‘東北関東大震災(東日本大震災)’ カテゴリーのアーカイブ

やふーさんの 活動

2026 年 3 月 11 日 水曜日

今日 Yahooで「3.11」検索すると 10円の 震災支援への寄付になる
今年もあるそうで
ささやかな動き
誰もが参加しやすいやり方
素敵

「3.11 検索は、チカラになる。」に参加しました。3月11日、ヤフーやLINEで「3.11」と検索すると、LINEヤフーから、おひとりにつき10円を東北や能登の支援のために寄付いたします。 https://yahoo.jp/HV_Kdu

あの日 この日

2026 年 3 月 11 日 水曜日

うちの人々は もう あの日のことを「覚えていない」という

「あの日を忘れない」という フレーズが たくさん散らばっているけれど

あの日を忘れない と 決心するのではなくて

あの日あったことから 起こった よからぬ脈々を

よりよいことへと 転じていくのを 怠らず 諦めず 動こう という 決心は する

日々は 変わってゆくものだけれど

有り難く 得難い この日を 

変わらず 生きて暮らしていくということ

温かな 生えりまき…だーちゃん(避妊済 6歳)が シロイワヤギみたいに しがみつくに まかせて

その息遣いを 聴きながら

「いつものように」母のデイケア連絡帳を 書く

今日を 生きさせてくれて ありがとう と

どこへともなく ご挨拶する 朝

この日

7daysbookcoverchallengeSpinoff2026 その28

2026 年 2 月 26 日 木曜日

平行読書沼の 一冊

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「コロナ禍」と 言われ始めた頃

#7daysbookcoverchallenge は

不要不急の外出 自粛など 

鬱屈 混乱の中で

お家滞在時間を 楽しもう

読書文化復活させよう

…という流れ

どなたが 始めたものか わたくし存じ上げませんが

もともとは 誰かから バトンタッチされて バトンタッチしてゆく タグ付けしたりする 7日間…という やり方でした

本の表紙のみ紹介だったのは

著作権の問題かな?

いろいろ 制約あったのだけど

己の読書記録のために

制約取っ払い

#7daysbookcoverchallengeSpinoff と 題して 続けて

7年目もやります

7daysbookcoverchallengeSpinoff2026

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その28

『原発回帰を考える 3.11から15年目の大転換 原子力と日本の未来をいま一度問う』日本ペンクラブ編(集英社新書)

いつもの御馴染み 集英社新書の 表紙ではないのは

初版 強力販売促進のためか

二重カバーになっているのでした

「クリーン」という 目眩ましで 原発依存に 回帰しようとしてるの

「アンダーコントロール」は 放射性物質が スッキリなくせて安全なんですよ なんてことではなく

まさに「もう大丈夫っぽい?」て 国民に思わせるのに成功してますてことであったのかねぇ て 皮肉の一つも 言いたくなるよね

あまりにも 根深くて

いろんなものが 絡んでいて

すとん!と 気持ちよく 健やかに暮らせる社会に 変えられなさそう…と ため息出るけど

諦めるわけにはいかん と 思う

自分たちが 潤い続けるために 少数の弱者は 犠牲になってもいいらという 根っこにつながることは やっぱり嫌だ

「いつまでそんなこと言ってんの」て いう 頭こそ イメージ植え付けられて 誘導されてるんだよ〜

このご本の 執筆者の ラインナップが また すごい

中でも 吉岡忍さん…御名前を知ってるだけで ご著書 読んだことがなかった 

書かれていることが すごく わかりやすい

ほかのご著書も 読んでみたくなった

助さんの 書かれたものは テーマがテーマなだけに

いつもの 余白や 余韻のある 読み心地良いものとは ちょっと 味わいが 違うけれど

あますところなく 隅から隅まで これまでのすべてを総動員したような 叫びにも近い コール&レスポンス的作品で

読んだものに 問題を突きつける

じぶんのできることをいきながらうごいてうけとってもらえるこえでつたえてゆく

そう改めて 思う

7daysbookcoverchallengeSpinoff2026 その27

2026 年 2 月 26 日 木曜日

平行読書 て 苦手だったけれど

難解本は 修行のようで 少しずつ

気持ちの切り替えも含め 別本を一冊

そして さっき届いて すぐに めくって行ける この一冊…

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「コロナ禍」と 言われ始めた頃

#7daysbookcoverchallenge は

不要不急の外出 自粛など 

鬱屈 混乱の中で

お家滞在時間を 楽しもう

読書文化復活させよう

…という流れ

どなたが 始めたものか わたくし存じ上げませんが

もともとは 誰かから バトンタッチされて バトンタッチしてゆく タグ付けしたりする 7日間…という やり方でした

本の表紙のみ紹介だったのは

著作権の問題かな?

いろいろ 制約あったのだけど

己の読書記録のために

制約取っ払い

#7daysbookcoverchallengeSpinoff と 題して 続けて

7年目もやります

7daysbookcoverchallengeSpinoff2026

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その27

『女川海物語』小岩勉(カタツムリ社)

「女川から未来をひらく夏の文化祭」きっかけで お会いした 矢竹拓さんが 

「帰ってきた!!うみねこタイムス」の 「オナガワのウチガワ」1年前のバックナンバー紹介…と

顔本(facebook)投稿にて 紹介しておられた ご本

カタツムリ社といえば

二十代の頃 ちょこちょこ 行っていた 仙台の「ぐりんぴいす」という お店関係

あんちゃが かつて 仲間うちと 自費出版した 絵本の書評誌も 置いていただいた

色々あったりなかったりで 足が遠のいてしまってから 出版された ご本のようだ

出版されてすぐに 出会うより

いまだからこそ 重みと厚みを持って 受け取ることができた気がする(己の中の問題だ)

「貧しく 人もそうそう増えないであろう場所に」原発は 建てられるという

東日本大震災では 事故も起こらず

むしろ 原発施設内に避難してきた人を受け入れる 安全丈夫な建物…という話をする人もいるけれど

たまたま運よく…だけであって

やはり 危うさてんこ盛りで

稼働する限り 日々 放射能は 出ているわけで

処理する能力も持ち合わせていないのに 日々 核ゴミは 出続けて…

その前に 建設するにあたっての 反対運動があって

しかし 建設する側の 根回し 懐柔もあって 

「昔からの、浜の人間関係をメチャメチャにされてしまったんだよ」と 語る人がおられたと あとがきにある

侵略という言葉が よぎる

鮮やかに 解析度の高い写真ではない

でも そんなことよりも

素朴な手触りの紙に モノクロの写真

写る 風景 ひとたちの 飾らなさに

より 親密な思いが にじみ 重ね 膨らませて 掘り下げるように 見入ってしまう

この写真に写っている方々は 今 どうしておられるのだろう

あの場所は今…と

あらためて 訪ねて行きたくなる

今はもう 新刊では 手に入れられず

「日本の古書店」ネットワークで 二冊だけあった

今だからこそ 再び 人の手に 渡ってほしい一冊だ

カウンターで 泣くとか…

2026 年 2 月 11 日 水曜日

本日

昼ごはんを 近場に食べに行くか という あんちゃの提案

親戚の「割烹 遊膳」は 予約のみの日だったようで

「味亭すけろく」さんに ゆくことになった

団体さんが 到着せんとす てな まだ「準備中」札の どたばたのところ

「あっ どうぞどうぞ〜」と 開けて 迎えていただいた

んもう わたくしは 何年ぶりでしょか?くらい

先代が 父と 同級生だった 仲良しさん

その方が 亡くなった後も

父が 車でなく 電車通勤などもしていた頃

真っ直ぐ 帰らずに

すけろくさんに 寄ってから 帰る…なんてこともあり

飲みすぎて れろれろして うちに電話よこして 迎えに行きがてら お相伴にあずかる とか

「おかあさん」に うちまで 送っていただくなんてこともあったっけな

でも それよりも 震災直後

すけろくの「おかあさん」が だし巻き玉子を

「とってたって 駄目にするばっかりだから みんなに食べてもらいたくて」と

「回覧板回すあたりの人たち」に 配り回ってくださったんだ

翌日は つてのところから 牛乳を 受け取ってきて

「鍋かなんか持ってきて〜」て 呼びかけて

分けてくださった

あの日々のこと ありがたくて あちこちで 喋りまくって

そして 喋るたびに ありがたさや 心意気のあたたかさに 泣いてしまう

「おかあさん」ご本人に 何度か お伝えしたこと あったものの

本日 カウンター越しに 厨房におられる姿に 頭下げたらば

出てきてくださったので 

またもや そのお話 してしまった

話してるうち 

あの日の 牛乳は 舘山から 譲り受けたもので ごしゃめしゃになった 狭い道を ドキドキしながら車で行った とか

お店に 出入りしてる方の車は 流されて 会社のトラックで 帰ってきた とか

震災の日に 四千枚の 海苔届く筈だったけど 東京に戻ってしまって 後日 四千枚に だいぶ上乗せして 白石営業所まで(震災後 しばらく 個別宅配できなくて 営業所止まりになってた)取りに行って 避難所に 差し入れした とか

新たな エピソードなども 聞かせていただいて 

多くの方々が「すけろくさんに 足向けて寝られない」て 言っておられたっけな なんて話して

ついつい「おかあさん」と 二人して 泣いてしまった

ちょうど そこについていた テレビで 震災後十五年 とかいう 文字が見えてて

「あれから十五年…て 十五歳年取っちゃったってこと?もう 83よぉ」と おっしゃる

いや 歳って数字じゃないわ とか 改めて思う

あの日のそんなこんながあったからこその 今

ひとの 思いに 励まされ続けるということを

きっとこれからも 忘れない

味亭ちらし丼 美味しうございました(あんちゃは 天麩羅定食)

これからも みんなの胸のうちに灯る あたたかな光の存在でいてくだされ

やっぱり駄目だよねぇ

2026 年 1 月 29 日 木曜日

朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』の 原作 加藤就一さんが シェアしてくださっていた 森重晴雄さんの投稿
加藤さんによると
「かつて取材させていただいた関電、九電、四国電の加圧水型原発の切れッキレの方です。深い、今回も勉強させていただきましたm(_ _)m」
とのことです
核融合の研究など なさっておられる 専門家が おっしゃる
原発問題点
しかし 再稼働 新築していくために 政府が 
東大教授…という冠をかぶせた 素人を引っ張り出して看板にしているらしいこと
一部の経済を潤すためだけに 丸め込まれていくなんて
いやだし
だめだし…
かつての事故の 処理も 修復も 保障も 賠償も できてないのに
老朽化して
更に 毒になるもの垂れ流す可能性が 増えるしかないものを 動かし続けようとさせてはいかんです

↓↓↓↓↓

原発の技術者から見て日本は原発を保有してはならないと断言する。

東京電力柏崎6号機、7号機には私が三菱重工入社当時提案した耐震構造が入っている。旧来の耐震構造を持つ1号機から5号機は中越地震で全壊した。6号機と7号機は私の設計通り中越地震では辛うじて止めれた。その地震力が、建屋や機器、配管に歪として吸収される。当初の設計思想通りである。ところが、時の経過と再稼働させた温度が、この歪を、ゾンビのように変形して生き返えらせる。材料の専門家はこれをストレスリリーフ(SR)という。これも研究成果通りである。

そのゾンビが東電柏崎6号機の再稼働を困難にさせている。

一方、関西電力が原発を当初の寿命30年を大幅に延長し60年とした。なぜ可能となったか。原子炉内にある機器は長年中性子を浴びるとボルトが破断する。その前にその機器、炉心構造物を取り替える必要があった。

電力会社の取り替え要請に1995年に三菱重工が取り替えを検討開始した。その時も私が作業員の被爆を抑える取替工法を編みだした。その炉内構造物が持つ致死線量の為に現場は俺を殺す気かとその工法を反対した。その後、炉心構造物の取り替えが国プロとなり、諮問委員会が設立された。その諮問委員会の先生方の世話人を私がすることになり、経産省の外郭団体に私は2年間派遣された。その先生方の主要メンバーに班目春樹東大教授がいた。委員会前に事前説明を班目春樹氏にしたが、原発は素人と東芝から来た同僚が話してくれた。その通りだった。委員会の承認を得て炉心構造物は取り替え出来ることになり、四国電力1号機から取り替え、来年から高浜1号機、2号機も取り替え原発が延命することになった。

ここで問題がある。中性子は炉心構造物を収める原子炉も劣化させる。アメリカのプラントが運転して30年足らずで2000年に原子炉漏れを起こした。その事故前に原子炉本体を取り替え工法も三菱と電力5社の共同研究に報告している。それは特許として残り公開されウェブから見られる。その特許文の最末尾に私の名前がある。

30年を経過し劣化した原子炉は電力各社や規制側や先生と言われる人も認識している。これに対し国は何等対策を施さず定期検査の度に原子炉を検査するだけ劣化した原子炉を容認し、原子炉を当初の設計期間30年を越えて運転させ原発60年を実現させようとしている。

運転中に原子炉から漏れ、炉心溶融事故につながるリスクは高まるばかりである。

三菱重工も電力各社も原子炉取り替えの難工事を
予測して原子炉の取替を回避している。

原子炉漏れのリスクがある原発は廃炉すべきである。

新規に原発を建設しようとする動きがあるが、新規の原発も以上の問題を継承する。使用済燃料の処理も出来ず、最終処分場の候補も決まらない。SMRを含む全ての原発は廃絶するしかない。

よき集いとなりまして

2026 年 1 月 25 日 日曜日

昨日の ドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』上映&蟻塚亮二さんトークat 仙台YWCA

もんのすごく たくさんの人数未満ではありましたが

とてもとても よき集いとなりました

映画の中では 原発反対!と 声高に訴えているものではないのだけれど

原発事故がなければ こんな苦しい思いをしてはいなかった…と

いまも 苦しむ人たちの姿

震災に於いての 直接死よりも 関連死のほうが 格段に多いということ

そもそも 原発が 僻地に作られることになったからくりは

アメリカのトップシークレット文書で

被爆国日本は 核反対の感情を持っているので そこの不安を薄めるために 原発を安全なもの と刷り込んで 輸出して やがて 核兵器への不安も緩和してゆくことが 大切…てなことを 言い始まり

たくさん人がいても どんどん発展するような経済のあり方でもだめで(反対する人が増えてきたり 原発以外が儲かるのは いただけない…とかいう理由)

僻地で 原発依存するしかないようなところ…という 条件も踏まえて 建てられていったこと

敗戦後の 引き揚げ者たちを 受け入れる器もない 政府が

まるで 棄民のように「使えねぇ土地」に 送り出したこと…

そんな 植民地的根っこがあったことも おさえておられた

形に見える 建物修復 土ほっくりかえして移動しただけ…なんてなことは 復興とはいえなくて

今も苦しみ続けるひとたちが おられる限り

終わりではない

そして もしかしたら この先 PTSDを 発症してしまうかもしれないひとたち…それに伴って起きてゆく負の連鎖

沖縄の診療所での たくさんの人たちとの 出会いで 沖縄戦の 遅発性PTSDを 発見なさった 蟻塚亮二さんが 懸念する

福島原発事故後の これからのこと

再稼働言ってる場合ではない

核武装なんて とんでもない

救いは この映画に出て来られる方々が いわきなごみクリニックの方々と 出会ったことによって 救われてゆく姿だ

添い続ける 蟻塚さんはじめ 精神医療に携わる方々が おられるという 希望の光だ

有能補聴器フィッティング中だというのに

映画の始まりのあたりの 言葉(被災なさって のち 息子さんが 自死なさったという方)が聴き取れず

ぐいぐい 耳に押し込んだりしていたのでしたが(空調の音などが ごーごーはいっちゃって やはり よくわからず)

その方が 映画の後半に どんどん 聴き取れるようになっていった

それは その方ご自身が 何も信じられなくなって生きていく気力もなくて

問いかけに やっとこ応えてはいるけれど

誰かに何かを伝えようという威力もなかった状態だったのが

そうか 生きていこうか と 顔を上げて

思いを 伝えようと言葉を用いるようになっていったということなのだろう

蟻塚さんの トークは

はじめ あれれ?マイクのスイッチ入ってない?なんて 確認に行ってしまうほど やわらかで

そしたらば「あぁ 精神科医ってのは 声が小さいんですよ 大きな声張り上げると 患者さんが 萎縮しちゃいますからね」と 柔らかな笑いから はじまり

お話ししようと思われたことを「コンビニのレシート裏に 書いたんだけどね」と お茶目にわらいながら 伝えてくださった

のちに 感想 質問を 発言してくださった方々の ことば ひとつひとつにも

ていねいに 応えておられた

蟻塚さんが 書かれた『悲しむことは生きること』というご本もあるけれど(YWCAに置いといたら 映画の後「ぜひ読みたい」と言ってくださった方がおられて 初めてお会いし方だけれど 貸し出しましたる…震災後 相馬の方で 写真修復などのボランティアもなさっていた…とのことを 涙ながらに お伝えくださりました)

かなしい と 伝えること 人に気持ちを開くことは 人を信用していこうという証で 生きていくという力になること…というようなことを 改めて 生の蟻塚さんの言葉で 伝えてくださった

それにつられて?というか 

所帯もとう とまで言ってた 外国のひとから 異国の町中で「じゃあまたね」と言っておいてかれて そのことについて 涙も出なくて 何でもないふりをして 気持ちに蓋をしたら 突然 横断歩道の真ん中で 遠くから 波がやってくるような感覚に呑まれて しゃがみこんでしまったことがあり 2年くらい経って その人と関わりある人から 話しかけられて 初めて それについて口に出した瞬間に ぶわっ!と 号泣して それから憑き物が落ちたみたいに 風通しが良いような気持ちにたどり着けた

…なんてな 誰も望んでない 今やネタになってる 置き去り失恋事件を 開示してしまうという

大迷惑な 司会者 わたくしでした

あ 笑っていただいて おっけな話ですから…

お客様の中に すんごく 心配そうに 見ておられた方も あったもんで

なんか 申し訳なかったす

そして アイドルとのツーショット♪な感じで

蟻塚さんと お写真撮っていただいたり

久しぶりに お会いできた方々も あって

気持ち 満ち満ちました

何気なく過ごせるありがたさ

2026 年 1 月 17 日 土曜日

とりたてて これ ということもない 何気ない日だった 1月17日

でも

201103111446を 経験したのち

特別な日の一つになった

東日本大震災があったとき

阪神淡路大震災を 越えてこられた方から 寄せていただいた思い

有り難かった

そして のちに 振り返って

似たようなことを 経験することによって

共感 共振する思いというものが 更に 重みをもってくるのだな と 思った

何気なく過ごせるありがたさを 噛み締めつつ

今も ひび割れそうな思いを抱える方も 多いときく

どうか みんな 心安らかに 眠ることができますように と 願う

1月24日(土)は 仙台YWCAに来てくだされ

2026 年 1 月 5 日 月曜日

1月24日(土)は 万障繰り合わせの上 仙台YWCAに 来てくだされ!

〜原発事故は終わっていない〜

ドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』(制作 監督 撮影 島田陽磨)の 上映と

映画の中に登場なさる 精神科医の 蟻塚亮二さんのトークがあります

震災と 原発事故から 生き抜いたものの

十数年経って 福島で 心の病が多発していること 広く知られているようで 知られていない

さも 収束したように

復興終えたように 

オリンピックだの

原発再稼働だの

有事に備えて 核武装だと!?

とんでもない!!

まだまだまだまだ 光を見いだせずに 喪失と絶望を抱えている方々が おられるのだ

そしてそこへ 諦めることなく 添い

ともに生き続ける 医療従事者の方々が おられるのだ

その中でも 

80年経って後にも「戦争PTSD」の 発症がある(晩年発症性PTSD)と 世界の あちこちの学会にて 発表なさった 蟻塚亮二さん

数々の 素晴らしき ご本も 書き表し続け

今日 福島におられるかと思いきや

その日のうちに 沖縄へゆかれ

またすぐ 北海道だの 仙台だの 青森だの…と 

崩折れそうな人がいれば

お話することを求められれば どこへでも 飛んでいってしまう 東奔西走天駆ける馬!?なる蟻塚さんが

仙台へも 飛んできてくださる光栄♪

これは 一昨年 この映画を 観たくて観たくて…でも 観ることが 叶わなくて

ならば 自分が 上映企画しちゃえばいいんぢゃ!と 鼻息荒く

しかし 仙台YWCAとしての 企画で 了承いただき

わ〜い やったぁ と 浮かれて 顔本(facebook)に 投稿したらば

蟻塚さん 自らが「トークにいけますよ〜♪」と 軽やかに コメントをくださっての実現という

…んもう うれしくて ありがたくて 楽しみすぎて 

泣きました

心臓ばくばくしてしまってます

恋する乙女かよ!?て感じです

1回目は 上映が 10:00〜12:00

トークは 12:10〜13:00

2回目は 上映が 14:00〜16:00

トークは 16:10〜17:00

参加費 一般 1200円  学生 700円

定員35名なので

ご予約をおすすめします

お申し込みは 画像チラシの QRコードか メールアドレス→ sendai.ywca.event9714@gmail.com

お電話 022−222−9714(火木金 10:00〜17:00)の 仙台YWCAまで

その他 もりあやこも 承ります

ぜひぜひぜひ 来てくだされっ

地震 おでん 回想

2025 年 12 月 9 日 火曜日

昨日 仕込んだ おでん

二日目に 更に 美味しくなってくれておる

ありがとう

仕込みの 削り節は

今回も 粉粉してしまいがちで ふりかけ向きであった

おかげさまの おかか富豪

納豆の味付けにも 惜しみなく 用いてしまうぞ

昨夜の 地震

床についていたので ゆうらりゆうらり 揺れる電灯を 仰ぎ見ながら

十四年前みたいに 停電とか 津波で 原発事故につながるとか ないかな?あるかな?てなあたり 浮かべて

あの時 大鍋に こんにゃく茸煮 こさえたばかりで 食べ物には しばし困らなかったんだよな

おでん仕込んどいてよかった なんてなことを 思ってた

そんな 呑気なことと共に

地震の度に 原発事故周辺のことに 気が 持っていかれる

そんな気持ちにさせられてしまうものが ごっつりある…て 正気の沙汰じゃないのにね

そういうこと 考え 声に出すのを 「うるせぇやつら」的な見方をする人たちこそが「良識的国民」と 思うよう誘導されてる?

ほんと もう 再稼働 新建設 やめれ!

なんだか やんだぐなる 流れだなぁ

また おっきなの 来るとしたら(昨夜のが 前揺れかも…という情報があったもんで)

それきっかけに やんだぐなる流れが よいほうに変わるといいけどね

いや 地震を望んでるわけではないのだけど…

今日も いい日であれ〜!