね

なのに 新刊でも 注文しちゃったのだね

古墳周辺好きの方に 譲ろう

もうひとつは

間違ったのではなく

敢えて…の 二冊注文(ほんとは もっと大量に…と思ってたものの 懐事情による)

これは 今後とも販売促進に 助太刀して行く予定

助さん こと ドリアン助川さんの 『線量計と奥の細道』(集英社文庫)

震災後 線量計を 携えて 奥の細道を 自転車「メグ号」で 辿られた 紀行文

奥の寄り道 角田にも 来てくださってる

今更じゃない

10年たっても改善されてないこと てんこもりもりなのに

オリンピック浮かれだの

コロナざわざわだので

忘れ去られ勝ち

今更ではない

そんないまだからこそ なのだ

秋には 助さんに ご登壇いただく企画あります!

結構 広範囲の方に 期待もされているもんで

こんなご時世ですけど

広範囲の方にも 参加していただけるよう 企画練り練りせねば と思ってます

ご本は お求め易くなってますんで

ぜひぜひ お手にとってちょうだいな

もりあやこなのに

ちょっと 素敵っぽくなってるのは

助さんの 筆力

申し訳ないけんど ありがとう

さぁ

へたれてはいられないよ

邁進するよ

「忘却があってはならない、特に権力による恣意的な忘却に巻き込まれてはいけないと覚悟を決めたからだ。」

いただいた 思いを 繋ぐよ

ふぁいっ!

「すけろくのおかあさん」

2021 年 5 月 31 日 月曜日

ご近所「すけろく」さんの 「おかあさん」が

うちの近くで 畑を こさえておられる

目が合えば ご挨拶したり

ちょこちょこっと 言葉交わしたりしてた

見事なレタス いただいたりした

最近 とある いきさつで うちに来てくださったり

わたくしが 訪ね行く ことがあって

そのとき あれこれお喋りしたのだけれど

「あんな風に フレンドリーに お話ししてくれて すごくうれしかったの♪」と 言われた

わたくしとしては 父が 電車通勤してた頃

ちょくちょく まっすぐ家に 帰らず すけろくさんに寄って あわよくば「お迎え」と 称して お相伴に うかがったり(その頃 ご存命だった「おとうさん」は 確か 父の同級生だったのではないか?)

納税組合寄合い会場で 使わせてもらって

会議の後の呑み会(そっちがメインか!?)で れろれろになったとこ

うちまで つれてきてくださったり

歩行に 難有りになってからの 寄合い帰りは

ほんのワンブロックなのに タクシーで送り届けてくださったり

あとは 何度もあちこちでいってるけど 震災あった翌日に

「停電だし 持たないし なげるのもったいないから 食べてちょうだい」と

お店で出す だし巻き玉子やら お裾分けくださったり

そのあとも となりまちに 用足しで行かれて(多分 人助け) 「牛乳たくさんいただいたから お鍋持ってきて」て 分けてくださったり

親しい気持ちや 恩義やら ずっと感じてたので

勝手に 懐いた気持ちでお喋りしちゃったのだけど

「お喋り」したのは 初めてだったのかもしれない

わたくしも すごくうれしかった

心強かった

昨日 お喋りのなかでうかがってた手作りパン

持ってきてくださった

「おしつけみたいでごめんなさいね~ 気にしないで 受け取って 焼きたてだから🎵」と

ふっかふかのほっかほか

わわわわわ~♪

うれしひ

母と あんちゃに 見せたら 速攻 ちぎられた

んまひ♪

父にも これこれみてみて すけろくのおかあさんにいただいたふかふかやきたてぱんだよ~♪と 鼻に近づけ 手にも触れさせる

熱かったみたいで びく と 手を引っ込めたりしたけど

「すけろくのおかあさん」という言葉には ちゃんと反応してくれた

胸のうち パンのふかふかの ほあほあの やさしくあまいかんじ

満ちた

ありがとうございます~♪

珈琲カップ トリップ

2020 年 5 月 26 日 火曜日

今朝のカップは yonda?クラブ

20年近く前に

新潮文庫で やってた キャンペーンの キャラクターもの

ブックカバーの かどっこにあった マークを切り取って 貼って 送って

商品をもらうシステム

あんちゃが 緑のと この ベージュのとを 入手して

くれたのだったな

自分が使うわけではないのに 商品をもらう…ての

昔からだ

ちょっと前には 春雨スープポイントで ミッフィーランチバッグ三~四枚 手にいれて ちちははわたくしに 配ったりしてたし

そういう熱情

愉快だけど

塩分過剰摂取になってるなぁ と

心配してしまう 余計なおせわさま いもうと わたくし

…ま それはさておき

緑は 珈琲に

ベージュは 紅茶などに 用いていたものの

いつしか 別のカップを 普段使いするようになり

戸棚の 奥の方に 仕舞いっぱなしになってた

思いの外 重たくて

でも 馴染み深い 重みで

あぁ 久しぶり 元気だった?て

熱く 重たい 青春の日々 共に 過ごした クラスメートに 再会して 一瞬で 時間が 戻ったみたいな感じ

…なんだそりゃ!?

そういや わたくしは カップではなくて

文豪時計を 入手したのだったな

あれは yonda?クラブじゃなかったのかな?

カフカと太宰治だったか

すぐ使えなくなって

時間を見るよりも 飾っていたのだった

震災で 部屋がめちゃくちゃごしゃめしゃになったとき

飾ってたところから どこか別の箱かなんかに入れた気がする

震災後の 三ヶ月 ほとんど 自室に 戻らなかったと 思いきや

その間に すこぅし 大事なものとか なにかを 整理したらしい

それを どこに どうやったかの記憶がない

記憶の 不確かさに 驚愕したりもしたっけな

いつか 記憶のひきだし 開けられるかな?

混沌自室を 探索して

記憶を 繙いてゆく楽しみは

これから まだまだ 尽きないてことだ

いやはや

珈琲カップから あちこちトリップして

あっという間の 朝のひととき

本日は お寝坊 母を

そろそろ 起こそうか

誰が命を救うのか

2019 年 11 月 24 日 日曜日

昨夜

炬燵で ちどごろ寝してしまい

こりゃ いかんな と

寝直すため

小片付け テレビのチャンネルNHKにするとか(わたくし 朝 ほぼ テレビは観ないものの ちちははの習慣で 朝起きたら まずNHK…だもんで)

…したらば『誰が命を救うのか 医師たちの原発事故』てな 番組をやっており

ついうっかり…しかし しっかり 観てしまった

あぁ 喉元過ぎさせてる

六月に 帰宅困難地区の方々のところや 今も 休むことなく 収束させるために 立ち働いておられる方々に お会いして

も少し 何とかするためのことへ 寄り添い続けねばならぬ!と 心引き締めたのにな

その後

日々に 忙しないふりをして

その息抜きと称して だらりん…と しとるぞ

いかんな…

テレビ画面を 写して 載っけるなんて よろしからぬことだが

備忘録的に 何枚か…

今あることを 忘れず

うつつを抜かさず ぢびたに 足をつけて

本当に大切なことを ひとつひとつ

あの日から 始まった日々に 思ったことを

改めて 生きる

活かす

つなげてゆく

しかし こんな真夜中でなく 早い時間に 放送してほしいもんだわ

隠蔽 言い訳 嘘塗り重ね 己の根城を 守り保つためだけの 腐った垣根を 乗り越えて

困難が救われ

必要に 届くような 確かな 一足のために

知らずにいた事 知ったものの責任

2019 年 7 月 2 日 火曜日

先週の 原発事故 八年目の福島 体験学習ツアー

まだ 咀嚼できぬ部分 多々あり

しかし 生々しい思いのうちに なんとか 少しでも 受け渡しておかねば と

じりじりしたり ひりひりしたりしながら

伝わる形を模索した その後の一週間でありまして

何人かのかたから「ずっと 福島に行ってたのですね?」てなことを 労われ

いやいや 行ったのは ほんの 1日 2日なのですよぅ と 応えること 何度かありましたる

それだけ この短い時間に あるまじき!?情報量の多さ 濃さでありました

よくぞ 組んでくださった 事務局の方々

企画側の立場に近いところにおったものの

わたくしがやったことといえば

この企画に 財団の 年間予算から 支援額を決める 全国総会のときに

最後の決め台詞「福島で会いましょう」を 叫んだだけ

お陰で(余計なことやらずに 出番が最後だけだったお陰で!?) 全国YWCA代表会員の方々の 投票によって 最高額の支援いただくことができて

結果 この 得難い 素晴らしいツアーが 実現したわけなのでした

何の尽力もせぬまんまではありましたけど

感無量

億劫がらず 参加して 本当によかった

喉元過ぎてしまっていた 痛み

今も 暮らし続ける人たちの 思い

受け取ったからには

これからも あきらめずに 橋渡して行きたい

届く形にして 手渡してゆかなければならない

知った者として

知らずにいてしまった者としての責任…

そんなことを思うのでした

遠隔技術開発

2019 年 7 月 2 日 火曜日

JAEA…正式名称は 国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構 楢原遠隔技術開発センター

東京電力福島第一原子力発電所(1F)の 廃止措置や 災害対応等に 対応する 遠隔操作機器の 開発や 実証試験が行えるところ

一般の人たちにも開かれている 施設とのこと

事前相談と 利用申請のための 書類審査などを経て 利用可能なのでした

はじめに 研究管理棟での 概要説明の後

没入型バーチャルリアリティシステム(VR)で 福島第一の 原子炉建屋内 模擬空間体験

ちみっと 画面酔いしてしまった…とほほ

その後 試験棟に移動

実規模実証試験エリア…実際の 原子炉格納容器の試験体の設置された でかいでかい 建物のなかにはいる

要素試験エリアは ロボット試験用水槽 福島第一の 施設内のあらゆる階段の模擬(階段を移動するロボットの実証試験)

そして 高速度カメラのついた 飛行ロボット…ドローンの 操作と その 計測画面を 見た

最新技術の集結で 収束に 向かっているところ

高校生などの ロボコンなど だいぶ 盛り上がってるけれど

そういった若者たちの技術開発の支援も 行っているとか

しかし ことは進んでいないということ

再び 研究管理棟に戻っての 質疑応答にて

「いつ取り出しを行うのですか?」

「取り出しは可能ですか?」と 質問が飛び交う

取り出す現場には こちらの 技術開発に 携わった人ではなく 東京電力のなかの 技術者がおこなうので

管轄外 とのこと

センターにおられる方々は 国からの予算が出てはいるけれど

国家公務員ではなく

ましてや 東京電力社員でもないのだ

「技術の開発と 提供だけなのです」とのこと

そして 燃料デブリ 取り出しは「可能です」と きっぱりおっしゃるが

「しかし 取り出したあとの 処置について かなりの難題があるので…」と 複雑な表情でおられた

なんて 簡単にはいかぬことばかり 山積みなのだか!

でも その山を どうにかせねば と

のぼり

きりひらき

平らかにしてゆこうと 邁進なさる人たちがいる

これは 希望の光でもあるのだ

「来て 見て 知ってくださって ありがとうございます」

力強く 朗らかに 手を振って 見送っていただいた

こちらこそ ありがとうございます 頼みます!と

びゅんびゅんと 手を 振りかえした

家も 死ぬ

2019 年 7 月 2 日 火曜日

浪江町大平山霊園から 楢葉町 遠隔技術開発センターへ移動のバス(国道6号線 帰還困難地区)のなかで

引き続き 清水修二さんからの お話

帰還困難地区の除染は これから始まる

しかし 周りの除染が済んでも 人の住んでいなかった家は 住むことができなくなっているものが多い

家も「死ぬ」のだ

普段 住んでいる家では たいして掃除などせず 屋根のメンテナンスなどもしていなくても 住む形を 維持していてくれる

しかし 人が住まない建物は 誰踏まずとも 床が抜け 屋根が崩れ落ち 壁も 剥がれていく

そこへ 獣らが侵入もしたりして 崩壊へと 後押しする

帰宅できますよ といわれ

補助がなされたとしても

作り直そうという 気力財力のある人は そんなに おられるわけではない

年代もある

「帰りたいけど 若いものに任せる」と ことばを濁す そこで生まれ育って歳を重ねた人は 多い

解体しても その廃材は 汚染されたものとして 処分されずに 仮置かれる

かつて 原発の誘致で 沸いていた 浪江や小高には

当時の 町長さん(まつくらたかしさん 故人)が「多くの人が 原発を待っているかもしれないが 自分は 原発が安全なものかどうかがわからない わからないうちは 賛成しない」と 公言し

かなりの批判を受け

誘致に成功した土地をやっかんで「向こうには蔵がたって こっちは (貧乏なままで) 腹が立つ」という 揶揄が 流行したのだとか

町民への 啓蒙冊子は「間違ったことは書いてないが 大事なことは書いていない。放射能は危なくないとかいてあって そのあとすぐに 防護について書かれていたりして 実は 親切ではない」

双葉町に入って 道端の 放射線量 表示板 0.767μsv

大熊町 2.014μsv

「廃炉工事雇用はあるけれど 人工ゼロのまちです」

「富岡も 人が戻って来てはいるけれど お墓を守れなくて お寺が廃業に追い込まれています」

「ウクライナでは 内部被爆対策を しっかりやっていますが 福島では 外部被爆対策が先行しているようです。内外合わせたものが妥当なのですけどねぇ…」

被爆に関しての 健康手帳を配る話があるものの

福島以外に 避難しているかたのなかには 福島から来た と 未だに 口にしたくないから そういうものは「いらない」と いっているかたもおられるとのこと

「ここは 田んぼだったのですよ」という 藪を見る

「ここいらの 除染は これからなのです」かつての住まいの 崩れ落ちそうな 屋根を見る

何をどこからどうしたら うまくいくのだろう

しかし 手に負えん と 手放すことはできない とも 思う

あまりの 課題難題の多さに

次の見学現場に到着するまでに

あたまうしろのところが 煮え煮えに 熱くなった

しかし 笑店街として 住みよいまちとして 考え抜かれた ニュータウン建設をも 見る

不安の上に 建てられているとしても

前を向いている人たちがいる