‘東北関東大震災(東日本大震災)’ カテゴリーのアーカイブ

野蒜海岸で はらほろほろ〜ん

2015 年 5 月 17 日 日曜日

帰り道

野蒜海岸へ

ハンドルのかたちに きうぅ と 固まった 指やら

心持ちやら

のばしに…

くさふじ?

はまひるがお?

うっかり 砂浜のど真ん中で 芽を出しちゃった ウリ科の かわいこちゃん(実はこの子には うちに来てもらおうかと 画策…)

着くなり しゃがみこんだりして

伸ばしてないぢゃ…

また 流木やら 流茎やら ひとつふたつみつ 拾った

いつもより じゃわめくものが 少なかったのは

風のせいなのかな

潮の引き…の せいかな

なんとなく そんなおかげで

はらほろほろ~んと ほどけてのびて

またね と 辞す

また 満ちたり引いたり

いのちのいとなみなのだなぁ なんて 思って

帰る道々

エコたわし かわゆ♪

2013 年 5 月 17 日 金曜日

先日 お世話になった
JR 南小泉仮設へ 再び おうかがい
お願いしていた ストラップ受け取りがてら
エコたわしも 見せていただいた
おおお♪
めんこすぎるでないの
ライオンちゃん
猫手やら
てんとう虫ストラップも 買ってしまったぞ
あ…そうそう
蜜柑犬 て いってたのは
「みきゃん」ちゃんというそうです
エコたわしもかわいい
一律 500円です
よかったらまたどんぞ

気にしてみる

2011 年 8 月 5 日 金曜日

おば&いとこ一家がやってくる・・・てんで
母に 飲み物はじめ 出すもの 気をつけてけろ といったら
は?てな顔
家の者たちに対して 普段あまり言わなくなったことなもんで
あんた ほんとは気にしてたの? と ちみっと戸惑った様子
今は 千葉に暮らしている いとこ一家 お子は 小学4年坊主
普段 どのようにして暮らしているか 詳細はわからねども
できれば 出されたものに対して 心配したり気を使って言い出せない思いは してほしくない 気まずい思いしてほしくない
だから とりあえず 飲み物も 食べ物も
一応 心配ないとして売られているものを わかるようにして出そうね・・・と 言っただけ
「だって 大丈夫ってテレビや 国や市のほうから言われたこと疑ったら 何信じていいか わかんなくなるじゃん」ごもっとも
でもま わしらだけならまだしも・・・ね と なだめつつ
飲料水や 水菓子を買う
一家は 神経質にしていないほうではあったが
やんわり そういうことあるんだからさ・・・てなことを 伝えつつ
近況あれこれはなして 笑いあう
きっちり締める まま えりちゃんの言うことを きっちり聞きつつ のびのびふざけたくてしょうがないのを バランスよく表現する やさしいパパ似らしい 今 サッカーに夢中な たっくん
健やかに育ってけろ

久しぶりにお散歩

2011 年 8 月 3 日 水曜日

おこたちにちょっとすごい・・・と 思ってもらえる瞬間刈ったばかりの草の原
ばった追いかけて
トンボ追いかけて
ちょうちょ追いかけて
モグラの穴覗いて
奇跡のように 四葉のクローバー見つけて
ニコニコのびのびの顔を見ながら
いやでも帽子はかぶっといてよ~とかほじくってみる
砂ついた手を あむっとしないでよ~とか
前以上に 切実にひやりとした思いで 見る
帰ったら しっかり手を洗おうね・・・
日差しのこと ばい菌のことだけでなく
目に見えるものと絡めて 目に見えないものを
ふふふん と 余裕あるふりして 飛び越えていく術を 託されている おとな

年度末恒例・・・じゃなく

2011 年 8 月 3 日 水曜日

道路工事による 片側通行
最近また始まってきました
主要幹線道路は はやめにやってたのですけど
うちのまちの 震災後しばらく 通行止めになっていたところ
大破した 下水管は修理しつつ 表面的には でこぼこのまま
路肩の斜線閉鎖したり 応急処置だけで済ませていたものを
本格的に 直し始まった模様
削って 埋めて 均して 書いて・・・しばらくかかりそうですけれど
よいです 
たのみます
キッツいところの直し 一段落したのかな と思うと
見えないところも 直ってきているのかな と
ちょっと うれしい

ちょっとずつ

2011 年 8 月 1 日 月曜日

仙台に行く途中に 通る 山間の道
ちっこい神社や 祠とか 
あちこちの小山には 「かみさま」が 点在なさっているような感じが ちょっと好き
んで 震災後 山神・・・てな文字の刻んである 大石や 小さな祠が 倒れたまんまになっていて いつの日か起こしてくれる人がいるのだろうか?なんて 心配していた
なんなら わたくしが ちょ と 引き起こしてみようかしら・・・などと
罰当たりなことを思ったりもしていたのでしたが
やっとこ おこされてました
しかも 補強のセメントかためまで
ああ よかった
勝手に安心して そこいらのご近所さんの 平安とか ご利益を思ったりする

こころゆさぶられるおみせ

2011 年 7 月 30 日 土曜日

本屋 文具店はもちろんのことですが
D.I.Y.ショップや 作業着その他の大工さん左官屋さん御用達の店も 琴線かき鳴らされっぱなしなのでした
自分の持っていない 専門分野への憧れ高じて
うっとりながめて せめてグッズだけでも・・・などと買い込んでしまい
そのうっとりを さらに形にするべく 舞台で使ってみたりする(工事ヘルメット カラーコーン 誘導ライトは 一昨年 ジャズダンス舞台のゲストで マイムさせていただきました)
いわゆる コスプレに走った感じですな
今日 パフォーマンス仕事の帰り
そんな 琴線かきならし店「ダブルストーン」によって
営業用 白手袋と 運転用 皮手袋購入
あやうく レジ横の 衛生帽ほしくなりそうな気持ち・・・ぐっと我慢
んで 用もないのに「仕事人」と「棟梁」なんて書いてある 千社札みたいなシールまで購入(千社札好き♪)
るるる なんて 店でようとしたら
入るときよく見なかった入り口の張り紙
今や あちこちの店に張ってある「東日本大震災で 被災されたかたがたにお見舞い申し上げます」ではじまる 見慣れたもの
でも「被災されたかたがた 今も復興に日々つとめられるかたがた」を 労うものだった
ああそうだ ここは 汗水流して 現場に行き来されるかたがたが 多く 出入りするところなのだ
門外漢気分満載 浮かれて申し訳なかった
なんとなく ふかぶかと お辞儀して 辞す
今も 昼夜問わず 立ち働かれているかたがたに 感謝

会えなかったけど 再会

2011 年 7 月 18 日 月曜日

朝方も「これからサッカー始まる~!」と 何件か メールもらっていたのに 返事もせずいた
夜中目覚ましかけておきたのにまた寝ちまった・・・てな あんちゃにも
そうまでして見ようなんて すごいねえ・・・なんて 感心していた
昼頃 帰宅したら 母から 「今までサッカーの録画みてたんだよかんどうしたよなみだでちゃったよ!」と興奮気味にまくしたてられた
いや すごいな よかったな ては 思うのだけれど
乗り切れなくて申し訳ない
ちょっと遅めの昼ごはん 準備しようとしていたら
「そういえば 桃の おんちゃんきたったよ」と2,3個 食べちまったけど これで500えん
ええええええ!?おんちゃん!会いたかった~!
震災後 今年来てもらえるんだろうか 放射能問題大丈夫なんだろうか(おんちゃんは どうも 福島の一部計画避難地域もある伊達市あたりに住んでらっさるらしい) と
ずっとずっと気がかりだったのだ
ブログでも 何度も 取り上げたので 耳たこで申し訳ないですが
初対面で 聞いた おんちゃんの第一声&第二声は「もも」一言でして
20年来 あまり 変わらぬ会話振り
相変わらず淡々と シンプルに桃売って帰ったそうです
「地震の被害どうでしたか?」と 母が訊いたら
「なんもねえ」だったそう
うう あいたかったよ~
風評被害(今や 実害か)で 売れ行きの心配なんぞ 勝手にしてしまう
できるだけ 千円分買うよう 強化週間のお達し出してみた
「ほだごどしたらまだ あまっぺん(そんなことしたらまた余るでしょうに)」と 言われたけれど
去年 食べ切れないうち また おんちゃんが来て 買っちまった桃たち 
冷凍にしてたのだけど 
震災中 停電してて 傷む前に・・・と まだ 店も開いていなかった時期 食べたんだ
おいしくてうれしかったんだ 
そんな話も伝えたかったなあ
サッカーよりも何よりも おんちゃんの無事がうれしくて
うるうるしながら 桃にかぶりついた 昼下がり

抜け落ち記憶

2011 年 7 月 17 日 日曜日

ピアスがないことに気づき
部屋を捜索するも 見当たらず
よく使っていたやつと 自分で作った ちょいと はかなげなやつ・・・イシモチ耳石でつくった 石虫螺旋ピアスとか 貝殻やら淡水パール組み合わせた 銀ワイヤ螺旋もの
てことは やはり なにかにまとめていれたんだろうな
震災後 なるべく 心が滞らないように・・・と
「鬼のように」ブログに吐き出したり
忘備録のように 書きとめていたつもりだけれど
詳細 ほぼ 抜け落ちました
今 儚げなものたちをまとめてしまうとしたらどこにどう入れるか・・・と
シュミレーションしてみたものの
暑さもあいまって 一個も思い浮かばぬ 
うむむ
結局 ああ ここにこんなもの片付けたんだ~なんて
思いがけない 震災後の行動を いくつか 再発見 てなことに終始
そのうちでてくるべ~なんて あきらめ
おやつ時間に ヱビスビール ぷしっ なんて やっちまい
ほろ酔いのまま あちこち動かして はみ出してきた 浴衣生地で部屋着なんぞ作ってしまいました
脱線したけど なんとなく 実りあった気がして(気のせい)
まあいいや~ なんて 腑抜ける
平和な午後

早馬

2011 年 7 月 13 日 水曜日

3.11の震災以後
相馬あたりから 誰より早く 避難したのは 馬だったのかもしれないという話
馬好きの「や」さんから 聞いた 確実情報
あのあたり 競走馬の トレーニング施設だか 飼育施設があるのだと
んで 震災後 原発のことなども 情報が あ~だこ~だ流れるよりも前に
もうこりゃやばいだめだはやく!・・・と
馬主さんたちが いち早く すべて避難させたそうな
ああ その判断力と 経済力を持って
牛やら ほかの 人々も なんとかしてもらえたらよかったなあ 
なんて 今更なことを おもって
牛舎に残された 牛たちの 潤んだ 黒目を思い出す