みよさんからの ご紹介で 知った
八重咲きの どくだみ
おおぉ そんなんあるのかぁ♪と
ちみっと 憧れておりましたらば
丸森 八雄館に 売ってましたる
うちに なんぼでもあるのに なんで買ってくる?とか
責められそうではありましたが
鉢植えのまんまにしておけば 文句もでなかろう
でも 地植えしたくて うずうずしてるのも 正直なとこ…
ま しばらく 草むしり 大魔王の魔の手からは 守られるようにしとこ
みよさんからの ご紹介で 知った
八重咲きの どくだみ
おおぉ そんなんあるのかぁ♪と
ちみっと 憧れておりましたらば
丸森 八雄館に 売ってましたる
うちに なんぼでもあるのに なんで買ってくる?とか
責められそうではありましたが
鉢植えのまんまにしておけば 文句もでなかろう
でも 地植えしたくて うずうずしてるのも 正直なとこ…
ま しばらく 草むしり 大魔王の魔の手からは 守られるようにしとこ
昨日 夕方 帰宅したらば
玄関前に 人肌色した 長いもの…蚯蚓(みみず)が おった
わたくしの 中指くらいあるな
真正面から見ると 指紋のようだな
近くの 土に 移動したのち
ばんげの支度
取り立てて急ぐこともなく ゆるりとやっていた中で
ふ と 右膝が ぽき と 芳ばしい音をたてた
指鳴らしみたいな 軽快な音
…しかしそののち 右膝の 中の方が
まったくもって 軽快ならぬ 痛みなど訴え始め
ぬぁ 古傷もありましたっけ?でも この感じ ちょっと 初めてさん
曲げられないわけでなく 何かの動きで痛むのでなく
立って 伸ばしている状態で 一番痛む
庇って歩こうとして 変な偏りが生じる
…いかんな
ゆっくりなら いつもの動きに近く できるので
本日は スローモーションでいくぞ
蚯蚓ほどの ぐなりぐなりで ゆければいいけど
そうもいかぬ
労ってくれるわりには 家事やら 助太刀周辺のこと
作業を減らしてもらえるわけでもない
色々言うなら 頼むなやぁ!と 叫びたくなりつつも
叫んだとて 母の 半身不随が
父の 手足の 痺れが なくなるわけでもなくて
かえって 気まずくなるだけで
でも なんだか 溜めて 腐ったこと言いたくなるのも嫌で
労いありがとうでも頼みごとは 減らないのよねとほほ などと おどけていってみる
「申し訳ないねぇ んだって やれねぇがら 頼むしかねぇんだぉん」といわれ
わかってるわかってる
のろのろぐなぐなでも いたしますで よろしく お見守りくだせぇ など 言ってみる
昨日の夕方の 蚯蚓の 姿が 見習うべきものとして
なんとなく 心におる
以前 蚯蚓についての 本を読んでから
あの方々の 働きを 尊敬の眼差しで見ておる
昨日 でかいの 目の当たりにしたもんで
ついつい なにかの 比喩として 蚯蚓を 持ち出してしまい
なに 突拍子もないこといってんだ?と 話が 通じないことが 多々あり
心にとどめておくだけにしとかにゃ と 思う
とりとめのないような 暮らし
実は なかで なにかは 繋がってるのだね
うなうなぐなり
パフォーマンス現場やら
仕事の合間の 潤いに
たまぁに 買ったりするものの
おやつの要員として
そんなに 用いなくなりましまる
飴…
先日 見知らぬ おんちゃんが 飴を 売りに来た
今時 100円ショップでも 売ってるような
さほど珍しくもない 飴 三種
「飴だらば 誰かは 舐めると思って…どれか 買ってけらんねぇがんや?」と
遠慮がちではあるけれど にこにこしながらも ちょっとやそっとでは ひきさがらぬであろう 雰囲気
いや わたくしが 戸を開けて 話を受け取った瞬間に
一個くらい買ってくれそうだなこの人は臭 嗅ぎ分けましたね
一応 血糖値高い人ばかりとか 色々並べて 断る方向で 話したものの
困ったような微笑み ずっと浮かべたまんま 飴を見つめて「買ってけらんねぇがんや…」と 繰り返す…
仕入れ以上の値段で
わずかな 収入を 得ようと
おんちゃんなりに てや足を使ってきてるわけだ
これを わざわざ割高で 買わなくても という思いはあれど
絶対 買わんぞ!の 思いでもなく
おんちゃんの ご足労と 勇気に 拍手…かなぁ なんて
その日 小銭入れに入っていたの合わせたら
ちょうど 300円
財布叩いて…てな 風情で 一袋だけ買った
それで なにかが 大きく変わるわけではないにしても
おんちゃんにとっての いいことの一つに なったのだとしたら いいなぁ
久しぶりに舐めた 黒飴
んまかったよ おんちゃん
見えてることだけ 批判せず
根っこを見つめて
事実を分けあって
より良きところへ結ばねばね
↓↓↓↓↓
グリーンコープさんのお中元カタログについて、毎度のことながら対立の先を出ません
確かにグリーンコープさんのカタログに福島県が記載されていない事は福島県の方々にとって、配慮なきものと感じます
では食品流通を商いとする立場から放射性物質による汚染を、問い続けより安全なものを社会へ提供するといった考えは頭ごなしに否定出来るものなのか
根拠を持って安全な食品を作っていることを生産者は自ら説明出来なけれなりませんし、消費者側も除染をしリスク低減された農地において生産されたものが検査を通り流通していることを理解していることが必要になります
売る側も、買う側も、この5年間で放射性物質との付き合い方を、自信を持って説明出来ない状況そのものが本当の問題ではないでしょうか
グリーンコープの配慮不足を棚に上げ、福島差別論だ!と怒るだけで終らせず、こういった事が起きる現実と向きあいつづけて、根底にある「放射性物質との暮らし」の方法を福島県だけでなく、社会全体が共有しなければ、同様の事は続きます
対立するのではなく、起きた要因を分析し、根っこを変えていく
私は放射性物質との暮らし方が確立していない現状の中、現状を知った上での放射性物質による汚染を危険視する姿勢はむしろ必要と思います
私はグリーンコープのお中元カタログを見て、怒りよりも配慮不足への悲しさと、社会から厳しい目で見られ続けている福島県に暮らしているからこそ、学び自身の言葉で説明出来るようにしっかり学ばなければと思いました
そしてグリーンコープさんが仮に現状を知らないとしたら伝える事も必要だと思いました
今、本当に福島県の未来を真剣に考えるならば、グリーンコープ叩きで終らせず、自己をそして暮らしをもう一度見つめ直していく事が必要だと思います
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