地元紙に 隔週で載る 辺見庸氏の「水の透視画法」
この方の 透徹した 眼差し
他人でも 自分でも 容赦なく 切りつける
しかも 悪意とか善意とか 湿った感傷を許さぬ 真っ直ぐさで
心の奥まで ぐさ と 届く
昨年 あんちゃの くも膜下出血手術のあたりで
前から 好きではあったけれど 宮城出身で やはり脳の手術を経て
思い通りにならぬ身体を まるで 引き起こし 縛り付けるようにして 言葉を綴る姿勢に
再生の希望のようなものを 見出したくて また 注目しなおしたのだった。
以前のように さらりさらりと 知識の蓄積の中から 引用などができなくなって もどかしい・・・と おっしゃりながらも
その 一部 あやふやになって 輪郭が定まらぬ分
ただの引用ではなく とても 普遍的な 物事の片鱗に 羽化したようになって
むしろ 以前の文章よりも 重い振動を伴って 届いてくるような気がする
ま、 わたくしごときに 語られちゃ 迷惑ってもんでしょうが
世の中 ちっこい集まりの中で 誰が良いかな どうすりゃ 思い通りやれっかな
なんてことごしゃごしゃやって 浮ついて
決起!なんて 避暑地で おだいじんさまが 優雅に飲み食い研修している日に
近くに住む 生活保護を断られた とある男性が 熱中症で 亡くなったこと
研修をするなら そういう住居の 布団に 横になって 民意を汲み取れ と 怜悧に しかし 熱を持って語る
どちらも 地続きの 日本で 同時に起こったことなのに
双方の つなぎ目が見出せぬ と
これは 格差で片付けて良いのか?
意味づけなど無意味だけれど
政治のための政治なんて 辺見さんの 鋭利な思考の刃物で 切りつけられたら良いのに
でも おだいじんたちは いつも 刃物など届かぬセキュリティ万全の 安全弁の中(あくまで 思考の刃物であって 実際の銃刀法に触れるもので 切られろ とは 思ってません 念のため)
ぼにゃけた わたくしになにもできぬ 無力感じつつ
せめて このようなことがある 思っている人がいることぐらい 思い知れ!と
叱咤 受け取る思い
2010 年 9 月 14 日 のアーカイブ
隔週で打ちのめされる
親はなくとも
畑にうっかり出ていた柚子芽を 壊れた急須に ちょこっと植えかえてた
何もこんなとこに・・・と 呆れるくらい ちっこいのに 産卵しちゃった あほうアゲハ
五センチ足らずですもん あれれ と言ってる間に 丸坊主
もっと 大きな木があるってのにね。
で、先日 まだまだ 畑に ひょんひょん出てきているので
植木鉢に植え替えて その丸坊主の横に 置いてみた
生き方が 遺伝子に組み込まれているんでしょうかね?
鳥糞幼ちゃん しっかり 隣の 植木鉢に 移って
もしゃもしゃ 始めてました
よくみりゃ 二匹になってた。
まだ 何本か 苗 残っているので 植え替えておこうかな
ちょっきん!されぬよう 父にも「幼ちゃん用の 植木鉢だから」と 宣言しておいた。
大きい木にいる 先輩みたいに はよ 黄緑になってくれ~!
んで よかったら 触らせてくたされ・・・臭角出してくれたら なおうれし
小雨の畑周り
ミリトマト そろそろ ちっこいまま赤くなるどころか
ちっこくて うすきみどりのまま を 保つことにしそうな気配
何がどうなったら収穫していいものやら・・・と 思っていた 南京豆は
それらしき姿を ちょいとのぞかせ 可愛らしいったら
あずきも 鞘が 黄色くなってきたものもあって 収穫間近かも
「モロヘイヤは 頭切ったほうが 横にどんどん伸びるんだ」と 父に言われ
いや今めんこい花咲いているし 種とりたいからさ・・・つったら「また 種かよ」と 呆れられる
種好きだもん
しばらく見なかった ナミ幼ちゃんもいたり
もしかして 相方も食っちまって 産卵も終えたかもしれない スリムな かまさんもいたり
あれこれ種を こっそり埋めたエリアに まだ何物か よくわからない芽が出ていたり
楽しく 賑わっておるる♪
重い 思いの腰を あげる
昔 どんな音も 音階に聞こえたり
遠くの音や ほんのそよぎのようなものまで 音として 受け取っていた頃
もっと 神経質に 反応したりしていた。
高校の頃 右耳で 時計の秒針音が 聞こえぬことに気付いて
耳鼻咽喉科に しばし通ってみたものの
病名もなく 何の回復も見られず いつしかやめてしまった。
絶対音感に近いものがあったけれど
そんなもの 楽器の無いところで歌うときの 音取りに重宝されはしたけれど
楽譜を持って 「この曲を3度下げて歌いましょう」なんてなことになると
楽譜を見ればもう 頭の中で その音がなる身としては
いったん頭の中で 楽譜を書き換えるような作業が必要で かえって つらかった
んで、なるべく 音を 認識する回路を絶つ・・・というか 蓋をするというか
なるべく でたらめに 受け止めようとし続けた
ピアノも 調律しないでみたり(うちで 弾いてくれてた お子達 すまぬ)
いつしか あやふやなまま でたらめなままでも つらくなくなってきた
かえって 応用利くようになったし。
それと 同時ではないけれど 少しずつ 身の回りの 高い波長の音から 遠ざかるように 聞こえなくなっていて
電子音・虫の声・鳥のさえずり・鈴の音・・・そういうものが 気配だけで 記憶の底に沈んでいった
哀しかったわけではなく そういうものだと いつしか流れ着いた 周りの風景や様子を そのまま 受け入れていた感じ
人によっては わたくしが 聞き取りにくい声質だったりして
何度も聞き返しては 煩わせてしまって 申し訳ない思いもあったし
人によっては 苛々と「何回言えばいいのか」なんて 怒らせてしまったりして
・・・でも なんとかなっていたもんで わはは すんまへん なんて 他人事みたいに笑っていた
ただ、今年 夏風邪っぽくなった時 聴こえマシな左耳の 不調が 戻らず
得意としていた 低音が 難有りになったまま
長年頼りにしていた バランスが変わってしまって
しかも 耳だけというより どうも 頭の中?の違和感・・・
気のせいかどうかわからぬのだけれど 身体感覚については いつも ゆっくり向き合ってお話しするようにしていたので
とりあえず そんな「気」がする自分の感覚に 耳を傾けてみる
もう何年も「また 病院いきなはれ」といわれ続けていたのを のばしのばし
家族が・仕事が・・・なんて言い逃れをしていたけれど
そろそろまずいな と 実感してきて(あんちゃも「今までもそうだったけど、この頃の聴こえなさは すごすぎないか?」と母によく言うらしい) ちら と母にも言ってみた
軽々しく「頭」なんて言ったもんで 母 いつも以上に 心乱れさせてしまった すまない
一歳のときの 大手術(硬膜下血腫)のことなんて 何の影響も無かろうけれど
今朝 その頃の 記録 引っ張り出してきた 母
手術後 摂取した 食べ物の名前・グラム数・カロリー
30分置きに測った 巻物状になった 手書きの体温グラフの(20日ずっと 母は ろくに眠らず 計り続けたようだ)
じいちゃんによる 退院のご挨拶の 葉書
体温グラフには 輸血・痙攣 いろんな書き込み
父の友人が 交代で来てくれたり 輸血をしてくださったこと
手術後 意識が戻ってからは じいちゃんが わたくしを 肩車して 兵隊ラッパを吹きながら 病院廊下を練り歩いたこと(大迷惑!)
今も残る 頭の傷を からかわれて 泣いて帰るたび
「これは 大変な手術を 生きて帰って来れた 勲章なんだ~!恥ずかしくなんか無いんだ~!」と
あえて 傷にまつわるあだ名で 呼び続け 叱咤激励してくれた じいちゃん(でも お年頃過ぎるまで 恥ずかしさは ぬぐいされず しょうがねえ娘っこ)
いままで もう何度も 聞かせてもらっている話でも
そんな資料を目の前にすると ありがたさと 申し訳なさで 朝から 涙出まくり
おかげで 午前中の ピアノ伴奏仕事で 「大丈夫?体調悪そう」など7~90代の方々から 労われた・・・面目ない。
こんなに多くの人にすくい上げてもらって 支えられてきた 身体を
ま いいやですませるのは とんでもなく 申し訳ないことであるわ・・・と 恥じ入る
で、近々 本腰入れて 検査したりすっかな てことに しました。
即 病院に走らんとこ ぼんくらさんですけど
来月は 父の 仮ストマ 戻し手術 あるかもしないし・・・なんつったら
昨年の わたくしの秘蔵っ子 大腸ポリープちゃん摘出手術 決心の時と同様
「自分の治療の心配以外に 娘のことまで心配しなくちゃいかんのは うんと しんどい」てな言われ方 父からも
ま、そうでしょうね
大事になるか なあ~んだになるか どっちにしても いろんな意味で すっきりできそうですわん。
最近のコメント