2014 年 11 月 3 日 のアーカイブ

信じよう

2014 年 11 月 3 日 月曜日

本当に望んでいるのか

望んでいることに届かぬ 欠落を 埋めようとしているのか

実は 気づいているから

ぎりぎりと 歯噛みする思いがあるのだろう

でもいまは 目をそらしている

澱みぬめる 泥濘の底に

思いを沈める

鈍磨させながら

鋭気を養う

研ぎ澄まされる刃は

砥石の 滑りの中で 磨かれてゆくのだから

信じよう

浅知恵など パン粉つけて 揚げてしまえ

2014 年 11 月 3 日 月曜日

考え込まない日

ぼんやり ながめて

目の前の なんにゃらかに 反応して動いて

作って食べて

あぁ おなかいっぱい…なんていってる

そのほうが うまくいったりもして

浅知恵など パン粉つけて 揚げちまった方が

自他ともに ためになるのかしら などと

深く考え込まずに ことばにさえして

笑って暮れる

そんな日も あってよい

また やってみる

2014 年 11 月 3 日 月曜日

ようやっと 母

「ちぎり絵またやってみる」と 言ってくれた

入院中に リハビリの中で 

母の教室の 生徒さんや 初めてさんへのちぎり絵体験セットを 用いたことはあるものの

気持ち的にも 納得いかなかったり 挫折を感じたり…

しばらく ちぎり絵のこと 言われたくないあたりまで 落ち込んでしまいました

…なもんで 元気付けるネタにもならず

でも ちぎり絵周辺でいただいた 素晴らしい人たちとの 繋がりには 大いに 励まされても来ていたわけで

いくらでも助太刀するから 片手で出きるやり方を 開発しようよ…とまで 言ったのに

なびいてくれず

様子見…

お年賀で ちぎり紙に はんこ というパターンを試みたものの

途中で 挫けて

ほんの数枚 やっただけで あとの年賀(毎年いれている「賀春」と名前住所印刷済みのもの)は

手数料払って 新品と交換しちまったのでした

んで 教室の生徒さんも「実際ちぎれなくても 言葉の指導だけでもいいんです」やら「待ってます」などと 

自主製作やら 先生の資格とられたかたが「今だけ先生役」としながら 待っててくださるのも

申し訳なさ 募るばかりでは?と 心配もしており

…そんなこんな 重ねた 一年二ヶ月のち

ちぎり絵の本部(母が所属している? 全国和紙ちぎり絵サークル本部の「がんぴ舎」本部は鳥取県米子市…土佐典具帖紙の 復活に尽力なさった 故・亀井健三先生創設)から 

月一で 送っていただいている 来年の干支の ちぎり絵 お手本(亀井建三先生の娘さま…亀井純子先生作…もんのすごく素敵な方だす)

「やってみる…手伝ってもらわないとできないから あんだいる日に…」と なりました

うおおぉ♪ 

やったぞ半分

休みの日に めんどくせぇ半分(言っといて ひどい娘だが…)

でもやはり 文化の日に 母の中の なにかが また 歩き始める記念日として

娘 横で「あれやってこれやって」…を すべて受け取らず

そこ自分でやらんでどうするよ!やら

ほれほれ わたくしも片手でやってみたらできたよ… やら

「だって 一年二ヶ月ぶりだからうまくできないんだもん」との ことばに

わしゃ 48年 ほぼ ちぎり絵やったことなくて やってんだから 今までやってた通りやるんでなくて 初めての気持ちで やり方探せばええんぢゃ…などとね

無責任鬼なこと 言っておるところ

半身不随って

ただ半分動かないだけでなく

空間把握や 均衡保つ能力も欠けているということも 聞いてはいますけどね

ま いまは どんな風に やれるか の 探りあいだな

ふぁいとだ!

ちゃんと 伝えたい

2014 年 11 月 3 日 月曜日

母国語が 異なる人へ

安易に 翻訳してみても

土の違い

食べ物の違い

感触の違い

受けとり方の違い

様々なことどもが

大きな意味の違い以上に

ざりざりと 砂粒が 入り込んだ違和感を 生む

それを越えて 分かち合えてゆくのだけれど

わかり合えることもあるのだけれど

外を見れば見るほど

中を見なければ 手渡せない もどかしさを
 思う

むしろ ことばを 橋がかりにしないほうが わかり合えたりもする…

ああぁ

母国語が同じでも そんな ざりざりはあるけれどね

もっと わかりたい相手の 空気や食べ物や土に 触れねば

安易に かえられずにいるのでしたよ

なんか ぐるぐるしながら

表現ということを思う

届けたいひとに ちゃんと手渡したい 思いでいるのに

ざっぱになっておる…

中里繪魯洲さん

2014 年 11 月 3 日 月曜日

うっかりの弾みで
出逢いをいただいた 中里繪魯洲さまの 作品群
思いの向けかた
発露のしかた
目の当たりにしていないというのに 作品画像から吹いてくる 鋭くも澄んだ風のようなものに
ちょっと 魅入られておるです
会期中 どこかでなんとか辿り着きたく思う

↓↓↓↓↓

個展開催中
馬のち(乳 血 地 知 痴 恥 稚 馳)房
「寂しさの歌」ー詩集 落下傘 金子光晴 讚
蝋纈絵巻 鳥馬戯画
2m✖️10m
11月1日〜11月30日
No.11 cafe restaurant Shu
特設会場
相模原市緑区日連981(旧藤野)
042ー687ー2333
11:30〜21:00
月火 休み
web site 参照
サニーサイドウォークの一巻
http://sunnysidewalk.web.fc2.com
1711年 ガリバーが訪れたフウイヌム(馬の国)を描いのではないのですが…
(その国には、権力、政府、戦争、法律、刑罰などという言葉がまるでないという。)
「寂しさの歌」には1945年5月5日端午の日と記されているから、敗戦の3ヶ月前。
戦争へ突き進む国に対する怒りの批判が赤裸々に書かれていて、見つかれば死刑という倒錯の時代だった。
70年が経ち、またそんな暗黒の時代になろうとしている!
12月10日には特定秘密保護法が施行される。不安がいっぱいだ!

とりとめのない堂々巡りな絵である。
2014年のとある日の、妄想の ”ち”の部屋の情景というところが適当である。