‘応援しちゃうぞ’ カテゴリーのアーカイブ

差別は したくにゃい

2025 年 7 月 6 日 日曜日

大好きな 文筆&イラスト そして 移住 移民フェス仕掛人 金井真紀さんの イラスト

#差別に投票しない

このイラストを 金井さんに描いてもらう…と 発案なさった 小林さんのことなど

わかりやすく投稿しておられた 中島京子さんの文章とともに シェアさせてもらいまする

参考の記事は 国民民主についてのものですが

それ以外にも かなり まことしやかな表向きを整えてるところもあるので

とにかく その奥に 先にある思いなど しっかり 受け止めつつ

考えていきたいのでした

わたくしの 身近でも 外国から来られた方々…困りごとや 差別されがちで 哀しい思いをしていることばかり きくので

決して 煽られている「外国人優遇」なんてはなし

どこか特殊な部分について増幅されてるだけなのではないかな?て 思ったりして

それって メガソーラー環境破壊のバックについてる資本が 外国の…てあたりのことからきてるのかな?

でっかく 金が動くとこに関して 大手が 下請けに用いてるのが 外国の…て事もあるのかな?

身近な 人権的なことについてまで とりまとめて 優遇されてることは 

断じて ない

丸め込まないでもらいたい

自分も 知らず 傷つけるようなこと 差別的なことを してしまっていたかもしれない

でも できる限り 差別はしたくにゃい!

改めながら

思い巡らせながら

生き合っていきたい

なるべくにこにことね…ほんと それだけなのよぅ

以下 中島さんの投稿

↓↓↓↓↓

選挙で、「外国人は優遇されている。是正しなければ」とか、「日本人のための国に」みたいな言葉が聞こえてきたら、どうかどうか、警戒して、それを声高に訴える政党と候補者には投票しないでください。

外国人は優遇されていないです。この、女性自身の記事がとても丁寧で参考になります。
https://jisin.jp/domestic/2483909/

この日本で、外国人は優遇されていないどころか、部屋を借りるのに難色を示されたり、見た目だけで警察から職務質問を受けたり、旅行先で宿泊を拒否されたりする差別に遭うことすらあります。

そうした差別を助長し、加担する、そしてそのことで、わたしたちの社会を悪い方向に変えてしまうような投票行動は、ぜったいにしてはいけないと思っています。

お友だちの小林美穂子さんが、やっぱりお友だちの金井真紀さんに依頼して描いてもらったという、このかわいいバナーで、自分の意思を表明します。みなさんも、ぜひ、シェアしてください。

わたしは、差別に、投票しません。
#差別に投票しない

大変だったのだね

2025 年 6 月 20 日 金曜日

ほぼ毎日 聴いてしまう…Conor Maynardの 歌

YouTubeからの おしらせ(何ヶ月かに一回?)では いつでも 最もたくさん聴いたアーティスト として 筆頭にくる

フルの 動画だけでなく

ショート てのも 案内が来るので

それもちょこちょこ観ていたけど

そういや こことこ それ 少なめだったな と 思いつつおったら

先日 新曲のおしらせ

『Runaway Man』

その曲の動画の初めのところに 彼自身のメッセージで

ここ1年ほど 姿を現さずにいたけど そろそろ 話さねばならない…というようなフレーズがあって

そうだったのすか?くらいの気持ちでおったけど

さっき イギリスの インタビュー番組『This Morning』に Conor Maynardが 出演している と おしらせみたいなんがあり

みてみたら

あいや!

スキャンダルに 巻き込まれておられたそうで…

とある女優さんが 妊娠して 父親は 彼だ といったのから始まる なんにゃらかんにゃら…

ネットでの バッシングとか あったらしい

もともと 精神的に 不安定なとこなどあって それにバランスを取るとか乗り越えるとか そんな日々から 作品を生み出してた 彼としては 苦悩増々の 一年になっちまったそうだ

DNA鑑定を経て 潔白証明はされた とのこと

しかし「TVシリーズの打ち上げで その出演者だった彼女と 一夜限りの関係を結んだということですね?」の 問いに

「はい」て なんと 清々しくはっきり言うのだか…

わはははは

ま とにかく 才能に恵まれて ただ幸せに 歌っていただけではない…てとこからも 生まれくる 隅々まで染み渡る 情感というかなんというか

イヤホンで 彼の歌声が 脳髄の真ん中あたりに 響くようにして 眠りにつくのが 毎晩幸せな楽しみになってる わたくしとしては

これからも 応援するよううぅ て エゲレス方面に 手を振るのでした(ちょ と やばめの感じ?) 

「語らう会」

2025 年 5 月 19 日 月曜日

昨日の 青葉まつりを横目に 駆け抜けたのは

1つ目が 尚絅女学院短期大学保育科 C組の クラス会…これについては また 後ほど…

んで その1次会 終えて 小走って 駆けつけたのは

仙台YWCA

「ドキュメンタリー映画『杳かなる(はるかなる)』監督の 宍戸大裕さんと語らう会」のための 準備 解錠(以前と セキュリティシステム違うので 間違ったらどないしよ!?と ドキドキなところ まあまあ?うまくいきましたる)

難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」に罹患したことで喪失と絶望のただなかを歩く人たちの、いのちの旅路に寄り添ったドキュメンタリー映画『杳かなる』の 監督 宍戸大裕(ししどだいすけ)さんと 語らう会なのでした

主催は 小さな声も 聞き逃さず よりよく生きてゆくための手立てを探すために 常に動いておられる 仙台市議会議員の いのまたゆみさんを中心とした「語らう会」によるもの

会場探しの段階で いのまたさん一味…つっち〜せんせいから わたくしのところへ「仙台YWCAを 会場として借りることは可能でしょうか?」の打診連絡があり

それがなんとも ジャストタイミング 運営委員会が 今まさに始まらんとす のところだったもんで

すぐさま会議にかけ

委員会の話し合いで ぜひ 協力しましょう と なり
YWCAを会場として 使っていただくこととなったのでした

「どんな人も どんなありかたでも そのままでいいのです」と 柔らかな口調で 語る 宍戸さん

そして 集われた方々は 看護や 介護に関わるかただけではなく 

色々な立場の方々で

しかし どんな人でも なるべく 困らない在り方で生きていけるように 手をのべてゆきたいと願う気持ちの共鳴

集った方々…映画を観た方も 未だの方も それぞれの思いを 受け渡し合う 得難いひとときめありました

わたくし 聴こえに難有りの話をしたため

宍戸さんが「24〜26日の上映には 字幕がつく予定です」と 知らせてくださいました

そして 参加者のお一人が わたくしのところに こられて

「スマートフォンで できる ヒアリングサポートがあるのよ」と レシート裏に 走り書きしたものを わたしてくださり

「余計なお節介…ごめんなさいねぇ」と 微笑みとともに 辞してゆかれました

いやはや…きちんとお名前も伺わず

誰かが必要としているなら すぐにそれを差し出す

気負わず 助太刀の手をのべる という 心のフットワークの軽やかな方々で 満ちている!と 感動したのでした

来場された方が 物販コーナーで 買い物をしてくださったり
展示してある本を 手にとって じっくりと 眺めておられるかた 多々あり

おっ その本 いいっすよ!なんなら貸し出します?なんて 心で ぶつぶつつぶやいたりして(わたくしが 勝手に YWCAに置いてる「どうぞお手にとって見てくだされコーナー」の本なのでした)

映画の上映は フォーラム仙台にて~5/29(木)
日によって 上映時間が違います とのこと

上映情報を ご確認の上

ぜひぜひ 御覧下さりませ

二枚目の画像は 上映を応援する会さんの 投稿から 転載させて頂きましたる

たえさんのこと

2025 年 4 月 10 日 木曜日

出会ったきっかけは 真夜中過ぎの 顔本投稿

父の 癌やらなんやら 入退院祭り 落ち着いたかな?と思いきや
兄が倒れ
母が倒れ
…つぎはなんなのすか?と 半ば 虚脱しつつも
なんとか かんとか やるしかねぇな…なんてなあたり
「がん家族」という言葉とともに かつてご自身が 得ようにも得られなかった 支えるがわへのサポートを やっていくぞ…のクラウドファンディングを 試み始めた たえさん…こと 酒井たえこさん

まっすぐに かつての痛みの日々を 飲み下して 
消化して 
昇華して
だれかの 痛みが 和らぐための活動へと繋げ続ける 偉業

癌に 出くわした時の その人
その周辺の人たちの 受け止め方って ほんと 千差万別だけど
それぞれの 狼狽えや 痛みが 
内向きに ぐるぐるするばかりではなくて
より良いあり方に 繋げていけるようになるといい
怖気づくことなく
恥じることなく
立ち向かって
救われていくといい

いまたえさんの なさろうとしていることが 静かに 広がって
誰かの心を救っている

これからもよろしくね

↓↓↓↓↓

嫌われるかも知れませんが、私が長年蓋をしていた心の内を書かせてください。平成に父は食道がんになりました。

告知されたときは初期だと言われたので、ショックはあったものの手術して悪いところを取れば治るだろうと軽く考えていて、実際、手術は12時間かかりましたが無事終わり入院生活も問題なくいけました。

でも父が末期になったときのことは今でも後悔することばかり。

高熱が続き入院した時なんて、父は狂ったように大暴れして私の夫を「ドロボードロボー!」と叫んで殴りかかろうとしたり、兄が来たときは「たえこはどこやー!どこやー!」とずっと大声で叫び続け、暴れる父を私たちが腕をつかみ「お父さん、ここは病院だよ、たえこはいるから」と

伝えても父の腕は言うことを聞いてくれません。点滴の棒を振り回した時に主治医が入ってきて先生を見た父はピタっと止まり、先生に促されるままベットへ戻りました。

あれはせん妄だと後で知り、自分の父があんな風になるなんてショックで病院のトイレで嗚咽して泣きました。

二週間後退院し自宅ですごすことになりましたが、手術した場所やお腹、背中全部が痛いと言うので、大学病院の先生に貼る麻薬と、痛み止め数種類と吐きどめをもらいこれでなんとかなるかと思いましたが、父には全然足りないようでした。

次の通院日に先生にそれを伝えると先生は痛み止めのガイドが記載された冊子を見せてくださり、「ここに書いているとおりの量を出しているから、効くはずです」と言うのです。

それでも他に薬はないかと食い下がってみたのですが、当時は緩和のための薬の種類は少なかったのです。

先生が怠慢で薬を出さないわけではないのでそれ以上も言えず、一つ痛み止めを増やしてもらい帰りました。 でも帰ってから父はまた高熱を出し、次の日また痛い痛いと言うんです。

病院でもらってきた痛み止めを飲んで、座薬を入れても痛みで手が震えています。痛みで手が震えるなんて、かわいそうでかわいそうで私は父の部屋から逃げ出したくなりました。

◆◆

そんな父の姿を見て母はオロオロしたり、イライラ怒っています。 普通の母(妻)なら病人を見てイライラし怒ることはないのでしょうが、母はしかたないのです。

母は重い心の病気を長年患っているので、家の誰かが病気になるとパニックになって怒りだし、時には訳のわからない言葉で罵倒します。そんな母のパニックを見慣れていますが、それでもこの時は悲しく嫌でした。。。 
ここから消えたいと思いました。

母の病気は母のせいではありません。

でもこのような病気になると家族はバランバランに破壊されるのです。スキだらけの我が家には、毎日違う宗教家の方が来ました。山一證券で400万円もの詐欺にあい、そのことを警察からの連絡で知ったこともあります。

もちろん近所からはキチガイの家だと言われることもありました。とうぜんのように私もこんな家庭が嫌で大暴れしたり自傷行為を繰り返し家に寄りつかない最低の娘でした。

そんな我が家でしたが、私も兄も大人になり兄なんて結婚をして、私たちがあれだけ憧れた家庭をもつことができました。だから少しですが両親の苦悩を理解できるようになったので、たまには一家全員でご飯を食べるようになってきた時に、父に食道がんが見つかったのです。

◆◆◆

そんな理由もあって私がキーパーソンとして父の看病をしていたワケですが、一生懸命看病をしてもやるせなかった。常にどうしてなのと叫びたくなりなました。
なぜ父の痛みを止めてあげられないの! なぜ状態の悪い父を遠くの病院へ通わせないといけないの! なぜ、自宅での看病はこんなにも大変なんだ! 今の私ならこの疑問の答えはわかります。

今なら緩和ケア専門医がいるよ、
介護支援が受けられるよ、訪問診療を受けられるし、訪問でも緩和ケアを受けられるよって。 でも当時(平成)にはなかったし、知らないことばかりでしたから一人で考えるしかなかったんです。

叫んでも泣いても誰も助けはきません。

でも実は、私はやるせなさの反面、驚くほど冷静に父の治療を決定し、治療のため様々な書面にサインをしていました。手術の同意書、入院の書類、高額医療費の書類、輸血のための同意書(当時は血液製剤の問題があった)などなど。

それは母のせいだと思います。
私は親の手続きをしたり警察や市役所と話をすることが慣れていました。もちろん親戚に事情を説明することも慣れています。これが功をきしたのかもと自分では思ってます。医師と話すことや患者本人と話すこともたぶん、他の方よりハードルは低かったのでしょう。

◆◆◆◆

ここからナゼ私が心の内を書きたいと思ったかという本題です。 私は父の看病を終えてからずっと探していました。患者だけでなく、看病者に心を寄せてくれる医療者を。

いや、いるんですよ、いるんです。

でも今まで出会ってきた医療者は「患者さんにケアが必要。それにご家族もケアが要りますよ、無理しないでね」って言ってくださいます。

でも違うんです。 無理しないでと言われても、看病をする家族は無理をします。してしまいます。 無理しない家族は、看病すらしません。 でも違うんです。 患者と看病者は土俵(フィールド)が違うから、たまには引き離して違うケアが必要なのです。

理由は患者にしかわからない辛さがあり、看病者にしかわからない不安があるからです。 だから、患者は患者のケアが必要で、看病者は看病者のケアがそれぞれに必要だと言ってくれる医療者を探していました。すると2年前に出会えたのです。

◆◆◆◆◆

それは広島のがん専門医、瀬尾先生でした。 二年前、瀬尾先生から「がん家族」について講演をして欲しいと誘ってもらったときは内心驚きました。

講演の日、瀬尾先生にナゼ「がん家族」なんてマイナーな講演を依頼してくださったかを聞くと、瀬尾先生はご友人をがんで亡くした時のことを話してくださったのです。

ご友人は瀬尾先生に、がん患者とその家族を診れる医者になってくれと言われたそうです。「患者である自分はいいんだ、いろんな人が支えてくれるから。でも家族は違うんだ、悲しみを抱えながら僕を看病してくれてる。僕は家族のことが心配なんだ」。

このご友人とのことがあったからがん専門医とプライマリーケア医になるべく一心に勉強と経験を積み続けてこられたそうです。

そしてがん患者さんのご家族支援を専門でやっているところはないかとXなどで探していたが、なかなかないんですね。 でもある日見かけた、私(酒井)の投稿が「なんだこの人、おもしろい」と感じずっと投稿を読んでいたら、がん家族の苦悩や支援について直接聞きたくなりお声をかけてくださったようです。

私はこのお話しを聞いたとき感動したんです。

自分の感情が二十年前にタイムスリップして、あのとき心の中で「なぜ、こんなに辛いんだ!」って叫ぶ自分の目の前に、医師が立っている。そんな感情になりました。ここは上手く言えずごめんなさい。とにかく、感謝したのです。 家族を理解し、支えたいと心を寄せてくれていることに心からありがたいと感じました。

それに、瀬尾先生はこうも話を続けました。「これから広島で、がんサバイバーのための町のクリニックを建てる計画中なんです。大きな病院だけでなく、細かいところをクリニックで診れたら、患者さんもご家族も安心でしょ」。

私、この計画を聞いて更に感動しました。

かつて 私たち親子が家で暮らすのに、あんなに苦労したのは町のクリニックではがん患者のその都度の体調変化の対応をしてもらえなかった問題が大きかったからです。

それが瀬尾先生のクリニックでは解消(支援)できる!!感動と私で何かお役に立てればと考えていたら、

昨年、瀬尾先生が、がんサバイバー向けの講演をして、広島の人にクリニックが出来たから安心してほしいとお伝えしたいと企画を教えてくれたので、ぜひ手伝わせてくださいと手をあげた次第です。

◆◆◆最終章です◆◆◆

でもここで問題が出てきたのが

私に影響力がないことです。情けないくらい力がないんです。
講演の企画を手伝わせて頂けることになりましたが、講演を沢山の方に知ってもらうことが難しい。

がん患者さんや、そのご家族にぜひ「がんサバイバーの困りごとや解決できること」の話を聞いて欲しい!!

SNSで伝えたり広告も出します。でも講演に来て下さるのか不安でたまりません。そこで、もしかすると嫌われてしまうかもと思いながら、私がなぜお手伝いしたいと思ったのかを知っていただきたくて本当のことを書きました。

嫌な気分になった方がいたらすみません。 でも、がんサバイバーの方々の不安が解消できるお話しを聞きたくないですか?もしよければ、私に少し力を貸してください。

少しでいいので、SNSで広げることをお手伝いいただきたいのです。 勝手なお願いで、本当に申し訳ありません。 どうしても、がん患者さんとご家族に届けたいのです。 長くて思いのままに書いた文章を、最後までお読み下さりありがとうございます。
(今夜4/10 20:00講演お申込みとポスターを投稿いたします。よろしくお願いいたします。)
全国に届きますように。

酒井たえこ

小浜センパイの 顔本投稿から

2025 年 3 月 15 日 土曜日

小浜センパイの
しっかりと ご自身を生きて 感じて 表して
次へ繋いで行かれる日々
同性婚を 求める訴訟においても 発信し続けてくださってます

法律の庇護のもとに 安穏といられて
生きづらさを持った方々への想像力欠如のものたちが
同性婚周辺のことについて
やれ「家族の絆が~」とか
「少子化の問題が~」とか
「いきもの人間としての あり方が~」とかいって
今生きて そこここにおられる存在を 踏み潰す発言をし続けているのが
いやだ
いぢわるだ と思う

歴史がどうこういうなら
かつての昔々の日本の方が おおらかだったのと違うか?

そんなことを思いながら
「伴侶」として より深く広くはぐくまれてゆかれる 小浜センパイを 応援し続けたい

↓↓↓↓↓

パートナーの入院後、毎日面会に行っています。日々状況が変わるので、お休みいただいている方面の皆さんには感謝に堪えません。
同性婚を求めているからと言って、出会いのはじめから「伴侶」としての自分がいるわけでもない。この間の経験はそれを感じさせるものです。

救急搬送の時には、「パートナーです」に対して「同意書書けますか?」と問われる。病院では次々に軽いもの重いもの取り混ぜて同意書にサインする。都度都度続柄に「パートナー」と書く。彼のいのちを預かる覚悟は既にあったものの、改めてそれが問われる局面が訪れます。

異性間で結婚する人は、はじめからこういう覚悟を自覚して結婚するかしら?と考えました。「死が二人を分つまで」の意味は、こうした経験を経て理解できて、さらに深く「伴侶」となる。たくさんの局面で伴侶であることを「言外に」問われ、覚悟を決めていく。そんなふうではないかしら?と考えたりします。

結婚できないことは、「期待されない」関係の中、自らの意志で成長させていく必要がある。そう考えると、自分たちのかけがえなさを選んできたことに誇りを感じつつ、否応なく関係性が成長していく前提を「奪われて」いて、厳しい現実の中で裸の自分の意志で、常に選択を迫られる。

行動してから、周囲の助けを得てさらに進み、それが自信につながり、関係性が深まる。そうしてかけがえのない「自分たち」ができていく。実はそんな社会にいてそれが享受できなきゃ、尊重されてる実感は持てないよね。

改めて家事審判を闘おうと思うし、続けられるようにと願います。

https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000134&fbclid=IwY2xjawJBnRtleHRuA2FlbQIxMQABHYXDGlUcc-02n9dDzHH1lUZx9FNX-zJ11cjqHhOT5aYGQbhnDnuHU0raSA_aem_7J4Evfd1q2TTa_2Sq4310g

今年の DATE SEVEN!

2025 年 3 月 8 日 土曜日

今年の DATE SEVEN始動ですって!

頼まれてもいないけど お世話になっておる親戚 新澤さんの 宣伝 

勝手にあちこちで させてもらってますが

更に更に みなさんに知ってほしいのでした〜

↓↓↓↓↓

【 DATĒ SEVEN から season2 Episode4 始動のお知らせ 】

お待たせいたしました。今期の「DATĒ SEVEN」は、

     【 浦霞 × 伯楽星 】

今年もそれぞれの個性を存分に味わって頂きたいと思います。現在造りも順調に進んでいますので、その様子も追ってアップいたします。

7月7日をどうぞお楽しみに!!

DATESEVEN

浦霞

伯楽星

宮城の純米酒

日本酒

大船渡への 思い

2025 年 3 月 6 日 木曜日

六華亭遊花さんの シェアから

人々への支援ももちろんですが

事情もわからず 不安でおられる ねこさまいぬさまたち

それを保護する方々の「この先 大丈夫なのか」の不安

どうか 少しずつでも 少なくなっていきますように

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わくわくが 生まれるぞ〜

2025 年 3 月 3 日 月曜日

先週土曜日…3月1日(土)

東仙台にオープンした「杜の都のサーカススタジオ」(宮城野区東仙台一丁目9‐28)前夜祭「スタジオ顧問 大島幹雄氏による サーカス学講座」に 行ってまいりましたる

財団とか NPOとしてでなく 個人で…てとこが まず すんごくすごいこと(これから もしかしたらそういう形にしてゆかれるかどうかは わからないものの…)

先日 河北新報の記事にて「若い有望株が仙台から東京や世界に流出するのが悔しかった」と 所長 Hanachiyoさんと お連れ合いの もんたくん(お二人共 すんばらしいパフォーマンスなさる)が 言っておられたことばがあった

自分が自分が!て だけでなくて

今いる場所が そこの人たちが この場所で 繋がりながら 大きく育って膨らんで 盛り上がってゆくことを 見据えて かたちなしてこられたこと

素晴らしすぎて 震える

そして 大島幹雄さんといえば

パフォーマンスの 先輩たちや おともだちたちが 繋がってる方で

ご著書も 石巻学の冊子も 何冊か あって ずっと お名前は 存じ上げておったにかかわらず 

お会いしたことはなく(もしかしたら あちこち舞台や イベント会場におられたとき すれ違ったりしてたろう…)

震災後 助さん こと ドリアン助川さんと つながったとき

「道化パフォーマンスしてて宮城にすんでるのに なんで大島さんに会ったことがないのか!?」と 叱咤するような口調で 言われたことあったのよ…だってタイミングつうものが…なんて ぶつぶつ言ってしまったら

「いや でもきっと そのうち会えるよ」て 慰めてくださったっけな

会えましたよ 一昨日やっとこさ♪

機材の不具合で 予定の映像が映し出せぬ…という事態のおかげ?もあって

大島さんの たどってこられた道道のお話が 中心となり

「プランB」のこと(ああぁ!それ 行った行った!!)とか

ACCのこと(ずっと お知らせメール頂いてたっ!パソが稼働してた頃)とか

女性クラウンユニット「五人囃子」(ロシアから帰国して凱旋公演的なとき なななちゃんつながりで 観に行った〜!)とか

2022年に 戦争に苦しむウクライナの人たちを励まして 愛と善と平和を訴えよう!と 始められたクラウンパレードのこととか

懐かしさやら つながりのうれしさ 大爆発でした

クラウンパレード立ち上げのあたりの思い…理想を語り続けること 

人間の善と愛を信じる力

戦争に戦車で対抗するでなく 愛と笑いで 平和へと導くこと

平和へとむかうことは クラウンの使命でもあるということ

そんなあたりの言葉が 胸に染みた

いつも ぼやんとしつつも

みんな仲良くにこにこ生きあえたらいいなぁ…てことを 真ん中に あれこれ動いている自分も おんなじ仲間 て 思わせてもらっていいよね?て 

すごい人たちに 恐縮しながらも 思う

そうそう スタジオに訪れて うおぉ!と思ったこと も一つ

行って 早々に 尿意!のわたくし

トイレお借りしたいのですが…と 言ったとき Hanachiyoさんが 場所をおしえてくださったら 

すかさず ひとりのお子が 行く先を 指し示し ドアを開け 電気をつけ「こちらです」と ご案内くださった

その方は 帰り間際に スタジオの看板を 撮影していたときも「(わたくしが看板とともに写るように)撮影しましょうか?」なんて 言ってくださった

…ちょ この 気遣いの 素早さったら!

そして ほかの お子も わたくしの 恐竜ワッペン縁への着色雑さを ごまかすために チェーンステッチぐるぐるした ズボンを

「かわいいですねえぇ これ 自分でしたんですかぁ?」なんて 

ぽん♪と まっすぐに 話しかけてくださったの…

スタジオで アクロバットなどの 稽古受けてる お子たちだったのだけど

技だけでなく 心も 耕され肥やされとる!!と 感動したのでした

素敵だ

素敵だぞ

ここからぐんぐん わくわくが 育ってるぞ

これからも 心と身体すこやかに 大きくなってほしいぞ〜!と

うれしくて 夜空に 拳振り上げてしまった

東仙台駅から 歩いてすぐ

お車の方は 駅のすぐ近くに 24時間 停めても 300円!という うれしい 有料駐車場あり

ぜひぜひ ワクワクの種が 育つところ

盛り上げて 応援してほしいですわ〜

 

差し入れに選んだのは

2025 年 2 月 17 日 月曜日

昨日 差し入れ 食べ物部門に 選んだのは

かわカフェさんの ドリップコーヒーと 猫神様の クッキー

家で食べる用の ミックスサンドなども 合わせて 購入

かわカフェさんの シフォンケーキ 大好きなのだけど

今回は 懐具合の関係で 我慢

そして かわカフェさん 駐車場にて 差し入れで お渡しするために 袋入れ替えしようとしたら

あれこれ 取り落として

あれれ コーヒードリップバッグどこにいった!?と 車の中で あたふた

いただいた袋を リュックのファスナーに 噛ませてしまうわ

演奏時間に間に合わないかも…と 焦るわ…で 

結局 すべてお渡しできず

みっつは 我が家で 楽しむことにした

…何やってんだかな

でも また 改めて シフォンケーキも 買いにまいりますで

どうか すこやかかわゆくておいしくてたのしいの

作り続けてくださりませ

たまごのちから

2025 年 2 月 13 日 木曜日

かつて TAP SHOTSで 共に パフォーマンスしてた ゆきひめの お連れ合い「石さん」(わたくしが勝手にそう呼んでるだけ)が 関わっている 平飼い卵 養鶏場さんが クラウドファンディング 始められたそうです

たまごのちからを 余す所なく 届けて 人々を 健やか元気にしちゃうぞ♪てなやつ

なんか 楽しく美味しく暮らせそう♪て 思う方も多いからか

なんと 目標金額は達成されてますが

実は まだまだ 実現させたいこともあって

それには もっともっと お金が必要らしいですの

ネクストゴールも 近々設定か?

リターンも いきいきな 卵とか

商品化させた サプリメントとか

なかなか素敵な感じ

よかったら のぞいてみて

支援してみてくだされ〜

↓↓↓↓↓

https://camp-fire.jp/projects/813906/view