2011 年 4 月 3 日 のアーカイブ

水周り自警団 本格活動開始?

2011 年 4 月 3 日 日曜日

昼下がり 
ご近所の Sさん(母 同級生・最近 会うたび うんこさん始末話ばかり 展開する)含む 婦人防火倶楽部の会合に 母 参加してきたと
防火どうこうよりも Sさんによる
「下水処理問題提起」の 展開が あったそうな
で ほかの方々 深入りせぬように 目を伏せているようなところあったらしい
ご近所さんたち Sさんの 水周り チェックに 困りはじめているのか?
生活排水を 
うんこさん始末を 
それぞれの家で どのように行っているか・・・てなことを
役所の人間より ずっと知ってる
つうか そんなもん 役所の人間だとて 知るもんかってな話だ
このままだと 次回会合で Sさんによる「上手な うんこのしまいかた」なんてな 講座開かれるかも しれぬ
震災後 確実に進化している Sさん
ちょっと 注目中 

溜めておくだけぢゃねえぞ

2011 年 4 月 3 日 日曜日

母 納戸の 箪笥が倒れ
立て直しついでに 
あれもこれも 投げてしまえ(捨ててしまえ)~!と 整理し始まったところ
その投げたものたちの入っている ゴミ袋から 
父の背広の 仕立てあまり生地 発見
せっせと 拾って
こんな時に何でまたあんた!と 顰蹙かっておりましたが
溜め込んで 更に部屋が ぐしゃぐしゃになるばかりととられては いかんぞ・・・と
面目躍如のために 取り急ぎ つくりもの裏地は 襦袢で 作ってみた
端っこの 布メーカーの 文字(専門用語わからん)が いい感じだったので
むりくり 見えるように縫ったらば ちみっと 縫い目が見えたり
きつめに仕上がってしまった
でも なんとか ぎりぎり 頭入るぞ 
・・・てことで 無事 父の 間着ハギレ キャスケットに 変身
なんか 昔のイギリスのドラマとか 兵隊さんかぶってるみたい・・・なんてなことを 言われたけれど
震災の 思い出の1つってことで よしとしよう

いつのまにかわたくし専用に

2011 年 4 月 3 日 日曜日

即席ユニットバス ポータブルトイレが 
こことこ うつくしいなあ と 思いきや
なんと そこを今 使用しているのは わたくし1人だけだと判明
先日 お出かけで急ぐから やむなく トイレでしてしまっただけ・・・と 思っておった父
んもう 普段使いで トイレに うんこさんしていると おいっ!Sさんに言うぞ
・・・なもんで 撤去の話も出たのだけれど
わたくしとしては ポータブルを用いて うんこさん 小袋キャッチ方式なので
しばしまってくれ・・・と 懇願
排水問題で そう頻繁に 風呂に入るわけじゃなし
ま いいでしょう てことで 妥協してもらった
これで心置きなく 安心感倍増して
また 毎日おでましまし快適うんこさん環境に戻れると いいな
お出ましのたびに「はっぴばすで~♪おめでと~」なんて 歌ったりして
ちょっと莫迦に拍車かかってるので
もっとさりげない日常に 戻したいのでござんす

桑の葉団子で 茶一杯

2011 年 4 月 3 日 日曜日

桑の葉団子賞味期限はるか昔・・・は 内緒にして
白玉粉に 桑の葉パウダー混ぜて 団子
白玉ならぬ 緑玉
これは 昨年 伊達市で お仕事させていただいた時に買ったパウダー
また 仕事できるといいな 桑の葉も無事だといいな
先日の 薄甘餡子が 駄目になる前に・・・と
朝食後の お楽しみ茶請けに
なかなか 美味いのぉ なんて 和んでいたら
「あんだ 早ぐ 風呂の水 外さ投げんの 手伝って」と 母の声
下水事情未だ 解決しとらんのですわ
いま急いでしなくてもよかろうに・・・と ぶつぶつ 言いつつ もう一個 ほおばってから
どっこいしょ

梅じいで 一杯

2011 年 4 月 3 日 日曜日

漬けて日が浅いのに 漢方みたいな味がする 梅じい梅干(漬け方の問題)友人から届いた 物資の中の 焼酎
一緒に 梅干も送ってもらっていたので
それを入れて お湯でわって呑んでいたけれど
このブログに ちょこちょこ出てくる 「梅じい」の樹から ほろけた実を いただいて漬けておった 梅干でも 一杯呑んだ
また 会いに行くよ~と
友人やら 梅じいを 思い浮べて 乾杯

寄り添ってくれようとしている

2011 年 4 月 3 日 日曜日

ちょっと前の  震災後の 朝日新聞に
相談コーナーで おなじみの 明川哲也さんが 被災した人に対して
励ます言葉だけを並べるのでなく
支援の手を差し伸べるやりかたとして「僕のアトリエに避難してきませんか?さんにんくらいなら 大丈夫です」と いっておられた
なんて 具体的なんだろう
かつて「叫ぶ詩人の会」の ドリアン助川として 舞台やらライブやら なすっていたとか 
今でも 舞台にライブに 大忙し・・・ということを 知る人は そう多くなくても(失礼・・・)
「天下の」朝日新聞に 連載するような人ですかんね
でも どんな位置に 立とうとも
ご自分の 身の丈 身の回りの実際の感覚から 物事を 発信発言なさっているのだなあ 
身体を使って 人と向き合ってこられた 明川さんならではの お言葉なのだなあ・・・と ぐっときました
まだ 誰かから 連絡はきいていない様子
まだ 空きはあるのかな?
こんな心強いこと いってくださる 明川さんに 連絡つけたい方
明川さんの サイト「道化師の唄」に ある 連絡先に
メールで 連絡ください とのことでした
美辞麗句だけでない 生きた言葉を持つ人って 素敵だ

いろいろなかたちで

2011 年 4 月 3 日 日曜日

やはり 人気者 有名人の方の 支援・義援・救援は 大きなうねりを生んでくれる
スポーツ関係 歌い手さんたち・・・それぞれの立場で 「ぼくたちにできること」と なにかしらしてくださっている
昨日 かの有名な ジャニーズ事務所の人たちの チャリティーイベントがあったようで
震災を心配した人たちだけでなく 
「なんかよくわかんないけど」てな ファンのかたがたも 
彼らが言っているんだから・・・と 賛同したり
「わかんないけど」・・・のまんま 生で気軽に会えるから と 1万人以上集まってくれていた
すごいなあ ありがたいなあ うつくしいなあ
「ぼくらがついている」「ひとりじゃない」て ことばも すてき
わたくしも 実際 震災後 通電して目にした たくさんの方から 心配メールやら留守番電話など
「心を寄せてくれていること」が どれほど 心強く 次へ踏み出す一歩の力になったことか
(・・・甘っちょろい被災の わたくしが言うのは おこがましいですけれど)
「避難所で 下着とか足りないって言うし~ 力になれたらうれしいです」て 若いお姉ちゃん達も言ってくれてて 
その影響力に 感謝
でも そんだけ力があるなら 
もっと とりあげられていないこと 手が届いていないところ うつくしい言葉だけで済まされないところへの 光を当ててくれぬか・・・と 欲張る
そのかっこいい顔かたちで 
泥と塩と瓦礫にまみれた 田んぼたちの復興
日本の食卓を支えていた 海の仕事の復興
介護が必要なのに 受け入れしてもらぬまま 避難せざるを得なくなって衰弱している 方々
放射能汚染の風評で 誰も立ち入らずに 亡骸の確認さえ 手付かずの地域への 視線を
・・・どうか お願い 
そう思っていたら
重機の提供だか 手配はあるらしいので ちょっとは近づいているのかな
どうか この うねりを 具体的な形につなげて 
その形も みんなに伝えて欲しい
支援に手を貸せた~と 自己満足で お仕舞いになってしまわず
そのさきもずっと「ついて」いてください
今後の 発電のあり方について考えてみよう・・・なんて提言は・・・無理か

古ものよりは

2011 年 4 月 3 日 日曜日

支援物資
当初は とりいそぎ!だったので 洗ってあれば 古着でもいい・・・てお知らせもあったようですが
今は やはり 新品でお願いします とある
角田は 大変な状況もあるけれど 隣町 山元町が もっともっと大変なことになっている・・・ということで
「隣町を助けよう!!支援ボランティア第一弾」てのが 立ち上がった様子
「災害救援ボランティアグループ 隣町に元気をとどける実行委員会」
代表は 角田のれすとらん 「みよし」のご主人 三由 誠さん
4月10日まで 13時~16時 角田総合保健福祉センター・ウエルパーク東側玄関脇で 受け付けているそうです
新品の男女下着・靴下・ストッキング・大人用長靴
電気ポットに関しては 中古でOK とのこと
義援金など 漠然と 行き先がわからなくて 心配・・・という方
これは かなり具体的なものなので 安心です