2011 年 3 月 18 日 のアーカイブ

慣れてくる

2011 年 3 月 18 日 金曜日

安心をもらうのはわたくし余震のたびに
びく! と 立ち上がっていた うっし~も
やがて ちょっとやそっとの地震では 飛び起きなくなってくる
そうやって慣れていくものなのだね
でも 時折何もないのに はっ!と 耳をそばだてるように 立ち上がる
だいじょうぶだいじょうぶ
・・・なんて 全く説得力の無いことを言って 頭をなでる
ああ 今 自分に言っているのかもしれない
家の中にいることが 彼にとっての安心なのではなく
己の身勝手な 安心なだけなのかもしれないのに

行方不明者名簿

2011 年 3 月 18 日 金曜日

宮城県警ホームページにある・・・と知って
そんなもの本格的に見たら 決め付けてしまいそうで こわい
でも もやもやしたままでは いられない
そこで答えが出なくても・・・と おそるおそるひらく
表示されるまで 薄目を開けるようにして待つ
なかった
とはいえ 答えもあったわけではなかった
知り合いと同姓同名があった
そこにはいないはず・・・だよね?
息が浅くなる
どうするのがいいのだろう

届く

2011 年 3 月 18 日 金曜日

たくさんの 方からの 心配のメール 電話が 届いた
ありがとう の 取り急ぎ 返事も 届いたようだ
阪神大震災を乗り越えた方に
手紙を投函した
届いたという 知らせが届いた
何かを 言葉で解き放ち
何かを 言葉で封じ込めているような 一週間
甘っちょろい「大変」のくせに
やわな わたくしの 心のどこかが ぐらぐらしているのだろう
そんなこんなを 繋がることのできる 嬉しさで 支えてもらっていると 思い知る
ものものしく 紙で塞がれた 郵便ポスト
ロープの張られた立ち入り禁止の道路
出口も入口も塞がれているわけではない
ちゃんと通じる道筋を 探し出す 腕の見せ所なのだ
呼び出し音にさえ繋がらぬ あのひとそのひとへの電話も
きっと どうにか 繋がって 
届け!

洗い流す

2011 年 3 月 18 日 金曜日

昨日 おひさま原っぱ保育園の 千恵子先生に お電話いただいた
連絡取れていなかったの わたくしだけだったと・・・すみません
みんなの恐怖 いかばかりだったか と 気になっていたけれど
なんとか お昼寝のお子達にコート着せて 広瀬川近くのへりぽーとに辿り着けて
その後 無事 おうちの方々に お渡しすることが出来たと
そのあたりのことは リンク集にも在ります『おひさま原っぱ保育園』のサイトのニュースにも載っていますが
その中で Aちゃんが「Aちゃん わらってるでしょ?」といった話
前回の 9日地震で 震えが止まらなくなって わたくしにしがみついて泣いて疲れて
ご飯途中で 眠ってしまった Aちゃんでした
大丈夫大丈夫 笑って笑って・・・という 言葉をおぼえていて 
けなげにこたえてくれたのだね 愛しい
ショックやら 恐怖心が 時に流されて 
傷として残ることなく
こうして 次への備えに 育ちますように・・・と願う
よかったよかった・・・と 思わず 嬉しくて お電話最中に 触らないようにしていた頭 かきむしる
きゃ~!降りしきる雪のような フケ降下~!!
あああ 気にしないふりしていたのに
いったん掻いちゃうと んもうたまらず
すびばせんぜいたくさせていただいていいですか・・・と へりくだりまくり
小鍋に1つお湯をぬるんと 沸かして
流さぬように 大盥置いて 洗髪開始
もうこんなん使わぬから 捨てろ・・・といわれていた 景品だった プラスチックの 醤油注しにちみっと お湯くんで 
まず 髪全体を ちるちるちる と 濡らした
大島椿シャンプー・リンス効果有り・・・を じゃくじゃく頭で泡立てよう・・・にも 泡立たず
いったん 醤油注しからお湯かける・・・何の色かしらね 薄茶色い水
二度目のシャンプーでは ちいと泡たちました
で また ちるちるちると流す
おおお! 溜まったお湯 小盥に移しても いっぱいにならぬほど・・・やれるぢゃん
そうさ いろいろやれるんだよ なんてなつまんないことでも 自信わいてくるのね
よーし お子達に 負けてられないっす

なるべくトイレでしないでください

2011 年 3 月 18 日 金曜日

友人達から 安否確認メールに
いちいち しっこ だの うんこさんだのと かくもんで
「相変わらず好きだね」など 言われる
いや 好きなわけじゃないっすけど・・・
日常のことだから 大変なんだってば
いやいや こんなことで 大変なんてこというと 罰当たりますかね ごめんなさい
上下水道 しばらくだめなんで
うんこさん 「燃えるゴミ」に出す話は 聞いていたものの
更に!
「なるべく家のトイレで おしっこしないで 簡易トイレなどがある施設でしてください」・・・と さっき広報車回っていたと
うう 
うんこさんを 袋に収める技術も習得しかかって
しっこくらいは心置きなく~ なんて 気楽にしておりました
下水使えない 浄化槽も危うい・・・ていってたのだもの
しっこだけ 問題無しなわけ ないわな
うちから歩いて 2、3分の 避難所「ウエルパーク」に 簡易トイレありますけどね
さっき 母が そのほかの簡易トイレのある 中央広場 覗いたら
ファスナーつきテントみたいな中に 穴掘ってあって 黒いビニール袋が敷いてあったと
昔 うちで だっぽん便所だったし おんなじ様なもんだね と 笑ったら
母「でも いやで できなかった」と
父「なんだ 水も飲まないで 出すもんも出すなってことか」
いやいやそうでなく ちゃんと水分とって 悪いもん しかるべきところに ばんばん出せって事でしょう
こういうとき やっぱり 避難所では もっと過酷だし
ついつい 飲むのも出すのも我慢して 体調崩す方が続出するとのこと
恥じらいは 大切だけれど
こういうとき 切り替えられたり 図太い方が 身のためだなと思う
以前 韓国の野外劇場の 出番待ちで もよおして(辛いものにやられた尻方面)
表面張力超えるかも えまーじぇんし~!の時
お師匠 はとちゃんに 紙を渡されて「幸い 夜だし そこでしてこい」と 言われたものの
そこまで 切り替えられず 恥捨てられず
結局 気合と 引いていく波のタイミングのおかげで 乗り越えたっけ(本番終了後 MAX波やってきて 遠いトイレ在り処まで 必死の形相で走った)
一回だけのはなしじゃないからな
これからどれだけ続くかわからないし
すでに 公衆便所風 香りただよう 我が家のトイレを みながら
覚悟きめっか・・・と つぶやいたら
「庭でしないでくださいねっ!」と 母から釘刺された
ううむ ささやかだけれど 大切な問題

祝いの瞬間

2011 年 3 月 18 日 金曜日

3月14日(月)18:00~
グランドプリンス赤坂で 祝宴に招いていただいていた
以前 ブログで 浮かれて 書いたことがあったので
ご存知の方もいらっしゃるかと思うけれども
北野武さま映画やら NHK教育で ついこのあいだやっていたタップ講座でも 知られている HIDEBOHさんの 結婚披露宴
わたくしも 行ってよいのでございましょうか~なんて 柄にもなく うろたえて
ドキドキわくわく楽しみでいたのよおお
グランドプリンスホテル赤坂が 3月いっぱいで 閉めてしまうので 記念の宿泊なさるのもいいのではないですか?と
HIDEBOHさんのスタジオのデスク・番井さんから とても ご丁寧な優待ご案内までいただいたもんで
お言葉に甘えて 宿泊予約のあれこれまで 手配していただいた
・・・なのに今回の 大震災 とほほ
もしかして復旧するかな・・・なんて 地震後すぐには 軽く考えていたけれど 
携帯電話は 地震後すぐ 東京方面から届いた「大丈夫!?」メールに むちゃくちゃだよ~なんて 返した一往復だけで 途絶え 
連絡つけることも出来ず
当日ギリギリまで なんとかならぬものかと 焦れていた
なす術もなく 14日を迎えたら その日から二日間だけ
市役所に 衛星電話が設置されることを知って 行ってみた
1人1分以内 と 制限があったので
1分以内なら 何件かけていいんですね!?なんて 勢い込んで 番井さんに電話
実際 お話したことが無いので お声もわからず
補聴器と 衛星電話の相性がいまいちなのか ぴーぴー音と 周りの話し声ばかり耳につきささる
ああ 補聴器しない方がいいのかも・・・と 思った瞬間 こちらへ向かっている感じの明るい声
ああきっと これだ と 見えない声を 握るようにすがるようにとらえる
申し訳ないくらい早口で みやぎけんのしんげつうさぎきかくもりです~!このたびは~!!と 要件まくしたててはなして なんとなく わかってくださった気配をとらえて ご挨拶して締める・・・締まってないかも・・・
そのほか 会う約束だった人と 長野の多美おばと・・・ほとんど 一方的まくしたてにて電話終了 
一分を若干はみだしつつも 咎められることなかった ほっ
番井さん からは のちのち いただいたメールにて
非常事態なので いろいろ迷った挙句 披露宴は出来る形でやろうと決められたこと
その報告と確認がてら 招待なさった方々に連絡をいれたこと
わたくしとは 連絡がとれなかったため 連絡無しでのキャンセルを覚悟していたこと(その旨 ホテル側にも連絡してくださっていた)
当日の 突然の計画停電実施のため 急遽キャンセルの電話が 立て続けに入って 話中になりがちだったに関わらず 
わたくしの電話が 一発で繋がったことなどを知る
あああ ほっとした
その日 すでに暗くなって 蝋燭を灯していた 18:00
ああ 今頃 喜びの披露のひと時が繰り広げられているんだな~
どうか これからも素敵な 笑顔に満ちた日々でありますように・・・と
遠い空の下の 門出を思って しみじみと 幸せな気持ちになれた 

日向で かぼちゃの種を剥く

2011 年 3 月 18 日 金曜日

腹の足しにはなりませんが切羽詰っているわけではないですが
急いですることも無いので
以前とっておいた 南瓜の種を 剥いたり
たくさん拾っておいた 胡桃を 割ったりしてみる
時折 通りかかった母や父が リスみたいに つまんでいく
いざという時 とか 万が一のための・・・て 感じじゃないね と言ったら
「今が 万が一じゃない?」なんて 飢えてもいないのにね 
また 申し訳なさが 生まれるけど
とりあえずまた 種を剥く

甘える

2011 年 3 月 18 日 金曜日

水道 無事地区の 母友人の方々が
次々と 水を 汲んできてくださる・・・ありがたい
母の人徳だわね と言ったら 小鼻膨らませる 五十鈴さん(母)
・・・なもんで ありがたくいただき 給水所行は お休み
茶碗一杯分くらいの水で みんなの食器洗ってたら
「まだあるんだから もっと使ってくれ~」と 言われた
あるけどさ 
これら 排水できないんだからさ 
庭に撒かなきゃならんのだからさ
使わんでもすむなら よかろうよ
そんなに ぬらぬら 残っているわけでもないだろうし・・・といったら
家族 めんどくさくなったのか「ま いいけどね」と諦め顔
朝食後 暇になったので 角田幼稚園に 様子見に 町中まで てくてく
天神町通りは 壁崩れ 家傾き 蔵崩壊など 目に見える被害 多し
かどっこの あいざわ商店 久しぶりに シャッター開けていたので 顔を出す
よっちゃんも ご無事でよかった
「俺も 生き残っつまったやぁ・・・。 蔵だの ぼっこれだげんともや(壊れたけれどもね) まず 大丈夫だ」
これからぼちぼち 店の中整理して はじめられっかなあ・・・だそうで。
「よっちゃん」なんて 呼んでいるけれど
市議会議員もなさったり ご意見番 知恵袋 寿老人・・・違うか・・・
とにかく 柔らかな 頭と心を持って
「茶千日 酒一日」と 酒を酌み交わして 心分かち合うひと時を とても楽しみにしている 偉大なるお方 
以前 わたくしが どのような立ち位置でいて良いのか 惑っていた頃
「頭固い奴が 政の骨組み作るのも大切だげんとも あんだみでぬ おだずもっこ(あなたみたいに ふざけた子・お道化者)の やっこい(やわらかい)の いねぇど わがんねんだ(だめなんだ)」と 温かい言葉で 背中押してくれた方 心の恩人
まずはよかったよかった なんつって 笑い話あれこれ
また びゅん!て 元気いっぱいな 気分になる
角田幼稚園は 園長先生のお母様も 合流なさっていて
「やっと昨夜は 初めてゆっくり 眠ることが出来ました」と
ああ 辿り着くまで のご苦労 気苦労 いかばかりだったか
先日 いただいた お祝いの「銘菓ひよこ」のお返しにもならぬもの ちょこっと 押し付けて 辞す
帰り道 ご無沙汰していた 良子先生やら あの人この人と すれ違い
いつもなら 気付かぬふりで 通り過ぎる人たちとも あれこれ言葉を交わして
「がんばろね」を 確かめ合う
人とのつながりが 一番の力の源だな

すぐ何かにならなくても

2011 年 3 月 18 日 金曜日

あまり活躍はしませんでしたけど・・・香炉火鉢そんなことしてなんになるの とか
そんなこといってどうなるわけでもないのに とか
迷う気持ちは在っても
一見 なんの意味もないような 役に立たないような あれこれが
次の 何かに繋がる きっかけのそのまた手前の 兆しのようなものに
繋がることになるかもしれない
自分の今の人生だって「こんなことなんになるのさ」てな積み重ねで 今に至って
でも いろんな素晴らしい方との出逢いにつながって
そう捨てたもんじゃないぢゃんか・・・と思う
この地震をきっかけに
ず~と 音沙汰無かった あのひとこのひと・・・連絡をくださったわずかずつでも
ありがたかった
「いまはなんにもできなくてごめんね」なんて 謝らないでね
とてもとても大きなものをいただいているんだから
これからにつなぐ 力が湧いてくるのだから
わたくしもためらわずに も少し 言ってみよう やってみよう
「いつまでもそんなもんとって置いてどうすんの!?」・・・てな 幼稚園・小学校で使っていた水筒を持って 水をいただいたり(すんごくわずかしか入らん)
「もういらないから捨てたら」てな 醤油注しで 盥一杯も使わぬ節約洗髪したり
「屁のような感じ」の温かさの 火鉢で手をかざしながら(電気来た今 掘りごたつ電気バージョンも復活いたしましたが)
あれこれ 思い巡らす

安否

2011 年 3 月 18 日 金曜日

残念という言葉のように 念が 残るというのであれば
瞬間で とり去られてしまった たくさんの人生・・・
いま そこここには 彷徨う念 ばかりなのでは・・・と
夢とも うつつともつかぬ 光の玉たちを見ながら ぼんやり 布団に仰向く
どうやら 通電して点いた どこかの家の明りが そんなことを思わせたのだろう
真夜中 1時頃 目が覚めた
電気が通って 久しぶりに見る 明るすぎるテレビ
淡々と映し出す 名前の数々に
まさか無いよね まさか無いよね まさか無いよね・・・と 
呪文のように唱えながら
じっと見入ったり わざと 横目で見てみたり
拳を握って  息を吸っていないことに気付く
いつもすぐ返信をくれた友人も
電話に出られなくても すぐ折り返してくださる あの方も
昨日までの わたくしみたいに
電波が届かない状態にいるだけかもしれない
バッテリーが切れているだけかもしれない
それだけかもしれない
それだけだといい
それだけであってください