2025 年 3 月 1 日 のアーカイブ

笑ってくだされ

2025 年 3 月 1 日 土曜日

恩師 八島幸男先生の 葬儀

時間確認を 

病院へと 出かけていた あんちゃに 看板見かけた?時間わかる?と 訊いたら

メールにて しっかりと「15時30分から 聖天苑だよ」と もらったので

ならば 母の 昼ご飯と お昼寝助太刀終えてから 参れる と

あれこれ 支度して

でも 珍しい時間帯だなぁ 大抵 13時(午後1時)あたりの 多いのになぁ と

そこで

己で確認すりゃよかったのですけどね

なんだかんだと 間際まで どたばたして

車飛ばして 駆けつける最中に 看板

はっ!

十三時三十分から て ありますけど!?

やはりか…

2時間も 葬儀やってることって 殆ど無いだろうけど と

とりあえず会場へ 行ったらば

お片付け中

ご遺族の方も 納骨へゆかれたそうで

ただ おひとかたご遺族関係の方 おられて

御香典託しました

お墓は うちとおんなじ 市営墓地にあるそうなので

ここで ご焼香しても 意味ないっすよね また 後日改めてまいります…とか 

わさくさどさくさ と お話して(スタッフの方も いつもながらの 過不足なき対応いただきまして)

ああぁ もう 泣き笑い

「あんたは ほんとに 慌てものなんだから 落ち着いてっ!」て 先生からも 叱咤&呆れ笑いされてる気分ですわ

うん 笑ってくだされ

どうしようもねぇなぁ と 腰砕けつつ

あんちゃっ!さんじはんからでねくていちじはんからだったでばっ!と 帰宅後 報告したら

「あらら」ですと

笑っちゃうね

気持ち落ち着けて

次なる

ご用事へ ご〜!だ

お金のかけどころ

2025 年 3 月 1 日 土曜日

飛行機突入対策…つうなら 全廃が 一番だが どうか?

有事なんちゃら…てのも こことこ ざわざわと 動いてるようだけど

ちゃんとわかりあえるはなしあいかたしたんだっけ?

「話してわかる相手じゃない」的な刷り込みじゃなくて?

睨む眼差しって 相手からも「なにがんつけとんぢゃわれぇ!?」的な 気持ちにさせるのではないかなぁ?

お花畑的思想て 揶揄されたりもしつつ

でも そんなことに お金使ってっから 困った人たちが困ったまんまなんだよ

この先 もっと 子孫繁栄なんて考えたくない社会になってゆくよ

考え方が 健やかじゃないよ…て 思うのだが…

『ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。』原作者の 加藤就一さんの 投稿から

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やったー❣️新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働が2029年に延期と報道されたア!記事によれば特重と言うテロや飛行機突入対策関連施設の工事が遅れるからだって。その理由は作業員の人手不足だと。もともと新潟の報道メディアさんらは少しは遅れるだろうなとどこも推測していたんだけど『4年も延期』に皆「???」はてと首をかしげているそう。4年と言う滅茶長い延期、その理由が”人手不足⁉️” 怪しすぎる。だって柏崎の原発は大フライングしてて、現知事の了承も県民の了承も得ていないのに、核燃料を既に装填してしまっているのだ…今回のこの発表、こりゃ絶対に何かあるなと踏んだ。な訳で今、新潟界隈の素晴らしい知人にお願いして、裏話を探ってもらってます。六ヶ所村再処理工場は 27回も延期延期で何十兆円も使ったのに完成しない、それには推進側が口が裂けても言えない大きな秘密があります。柏崎でもそれと似た大問題が起きていると想像します。六ヶ所村延期延期の真実と柏崎の秘密は、また近いうちに。乞うご期待。

柏崎刈羽 #原発

特重 #裏話 #六ヶ所村

再処理工場

生きてる仲間として

2025 年 3 月 1 日 土曜日

今朝の母

お出かけ用事ないけど

9時前には トイレ助太刀要請で 目覚めたので

そのまんま

起きてもらうことにした

しかし あまり 覚醒してない感じのまま

上体も 保てず ぐにゃり

曲がりまくってて

わたくし 洗濯してる間に 転がったら 一大事!と

車椅子の肘掛けのとこやら 腹のあたりやらに 

クッションぐいぐいと 詰めて なんとか 転倒防止

こことこの 寝坊させ過ぎも 血糖値上昇に関係してるかも と

毎日 しっかりと起きててもらおう と 思うものの

起きてても ぐにゃりのまんまで

ついつい 昼寝も 起こさず 長めになりがち(昨日も わたくし帰宅時…ばんげのあたりまで 昼寝継続であった)

やりとりも もやん として

出る言葉は「いでで…」ばかりだとしても

好きなもの食べるときは 能動的なので

今食べでんの んまいべん?と 問いかけたり

しつこく訊けば「痛ぇがら…」と 自分の痛みに いっぱいいっぱいになってると 応えてくれる

それも生きてる証拠さっ♪なんて 言ってみるものの

それがなに?と 問われたとしたら 

きっと うまく応えられない

でも 何億年もの 命の 知恵と工夫に繋いでもらって 今生きているということを 全身で受け止めて喜んで

かなしいつらいこともあるとしても 

つないでいこうぜ という 生きてる仲間としての エールみたいなものかもな と 思う

生きてるうちは 生きようぜ てことなのかなぁ と

逝ってしまった 存在に 思いを馳せたりしながら

死ぬなんてことなけりゃいいのに!なんて 思ったり

おのが利益にのために 誰かを傷つけることをよしとする仕組みなんて なくなればいいのに!!と 悔しくなったり

今日は 心が ざわざわしたまんま

でも 春が巡ってきているという実感を 噛み締めているところ

呆然としてしまう

2025 年 3 月 1 日 土曜日

昨日の うれしいたのしいひとときの振り返りも せぬうち 爆睡し

今朝目覚めたら

特殊洗濯が発生してたぞ

朝から 洗うぞ

午後には あちこち お出かけだぞ と

比較的 活発に 動き始めたところへ メール

幼い頃からの ピアノ恩師 八島幸男先生が 亡くなられたの ご存知かもしれませんが…という おしらせ

なんと…

呆然としてしまう

震災後 しばらくして やっとこ 市民センターが 改修されて

いろんなコンサートなど 復活していくよ のときに

ぶんぶんでオープニングパフォーマンスしてるとこ

お目にかかれて

「聴こえなくなっちまったから 楽譜の勉強すっかと思って」なんてすごいことおっしゃってたの

90代も 半ばのあたりではなかったか…

100歳を超えられて 角田広報に お祝いの写真載っておられたのも 数年前

…ああぁ

今の自分へ いたる道の 多くの部分を 育てていただいた存在

ばりっばりの「鬼の八島」の 時期に

音大進学のかたが てんこ盛りにいたってのに

ろくすっぽ練習もせず へろへろと レッスンに通って

手を叩かれても 

楽譜投げられても しれっと やめずにおって

しまいにゃ 同級生が どんどん それぞれの道や 受験専門の大学関係のかたに うつっていって

「よりにもよって あんだが 残ったのか…」なんて 呆れ笑いされて

でも 角田少年少女合唱団の 伴奏やらなんやら させていただいて

「今はもう 鬼でなくて 仏の八島だから」なんて 笑いながらも 演奏会前日の 鬼!なとこ

むしろ 長じてからは 微笑ましく 見せていただいていた

楽しかった

コーラスフェステイバルでの わたくしの 伴奏を

「聴こえなくなってきた俺の耳にも 届いたよ」て 言ってくださったことば

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呆然としてしまう

空をみあげて みる