‘言の葉’ カテゴリーのアーカイブ

沖縄慰霊の日に

2026 年 6 月 23 日 火曜日

内海信彦さん という 美術家で 社会問題に対する発言などされている方が 紹介しておられた

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沖縄全戦没者追悼式で、「生きたいと願った証」と題した詩を朗読したのは豊見城市立豊崎中学校2年の亀谷琉奈(るな)さん(14)です。

【平和の詩「生きたいと願った証」(全文)】
あの日の沖縄には
青い海も
優しい風もなかった
空は黒く
地面は揺れ
人々の叫び声が絶えなかった
爆撃の音が
心まで壊していく

まだ若かった曾祖母は
小さな体で必死に走った
血だらけの道を
倒れた人たちの横を
もう動かない人を見ながら
涙を流す暇もなく
ただ生きるために
そして
愛する夫の命を案じながら
「お願い 生きていて」
その想いだけを胸に
足がもつれても
呼吸が苦しくても
転びそうになっても
前へ前へと走った
しかし
その願いは
もう二度と届かなかった

その時のことを話す曾祖母の声は
今でもとても優しい
でも 私は知っている
その優しい声の奥に
今も消えない悲しみがあることを
細い足
しわしわの手
小さな背中
長い年月を生きてきたその姿を見るたび
私は戦争の重さを感じる
そして
曾祖母の右足には
今も傷が残っている
それは
戦時中 自分で引っ掻いた傷
灰色の空の下
爆撃の音が鳴り響く
恐怖と不安でいっぱいになり
右手に握った石で
自分の右足を何度も何度も引っ掻く
気づけば手も足も血だらけだった
私が真実を知った時
胸が締めつけられた
どれほど怖かっただろう
どれほど苦しかっただろう
生きたい
死にたくない
その想いだけで
曾祖母は必死に生き延びた

戦争は人を傷つける
体だけじゃない
心まで壊してしまう
家族と笑う時間
友達と過ごす日々
「また明日ね」と言える幸せ
そんな当たり前を
全て奪ってしまう
でもそれは
当たり前なんかじゃない
血と涙の中を生き抜いた人たちが
命を繋いでくれたから
今の私たちがいる
もし曾祖母が
あの日 走っていなかったら
もし
あの日 命を落としていたら
私はここにいなかった

曾祖母の右足の傷は
ただの傷じゃない
「生きたい」と強く願った証
「戦争は二度としてはいけない」
という叫び
私はその想いを
これから先も伝えていく
もう誰にも
血だらけの道を
走ってほしくないから
もう誰にも
愛する人の命が奪われることに
怯えてほしくないから
もう二度と
沖縄の空を戦争で
染めてはいけないから
平和は当たり前じゃない
たくさんの人の涙と苦しみと
「生きたい」という願いの上にある
だから私は忘れない
沖縄戦で苦しんだ人たちを
愛する人を守ろうとした想いを
泣きながら生き抜いた人たちを
そして
曾祖母の右足の傷を
「生きたい」と願った証の傷を
平和な未来へと繋いでいくために

ゆっくり 分け入ってみる

2025 年 10 月 26 日 日曜日

昨夜 顔本にて 

朗読紙芝居劇『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』の 出演者でもあり
すんばらしき舞台人であられる 志賀澤子さんの シェアから 知りましたる この動画(facebookにての表示なので 登録してない方 みられなくてごめんなさい)

https://www.facebook.com/share/v/1FWfU2KDfV/

歌の言葉全ての意味は わからぬものの
「パレスチナのためにきいてください」という 呼びかけがありました
歌声の広がり 深みに うたれた

はじめに呼びかけのように出てくる「camardana」は スペイン語かな?

「同志」という意味の「camarada」に通じるよう(まんま調べても 同志 と 出てくるけど 変化してるものかも)
歌の中に出てくる言葉 venceremosは
やはり スペイン語で「私たちは勝つ」という意味のよう
ガザで苦しむひとたち
パレスチナに 思いを 馳せながら 聴く

そして 少しずつ 意味も 調べていこう(画面をとめて 書き写して 調べていく方式)

きっかけから 扉を開いて

分入っていく

そんなことを思う

んで ズボン 繕ったら 出かけよう

11年前の自分に

2025 年 8 月 17 日 日曜日

顔本で 調べ物をしていたら 
九年前の 今日の 己の投稿に 行き当たる
…そうだね 息 ととのえよう
カップは 今 4つも 出さなくていい
あの何気ない ひとときも
得難く有難い 奇跡だったなぁ と 思うなら
まさに今も 奇跡なのだから 
大切に 過ごしていこう…今日こそ 洗濯するぞう!…珈琲のんでからね

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そんなことば 選ばなきゃいいのに

あぁ

ものの言い方

ものの言い方

伝わる思いが

届く前に

心ささくれ 逆撫でられて

みんな 心を閉ざしちゃうよ

「今更 変えられないよ」なんて

本人まで 閉じてしまって

沈黙ばかりが 膨らんでゆく

でもさ 根っこの思いに気づいているなら

ものの聴き方

ものの聴き方

ぶつかってきた ことばを越えて

その思いを 掬い上げればよい

そうして 受け止めて

届かなかった誰かにも 受け渡してゆけば

なんのこたぁない

みんなでこぼこ

人は 思い通りになんかいかないのさ

んだらば 人でなく

おのれの 思いの 通り道を 

ちみっと変えてみるさ

余裕がないときもあるけどさ

まぁ やれるときは

そんなこんなして

自分が楽に思えるところに いけばいいや

咳払いひとつ

息整えて

それぞれのカップに 珈琲を注ぐ

濃く 薄く

2025 年 6 月 29 日 日曜日

きのう

薄暮の頃

ゆっくり 夕焼けを見たくて

道を曲がった

山の端の

柿色の

…いや 喩えずに言えば 暮色の

濃く薄く 変わりゆくのを ほうけたように 見ている

好きな時間

気づけば 2.7歳の おつきさま

目で見た印象のほうがずっと美しいのになぁ と 言いながら 写して

でも こうして 書き表すのは 現の 無様さが 薄まって うつくしげになっているかもなぁ なんて 思ったりもして

濃く 薄く 

暮らしていくことを 思い あらわす日々

「風呂を◯◯する」

2025 年 2 月 9 日 日曜日

今朝 

風呂の残り湯もあるし 洗濯するぞ〜 宣言

即座に「洗濯しろっ」と あんちゃの 返答

またもや 日々の 牛太郎(去勢済 16歳)しっこで おねしょシーツ もりもりに溜まって 脱衣所の床が見えぬほどですしね

なんと 昨日は 布団の中で うんこもしてくださり

いやはや うんがいいぞ あ〜こりゃこりゃ と うたって 笑っちゃってました

昔は 最後に風呂 入って 洗濯して ついでに 風呂掃除までもしてたけど

夜洗濯すると

その分 長々 電気つけていることになるし

すぐに干すのは 難しいし

やはり

朝に改めて 洗濯したほうがいいよねぇ とも思うのだよ 

…とかいって 風呂あった翌日でも 洗濯しないこともあるけどね

で ふと 風呂に関する言葉「風呂あった」に 気持ちが留まる

風呂桶は 造り付けてあるわけだし

要するに 風呂に入れるように 湯を溜めること てのは 誰でもが 察してくれる

でも この間「風呂汲んだ」という言い方した時に

「どっから汲んでくるん?」と 突っ込まれ

あぁ「汲んだ」は 適当じゃないかな 

昔から「風呂たてる」て いってたけど 

昔住んでたいえで ガス風呂沸かし器を設置してからは「風呂沸かす」ても 言ってたっけな

今 正確に言えば ボイラーで沸かしたお湯を 風呂桶に「溜める」かな と あれこれ思い巡らせてたけど

べつに そこまで 詳しく 求められてなかった

ははは

…とかなんとか どうでも良さそうなことを 転がしてから

さぁてどっこいしょ

洗濯大会始める

『水をめぐるおもい』に 立ち返る

2025 年 2 月 4 日 火曜日

吐き出すと

忘れ去ってしまう

でも あるとき 英利ちゃんが わたくしの言葉をシェアしてくれて

思い出したのだった

自分の思いに

その思いを 掬い上げてくれたことに

救われたんだ

とおくいってしまった その 存在にも 

近く 慰められ続ける

いつも今時分 うみのくるしみやおのれのふがいなさにぐるぐるになりがちなので

2月4日を『水をめぐるおもい』に 立ち返る日にしようとか 思う

大丈夫だ

つないでゆける

どこかで咲いてくれ

2024 年 11 月 22 日 金曜日

思いは 放った

ここではないところでいい

どこかで咲いてくれたらいい

伝えてくれなくていい

ふ と 笑うように

それを見た 誰かも ふぅ と ほどけるように

そうして つないでいってくれたらいいから

かつて救われたこと

2024 年 10 月 29 日 火曜日

これは 十年前の今日の投稿

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頭の中が 騒がしくて

吐き出さずにいられなくて

でも 気取ったもののいいをしてしまって 自己嫌悪に陥ったりして

でも やっぱり 言葉に形に作品に結ぶことで 己が救われるかもしれないという 焦りがいつもあって

…そんな中 みおさんが いつも ちょ と した コメントや メッセージを おくってくださって

それが きっかけで すくいあげてもらえたことを 思い出す

自分の中で 言葉の 気持ちの 恩人の一人として

いつもいつも 心に留めているのだ

昨日 生誕記念日だった

またね て 言い合ってたの

きっと違う形で またね

あれ まてよ いまも みていてくれてるかもな てことも 思いながら

心温まる思いになるんだよ

ありがとう ありがとう

そして 顔本に みおさんがくれた コメント

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『山羊の歌』より

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
――――
汚れたと嘆く人は、心がベッピンさんなんですよ、文子さま。

↑↑↑↑↑

そこへ わたくしが返事をしたもの

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う…山羊の歌といふうたであったとは…
きちんと読んでなかったのだか
忘れ去ったのだか…
本棚からまた 出してみるか…

誉められたような と 喜ぶと
胸のうちの ちみちみさんが 出てきて
いい気になってんぢゃねぇよ!と
ほっぺやら あちこち ちみちみつねられるきぶんになる…なんだか めんどくせえ 自分の心持ち

↑↑↑↑↑

突然の 見送った知らせから 2年

今でも 救われ続けてるよ

ふざけてたわけじゃなかった

2024 年 10 月 29 日 火曜日

これも 以前投稿したことある話だけど

ずううっと昔

ばあちゃんが 出してくれた 謎の野菜(漬物だったのかな?記憶 朧)

こいづなんなのやぃん?と 訊いたら

含み笑いしながら

「ちゃよてぇ〜」と 応えてくれた

でも いつも「おだって」る ばあちゃんだったので

冗談かと思って

えええ~?ちゃよてぇ〜なんて 変なの ほんとは違う名前あるんじゃないの?と 言ったら 

こんだぁ「ちゃよてい」と ふざけて 気取って 真面目に言うふり風に 言うので

内心 信じられなかった

よく言う「ばあちゃん造語」「森家独自言語」(そういうのたくさんある)かと思いながらも

「ちゃよてい」…と 少し 標準語っぽい方の 言い方で 把握していた

んで そんなこんなも すっかり 忘れ去った 20数年前だったか

近くの お店やさんに 見慣れぬ うすきみどりの 赤ちゃんグローブみたいな野菜が置いてあって「チャヨテ」と カナカナ表記してあった

うおおぉ!

あの名前は ふざけていたわけではなかったのか と けっこうな 衝撃

ハヤトウリとも呼ばれている 瓜の仲間…とはいえ スミレ目 ウリ科 ですってよ「ちゃよてい」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%AA

思わず買ったけど 

うまい具合に 料理できなくて 家族らに 不評だったっけな

ばあちゃんが言ってた という 懐かしさ以外に 食べたい気持ちも さほどなかったけど

先日の 豊穣庵 収穫祭から 帰る間際

よっちゃんから「野菜持って帰らない?」と

たんぼ祭壇?に 奉納してた籠の中の野菜を くださった

その中に ちゃよてい ごろごろっと 5個

わ〜♪うれしひ

お野菜富豪にならせていただく

以前みたいに がっかりされたくない

どうやって 調理すりゃ みんなも喜ぶか…と 

あく抜きも 丁寧にして(ここをはぶいて 不評を招くこと多々あり)鶏肉 椎茸とともに 炒め煮にしてみた

んまぁ♪

火入れしても シャキシャキ感 残ってて

母も あんちゃも 箸がすすんだ

こりゃ 今後も やりたい食べたい おかずになったぞ

いただいた お野菜の中に 冬瓜もあって

これは 昨年の 豊穣庵 収穫祭に 出店なさってた 武藤農園さんから 初めて まるまんまで 買って 

ふろふき大根ならぬ ふろふき冬瓜にして 好評だったので

安定の ふろふき冬瓜にした

「返し」が 甘めになってしまったのが ちょ と 納得いかなかったけど

むしろ 母と あんちゃは そのほうが食べやすいみたいだ

もっと薄い 塩味にして

甘味噌たれつけて 食べるのもいいかな

未調理のは あと 三分の一しか 残ってないけど

そうしてみよう

食べながら 次の食べ方を 浮かべるなんて

食いしん坊バンザイだ

収穫祭 おかげさまの 食卓(フライにした 薩摩芋も いただいたもの)

ご馳走様でした

はじけてた

2024 年 10 月 22 日 火曜日

綿の実

はじけてた

うれしい♪て

胸の真ん中から ぽん て

気持ちも はじけるみたいになった

まだ 蕾も あるって

そうだね

咲けるなら 咲こうか

もう 秋だとか 寒いとか 歳だとか

いろんなこと 置いといて

咲けるとか 咲けないとか も 手放して

蕾を 

思いを

いだいてゆくよ