
以前「旗日(はたび)」といって 祝日祭日には 国旗を 門前に 掲げていた 森家
母倒れてしまった2013年の秋以降は わたくしが引き継いで 掲揚したりもしたけど
介護のことでの とてぱたで
とてもそんなことしてる気持ちにもなれない というのと
日本が 国家が 日本国民が と 美化礼賛する声を聞くにつけ
だんだん 国旗自体から 連想される 大政翼賛会国防婦人会臭いものに 嫌な思いが 生まれるようになってしまった
デザインとしては シンプルで 描きやすい 形だってのに
そこに 集う信者みたいなのが いやなんだ
一つ旗の下…という 心持ちって 取りまとめやすいのかもしれないな
旗掲げて 暴走する「族」とか ありがちだもんね
ぼんやり暮らす わたくしでさえ そんな気持ち生まれるのだから
旗のもとに集った者たちに ひどい目に遭わされた人たちのこころに生まれる「嫌悪感」は 如何ばかりか!?と 思う
高校辺りまで 先生が 登壇するとき 降りるとき 舞台に向かって 頭下げたりしてたのって
生徒も 真似したりさせられたりしたっけな
何もない時もあったけど
「この日まで重ねてきた歴史や 先人たちに 敬意を表する」〜と 勝手に思ってたのだけど
あれって「本来 壇上に 国旗を掲げて そこに 敬意を表する」と言っていた人がいて
んあ?と 不思議に思った
国旗に敬意?
国というまとまりに
国というまとまりを牽引する立場に 従います…の 隷属宣言みたいで 怖くなった
「国旗損壊罪」とか 今このときに なんで決めようとしてるか も 怖かった
決まってしまってびっくりした
燃やされたり侮辱されたり利用されまくる場面も 見たことないけど(日本に対して怒った外国の人が 外国で 燃やしてる映像は見たことあるけど それに対しは 怒りよりも前に 日本がやらかしたことや 怒らせてしまったことをちゃんと解決できるような動きとらにゃならんだろ と 思った)
いまのとこ 戦中みたいに ギチギチに罰するものにはなってなさそうで
一応「公に」損壊侮辱するでなければ お咎めはない…のか?
「国家の犬です(犬に失礼!)」宣言したくない 日本の重ねてきた罪を臭わせる国旗への警戒心を持つ人は
起立も 敬礼もせず きみがよもうたわず…は しょうがないではないか
それは むしろ 国が 正しく美しくあってほしいからこその思いであって
正しく美しくない国のやり方に 否 というのも 愛ではないか?
久しく 掲げてない うちの国旗
「皇太子殿下御成婚の年に」…とか 書いてある
今の天皇の 父親…のことだね
たぶん じいちゃんの字
染みになっちゃったりもしてるし
もう 掲げることもないだろう
しっかりとした 綿生地だし
いっそ 褌にして 活かそうかな と 思ったりしてた
損壊にあたる?
公にやらなければ 罪に問われることはないでしょうけど…ね たぶん
国旗だ国歌だ国家だ〜て さわぐのをきけばきくほど
形骸化して 心が離れる人が増える(逆もおるのであろう)
心からの 人が生きるための愛がない
分断ばかりが 生まれてるのではないかなぁ と 思いながら
いまのとこ まだ 損壊はしていない




























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