2019 年 3 月 のアーカイブ

オープニングイベントへ

2019 年 3 月 31 日 日曜日

思いがけない 名残の雪で

「お足元ご注意ください」状態ですが

本日の 野外イベントやるかどうかの判断は

7時半

わたくしが決めることではないので

まずは 現場に向かいますさ

どんなでも 楽しいひとときにできたらいいのだぁ

豪雨の公園で

かぶりものショーをやったことあるもん

台風なのに テント控え室で パイプ椅子の上で 着替えたりしたもん

それを思えば なんてことなく思えたりもする

経験値か

わはは

ちょいと 道を 間違えて いったん別のとこに行っちまったが

なんとか着きましたる

雪 降ってても やります てよ

さすが 石巻

総合運動公園「子ども広場」オープニングセレモニー

しかし わたくしの 確認ミス いくつか

音源のこと 伝わっておらず(現場の方が なんとかしてくださった) とか

控えの場所なし(車中 お着替え)とか

食料は お外で調達せねばならず(菓子だけど 持っていって良かった )

でもまぁ 雪もやんで

がっつがつと 突っ込んでくれる お子たちと たのしくあそびましたとさ

午後も ショーは 1時半から

それ以外も 若干 うろうろっとします予定

しかし ロープの ジャングルジムの てっぺんに のぼるのは

勘弁

「ねぇ ピエロ~ おいでよ~♪」ていわれて 途中までは行ったんだけどね

も少しゆるんとしてから 行くかなぁ(あんまりゆるんとしてるのも まずいので…)

のりっのりの お子たちと

たのしかったよ~

ちょ としたすれ違いを めぐる

ぐるぐるに

ちみっと へとへとしたので

頭冷やしに

何故か 野蒜海岸

こんな 雨ぱらつく さっむい 時でも サーフィンやっとる 強者がおる

…まぁ わたくしとて そんなときにサーフボード持つわけでもなく

長靴はいて ざぶざぶ 海に入ってるんだから

気が知れないものの1人だろうが

鼻水垂れる前には 帰ります

健診について

2019 年 3 月 30 日 土曜日

以前 わたくしも なんのことわりがきもないので
角田市の総合検診の申し込みを
車椅子の母の分も 申し込んだ
一応「車椅子なのですけど」のメモ書きも 同封した

そしたらば 総合検診は おっけだったものの
結核検診やら 胃がん検診は できません とのこと

それ 現場で言われましたのよ

返信封筒に 余計なメモ書きいれても 読みません…てわけではなかったとおもったけど
なんの返信もなく 現場にて…てのは
ちょっとだけ 予測していたけど
がっかりした

母は 疲れるだけだし 受けられなくてもいい と
反論もしたがらず(わたくしがそこで反論して 波風もたててほしくない風)
そのまんまになってしまった

「仙台にいけば 車椅子の方もうけられるところありますので」
とのことでしたが
それも 実費で ときいて
多少 置き去りにされる人がいても 構ってられないような空気
腹立たしいようなかなしいようなまんま
わたくしも
引っ込めてしまった

でもこういうの 諦めて 投げやり放置になってはいけないよな
「うちはもういい」と 諦める人 いるとしても
これから そんな残念な思いする人 いないほうが 絶対 いい

いろんなひとがいても
いろんなパターンを 思い巡らせて 解決に向かう しなやかさがほしい
自分も

森正義さんという方の投稿シェア

↓↓↓↓↓

仙台市当局が動いた。

仙台市の車いすの障害者が市の肺がん・結核健診を受けられなかった問題で、市は新年度、同健診の一部会場でリフト付き検診車と専用車いすを活用する方針を固めた。自力で立てない車いす利用者が一部会場で受診できるようにする。
 市健康政策課によると、委託先の宮城県結核予防会(仙台市)が、少なくとも市内5区の各1会場にリフト付き検診車などを手配する。車いす利用の受診希望者には各区に事前相談してもらった上で、日程と会場を知らせる。
 予防会の検診車13台のうち3台にリフトが付いている。座った姿勢で胸部エックス線検査を受けられる専用車いすも1台あるため、新たな予算は不要という。
 自治体の肺がん検診については、宮城県内では仙台市など29市町村が県結核予防会に委託。車いすの障害者など個別の対応は、各自治体が決めている。
 現行の肺がん・結核健診では、1人で立てない障害者が胸部エックス線検査を受診できないため、市内の車いすの男性(67)が改善を訴えていた。市健康政策課の担当者は「男性の要望を受けて改善することを決めた。車いす利用者は市に相談してほしい」と語る。

武蔵小金井を目指す

2019 年 3 月 30 日 土曜日

稽古翌日

金曜日

武蔵小金井駅を 目指す

…が しかし 終点が 三鷹の電車だった

わわわ と 乗るべき電車を 探して

ほっとゆるんで 降りようとしたら

武蔵…じゃなく

東の 小金井

あわわわわ

浮わついてました

これまた 久しぶりに 大切な おともだちたちに 会える うれしさに…

まず会えたのは たかっちゃん

25年前

わたくしの 生きてきた道のりの 重大通過点のひとつ

「日韓マイムフェスティバル(のちのアジアマイムフェスティバル)」於 東部町(現 東御市)にて 出逢った お方

日本の ブルースミュージシャン先駆け的なとこに おられる?(福島タンメン岩男氏の CDに 30年くらいまえ?の たかっちゃんのサキソフォン音源が おさめられてるそうだ)

その界隈では「すごい」とか いろいろ知らずに

出逢ってすぐ うあぁ 好きだぁ て うれしくなった人

その頃 パントマイム お師匠 はとちゃんまんちゃんの 舞台の劇伴も しておられた

時折 くれる ことばに

心の 窮状を 救ってもらってた

昨年辺り 病を得たとのことだったけれど

見事に リハビリ重ねて

毎週月曜の 荻窪ルースターズでの定期セッションライヴも 復帰

飄々と「極楽トンボ」ぶりのまんま おられる

「地図見るの 得意だから」てんで

目的地までの 分岐点 まるっとお任せして

はしゃいでお喋りしてたら

見事に 道を見失った

こっちぢゃね?

「いや こっちのはず」とか

うろうろな気持ちになるのも

なんだか楽しくて

迷子って愉快だよね なんて 笑い合う 大の大人ら

おかげで 目的地みつけたときの うれしさ なん十倍にもなりましたる

ぐるっと回って 辿り着いたは「にしまきごはん」

真紀ちゃんも マイムフェスティバル周辺で 出逢った人

1994~1999年…あの六年…9月の頭の10日間程 同じ舞台目指して 合宿的生活 同じ釜の飯仲間

役者だった!?

バリダンサーだった!?

音響スタッフだった!?

デザイナーもしてた!?

情報は ちょこちょこと あったものの

出逢ったときから とても 自分の速度とかリズムに 正直に向き合う すがすがしいほどにまっすぐな人だ♪てな 印象

とあるときから 自分のからだが 動物性のものに 拒否反応を示すようになった…とかがきっかけだっけ?

それから じっくりと 食べ物素材について

向かい合ってきたのだろうな

本当に 健やかで 安心で おいしいものに 向かって歩みを進めてきて 今の形に 結んだ

そのあり方が また 気負ってなくて 心地よい

前身 アパートの一室の「にしまきごはん」のときも

かなり 奥まった 住宅地なのに

健やか安心を求めてやってくる人たちで 行列できていたっけな

現在は 民家りのべーしょん

初めて来たのに 懐かしい空気

だっこちゃん連れた ママたちも やってきて くつろいで

だっこちゃんたちも にこにこ はいはいしてて

他のおきゃくさまたちも にこにこ それを眺めてる

「居心地よすぎて 帰りたくなくなる」と おとなりの おきゃくさまが 声をあげる

わかるわかるわかる~♪住んじゃいたいっすよね なんて 応えちゃう わたくしたち

見知らぬ同士で 交わし合う ことばもきもちも あったかい

今回 真紀ちゃんのサポートに 入っておられた 若衆は

琵琶奏者でもあるとか?

やはり すごく 気持ちのいい方で

たのしんで 立ち働いておられる感じ

食べ物は もちろん ちゃんとちゃんとちゃんと おいしい

あむっ てすると 細胞核 にこちゃんまーくになる系

「からだよろこんでるの わかるよね」て

今言いたかったことば たかっちゃんが 発する

「やっぱりなんだかんだいって 愛だよね」なんて 言い合って

深く頷く

同じ食材(大豆ミート)が こんなに深く豊かになるなんて…と 前日の「おされ」なとこが 霞む

あれもこれもすべて食べたい 欲張りな わたくしにも

ちゃんと いい具合に 添うてくれる

デザートも やさしかったよ おいしかったよ

お値段も やさしいんだよ

真紀ちゃんと たかっちゃんとの やり取り写真

今回の 自分的 最高の瞬間

そこに満ちてるもの

やっぱり 愛なのだよね

しかもたくさんの人に愛されてる…

「すごいよね 自分がやった訳じゃないのに 誇らしげに ここともだちともだちとか言っちゃうんだよね」また おんなじこと たかっちゃんがいって 笑ってる

がんばってね またきてね またくるね

たっぷり遊んだ 幼い頃の 夕方みたいな気持ちで

手を振り合った

帰りの電車のなかで「あんなに食べたのに もうお腹すいてるよ なんだろね すこやかにちゃんとしょうかしたってことだよね」て

また 笑った

さて金曜の 帰路につく前

「帰り大丈夫なの?」て 言われるまで

時計も見ずに 楽しんでおりましたもんで

あぁ 青春18きっぷ だから 鈍行帰宅可能最終電車は

上野発の 16時何分だったか…なんて

のろりと 応える

帰りたくない半分…

帰り道に しっし~と 小山さんの JULESVELNECOFFEEで 珈琲豆買って帰ろうと思う と言ったら

「あっ 僕も 豆買って帰りたかったんだ」とたかっちゃん

今度は 迷子にならないでいけるよね~なんて

「にしまきごはん」から 武蔵小金井駅へ

しかし 電車に乗ったら

「まっすぐ上野行っても ヤバくないか?豆買ってる時間無いと思うよ…いいの?」

もうここまできて こんな楽しい気持ちでいて

マイムフェスティバルをめぐる 宝物の人の1人でもある しっし~んとこにも寄らず 急いで帰るなんて

残念すぎるし

部分新幹線用いた方がいいかと思う なんて

あとへは引かず

「ま それがいいよ 慌てず ゆっくり」と

高架下を 歩く

決めてしまえば 急ぐ気持ち 霧消して

うきうき

フルーツサンド目当ての キラキラおねえさん ぎっちりの 午前中とは ちがって

だいぶ しっとりと 落ち着いた空気の 夕方前

その日の 特別クローズの 5時まで みっちりと ゆったりさせてもらいましたる

「なごむねぇ あのマイムフェスティバルで出逢ったひとたちって なんだか 今でも家族だもんね」と

変わらぬ 思い

また うんうん て 頷く

ここでもまた

またね またきてね またくるよ がんばろね♪て

手を振った

「たのしかったから ゆっくりお帰りよ…て 僕が言ったんだから」なんて

新幹線代の こととか

おとうちゃんかっ!?の たかっちゃんに 甘えてしまった こどもかっ!?の わたくし

なかなか 何かのついで以外には 会わなくなってしまったりしがち

大好きな人たちに 会って 食べて お喋りして 笑って…

なんて贅沢な一日だったんだろう

まさに 黄金の一日 金曜日

ありがとう

また がんばれる

たかっちゃんも 来る ステージの数々 たのしんで たのしませてね~♪

「また 生きて 元気で 遊ぼう」てことば

染みた

あくまで「イメージ」

2019 年 3 月 30 日 土曜日

大都会の真ん中的なとこ

「西海岸のカフェ」を イメージしたという(宣伝文句は「インスパイア」てな言葉を用いてました)

おされ感 最大音量大爆音な とこに 連れてってもらったが

緑 いっぱい 置いたり 吊るしてあったり…なのに

なんだろ?この 生じゃない感じ

本物 緑と フェイク 緑 混在なのかな

お水は セルフで いろんなものが 浸してある「デトックスウォーター」サーバーから

セロリ水リンゴ風味

キュウリ水

レモン水

グレープフルーツ混在柑橘水…とか

それらが横文字でかいてありました

健康と美は 身体の中からという「コンセプト」だそうで

コールドプレス オーガニック ヴィーガン …

そのあたりの 横文字も いっぱい

いくつか 支店があるようで

駒沢にある お店は 地元の農家さんとも 繋がってて

も少し 土の息づかいとか あるのかもしれない

有能補聴器オーティコンアジャイルプロライトミニさん装着してたせいもあるかもしれないけど

BGMも 結構な 音量で

お話ししたいときは ちと ツラい

都会のど真ん中のオアシスの「イメージ」

あくまで イメージ

…ふぅ

お江戸の桜やら

2019 年 3 月 29 日 金曜日

新宿の 西の方?

常圓寺てなとこ

桜 ほぼ 満開

しかし 東京の桜は 満開です というほどではなく

場所によって 全然違う

なにごとも ひとつのことで

とりまとめちゃったり

わかった気持ちになっちゃいかんのだわよ…なんてなことを じわりと 痛感したりもする 周辺の出来事もあり

ま とにかく 生まれいづる 思いの数々を

丁寧に なでてみる

大きな 桜の 満開を 見た という できごとではなくて

そこに そよいだ 風の 気持ちよさとか

共に いられたこと

ひらり と あしもとに 舞い降りた はなびらのような

ひとひらの 思い

そういうものを 大切にしたいのだ よ

すれ違いながら

そんなことを思う

都会の 喧騒 掻い潜り

ふわりと 鼻を掠める

甘い風

吸い寄せられるように辿ったら

あぁ ひいらぎなんてん

かつて あがりえおっちゃんと 大塚にて 実験稽古の帰り道

「なんか 甘い香りがするね 香りを辿って 歩いてみようか」なんて やってみたら

大の大人が 二人して 道に迷うという事態

なかなかできないよねこんなこと て 笑いあった愉快な思い出

あのときの花が なんだったか 忘れてしまったけど

それはもう どうでもよくて

そんな ひとときを 過ごせた 宝物時間を 思う

今もうここにいないことが 嘘のようだ と 今でも 思う

いや 思えば いつだって 胸のうちに いてくれてる とも 思う

現在時刻に 別の時間が 流れ込んできたようだった

花に 呼び覚まされたんだな

昨日の ハトリミームラボ

第一稽古では からだの分解 また 初心にかえりつつ

甘えたからだの

弱点と 癖と 見直しながら

地道に 着実に なぞった

合間の 雑談から生まれる アイディアや 愉快な提案も

貴重な 種の ひとつひとつ

夏の お化けテーマスタジオ公演…なんて 叶ったら楽しいなぁ

第二稽古は「いつも」の 居酒屋が いっぱいで 入れず

新境地開拓

それがまた 素敵な お魚居酒屋さんで

今後の「お馴染み」に なるぢゃろか?の たのしみ ひとつ

ためになる話も

とるに足らないような話も

わらいあい 居合わせられることの しあわせで

まるっと 包まれる

次の一足への 原動力を ひそかに充填してゆくようなひととき

以前のように 頻繁に こられないとしても

また「いつも」のような顔して

参加させてくだされ

ありがとうござりました

お写真一枚 明日可ちゃん撮影の いただきましたる

すまぬ 出かける

2019 年 3 月 28 日 木曜日

数日 父が あまり体調よろしくない感じで

肺気腫方面の はひはひだけでなく

また 昨年の夏の 二の舞的なことに 入り込むのか?と

ひやひやしながら

一昨日は なかなか昼寝から起きてこない父のところに

吸い飲みに 冷ました 焙じ茶を 恐る恐る持っていったりもした

どうにか やり過ごせそうでもあり

ひとっぱしり 山抜けて 買いに行った ほやも

ぺろりと 食べてくれた

もうよろしかろ

んで 昨日

ちょいと家あけるね と 然り気無く 言って

絶句されたりもして

わはは

すまぬ

ふれ〜ふれ〜

2019 年 3 月 28 日 木曜日

これまでのことなんて 忘れてしまうんだろう

それでも いいんだ

踏み出してゆけ

のぼってゆけ

出逢ってゆけ

もしも 道程に 困難が 待ち受けていたとしても

振り返れば

おひさま輝く原っぱが あるよ

あなたを 見守る目 すべてが 愛ある笑顔だったんだよ

その日々が 足元を 背中を 支えているよ

ふれ~

ふれ~ と

手を振る

初燕

2019 年 3 月 27 日 水曜日

運転していたら

つい と

横切った

あの 飛びかたは!

燕だった

去年より 早いな(わたくしが見つけたのが早いだけかもしれないけど)

初燕

うれしくなる日

はみるとんさんベルト補修

2019 年 3 月 27 日 水曜日

ベルトが 壊れてから 何ヵ月も つけぬまんまでおった 機械式時計 はみるとんさん

やっとこ 修繕に 着手いたしましたる

修繕といっても

かなり 適当に 革を 切りはぎ縫いしただけ

フランケンシュタインとか ブラックジャックなど ふと 浮かべる

やはり 雑適当なもんで

おっこりゃいいぞ♪と 思っても

そう簡単に 素敵なことにはならず

なかなか刺さらぬ 針が

むしろ 刺さってほしくないとこ(指とかね)に 刺さったりとか

太くて入らないとか

嵌めたら最後 永遠に外せないのでは?と 思ってしまいそうなきつさとか…

血塗れて

どったばた

でも なんとか かたちになりましたる

そのうち もすこし馴染んでくれるであろ

不格好だけど 愛着 増し増し

これからまた よろしくね

片手で 折り紙

2019 年 3 月 26 日 火曜日

わたくし 昔 折り紙がすごく好きだった

こことこ とんと ご無沙汰だけど…

母は

ちぎり絵の お教室やってたけど

もともと折り紙は 好きではなく

今まで デイサービスで やってきた 折り紙は

「片手じゃ 折らんねぇおん ただやってもらったって さっぱす おもしゃぐねぇ」と

不満で ぷんむくれ

残念な 感想ばかり

つい先日も ちぎり絵の教室 自主練で 待っていてくださる生徒さんに「もうすべて手を引くから 別の方 先生として引き継いで やってほしい」と 申し入れたり(しかし 生徒さんたち「こられなくても 五十鈴先生と 繋がっていたいから このままの形にしていてほしい」などと あたたかなお言葉 くださった)

好きだったはずの 短歌詠みも

しぶしぶいやいや風

なんだか あれもこれも 停滞気味

しかし 数日前 手伝ってもらいながら 折った 鶴を 持ち帰り

「また 折られるようになってみっかど思って」と

今でにない 手応えあること いってきた

でも 手伝ってもらわないとできないし「あんだ 忙しいべがら…」と 引っ込めた

きけば 折り紙ボランティアさんは

季節ごとの 素敵なテーマで やってくれるものの

みんなでおんなじものを折りましょう とか

片手では やれないでしょうから と 折ってくれちゃったり

全面的 サポート手伝いしてくださってるらしい

片手でも折れますよ を 見せてくれてるわけではない

片手でだって ある程度 できるはず

何をどうサポートすべきか しなくてもおっけなのか

まず 己でやってみた

両手使えるものが 片手でやることと

からだの事情で 半身不随になったのとでは 勝手が違う と 言われてるけど

片足で立つことより

片手で何かすることの方が

まだ 可能性は いっぱいあるはず

折り紙引っ張りだし 片手のみで 鶴を 折ってみた

苦戦するポイントは あれど

やれんぢゃん♪

それぞれの指先と てのひら 手首の ポイントを 活用するのぢゃ

時には 口もな

さっそく 今朝 共にやってみた

コツを 伝えるとき以外は 母の 折り紙には 添える手さえ 出さずにやった

やれた

かなり 大雑把な 性格が 仕上がりにも出たけど

いやがらず

もうこりごりともいわず

「もすこし 練習が必要だね」なんてなことまで 自分で言ってた

おおおぉ♪

なかなか の 展開

倒れて 左半身不随になってから 5年と半年

停滞ばかりでもないのだな

希望の光のひとつだ

いいぞ♪