沼のほとりの神社
賽銭箱のところに
ごみでも 詰められてたか?と みたら
米が包まれている 紙だった
あぁ なんだか それは 寄り道なく まっすぐ ありがたい ものなのだよなぁ なんて
今さら思う
お金を大切に思うのは 悪くないんだろうけどさ
そのものではなくて
そのものが 大切なものへと はし渡してくれるってことなのだよね
兌換も 不換も
いざというときに 食えぬものだものな
…そんなことを思った
薄暮れの 沼のほとり
沼のほとりの神社
賽銭箱のところに
ごみでも 詰められてたか?と みたら
米が包まれている 紙だった
あぁ なんだか それは 寄り道なく まっすぐ ありがたい ものなのだよなぁ なんて
今さら思う
お金を大切に思うのは 悪くないんだろうけどさ
そのものではなくて
そのものが 大切なものへと はし渡してくれるってことなのだよね
兌換も 不換も
いざというときに 食えぬものだものな
…そんなことを思った
薄暮れの 沼のほとり
名も知らぬうち
その しゅるしゅるした 動きが
魚のようだ と 思った
「しみ」という名を 知って
何かが 阻まれたようで
すこぅし がっかりしたけど
そこに あてる字が「紙魚」と 知って
また 胸のうちで あぁ と うれしくなって
しゅるしゅると 泳ぎ始めたんだ 胸のうちで なにかがね
そんな たあいもないこと
きくともなしにいる あなたに言いたい
でも ほんとに言いたいのは
あなたの ことばに 触れて
ふと とまどって たちどまって
そしてまた ささいなうれしさに
しゅるしゅると 泳ぐようにはしゃいでしまう 心持ち
まるで 紙魚のようなの
言魚とでも いうのかな なんて
やはり 他愛ないことで
でも それをきいて
どんな顔するか
見てみたいんだけどな
ねぇ…聞いてる?
海辺へいったとて
なにかをおさめられるわけではない
せいぜい 己の中の 波立ちくらいであろう
むかし 見知っていた 食べ物やさんの ご主人が
震災のとき
お店にいて
おうちとご家族を すべて 流されてしまったこと
その後 気持ちの回復を 果たせぬまま
最近 自ら 生きることを 絶ちきってしまったこと
出来事の 結果を 聞くしかできない 自分
なにもできないままに
また 明日へと流れてゆくのだろう
それでも また 思う
ぬぐいされないかなしみがあるのだとしたら
ぬぐいさるのではなく
あたらしく 哀しみが貼り付かないよう
どこかで なるべく哀しみが生まれないように
やわらかに 笑っていられるように
そこへつなぐ 藁しべのような 糸口を なにか せめて…
そんなことを 胸に浮かばせて
この足の 踏めるところへと 向かう
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