2011 年 3 月 19 日 のアーカイブ

よかったこともあるんだ

2011 年 3 月 19 日 土曜日

原発がらみで 連絡が取れなかった 仲良しさん
とりあえず みんな 県外の旦那君の社宅やら 
やはり 県外の旦那君の実家にいっていて無事 と
ほっとした
ほっとしてうれしがったところで
なくなった方々のかずが 減るわけではないのだけど
いいよね こういうことは 素直に喜んでもさ
しかし 気になるぞ
このままでは ほうれん草と牛乳に関わっている人たちの生活が
何か こうむっちゃうぞ
東京電力か 日本政府で 何か してさしあげるのですか?

で・・・ほんとうのところは?

2011 年 3 月 19 日 土曜日

廃炉覚悟で 海水注入は 英断だったと きいた
アメリカ軍が 廃炉前提で封鎖する協力を申し出たのを 大臣が断ったのは 経済優先・人命さておきの判断ミスではないか・・・と 郡山市長が 悲しそうな顔で言っていた
節約しすぎると 経済が回らなくなり 日本は駄目になるから 今までどおり 夜遊びとか外食ばんばんしたほうがいい 外食産業やらが 経済的に傾いてきているから・・・東京の方で そう言っている人がいた
いろいろ考えてみて すぐにわからないことが いっぱいいっぱい 流れてくる
使わないでも世の中が回る方法に知恵を絞ろうよ・・・ではなくて
今ある形が壊れそうだから 壊さないようにしようよ・・・というのは 
好きじゃないけれど
わたくしの好きな考えが 世の中の 多くの人が 満足するわけではないことも うすうす感じている
どうしたらいいか わからずに 
いろいろな人の言葉に いったん耳と心を閉じてみる

よく寄った海岸

2011 年 3 月 19 日 土曜日

石巻での パフォーマンス仕事の帰り
まだ明るいと
いつも 野蒜海岸へ寄った
そんなに めぼしい石や貝殻はなかったけれど
あまり人も歩いていなくて
ひっそり 薄暮れの様な色の 桜貝を拾った
野蒜の駅で トイレ休憩をして
さあもう一踏ん張り 運転して帰るか~と
45号線に合流するまえの 海沿い県道27号線を 
海をちらちら横目に見て るらるらと 家路に着いた
15歳あたりの月は いつも 暮れかかる頃の 松島湾から 昇っていた
そんな美しい姿で 昇られた日にゃ
前見て走るのが難しいぞ~なんて 危ない独り言いってたんだ
もうないんだ・・・て あの海岸あたり
今 手元に 確かにあの時の桜貝はあるのに
いえもひともみちも?
うそはきらいだけど
でも なくなったなんて うそだといい

凄み増すぜ

2011 年 3 月 19 日 土曜日

いつも なにかと お世話になっている ご近所の Yさんちの 息子様
車好きで 
市長様の御付運転手なさってる 強面な ナイスガイ
ここしばらくの 上下水道お預けにて
風呂無しの日々が続くので
頭痒くて痒くて~と
思い切って 髪 剃っちまいましたと
おおお ポマードこてぴしゃ サングラスで どっかの組の者風だったけど
頭つるんこで サングラス・・・て 幹部クラスに昇格か?
明日 怖いもの見たさで Yさんち あたり うろうろしちゃいそうだ
うちの男の子チームも まだ 髪洗ってなくて 痒そうなんで
剃るか?と 訊いたら
大切な なけなしの髪 守るように はた と押さえた
わしが あの 醤油注し使って 洗っちゃる と 言ったら
二人とも 「やだ!」と 
少ない水でも すっきりしまっせ
二人は も少したっぷり水使いたいようで
んだらば たっぷり水もらってこいや~

あんだけ言ったのに~

2011 年 3 月 19 日 土曜日

父 トイレの方に入っちまいました
合理的で 筋通して 嘘が嫌いな・・・はずが
間違ったんじゃない
間に合わないのは嫌だったから 早くできるのはトイレの方だってわかって入ったんだ
水だって流したわけじゃない
ほんの湯のみいっぱいにも満たない量 出ただけだ
ちゃんと うんこは さっき ポータブルの中に 一番乗りでしたんだ
語れば語るほど 馬鹿馬鹿しくなって 
みんなで 大笑い
食事中だったんですけどね
こんな話に明け暮れる

再びばあちゃんに 助けてもらう・・・もしくは 猫に学ぶ話

2011 年 3 月 19 日 土曜日

上下水道だめ・・・てことは
本当は しっこも 流しちゃいかんのですが
どうにも みんなして わざわざ 簡易トイレあるところまで歩くのはねえ・・・になっておる
いまんとこまだ うちの浄化槽 表面張力までいってねえべ・・・なんて 油断して しちゃってました
やはり まずかろうよ
んで ばあちゃん介護の時使っていた ポータブルトイレは どうだんべ?と 提案
おおお その手があったか~と 
本日 物置から がしゃごしゃと トイレ 引っ張り出してきた
立派ですがな
浮かれて喜んだものの快適環境(おから配合猫砂入り)
ここに しっこだけ溜めて さあて どこに捨てるか・・・だ
ううう 
庭の 砂山? 猫様たちの外トイレと 一緒にする?それならば あたしゃ そこに 囲いつくって 直接しちゃったほうが 簡単と思う・・・と 言いかけて 
母から「やんだいん!」と 断固拒否さるる
ま わたくしかて そうですけどね
ん まてよ 猫様・・・ていえば 二階のベランダトイレみたいに ポータブルトイレに 猫砂入れてみんの どうかしらね?
おおお 家族一同 賛同す
で 見たら もう 予備の猫砂がなくなっていた 
ひとっぱしり コメリに。四人と二匹 お世話になります
部分的に 進入禁止だったけれど
概ね 欲しいもののエリアには いける感じ
期待していなかった カップラーメンや 餅まであって 小躍り
そんな予定外のものも加えて 猫砂3袋
それから 先日 狙ってて買えなかった 猫ご飯「懐石」のかりかり版と缶詰にょにゃにょにゃ版も購入
・・・重すぎ
レジにて みしらぬ おずんつぁんやら おばんつぁんたちと 水周りの話 猫周りの話して 和む
帰り道 てくてく途中で 案の定 レジ袋やぶけて 泣きそうになったものの
父車で 墓参り行くから そこで待っていよ連絡 入り 助かった
こんな状態でも いや こんな状態だからこそ みんな お彼岸墓参り 怠りませんのね
崩れた墓石ありながらも 結構皆さん 参ってらっしゃる様子
帰宅後 風呂場に トイレ設置&猫砂投入
うんこさんは いつものトイレで袋に入れて 燃えるゴミに・・・て 話だったのに
父は せっかく やりやすく猫砂入れたんだから うんこもここですりゃいい とな
猫砂は いつも 燃えるゴミで出していたわけだし 簡単だろ・・・と
むうう 猫砂いくらあっても足りゃしないのでは?
猫様達がやるように ちゃんと 砂かけよ・・・と マナー確認も怠りなく
やってみて 快適じゃなかったり 不経済すぎる時は
また 考え直せばいいだけさ と いっていたら
「ふふふ~♪なんか どこにしたのかわかんないくらい快適で 臭いもなし~」なんて 
母 使用第一号
簡易トイレやら 父作成のダンボールトイレ みただけで「うんこ引っ込んだ」なんて しょげていたけど これで安心だわね 
ま まだ しっこだけだったみたいですけど
とにかく 尾篭な話続きで申し訳ないですが
ちゃんと始末できるかどうか・・・て 人間の 尊厳に関わる 大切なことでありますのよん

町を回る

2011 年 3 月 19 日 土曜日

確か 一週間前って
めずらしく 部屋の片付け頑張ろう週間で
あれこれ整理しようとしていたんだった
でも いましばらく そんな気持ちは どっかにうずもれたまんま
片付いていない部屋に うっすらと埃が積もり始めている
小引き出しから 足袋出して 久しぶりに 履き替える
そういや 着替えていないんだな
午前中に ちょちょいと 町を歩く
あいざわ商店の よっちゃんのところに また顔を出す
「おう」なんて 威勢良くごあいさつ
煙草を買いに来る おぢちゃんたちやら
こんな時なのに お彼岸用の花束を買いに来る人たちと 
店内で 和んでお喋りしていた
キッチンペーパーと 青端豆を買う
「こいづは いらねが?」と 生理用ナプキンよこされたけれど
いやいや なぐなったばあちゃん残してけだ紙おむつあって 重宝してっから~なんて 別に いわんでもいいこといって おぢちゃんたちに笑われる
少しいくと 天神町の中にある 利寿司さん 道路で「すけろく」を 売ってらした
おおお ご無事で・・・など 普段あまり話さないのに あれこれお喋りして 1パック買う
アジアバザール仲間 しんたなの たかっさんの お店に顔を出したら
「いやいやいや~まず 無事で~」と 片づけ中の軍手のまま 少しやつれてはいるけど いつもの 笑顔
何年か前の 宮城岩手内陸地震で 天神小劇場の蔵 使えなくなって そのうち再建してまたやろうね~っていってたのだけれど 「またこれでさ 中に入らんねぇ」 と 
何人かの 消息の確認したり
以前 アジアバザールなどにも 何度も来てくださった ジャグリングの マサヒロ水野 お師さまが 心配して電話くださったことなど伝えて
でもま 無事でなにより お祝いお疲れさん会すっぺね と 約束して 別れる
仲町方面に曲がったら かどっこの セブンイレブン寺島さんが 営業なさってた
何かあるかな?と 覗いたら 
おお!肉豆腐やらカレーの弁当
どうしても食べたい・・・というのではなくても つい 買ってしまいました
ほかの棚も ほとんど物はなく梅はさいたか
でも 贅沢だけど ちっこいチョコレートと ガムと 粉チーズも買った
こうして 少しずつ また 便利生活に近づこうとしちゃうのね 
なんて 反省しながら
遠足の小学生みたいに うきうきガム噛んで 遠回りしてかえる
遅咲きの梅が ひゅ~んと 風に 香りをのっけてきた
温かくなっていけ~
花開いていくぞ~

それで収まるなら

2011 年 3 月 19 日 土曜日

余震続き
でもそれで 地球の中の「あんべえわりぐ いづいどご もどぬ もどんだごったら かまねぇ」(ちょうしがわるくて おさまりがよくない・何かひっかかっているようで気持ちよくないところが もとにもどるのであれば かまわない)
それで済むなら ゆれろゆれろ・・・でもちょっとだけ
危うくなっているところを 崩さぬように
崩れそうな心を 壊さぬように
ゆりかご程度に
あやすように
それでもう おわりにしてください
「ずっと 揺れてる感じが 抜けない」と 困りがおの おばんちゃんたち
そう わたくしも 自分の足の動脈静脈が どくんどくんしているのか
はたまた 余震なのか わからなくて ついつい 部屋の照明器具を見上げる毎日
揺れることに慣れても
多くの人を亡くすことには 慣れたくない

活躍したもの しなかったもの

2011 年 3 月 19 日 土曜日

薄汚れたバナナみたいだがNHK朝の 情報番組でやっていた
簡易トイレ 参考作品
父が ちょちょちょっと カッターで 作りましたけんど
やはり そのちょちょちょっと 作った程度の物では
体重なんぞ支えられるものではなく
「危うく うんこした上に座ることになりそうだった」「うんこもひっこんだ」などと
笑い話になって 破棄
台所においてありますけど これ 結局使わなかった・・・のだっけ?
一方 神戸に本社のある 毎月わくわくなものを 届けてくれる 通信販売 Felissimoにて 購入した 自家発電 懐中電灯
バナナみたいで 可愛い奴
じゃこじゃこじゃこじゃこ 握って 発電する すぐれもの(若干の蓄電もできる) 
うるさいけれど とても助かった
おかげで わたくし 握力鍛えられたかも
使えるもの 使えなくても工夫できるもの
日々 学習していくのであった

罪悪感

2011 年 3 月 19 日 土曜日

生ぬるい 被災のくせに
こんな 甘っちょろいわたくしにさえ 生まれる
無事でよかった思いのうらっかわに はりついている「でも たくさんのかたがたが 亡くなってしまったというのに・・・」という思い
「サバイバーズ・ギルト」という 言い方をされているものらしい
普段から 役立たず感を もってはいるけれど
地震の後 
ことさら 何も出来ない 自分が こうしていることに
ごめんなさい と謝ったり
そんな 思いを 見ない振りしたり
「津波で 握っていた手を 離してしまった・・・」と 連れ合いの方をなくした方々が その手の先に あったはずの 手に目を凝らすように ポツリと語るのを見て
わたくしの中にある ささいな 罪悪感なんかより ずっとずっと 計り知れないほど 大きくてこれからも長く続くであろう 罪悪感・喪失感を 思って 震える
ずっとずっと前 仙台の駅前のアーケードで
いつも土曜朝に そこを通って ピアノ仕事に行っていた わたくし
ある寒い朝 「今日は おひさまの当たる 一本南側の道を行こうっと」と
本当に 偶然に いつもと違う道を選んだ
そして いつもの道をあたりを通り過ぎる時 ふと 見やると
何かが その道に 点々と落ちているように見えた
人々の動きが止まっているように見えた
でも 仕事へ急いで その場を離れた
後々 その時そこで 人生を終わりにしたくなった人が アーケードを トラックで暴走して たくさんの人を巻き添えに死んでしまおうとしたことを知った
その時 いつもどおりに歩いていたら わたくしも その点々の中に入っていたのだろう
難を逃れたね よかったね 守ってもらえたんだね 強運の持ち主だね・・・
たくさんの ねぎらいの言葉をもらって
自分の中でも 「よかった」程度で 済む話だと思っていた
でも 素直に喜べぬまま もやもやして しばらく その道を通ることが出来なかった
なんの 怖い目にもあっていないのに
そこに近づくと 震えたり
その話をしようとすると また震えと嗚咽がこみあがってきた
なに被害者でもないくせに 被害者ぶってんねん 悲劇のヒロインきどりかよ ば~か・・・と 自分で突っ込んでみるも 
その先につなぐ言葉が浮かばなかった
そのころ保育園で よく添い寝をしていた 男の子のおばさんに当たる方が
たまたま その朝 そこを通って 亡くなられたことを知ってから
もっと もやもやしたものが 重たくなっていった
「事件に直接 巻き込まれたわけでもない方も PTSD相談窓口へ来てください」と 仙台市からのお知らせもあったけれど まさか わたくしには 関係なさ過ぎだと 思って行かなかった
何年かして もやもやは 大分 薄れたけれど
きっと 大きな傷に育つ 種のそのまた前の 蘂程度のものは あったのだろうね
何故そんな思いが わざわざ生まれてくるのかはわからない
わからないけれど
そういう 萌芽を 感じ取った 自分にだからこそできる 何かがあるのかもしれない・・・というのを
今は 頼みの綱にしている