‘東北関東大震災(東日本大震災)’ カテゴリーのアーカイブ

収穫祭での ライヴ その2 シェアの時間

2024 年 10 月 28 日 月曜日

「まこっちゃん」が ステージ上に よっちゃんを呼んで

「今よっちゃんが 立ち向かっていること すごく大事なことだから みんなにシェアをしてほしくて」といったのは

豊穣庵にほど近いところに 一時的に保管…といって 汚染土が積んであって

それを近々 4号線と 東北自動車道の間に作られたらしい仮置き場に移動するという噂?があって

その話を聞こうとしたら 町からは「それは 非公開です」と言われたと

そのことについての説明は 周辺のみんなに伝えられたのではなく 周囲にある ほんの三軒のみだったとか…

「那須町には 汚染はない」認識から

それぞれの場所で 線量はかなり違っていて だからこそ 代々支えてきた 牛農家を続けることもできなくなってしまったわけで

今まで多くの困難を 変えて越えて頑張ってきた人たちに 軽く「非公開」は ねぇだろがよ…と 思う

原発問題に触れると 反対派 推進派の 過激なぶつかり合いや 騒動が巻き起こるイメージからくる「非公開」なのだろか?

…てことは あちこちの町で 知られていないだけで 執り行われていることって あるのだろうな 

だって 原発動かしてたら 日々 放出されてるわけだし 震災の時の 汚染土だってままならないまんまなのに

ごみ置き場は 永遠に 増やし続けなければならない…て この狭い日本 どうすんだ?

町に言っても 1ミリも埒が明かない!と 思った よっちゃんは 今 国と やり取りしているとな 

いろんなことを わかりやすく人々に伝えたくて お話をする機会も 設けている

「百姓」として 日々を暮らしていて そんなんに時間かけるほど暇じゃないのに

日々の暮らしを 脅かし ごまかされ続けることを よしとしない

「命続く限り 立ち向かうしかないのさ」て 朗らかに笑う

…わわわ

かっちょよすぎる

これは なんとか 伝えつなげてゆかねばならんな と 思う

よっちゃんの 話す機会 仙台あたりでも…なんて 話ししたら 

まこっちゃんが 応援に「行くっすよ」て 軽〜く おっしゃいましたよ

こりゃ なんとか 結ばねばな と 思う

知ってる 聞いてる だけでなく

みんなどうしたらいいか自分のこととして考えられるように シェアの時間を て まこっちゃんのやり方

とても 素敵だ

昨日の収穫祭の ライヴ その1

2024 年 10 月 28 日 月曜日

昨日の 収穫祭の 続き

素朴に温かだったのに

いろいろ 思いも てんこ盛りでした

いつもながらに ライヴもあって

今回は はじめましてさん…パンオブの ふーちゃんからの 繋がりで

郡山から駆けつけてこられた お二方

名前がちゃんと 聞き取れてなかった ごめんなさい

わたくし世代あたりが あぁ その曲!と 響く あれやらこれやら

途中 出番がないとき さささと 客席で ベジキーマカレー食べたりして

そういう ゆるさが 楽し

一旦出番終えてからも ずっと 歌って 飛び入りヴォーカルさんも交えて 歌ってた(はじめのうち かぶりつき席におったのですが ちょいとした勝手任務で 遠くから 風に乗ってくるお歌に 吹かれていた感じ)

自作曲が ポップでお馴染み…てなかんじ

こんなライヴに もってこい♪だわぁ

そして「まこっちゃん」

到着したとき よっちゃんかっちゃんが「うわあぁ」と 歓声あげてた

山口から飛んできた とな!

歌う前に 話を…というのが

震災前に 那須町におられて 豊穣庵の かつて牛農家だった頃 手伝ったりしておられたのか?

震災で 放射能問題で 牛たち まるっとだめになり

しかし 当初 那須町は「放射能被害はない」設定にされてたので 保障やらなんやら 対象外

それをなんとかしていかねば のあたりに 動き

麻農家へのシフトのきっかけのあたりに おられたのが まこっちゃんらしい

有能補聴器オーティコンアジャイルプロライトミニさんの 不具合のせいだけではない 間抜け聞き取り…漠然としてて申し訳ない

でも よっちゃんかっちゃんにとっても 大切な存在であることは わかった

今は 山口の 祝島におられ…てことは 以前 豊穣庵でも 上映会やった 東条雅之監督の ドキュメンタリー映画『祝福の海(いのりのうみ)』にも関わっておられるのだな

原発建設問題で 島の中が 二分されてしまっている状況

その問題勃発の拠点になっているような 神社があって そこの鈴緒が たまたま切れたのをきっかけに

しめ縄と 麻とを 自分たちで 縒りあげて作ることによって 分断が少しでも 寄り合えないか…なんてなことを 思い立ち

よっちゃんかっちゃんに 精麻を頼んだ…とか

いやはや 言葉で並べる以上に 熱く 深く すごい動き 働きかけをし続けておられるお方でした

歌われた歌 震災の翌年くらいに 作られたオリジナルの曲は

言葉がしみた

思いをそのまま 乗せた

今も実感として 思っているからこそ の 「気づけてよかった 遅くはないんだ」というフレーズが 染みた

自分で歌うだけではなく 今 よっちゃんが 立ち向かっていることをぜひみんなにシェアして欲しいから…て 舞台に よっちゃんを呼び寄せたのが また たまげるような話題(後半に続く) 

みなさんも 呼んでみませんか?

2024 年 9 月 9 日 月曜日

先週土曜の 仙台YWCA(公益財団法人 日本YWCA 助成プログラム) 朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』

ジャズフェスや オクトーバーフェスト なんてな 楽しげなイベント てんこ盛りの中

足を運んでくださった方々の 真摯なる思い 熱情

ほんに 敬服でありました

加藤就一さん原作の本は 原発関連の専門的学術的な書籍並の 情報量(ご自身による 確かな筋への 取材を重ねた賜物!)なのに 読みやすく わかりやすく

しかし それを読んで これはもっと多くの人に読まれるべきだ!多くの人に知ってもらうためになんとかせねば!!と いても立ってもいられなくなった 和田恵秀さんによる 朗読劇脚本 イラストも交えた 更にわかりやすい構成

そして 巡り巡って 数々の 名物番組の ディレクターや プロデューサーでもある 加藤さんが それを 演出 編集なさったという 珠玉の作品

日頃から 原発問題について 勉強を重ね アンテナを張っておられるであろう 参加してくださった方たちでさえ

「これは 初めて聞いた!!!」と 驚かれるような事実もあり

今尚 最新情報 調査 取材を し続けておられる加藤さんだからこそ の お話でした

伊方原発を例に上げた もしも…の時の 放射能の行方を 風向きから グラフィックにした シミュレーションシートやら

これ 全部の原発でやってみて みんなに見てもらったらよかろ て 思う

今回の 企画は ゲストトークに 加藤さんと 和田さんを お呼びしたのでしたが

この 朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』上映事務局の ふみさんが 無償で かけつけて

書籍販売周りを 請け負ってくださった(売上は お子達の 甲状腺検査室へ まるっと 寄付されるのです)

ふみさんは インタビューをするお仕事などなさってる というのもあって

人の気持ちをほぐして 開かせる というか

誰もが ふんわり にこにこしたくなる 魅力に溢れた方なもんで

わたくしの すっとこ司会よりか きっと 場を やわらかに 包んでくださったろうなぁ なんて 今更なこと 悔やまれる…

ま とにかく これだけすごい作品に結んで 多くの人の手に 受け渡そうという 偉業成し続けんとす てな 方々が

揃いも揃って 気さくで 面白がり…てのが 素敵

いや そういう お人柄だからこそ

儲けだのなんだのではなく

手弁当的上映に邁進なさるのであろうな

学校で先生なさってる方も来てくださってた

お子達に 伝える機会 作ってもらえたらうれしい

啓蒙とか 洗脳とかでなくて 

隠されていた事実(なぜそうされてきたかの鍵とかも)を 丁寧にわかりやすく伝えてくれる作品

「そんなの知ってる」ひとも

「そんなんどうでもいい」関心ない人にも

なんとか 届けたいものだ

そして 甲状腺検査は 決して過剰でやめてしまったほうがいいなんてことはなくて

チェルノブイリでさえ 二十年検査し続けて その推移や 状況から 因果関係をやっとこ 証明できるか…てことなわけだし

十年そこそこで とっととやめちまおう なんてのは

「因果関係があるとは証明できない」言うための 策略でしかなかったりする…てことだぞ

既に発症して手術受けた方々も

これからのことで不安に思ってる方々も

決して いなくなったわけではないんだ

甲状腺検査室が「金儲け」してる みたいな批判をしてる奴のほうが 洗脳されてっぞ!

…とかね

まぁ とにかく そんなこんな やらかしたのに 凝りもしない面々の あれやらこれやら取り上げる 第二弾も 期待しちゃうな

加藤さん和田さんふみさん よろしくお願いいたしまする

そして みなさまも この 朗読紙芝居劇 自主上映会など やってみませんか?

んで よりよく 安全健やかに生きていくためのこと

平らかな心で 考えていきたいものです

今年も 無料公開してくださる!

2024 年 3 月 11 日 月曜日

昨年も 限定無料公開してくださった『祝福の海(いのりのうみ)』

今年も 今日 明日 限定無料公開してくださります

何度観ても

いや 何度も観るからこそ

それぞれに 違った味わいで 染みてくる 大切な映画

東条雅之監督さんから

↓↓↓↓↓

【シェア歓迎】今年も3月11日「祝福(いのり)の海」オンライン限定公開します!
(明日12日まで公開します)

東日本大震災から13年となる日。
震災と福島原発事故で被災された方たちや、人間以外のいのちたち、
亡くなられたいのちたちの魂の平安と、傷ついたいのちたちや大地が癒されることを願い祈ります。
人間同士や、生きとし生けるものたちと繋がり生きることの大切さに改めて気づかされる大きな出来事でした。僕の心も揺り動かされ、いのちが調和する世界に思いを馳せて「祝福(いのり)の海」というドキュメンタリー映画を制作しました。4年の歳月をかけ、千人を超える方たちの応援を受けて2015年に生まれた映画です。
今日明日、YOUTUBEで限定公開します。

映画は上映会で観てもらうことを大切にしてきました。
直接出会うことを大切にしたいのと、上映環境でかなり映画の印象が変わってしまうからです。できればスマホではなく大きな画面で、静かな場所で部屋を暗くして、途中で止めずにご覧くだされば嬉しいです。YOUTUBEの画面の右下のボタンで画質を最大にして全画面表示にできます。

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「祝福(いのり)の海」 https://youtu.be/Bb4MMbT-0wc (2015年制作 104分)(3月11日、12日の限定公開)
英語字幕付きはこちらです→https://youtu.be/Tthyjn3dLdQ

★ご観くださる方へ
この映画に込めた平和への思いを形にするために、人や自然と繋がって生きられる場づくりをしています。
投げ銭でお気持ち(カンパ)を送ってくださればそのために大切に使わせていただきます。
今日は「種の交換会」や「食べられる森・フォレストガーデンづくり」を友達先輩とします。
今年は8月に映画の舞台である山口県の祝島で4年に一度行われる「神舞(かんまい)」という祭りがあったり、大好きな映画「カンタ!ティモール」の舞台の東ティモールで森づくり・パーマカルチャーキャンプがあるので行きたい!と思いを馳せています。その経費の一部に充てさせていただけたらという願いもあります。

ゆうちょ銀行口座
※ゆうちょ銀行よりお振込み頂く場合
 14170ー93588261 トウジョウ マサユキ
※他金融機関よりお振込み頂く場合
 【店番 418】【預金種目 普通預金】【口座番号 9358826】 トウジョウ マサユキ

そして、YOUTUBEでこちら(和歌山県 那智勝浦町の色川という山里)での暮らしの様子を発信しています↓
「地球家族チャンネル」
良かったらチャンネル登録してご覧くださると嬉しいです!
https://www.youtube.com/channel/UCj0ympzS7bEHF9j4KiwyBjA


思い描く平和な世界
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「地球家族」
~色とりどりのいのちが輝いて調和して暮らせる世界~

僕たちが心の声に寄り添って
自分という個性を受け入れ、自分を生きて
他者という個性を受け入れ、大切にしていることを分かち合い
老若男女、みんなで協力して平和な暮らしやコミュニティをつくることはできないだろうか

生きとし生けるものたちは皆、この地球に生まれた「地球家族」
食べたり食べられたりという関係性を生きながら
約46億歳の地球の上で、約40億歳の大きな一つのいのちを繋いでいる

へその緒がもし今も見える形であるとすれば
それを手繰り寄せていけば、みんなお母さんに辿り着く
そしてそのお母さん、そのまたお母さん…と辿っていけば
地球の裏側の人とも手が触れ合い
人間という種を越えて、色とりどりのいのちと共に
母なる海・地球に還り着くだろう

今日食べるもの(いのち)、今吸っている空気…
他の存在なくして、自分の存在はなく
わたしはわたしであるけれど
わたしはあなたであなたはわたし、でもあるだろう

暴力や環境(生態系)破壊など
人と人との争いや、他のいのちとの争い
あなたとわたしが分かれているという分断の物語を越えて
あなたとわたしが調和する道を歩みたい
地球家族のご縁(つながり)を感じられる
安心できる暮らし、コミュニティを皆で築いていけたら幸せです
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ささやかでも

2024 年 3 月 11 日 月曜日

毎年この日

Yahooにて 「3.11」を 検索すると

震災復興へ 10円の寄付につながる

https://search.yahoo.co.jp/search?p=3.11&ei=UTF-8

ささやかでも

たくさんの手が集まれば

形なすものへとつながる

どうか…

これからに

2024 年 1 月 17 日 水曜日

1995年の 今日という日の確かな記憶はない

思い出す足がかりは

阪神淡路大震災があったのだって という 言葉から

地震のニュースは 聞いたはず

その頃はまだ 今よりも テレビや新聞を見ていたので

え!?と 驚き なんのことか 把握できないまんま おったかもしれない

前年が 人生の転機…と 思えるきっかけ…パントマイムお師匠 はとちゃんまんちゃんに 巡り会えた年で

はとちゃんまんちゃんはじめ パフォーマンスの方々が

慰問に 神戸へ行った という話は 聞いたはず

そして その年 大きな 舞台の 制作と出演もさせていただく 準備のあれこれで てんてこ舞いで

自分の不甲斐なさによるあれやらこれやらで 潰れそうになったり

とある ちいさな 言葉の積み重なりを うまく咀嚼できずに 摂食障害すれすれな有様になったりもして

己のことで いっぱいいっぱいだったのだ

なんにも 思いやれてもいなかった

今だって 己の不甲斐なさによる あれやらこれやらで いっぱいだけど

東日本大震災での 屁のような…とはいえ 被災を経て

前よりは 思い巡らせることのできる範囲は 広く深くなれたのかもしれないと思う

過去に 手を延べることはできないけれど

そして これからの より良きことへつなぐための手は

なにか まえよりは すこしだけでも… と 思う

地震に関してだけでなくね

生きてきた日々の あれやらこれやら ひとつとして 役立たぬものはないのだ…たぶん

そんなことをあらためて 思う朝

心乱れるひとたちが すこしでも ゆるんでほっとしてすごせますように

つなげていくこと

2024 年 1 月 6 日 土曜日

能登地震に 関して

震源に近いあたりの 気になる人々とは なんとか 連絡ついた

とはいえ すべてが 復旧してるわけではないようだ

東日本大震災で たくさん助けてもらったのに 何をどうしたらいいか…と ジリジリしてる気持ちの人も多くて(わたくしもだ)

役に立ちそうな情報を 届けられる形にしてみたり

義援金募集を うちだしてるところで お買い物したり

もどかしいけど

まずはそんなあたりから

んで 顔本(Facebook)繋がりになってる

かつて イベントでお目にかかった 閖上たこやきの 佐藤幸弘さん

なんと!大量の 保存水やらなんやら 輪島に 無事 お届けにゆかれたとのこと

素早いっ!

ただ単に あっちへゆけばいいというものではない

佐藤さんが「自分が たくさん支えられたから」という思いから

何かしら困ったことがあったり 災害があると

どうするのが一番よくて 早いか…を 考え 行動に移し続けておられる(駆けつけて 食べ物提供する…とかね)

現場で確かなるやり取りで信頼関係を築いてきたからこそ

全国に 支援に 共感する仲間ができて

今回の地震の 支援物資届けも 結べたのだな

被災 だけでなく

何か 自分が役に立てるなら ということに関して 心と体のフットワークの かろやかさは 素晴らしすぎる

ちょ と前 なし崩し保護猫騒動のときなんて

「もう 使ってない 犬猫ケージ譲りますよ」て 連絡くださって

ありがたくて ありがたくて

涙せずにはおれなかった

ほんっとに 根っから

熱くて 温かい 助太刀応援団長さんだぁ

佐藤さんに 関する 投稿を 遡ってたら

たこやき んまそうに 頬張る 父の 写真 出てきて

また 泣いてしまったぞ ぐうぅ

んで もどかしいのなんのばかり言ってねぇで わたくしも 無理し過ぎぬなんにゃらかを と 思い巡らせ

以前 りえさんから ゴム湯たんぽ 譲っていただいて すっかり 虜になって

この冬 近くの コメリさんで ちょ と 小さめなのだけど 使いやすい ゴム湯たんぽ 取り扱うようになって

うれしくて ちょこちょこ 買っては 人に 押し付け?てるのだけど

コメリ本社って 新潟では?と ちょいと調べてみたら

https://www.komeri.bit.or.jp/

石川にも 店舗あり

部分的 復旧開店なさった とか

被災もなさってるであろうに 各店舗で 義援金募集も始められた…との 記事あり

こりゃさっそく コメリさんで 義援金協力したり お買い物しよう と 心に誓う

で 調べついでに お客様相談室に 

いつも買ってる ゴム湯たんぽ もしももしも 避難所などに 届ける支援 というの どうでしょか?なんて 

被災もなさってるであろに 何 無謀なこと言い出すか この「お客様」はよ!?なる メールを 出してみた

お見舞いの言葉とか 書いたとしても あまりに失礼だったか…と あとから反省したものの

すぐに

関係部署に伝えて 実現に向けて 検討を重ねたい…てなかんじの 返信いただいてしまった

あぁ ありがとうございます

漠然と だけでなく

より 確かに 届く形

これからも 考えていこうと思う

『かえるあい』

2023 年 12 月 10 日 日曜日

たどり着くまでに 

かなりの情報量で へろへろに なりかかっておりましたが

見た瞬間に

はふ〜 と

しあわせに ほぐしてもらえたような気持ち

なんどもなんども 繰り返しみたい

見続けていたい

かこまれていたい

蛙たちの写真

蛙の 種類や 生態について 少しだけ 触れているものの

題名も 説明文も ほぼなくて

でも いちまい いちまいが

その 一瞬から 立ち上がる

完璧な世界

物語のはじまりのような

一片の うたのような

ひとことが 語りだされる 日めくりのような

いちいち ありがたい いちまい いちまい

まみれました

うれしくて ぐるぐるしました

トークイベントは 矢内さんと 

行ってみたいなぁ…のまま まだ 辿り着けていない「100年カエル館 http://kaeru-kan.com/ 」副館長の 高山ビッキさんとの

蛙を巡る お話

それぞれが 蛙との 向き合い方は 違うものの

そこそこ 蛙との関わり 深いのに 謙虚なるところ(いや 自分 まだまだですから…的な…)似ておられる

集まったひとたちも

自然の写真好き とか

蛙好き とか

ナマモノ蛙は 苦手だけど グッヅ好き とか

福島民友新聞で 矢内さんのこと知った とか

その 同じじゃない でこぼこのおかげか

なんとも 空気が ふんわりしてて 居心地良かった

館内に 入ったとき 水色をポイントに コーディネートしておられる素敵な方がおるなぁ と ちら見してた方から ふいに 声をかけられた

わたくし 着て行ったる 「かえる」Tシャツについて

どこでお求めになれるのですか?的なこと

…いや こういうのほしいなと思ったけれど 売ってないんで 描いてみただけなんすけど

てことから あれこれ お話 

すごく やさしいまなざしで わたくしの 身繕いに 目を向けてくださった

ズボンも 父形見的なの そのまんま穿くのもなぁ と

前日に 100円ショップワッペン縫い付けて 学名など 落書きしたものだったりもして

ぢわぢわと うれしさ 湧いた

駐車場に停める時

福島ナンバーばかりだなぁ と思ってたとこ

お隣に 停めようとした車が 仙台ナンバーで

おぉ 同じく宮城県内♪て 見た その方でもありました

「きっとまたどこかでお会いできるかもしれませんね 好きなポイント一緒だし♪」て 手を振って わかれた

そののち また 矢内さんの お写真コーナーに 戻って ぐるぐるして 

幸せな気持ちになってたら

また その 水色の おねえさんに ばったり

わはは

うれしい

お名前 おうかがいせぬまんまだったけど

きっと また と 思えた

こんな出会いも いいもんだなぁ

やさしく しあわせなひととき

ありがとうございます〜♪

…あっ 矢内靖史さんの 写真集的な『かえるふくしま』(ポプラ社)

創作絵本カテゴリーになってますが

まだまだ 入手できます

声高でなくても 震災をめぐる 色んな思いが ぢわりと 胸の奥に染みます

ぜひ お手にとって見てくださりませ〜

辿り着くまで

2023 年 12 月 10 日 日曜日

昨日 まいった「とみおかアーカイブ・ミュージアム」

https://www.manamori.jp/museum/

矢内靖史さんの 写真展『かえるあい』周辺のこと

しみじみと 思い返したりしてた

まずは

行くまでの道々

覚悟はしていたけど 

「暮らし」があったところへ

土や 

砂や 

草や 

時が 降り積もっても

いくら掘り返し 均し 整えられても

震災の

原発事故の 被害は 消えるわけでもなく 

そこにあった

そちこちの 帰宅困難地域進入禁止の ゲートがあって曲がれないから 信号点滅のままの 交差点を ふたつ みつ 過ぎると

少しだけ また 人が そこにいる気配のエリアに 抜けた

立入禁止区域にも

そうでないところにも 季節は 区切りなく 巡っていて

引くしかなかった線…人の仕業を 思う

建てて間もないような とても美しく整えられている 庭…でも 暮らしの気配がないのは

時々 訪れて整えている…ということなのだろうか

そんなあたりを ぐるりと めぐりすぎた後

辿り着いた「とみおかアーカイブ・ミュージアム」(一瞬 間違って 向かい側の 文化交流センター学びの森…かつて 仙台YWCAの 一室をお借りしてやってた シェアお教室のお名前と同じ!)

作りが 近代的で 立派!

縄文遺跡だけでなく

多くの戦をも越えて「富岡」というまちの形に 結ぶまでの記録

歴史 暮らしを  

博物館美術館ならではの 最新保持機械にも 守らせながら

みっちりと 見せてくれていた

自力で港を拓いた「一見さん」の 話とか

まちを みんなで 作り上げてきた日々

とみおか愛に 満ちていた

後半は 原子力発電によって 日本を支えてゆくのだ…の 思いがあった時代から 一転して 震災のこと

自然災害から 一瞬にして 人災的 原発被害の展示

あと 十数分で 目当ての トークイベント始まる てのに

展示おわりまで あと 数メートルなのに

最期の瞬間まで 人命救助に動いておられた パトカー(津波あとから引き上げられた)の展示の前から しばし 動くことできず

己を引きずるような感じで

希望に つながる 展示のとこまで なんとか 進んで

その先の 光満ちる 写真展のエリアに 辿り着いて

もぞもぞ 目や鼻から 出るもんを 拭ったのでした

そこへたどり着くまで 既に 結構な ボリューム

改めて また 来なければならんな と しみじみ思いましたのよ

自力では 未踏の地へ

2023 年 12 月 9 日 土曜日

その近辺へは

7年前に「震災後5年目の福島」を 学ぶ ツアー参加で 訪れたけど

自力で向かうのは 初めて

今回の目的地は「とみおかアーカイブ・ミュージアム」

初めてのところへゆく道々って どきどきだ

6号線の 大熊町に入ったあたりから

脇道ほとんど 蛇腹ゲートになってて

「帰宅困難地域だから 曲がっちゃ駄目」表示

道沿いの 店が ほとんど 機能してない

建機の事務所的なものに 変わってるもの多数

…そうなんだよな

あの日から始まって 終わってもいない日々

喉元過ぎさせてることを改めて ぐい と 肝に銘じて

さてと 目的地

他に 建物もなさそうなとこなのに

お約束のように 間違うやつ わたくし

向かい側の建物に入っちゃいまして

今改めて 到着

ふぅ