‘東北関東大震災(東日本大震災)’ カテゴリーのアーカイブ

やっぱり駄目だよねぇ

2026 年 1 月 29 日 木曜日

朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』の 原作 加藤就一さんが シェアしてくださっていた 森重晴雄さんの投稿
加藤さんによると
「かつて取材させていただいた関電、九電、四国電の加圧水型原発の切れッキレの方です。深い、今回も勉強させていただきましたm(_ _)m」
とのことです
核融合の研究など なさっておられる 専門家が おっしゃる
原発問題点
しかし 再稼働 新築していくために 政府が 
東大教授…という冠をかぶせた 素人を引っ張り出して看板にしているらしいこと
一部の経済を潤すためだけに 丸め込まれていくなんて
いやだし
だめだし…
かつての事故の 処理も 修復も 保障も 賠償も できてないのに
老朽化して
更に 毒になるもの垂れ流す可能性が 増えるしかないものを 動かし続けようとさせてはいかんです

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原発の技術者から見て日本は原発を保有してはならないと断言する。

東京電力柏崎6号機、7号機には私が三菱重工入社当時提案した耐震構造が入っている。旧来の耐震構造を持つ1号機から5号機は中越地震で全壊した。6号機と7号機は私の設計通り中越地震では辛うじて止めれた。その地震力が、建屋や機器、配管に歪として吸収される。当初の設計思想通りである。ところが、時の経過と再稼働させた温度が、この歪を、ゾンビのように変形して生き返えらせる。材料の専門家はこれをストレスリリーフ(SR)という。これも研究成果通りである。

そのゾンビが東電柏崎6号機の再稼働を困難にさせている。

一方、関西電力が原発を当初の寿命30年を大幅に延長し60年とした。なぜ可能となったか。原子炉内にある機器は長年中性子を浴びるとボルトが破断する。その前にその機器、炉心構造物を取り替える必要があった。

電力会社の取り替え要請に1995年に三菱重工が取り替えを検討開始した。その時も私が作業員の被爆を抑える取替工法を編みだした。その炉内構造物が持つ致死線量の為に現場は俺を殺す気かとその工法を反対した。その後、炉心構造物の取り替えが国プロとなり、諮問委員会が設立された。その諮問委員会の先生方の世話人を私がすることになり、経産省の外郭団体に私は2年間派遣された。その先生方の主要メンバーに班目春樹東大教授がいた。委員会前に事前説明を班目春樹氏にしたが、原発は素人と東芝から来た同僚が話してくれた。その通りだった。委員会の承認を得て炉心構造物は取り替え出来ることになり、四国電力1号機から取り替え、来年から高浜1号機、2号機も取り替え原発が延命することになった。

ここで問題がある。中性子は炉心構造物を収める原子炉も劣化させる。アメリカのプラントが運転して30年足らずで2000年に原子炉漏れを起こした。その事故前に原子炉本体を取り替え工法も三菱と電力5社の共同研究に報告している。それは特許として残り公開されウェブから見られる。その特許文の最末尾に私の名前がある。

30年を経過し劣化した原子炉は電力各社や規制側や先生と言われる人も認識している。これに対し国は何等対策を施さず定期検査の度に原子炉を検査するだけ劣化した原子炉を容認し、原子炉を当初の設計期間30年を越えて運転させ原発60年を実現させようとしている。

運転中に原子炉から漏れ、炉心溶融事故につながるリスクは高まるばかりである。

三菱重工も電力各社も原子炉取り替えの難工事を
予測して原子炉の取替を回避している。

原子炉漏れのリスクがある原発は廃炉すべきである。

新規に原発を建設しようとする動きがあるが、新規の原発も以上の問題を継承する。使用済燃料の処理も出来ず、最終処分場の候補も決まらない。SMRを含む全ての原発は廃絶するしかない。

よき集いとなりまして

2026 年 1 月 25 日 日曜日

昨日の ドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』上映&蟻塚亮二さんトークat 仙台YWCA

もんのすごく たくさんの人数未満ではありましたが

とてもとても よき集いとなりました

映画の中では 原発反対!と 声高に訴えているものではないのだけれど

原発事故がなければ こんな苦しい思いをしてはいなかった…と

いまも 苦しむ人たちの姿

震災に於いての 直接死よりも 関連死のほうが 格段に多いということ

そもそも 原発が 僻地に作られることになったからくりは

アメリカのトップシークレット文書で

被爆国日本は 核反対の感情を持っているので そこの不安を薄めるために 原発を安全なもの と刷り込んで 輸出して やがて 核兵器への不安も緩和してゆくことが 大切…てなことを 言い始まり

たくさん人がいても どんどん発展するような経済のあり方でもだめで(反対する人が増えてきたり 原発以外が儲かるのは いただけない…とかいう理由)

僻地で 原発依存するしかないようなところ…という 条件も踏まえて 建てられていったこと

敗戦後の 引き揚げ者たちを 受け入れる器もない 政府が

まるで 棄民のように「使えねぇ土地」に 送り出したこと…

そんな 植民地的根っこがあったことも おさえておられた

形に見える 建物修復 土ほっくりかえして移動しただけ…なんてなことは 復興とはいえなくて

今も苦しみ続けるひとたちが おられる限り

終わりではない

そして もしかしたら この先 PTSDを 発症してしまうかもしれないひとたち…それに伴って起きてゆく負の連鎖

沖縄の診療所での たくさんの人たちとの 出会いで 沖縄戦の 遅発性PTSDを 発見なさった 蟻塚亮二さんが 懸念する

福島原発事故後の これからのこと

再稼働言ってる場合ではない

核武装なんて とんでもない

救いは この映画に出て来られる方々が いわきなごみクリニックの方々と 出会ったことによって 救われてゆく姿だ

添い続ける 蟻塚さんはじめ 精神医療に携わる方々が おられるという 希望の光だ

有能補聴器フィッティング中だというのに

映画の始まりのあたりの 言葉(被災なさって のち 息子さんが 自死なさったという方)が聴き取れず

ぐいぐい 耳に押し込んだりしていたのでしたが(空調の音などが ごーごーはいっちゃって やはり よくわからず)

その方が 映画の後半に どんどん 聴き取れるようになっていった

それは その方ご自身が 何も信じられなくなって生きていく気力もなくて

問いかけに やっとこ応えてはいるけれど

誰かに何かを伝えようという威力もなかった状態だったのが

そうか 生きていこうか と 顔を上げて

思いを 伝えようと言葉を用いるようになっていったということなのだろう

蟻塚さんの トークは

はじめ あれれ?マイクのスイッチ入ってない?なんて 確認に行ってしまうほど やわらかで

そしたらば「あぁ 精神科医ってのは 声が小さいんですよ 大きな声張り上げると 患者さんが 萎縮しちゃいますからね」と 柔らかな笑いから はじまり

お話ししようと思われたことを「コンビニのレシート裏に 書いたんだけどね」と お茶目にわらいながら 伝えてくださった

のちに 感想 質問を 発言してくださった方々の ことば ひとつひとつにも

ていねいに 応えておられた

蟻塚さんが 書かれた『悲しむことは生きること』というご本もあるけれど(YWCAに置いといたら 映画の後「ぜひ読みたい」と言ってくださった方がおられて 初めてお会いし方だけれど 貸し出しましたる…震災後 相馬の方で 写真修復などのボランティアもなさっていた…とのことを 涙ながらに お伝えくださりました)

かなしい と 伝えること 人に気持ちを開くことは 人を信用していこうという証で 生きていくという力になること…というようなことを 改めて 生の蟻塚さんの言葉で 伝えてくださった

それにつられて?というか 

所帯もとう とまで言ってた 外国のひとから 異国の町中で「じゃあまたね」と言っておいてかれて そのことについて 涙も出なくて 何でもないふりをして 気持ちに蓋をしたら 突然 横断歩道の真ん中で 遠くから 波がやってくるような感覚に呑まれて しゃがみこんでしまったことがあり 2年くらい経って その人と関わりある人から 話しかけられて 初めて それについて口に出した瞬間に ぶわっ!と 号泣して それから憑き物が落ちたみたいに 風通しが良いような気持ちにたどり着けた

…なんてな 誰も望んでない 今やネタになってる 置き去り失恋事件を 開示してしまうという

大迷惑な 司会者 わたくしでした

あ 笑っていただいて おっけな話ですから…

お客様の中に すんごく 心配そうに 見ておられた方も あったもんで

なんか 申し訳なかったす

そして アイドルとのツーショット♪な感じで

蟻塚さんと お写真撮っていただいたり

久しぶりに お会いできた方々も あって

気持ち 満ち満ちました

何気なく過ごせるありがたさ

2026 年 1 月 17 日 土曜日

とりたてて これ ということもない 何気ない日だった 1月17日

でも

201103111446を 経験したのち

特別な日の一つになった

東日本大震災があったとき

阪神淡路大震災を 越えてこられた方から 寄せていただいた思い

有り難かった

そして のちに 振り返って

似たようなことを 経験することによって

共感 共振する思いというものが 更に 重みをもってくるのだな と 思った

何気なく過ごせるありがたさを 噛み締めつつ

今も ひび割れそうな思いを抱える方も 多いときく

どうか みんな 心安らかに 眠ることができますように と 願う

1月24日(土)は 仙台YWCAに来てくだされ

2026 年 1 月 5 日 月曜日

1月24日(土)は 万障繰り合わせの上 仙台YWCAに 来てくだされ!

〜原発事故は終わっていない〜

ドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』(制作 監督 撮影 島田陽磨)の 上映と

映画の中に登場なさる 精神科医の 蟻塚亮二さんのトークがあります

震災と 原発事故から 生き抜いたものの

十数年経って 福島で 心の病が多発していること 広く知られているようで 知られていない

さも 収束したように

復興終えたように 

オリンピックだの

原発再稼働だの

有事に備えて 核武装だと!?

とんでもない!!

まだまだまだまだ 光を見いだせずに 喪失と絶望を抱えている方々が おられるのだ

そしてそこへ 諦めることなく 添い

ともに生き続ける 医療従事者の方々が おられるのだ

その中でも 

80年経って後にも「戦争PTSD」の 発症がある(晩年発症性PTSD)と 世界の あちこちの学会にて 発表なさった 蟻塚亮二さん

数々の 素晴らしき ご本も 書き表し続け

今日 福島におられるかと思いきや

その日のうちに 沖縄へゆかれ

またすぐ 北海道だの 仙台だの 青森だの…と 

崩折れそうな人がいれば

お話することを求められれば どこへでも 飛んでいってしまう 東奔西走天駆ける馬!?なる蟻塚さんが

仙台へも 飛んできてくださる光栄♪

これは 一昨年 この映画を 観たくて観たくて…でも 観ることが 叶わなくて

ならば 自分が 上映企画しちゃえばいいんぢゃ!と 鼻息荒く

しかし 仙台YWCAとしての 企画で 了承いただき

わ〜い やったぁ と 浮かれて 顔本(facebook)に 投稿したらば

蟻塚さん 自らが「トークにいけますよ〜♪」と 軽やかに コメントをくださっての実現という

…んもう うれしくて ありがたくて 楽しみすぎて 

泣きました

心臓ばくばくしてしまってます

恋する乙女かよ!?て感じです

1回目は 上映が 10:00〜12:00

トークは 12:10〜13:00

2回目は 上映が 14:00〜16:00

トークは 16:10〜17:00

参加費 一般 1200円  学生 700円

定員35名なので

ご予約をおすすめします

お申し込みは 画像チラシの QRコードか メールアドレス→ sendai.ywca.event9714@gmail.com

お電話 022−222−9714(火木金 10:00〜17:00)の 仙台YWCAまで

その他 もりあやこも 承ります

ぜひぜひぜひ 来てくだされっ

地震 おでん 回想

2025 年 12 月 9 日 火曜日

昨日 仕込んだ おでん

二日目に 更に 美味しくなってくれておる

ありがとう

仕込みの 削り節は

今回も 粉粉してしまいがちで ふりかけ向きであった

おかげさまの おかか富豪

納豆の味付けにも 惜しみなく 用いてしまうぞ

昨夜の 地震

床についていたので ゆうらりゆうらり 揺れる電灯を 仰ぎ見ながら

十四年前みたいに 停電とか 津波で 原発事故につながるとか ないかな?あるかな?てなあたり 浮かべて

あの時 大鍋に こんにゃく茸煮 こさえたばかりで 食べ物には しばし困らなかったんだよな

おでん仕込んどいてよかった なんてなことを 思ってた

そんな 呑気なことと共に

地震の度に 原発事故周辺のことに 気が 持っていかれる

そんな気持ちにさせられてしまうものが ごっつりある…て 正気の沙汰じゃないのにね

そういうこと 考え 声に出すのを 「うるせぇやつら」的な見方をする人たちこそが「良識的国民」と 思うよう誘導されてる?

ほんと もう 再稼働 新建設 やめれ!

なんだか やんだぐなる 流れだなぁ

また おっきなの 来るとしたら(昨夜のが 前揺れかも…という情報があったもんで)

それきっかけに やんだぐなる流れが よいほうに変わるといいけどね

いや 地震を望んでるわけではないのだけど…

今日も いい日であれ〜!

明日 蟻塚さん 南相馬で

2025 年 11 月 28 日 金曜日

人に言えない
自分だけのことだし
…そんな 慎み深い思いの方々
痛みに 耐えたり
胸の奥に押し込めて痛みであることさえ忘れた気になってしまうことが
いかに 心身に無理をさせるのか ということを
諦めることなく 寄り添い 解きほぐし続ける 蟻塚亮二さん

あれ?もしかして 自分もなんかしゃべってみてもいいかもな なんて気持ちが動いて
足が動いて
凝り固まった 心身が 動いて 風が通っていくような思いになれること
願ってます

年明け 1月24日(土)には 仙台YWCAに て ドキュメンタリー映画『生きて、生きて、生きろ。』の上映と 蟻塚亮二さんの トークも 開催しますでね
チラシ出来上がり間近のはずなので また お知らせしますでね
よろしくおねがいしますね~♪

以下 蟻塚さん 顔本投稿より

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拡散希望  原発爆発の時に「死の恐怖」を感じた人は、PTSD発症のリスクが高く、同時に「誰にも語らないであの世までもっていく」と決めた人が多い。■強い恐怖を体験した人たちは、「あんな怖い体験は自分だけに起きた」ものと考える。しかし「よその語り部の話」を聞いて「自分だけでない」と思うなら、40-50年後のPTSDを防ぐことができる。11月29日第5回「おらもしゃべってみっが」にどうぞ。

また行かなくっちゃ!

2025 年 8 月 25 日 月曜日

南相馬市小高区南町2の23にある 3.11&福島原発事故伝承アートミュージアム「おれたちの伝承館」

所在地に「浅野設備倉庫内」と あるように

倉庫を 改装して作られている

風にはためく 幟が 目印

常設の作家さん

写真 造形 絵画 短歌…と いろいろ

あの日から始まったこと

あの日に 失われたこと

それをかなしむだけでなく

振り返り 

思い返し 

組み直し 

そこからまたなにかな生まれる ということに 希望を見出したりもして

とにかく生きていこうや と 手を差し伸べられるような 思い

山内若菜さんの 天井画「命煌めき」を 見上げるために 小さな畳を敷いてくださり

「どうぞ 寝転がって 作品を仰いでみて」と 促され

寝転がろうとしたものの

なんとなく 正座したまま 仰ぎ見て 拝むように 手を合わせたり

手を天に向けて 伸ばして 何かを乞うようにしてしまった

手をのべた奥に 安藤榮作さんの 彫刻『鳳凰』が 重なって

山内さんの『命煌めき』へ 共に 手を伸ばしているように見えた

ふと

それぞれ違う作品たちが 近くあって

別々なのに

時折 呼応するような

見えないのに それぞれ 何か つながる 透明な蜘蛛の糸のようなものが よぎるような錯覚に おちいる

いや 錯覚でもないのかもしれない

時間に限りがあったので

はしょりはしょりみてしまったのが 心残りだけれど

それは また来なされ てことなんだな

伝承館のスタッフの方と お話しを交わしていて 仙台YWCAのことを ちらと お話したら

「あっ ここに来てくださったことありますよ」とのこと

京都YWCAの方などもいらしたとか…

国内外から 訪ねてこられてるようだ

入館記帳の わたくしの前の方

フランスからですてよ

すごいな

「是非今度の催しに…」と ご案内いただいたの

残念ながら 参れぬ日ではあったけど

これからも ぞくぞくと 興味深い催しも なさるご様子

わたくしも 何にゃらか ここで…なんて 妄想も膨らませつつ 辞した

来館記念の 折り紙のとこに「伝承者はあなたです!」とあった

あぁ そうだね 受け渡してゆかねばね て 思う

車 出すまで 見守っていてくださったのが また 染み入る…

いろいろな扉を指し示してくださって ありがとうございます

また ゆっくりじっくりと まいります

野蒜海岸へ 再び

2025 年 8 月 24 日 日曜日

昨日の帰路

早めに行ける道を 散々 教えていただいたのに(現場入りの道のりも「そうじゃないルートのほうが あと三十分は短縮できたのに!」と 言われた)

気づけば 見たことない道に出てしまい

うえええぇ〜と 唸りながら なんとか 見たことある 野蒜海岸付近にでた

こりゃ 確実に 教えていただいた道より 遠回りだな と 思いつつ

まだ 暗くなっていなかったし

せっかくなので 久しぶりの 野蒜海岸に 出てみた

相変わらず 細々と 砕かれた 貝とか ゴミばかりなのだけど(ビーチコーミングで人気の シーグラスなど ほとんど出会えない)

拾うとしたら 流木は 今回無し!と 決めて

小さい袋だけ持って

気になる貝殻 ひとつふたつ 拾って

ひと波 ふた波 足洗ってもらって

また来るね て

誰かに

なにかに

声かけて

祈るような思いは 今もあって

頭下げて 帰った

「おのくん」のこと

2025 年 7 月 20 日 日曜日

選挙で わちゃわちゃしてるけど
忘れないでね
まだまだまだまだ 復興半ば
終わっちゃいないのよ
あの日から 始まったこと
立ち上がっていこう 
なるべく楽しみながらまた積み上げていこう て きっかけをくれた「おのくん」
どうか これからも 支えていってもらえたら と 思いますの

東松島の 復興を!と 小野駅周辺の お母さんたちが 立ち上がった ソックスモンキー由来の「おのくん」

コロナの後の 大変さがまだまだ 尾を引いているそうです

支援の手を よかったら ぜひ!

↓↓↓↓↓

【お知らせ】

おのくんから里親さんへ

ただいま

コロナ以降なかなか復活しきれていない

おのくんです。

東松島に来れる人がまだまだ戻ってきていません

おのくん応援キャンペーンを
おのくん公式SHOPにておこなっていますが

いろいろと事情が重なってネット担当が
動けない状態にもなって
発送に遅れが出てます。

それでも

なんとかしようと
考え動いているんだけど

どうにもならない、、、

おのくんのお母さんを応援して下さい。

ゆうちょ銀行
記号18100ー2
番号
28877151

店名八ー八
店番818
口座番号
2887715
武田文子

発送は随時

追いかけていけるように手配を考え中です。

何があってもおのくんを守りたい。

応援お願いします。

合間に 海風

2025 年 7 月 11 日 金曜日

職場検診…できるだけ午前中に と言われたので

とっとと やっていただいたのだけど

保育仕事は 夕方シフト

ぼっこりと 真ん中時間が あきまして

町中で 用達がてら ご飯を と 思ったものの

なんかわからん 渋滞ばかり

狙っていた駐車場は 周辺も全て 満車

…なにかあるのすか?

これはもう 仙台市の中心から ちょっと離れよう と 

あちこち 迷って 

結局 海風に吹かれたくなり

名取 閖上かわまちテラスへ

先日 あんちゃと 訪れたときは

あんちゃのリベンジ「海鮮じゃないものを食べたい」に 付き合ったので

今回は わたくしの リベンジ「海鮮が食べたい」でありました

でも 階段登った 土手のてっぺんの店は 軒並み リゾート値段

迷う…

んで 階段降りたとこの ウロコ水産さんが

なんと「漬け丼 半額」というので

ブリ漬け丼 350円を 購入して

表の 椅子で 食べた

まっすぐシンプルに それしかない潔さ丼!

おいしうございました

このあと 仕事なければ めくるめく 美味しそうで安い刺し身も 買いたいとこだけどな…残念

海風に吹かれながら 海に 近いとこへ行ってみたら

「名取市震災復興伝承館」というのがあった

職員さんは 一人おられたけれど 他は 誰もおらず

復興ハコモノかなぁ と 足を踏み入れたけれど

なかなかどうして

手作り模型の 震災前のジオラマの 家々についての手書きの名前(住んでた人 そこを知ってる人たちが書いたのかな?)

「ここ」から見た通りの写真展示

水圧の重み体験ドア

防災漫画

それぞれの 体験の映像

…なかなかに 見応え 過ごしがいのあるところでした

誰一人 犠牲者を出さなかった 奇跡の保育所のパネルは

胸が きううぅ と なる

全て 読み込めなかったので

こりゃまた 訪ねて もっと じっくり 資料を みせてもらわねば と 思った

クリアファイルと 名取手拭いを 購入

駐車場まで戻る道々

ふと 舐めた 唇が やたらと苦い

漬け丼の タレ味が 残っているなら まだしも…

なんなんだ!?

手首のあたりとかも 舐めてみたら やはり 苦い!

海風って 苦くなるの?

…なもんで かわまちテラスに戻って 八百屋さんみたいなとこで

ソフトクリームを 買っちまったぜ

ただの言い訳だぜ

も少ししたら 出勤準備だ