2011 年 4 月 4 日 のアーカイブ

尻にタコ

2011 年 4 月 4 日 月曜日

動かぬ時は とことん 動かぬ
で 震災後バケーション中
じ~~~~っと ひとところに 座っておったらば
ありゃりゃ
尻 部分的に 硬化
んもう よからぬ方向には 反応早いのな
まったく 身体って やつぁあ・・・
ま そんなこと言ってる合間に 動けっつう 話だな
これでは 尻出す仕事 できんがな
・・・そんなもん やったことないですが(今後も無いであろう)

今日の夕やけ

2011 年 4 月 4 日 月曜日

風が変わったら かわっていくんだろうか散歩の帰り道
少し冷え込んだ 薄暮れ
人も少なくなってきた 避難所の向こうに 蔵王
さえぎるものもなく 澄んで
澄んで?
目には見えぬけれど
何かに蝕まれているとしたら
止める前に 
光はあるのだもう そこここに満ちていたとしたら
わたくしは ここを捨てて どこかへ行かなければならないのだろうか
知らず 蝕むことを 許してしまった者に
行く先などあるのだろうか
この 空続きのどこかで
ここが好きで
ここで生きていきたい
そう思っていたのに 
違うどこかへ 行かねばならない人がいて
すぐそこにそんな場所があって
戻れぬ人がいて 
それでも 日は ひりひりと 美しく暮れていく
わたしはここでいきたい

鰹節品薄

2011 年 4 月 4 日 月曜日

本日もまねきねこぴちこことこ いつもの ぴっちっちっ サイドメニューの 高級?鰹節
買えずにいたから
そろそろ 品物も 揃っているだろう と
近くのスーパーへ
うあ・・・鰹節関係の棚 スカスカでした
ああこれから 海のもの達は
更に ありがたきものになっていくのだろうな
今までだって 行き難いところへいって
たくさんの手を経て ここにきたのだもの
たくさんの人たちに感謝しながら いただこう
いつものは無かったので わずかにのこっていた はなまるき花カツオ 
2袋 残して 2袋 買った・・・買占めじゃないっすか?
帰宅して 久しぶりの 封切り 鰹節ぢゃ~と
ぴちさま目の前で 開けてさしあげたらば
おお それヒット・・・と かっこむように お召し上がり
よかったよかった 大事に食べてくださいましね と
袋 仕舞いこもうとしたら 
こら まだぢゃ!と 爪 ぷっすり
あああ 貴重な 鰹節を このお方は
こうして二度も三度も よこせと 爪を・・・
程なくして 普段そんなに 鰹節に反応しない うっし~までが
それ くだたいっ!と がっついて もう とほほ
喜んでいただいて 本望ですわ

光差す

2011 年 4 月 4 日 月曜日

こことこ 芸人の大先輩達から
舞台やイベント キャンセルになっちまった と うかがった
イベント会社の方からは 「何とか無事でありますが 仕事のキャンセルが クライアントさんからぞくぞく」・・・とか
「頼みの綱」自体が 大変なことになっているのだから(中には 単なる自粛もあり)
この時期 しょうがないっちゃ しょうがないね
かたや ご自分たちで どんどんと チャリティーに出向いては
みんなを 自分を 慰めたり元気になったり・・・という 形も 動き出している
出来る方々 たのみます!この瞬間だけの形
わたくしも 近々 出向きます!
んで そんな中 イベント仕事に関しては 半ば 諦め半分だったのですが
黄金週間の打診 あり
ひゃっほう!
昨年からお世話になっている 素敵社長さんの会社から
決まりそうとか 決まらなそう てな ことよりも
この時期に そんな話を 繋げられるなんて
こちらに繋げていただけるなんて・・・素直に嬉しい
ありがたいなあ 
丁度 曇り空晴れてきた 角田にて
みんなで にこにこできますように~と 裸足で 空 仰いでみた
雲が流れている

葉緑素ど~ん!

2011 年 4 月 4 日 月曜日

だいすきなみどりだっご近所さんに 大量のほうれん草をいただく うれしい
水は 出るものの
下水問題で ざんざか流せないから
いまいち 母 下処理 億劫そう 
じゃ 今日の昼は わたくしが担当しましょ てことで
ほうれん草の ポタージュスープスパゲッティにしてみた
今朝 「ストーブ乗っけっぱなし豆煮」で 金時豆が なかなか 柔らかに煮えていたので
・・・というよりか ぐずぐずに 煮崩れていたので
じゃが芋の代わりに ポタージュに参加させてみた(もちろん 天才玉葱さんも入れてます)
また どぶ色になったらどうしよう と はらはらしたけれど
ほうれん草の緑が強くて ばれませんでした わはは~
なかなか好評
んじゃ またやりましょね なんて ご機嫌でいたものの
一個気がかりが
ガスつけたら ちみっと 臭うようになってきた
・・・てことは もしや プロパン残り少な?
震災後 一回 ガスやさんが見回りに来てくださったけれど
「まだ 一ヶ月くらい大丈夫、大切に使えばね」てなこといってたのじゃなかったっけ?
はじめの一週間 電気こなくても ガスがある・・・って うれしくてばんばん使ってましたよね?
あまり節約している感じじゃなく・・・まずいかも
ちょこっとだけ 気をつけよっと

禁止の意味を含まぬ

2011 年 4 月 4 日 月曜日

いつも一緒にいたいんだね牛太郎
あちこちで 爪を研ぐ
ちちははわたくしが 「あ」と 声を上げると
やべ・・・て感じで やめていたのが
このごろ 「あ」ぐらいでは やめない
慣れちまった&言われたって大したこと 起こるわけじゃなし
・・・と たかをくくっちゃってますな
あんちゃの場合は 更に「こらこら」なんつったって 
その言葉の中に 禁止する意味合いを 微塵も含まぬような声色
んで 気をそらそうと 腰パンなんか してあげちゃったりするから
あんちゃのことが 好きで好きでたまらぬ うっし~
んもう喜びの のたうちまわりで 更に あんちゃに 眼差しが向かう
怖がりだけど 余震があっても あんちゃがいれば 何の不安も無いらしい
猫って こんなんでもよかったんですけ?

3週間ちょい

2011 年 4 月 4 日 月曜日

未だ ブログのカテゴリーを
「東北関東大震災」から はずせずにいる
もう三週間ちょい 経つのに
いや まだ三週間ちょいとしか 経っていないのか
人は あれこれの経験の積み重なりの上を 踏みしめていくのだから
立ち位置を 
次の1歩を 確認するのは 
結局 過去の物事に照らし合わせて
経験に基づいて 見極めていくものなのだろうけれど
今 すべてが 「2011 3 11 1446」の地点に 引き戻され
そこに 集約されているような 錯覚に陥る
たいした 困りごとなど 無かったはずの 自分さえ
日々の 与太も 音楽も 食べ物も 保育仕事周りも 葉っぱとかも 作品周辺も そこへと 吸い込まれるほどに
そのこだわりから 手を離すことが出来たら
「立て直せた」と 言うのだろうか
なんて思ってはいたけれど
どう 思おうと そこに 吸い寄せられるのであれば
呆れるまで 嫌になるまで とことん そこに引き戻ろうか・・・とも 思う
立ち向かっているようで 目をそらしていた「よわかす」な 自分に ビンタ
くうっそう 無駄な時間の使い方しちまった
・・・いやいやいつものことだ
そう 相変わらずの 寄り道道草遠回り二の足無駄足
大きなものを経ても 変わらなかった
ある意味 強か者だ ははは
きっとこれからも こんな風に じたばたうろうろするんだろう

慣れたわけじゃない

2011 年 4 月 4 日 月曜日

地元紙に載る 避難所の方々の声
震災後の日々の出来事
いまでも 読むたび 泣く 泣きそうになる
でも 以前ほどではなくなった
衝撃的な映像も 
停電復旧後 初めて観たときの 血の気の引くような 思いは もう 薄れた
いいのか?と 思いながらも 
こうして 慣れていくものなのかな なんて 思っていた
泣ける時に泣いた方がいい なんて 
わたくしのごとき 被災未満のものには 関係ない
誰のためにもならない
何の役にも立たない  
そんな わかった風なことを 唱えていた
でも 言葉に結びついて 胸の奥から 感情が 引き上げられそうになる前に
その 思いの姿が現れる前に
ざばざばと水を濁すような
わざと焦点をぼやかすような 心持に ふと気付く
自分の ことでもねえのに 感傷的になって 被災者ぶってんじゃねえよ なんて
斜に構えて わかったようなことを 吐き出す自分の中の「悪態さん」
実は 泣いて 心が ぐにゃけることを 怖がる「おどおどさん」でもあったらしい
夜のニュースで 集団での避難を 決心した 南三陸町の映像をみて
ごぼごぼと 浮き上がる 思い出と 波立つ感情
押さえつけようとする 手を すりぬける
去年の11月 汐風マーケットで お世話になった 商工会の方々は
パフォーマンスさせてもらった あの海の近い メインストリートは
あの時 出会った この町が好き~といってた人たちの笑顔 
裏道の猫 
またきますね~って笑って 蛸買って 手を振った 角の魚屋さん
「振り込んだギャラの 領収書、確定申告時期ですんで 商工会佐々木宛で送ってください また今年も お願いできたらって思ってます~よろしく」て 電話したばっかりでしたよね?
その日のブログを開くと 志津川(南三陸)行ってきて楽しかった~なんて 浮かれて書いた文章が 
はらこめし弁当や あの海の 港の 写真が あるはずなんだ
その町が無いなんて・・・ ない
愚にもつかないことをいってみる
誰のためにも自分のためにもならないのに
・・・だめだ 泣くぞ