‘言の葉’ カテゴリーのアーカイブ

ゆっくり 分け入ってみる

2025 年 10 月 26 日 日曜日

昨夜 顔本にて 

朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』の 出演者でもあり
すんばらしき舞台人であられる 志賀澤子さんの シェアから 知りましたる この動画(facebookにての表示なので 登録してない方 みられなくてごめんなさい)

https://www.facebook.com/share/v/1FWfU2KDfV/

歌の言葉全ての意味は わからぬものの
「パレスチナのためにきいてください」という 呼びかけがありました
歌声の広がり 深みに うたれた

はじめに呼びかけのように出てくる「camardana」は スペイン語かな?

「同志」という意味の「camarada」に通じるよう(まんま調べても 同志 と 出てくるけど 変化してるものかも)
歌の中に出てくる言葉 venceremosは
やはり スペイン語で「私たちは勝つ」という意味のよう
ガザで苦しむひとたち
パレスチナに 思いを 馳せながら 聴く

そして 少しずつ 意味も 調べていこう(画面をとめて 書き写して 調べていく方式)

きっかけから 扉を開いて

分入っていく

そんなことを思う

んで ズボン 繕ったら 出かけよう

11年前の自分に

2025 年 8 月 17 日 日曜日

顔本で 調べ物をしていたら 
九年前の 今日の 己の投稿に 行き当たる
…そうだね 息 ととのえよう
カップは 今 4つも 出さなくていい
あの何気ない ひとときも
得難く有難い 奇跡だったなぁ と 思うなら
まさに今も 奇跡なのだから 
大切に 過ごしていこう…今日こそ 洗濯するぞう!…珈琲のんでからね

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そんなことば 選ばなきゃいいのに

あぁ

ものの言い方

ものの言い方

伝わる思いが

届く前に

心ささくれ 逆撫でられて

みんな 心を閉ざしちゃうよ

「今更 変えられないよ」なんて

本人まで 閉じてしまって

沈黙ばかりが 膨らんでゆく

でもさ 根っこの思いに気づいているなら

ものの聴き方

ものの聴き方

ぶつかってきた ことばを越えて

その思いを 掬い上げればよい

そうして 受け止めて

届かなかった誰かにも 受け渡してゆけば

なんのこたぁない

みんなでこぼこ

人は 思い通りになんかいかないのさ

んだらば 人でなく

おのれの 思いの 通り道を 

ちみっと変えてみるさ

余裕がないときもあるけどさ

まぁ やれるときは

そんなこんなして

自分が楽に思えるところに いけばいいや

咳払いひとつ

息整えて

それぞれのカップに 珈琲を注ぐ

濃く 薄く

2025 年 6 月 29 日 日曜日

きのう

薄暮の頃

ゆっくり 夕焼けを見たくて

道を曲がった

山の端の

柿色の

…いや 喩えずに言えば 暮色の

濃く薄く 変わりゆくのを ほうけたように 見ている

好きな時間

気づけば 2.7歳の おつきさま

目で見た印象のほうがずっと美しいのになぁ と 言いながら 写して

でも こうして 書き表すのは 現の 無様さが 薄まって うつくしげになっているかもなぁ なんて 思ったりもして

濃く 薄く 

暮らしていくことを 思い あらわす日々

「風呂を◯◯する」

2025 年 2 月 9 日 日曜日

今朝 

風呂の残り湯もあるし 洗濯するぞ〜 宣言

即座に「洗濯しろっ」と あんちゃの 返答

またもや 日々の 牛太郎(去勢済 16歳)しっこで おねしょシーツ もりもりに溜まって 脱衣所の床が見えぬほどですしね

なんと 昨日は 布団の中で うんこもしてくださり

いやはや うんがいいぞ あ〜こりゃこりゃ と うたって 笑っちゃってました

昔は 最後に風呂 入って 洗濯して ついでに 風呂掃除までもしてたけど

夜洗濯すると

その分 長々 電気つけていることになるし

すぐに干すのは 難しいし

やはり

朝に改めて 洗濯したほうがいいよねぇ とも思うのだよ 

…とかいって 風呂あった翌日でも 洗濯しないこともあるけどね

で ふと 風呂に関する言葉「風呂あった」に 気持ちが留まる

風呂桶は 造り付けてあるわけだし

要するに 風呂に入れるように 湯を溜めること てのは 誰でもが 察してくれる

でも この間「風呂汲んだ」という言い方した時に

「どっから汲んでくるん?」と 突っ込まれ

あぁ「汲んだ」は 適当じゃないかな 

昔から「風呂たてる」て いってたけど 

昔住んでたいえで ガス風呂沸かし器を設置してからは「風呂沸かす」ても 言ってたっけな

今 正確に言えば ボイラーで沸かしたお湯を 風呂桶に「溜める」かな と あれこれ思い巡らせてたけど

べつに そこまで 詳しく 求められてなかった

ははは

…とかなんとか どうでも良さそうなことを 転がしてから

さぁてどっこいしょ

洗濯大会始める

『水をめぐるおもい』に 立ち返る

2025 年 2 月 4 日 火曜日

吐き出すと

忘れ去ってしまう

でも あるとき 英利ちゃんが わたくしの言葉をシェアしてくれて

思い出したのだった

自分の思いに

その思いを 掬い上げてくれたことに

救われたんだ

とおくいってしまった その 存在にも 

近く 慰められ続ける

いつも今時分 うみのくるしみやおのれのふがいなさにぐるぐるになりがちなので

2月4日を『水をめぐるおもい』に 立ち返る日にしようとか 思う

大丈夫だ

つないでゆける

どこかで咲いてくれ

2024 年 11 月 22 日 金曜日

思いは 放った

ここではないところでいい

どこかで咲いてくれたらいい

伝えてくれなくていい

ふ と 笑うように

それを見た 誰かも ふぅ と ほどけるように

そうして つないでいってくれたらいいから

かつて救われたこと

2024 年 10 月 29 日 火曜日

これは 十年前の今日の投稿

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頭の中が 騒がしくて

吐き出さずにいられなくて

でも 気取ったもののいいをしてしまって 自己嫌悪に陥ったりして

でも やっぱり 言葉に形に作品に結ぶことで 己が救われるかもしれないという 焦りがいつもあって

…そんな中 みおさんが いつも ちょ と した コメントや メッセージを おくってくださって

それが きっかけで すくいあげてもらえたことを 思い出す

自分の中で 言葉の 気持ちの 恩人の一人として

いつもいつも 心に留めているのだ

昨日 生誕記念日だった

またね て 言い合ってたの

きっと違う形で またね

あれ まてよ いまも みていてくれてるかもな てことも 思いながら

心温まる思いになるんだよ

ありがとう ありがとう

そして 顔本に みおさんがくれた コメント

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『山羊の歌』より

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
――――
汚れたと嘆く人は、心がベッピンさんなんですよ、文子さま。

↑↑↑↑↑

そこへ わたくしが返事をしたもの

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う…山羊の歌といふうたであったとは…
きちんと読んでなかったのだか
忘れ去ったのだか…
本棚からまた 出してみるか…

誉められたような と 喜ぶと
胸のうちの ちみちみさんが 出てきて
いい気になってんぢゃねぇよ!と
ほっぺやら あちこち ちみちみつねられるきぶんになる…なんだか めんどくせえ 自分の心持ち

↑↑↑↑↑

突然の 見送った知らせから 2年

今でも 救われ続けてるよ

ふざけてたわけじゃなかった

2024 年 10 月 29 日 火曜日

これも 以前投稿したことある話だけど

ずううっと昔

ばあちゃんが 出してくれた 謎の野菜(漬物だったのかな?記憶 朧)

こいづなんなのやぃん?と 訊いたら

含み笑いしながら

「ちゃよてぇ〜」と 応えてくれた

でも いつも「おだって」る ばあちゃんだったので

冗談かと思って

えええ~?ちゃよてぇ〜なんて 変なの ほんとは違う名前あるんじゃないの?と 言ったら 

こんだぁ「ちゃよてい」と ふざけて 気取って 真面目に言うふり風に 言うので

内心 信じられなかった

よく言う「ばあちゃん造語」「森家独自言語」(そういうのたくさんある)かと思いながらも

「ちゃよてい」…と 少し 標準語っぽい方の 言い方で 把握していた

んで そんなこんなも すっかり 忘れ去った 20数年前だったか

近くの お店やさんに 見慣れぬ うすきみどりの 赤ちゃんグローブみたいな野菜が置いてあって「チャヨテ」と カナカナ表記してあった

うおおぉ!

あの名前は ふざけていたわけではなかったのか と けっこうな 衝撃

ハヤトウリとも呼ばれている 瓜の仲間…とはいえ スミレ目 ウリ科 ですってよ「ちゃよてい」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%AA

思わず買ったけど 

うまい具合に 料理できなくて 家族らに 不評だったっけな

ばあちゃんが言ってた という 懐かしさ以外に 食べたい気持ちも さほどなかったけど

先日の 豊穣庵 収穫祭から 帰る間際

よっちゃんから「野菜持って帰らない?」と

たんぼ祭壇?に 奉納してた籠の中の野菜を くださった

その中に ちゃよてい ごろごろっと 5個

わ〜♪うれしひ

お野菜富豪にならせていただく

以前みたいに がっかりされたくない

どうやって 調理すりゃ みんなも喜ぶか…と 

あく抜きも 丁寧にして(ここをはぶいて 不評を招くこと多々あり)鶏肉 椎茸とともに 炒め煮にしてみた

んまぁ♪

火入れしても シャキシャキ感 残ってて

母も あんちゃも 箸がすすんだ

こりゃ 今後も やりたい食べたい おかずになったぞ

いただいた お野菜の中に 冬瓜もあって

これは 昨年の 豊穣庵 収穫祭に 出店なさってた 武藤農園さんから 初めて まるまんまで 買って 

ふろふき大根ならぬ ふろふき冬瓜にして 好評だったので

安定の ふろふき冬瓜にした

「返し」が 甘めになってしまったのが ちょ と 納得いかなかったけど

むしろ 母と あんちゃは そのほうが食べやすいみたいだ

もっと薄い 塩味にして

甘味噌たれつけて 食べるのもいいかな

未調理のは あと 三分の一しか 残ってないけど

そうしてみよう

食べながら 次の食べ方を 浮かべるなんて

食いしん坊バンザイだ

収穫祭 おかげさまの 食卓(フライにした 薩摩芋も いただいたもの)

ご馳走様でした

はじけてた

2024 年 10 月 22 日 火曜日

綿の実

はじけてた

うれしい♪て

胸の真ん中から ぽん て

気持ちも はじけるみたいになった

まだ 蕾も あるって

そうだね

咲けるなら 咲こうか

もう 秋だとか 寒いとか 歳だとか

いろんなこと 置いといて

咲けるとか 咲けないとか も 手放して

蕾を 

思いを

いだいてゆくよ

手紙を書く

2024 年 10 月 7 日 月曜日

値上がりしてから 手紙を書く用事が 畳み掛けたりしてて

そのたび

三段跳び的 値上がりだなぁ て 思う

手元に 五十円切手なんてものもあり

何年前だか!?だね

そのうち 今の値段にも 慣れるのでしょか?

ここ数年 思っては 実行とまで言えぬこと…

手持ちのレターセットや 葉書や 切手を 使い切るほどに お手紙を出そう キャンペーン

改めて はじめたい

…しかし だ

手紙書くのが好きなはずなのに

なかなか 億劫になってるのも確か 

なんでだべ?と 思い巡らせ

先ほど 一通 書いてから思ったのは

思いが 溢れんばかりにあるのだが

ことばにする能力が そこに 追いつけてない感じ てのが 大きいのかもしれない

ことば尽くしても 余計なことばかりな気がしたり

足りないと思ったり

思いの重量や 輪郭に 

ぴた て あった感じに 届くに

なかなかなかなか 難儀なのですわ

概ねの よし は あるけど

でも なんかちみっとちがったよね…と

あとから 思い返したりして

ああぁ

先方は さほど そんなん 気にしないとしても だ

そんなん こだわったりしても 

こだわったことじたい 大したことじゃないのも わかっとる

でもでもでも

思いを なるべく そのもので…しかし 気持ちよく表したい 届けたい てことを

自分の中で 大切だ と 思っているということなのだなぁ

てことを 改めて てのひらにのっけて 眺めるように 思う

仕事であるとか ないとか 関係なく ね

いや しかし 封書に用いていた切手が 葉書に足りなくなる日が来るとは!と

ちみっと 毒づきつつ

出かける前に もう一通 書けるかな?