隔週で打ちのめされる

地元紙に 隔週で載る 辺見庸氏の「水の透視画法」
この方の 透徹した 眼差し
他人でも 自分でも 容赦なく 切りつける
しかも 悪意とか善意とか 湿った感傷を許さぬ 真っ直ぐさで
心の奥まで ぐさ と 届く
昨年 あんちゃの くも膜下出血手術のあたりで
前から 好きではあったけれど 宮城出身で やはり脳の手術を経て
思い通りにならぬ身体を まるで 引き起こし 縛り付けるようにして 言葉を綴る姿勢に
再生の希望のようなものを 見出したくて また 注目しなおしたのだった。
以前のように さらりさらりと 知識の蓄積の中から 引用などができなくなって もどかしい・・・と おっしゃりながらも
その 一部 あやふやになって 輪郭が定まらぬ分
ただの引用ではなく とても 普遍的な 物事の片鱗に 羽化したようになって
むしろ 以前の文章よりも 重い振動を伴って 届いてくるような気がする
ま、 わたくしごときに 語られちゃ 迷惑ってもんでしょうが
世の中 ちっこい集まりの中で 誰が良いかな どうすりゃ 思い通りやれっかな
なんてことごしゃごしゃやって 浮ついて
決起!なんて 避暑地で おだいじんさまが 優雅に飲み食い研修している日に
近くに住む 生活保護を断られた とある男性が 熱中症で 亡くなったこと
研修をするなら そういう住居の 布団に 横になって 民意を汲み取れ と 怜悧に しかし 熱を持って語る
どちらも 地続きの 日本で 同時に起こったことなのに 
双方の つなぎ目が見出せぬ と
これは 格差で片付けて良いのか?
意味づけなど無意味だけれど
政治のための政治なんて 辺見さんの 鋭利な思考の刃物で 切りつけられたら良いのに
でも おだいじんたちは いつも 刃物など届かぬセキュリティ万全の 安全弁の中(あくまで 思考の刃物であって 実際の銃刀法に触れるもので 切られろ とは 思ってません 念のため)
ぼにゃけた わたくしになにもできぬ 無力感じつつ
せめて このようなことがある 思っている人がいることぐらい 思い知れ!と
叱咤 受け取る思い

コメント / トラックバック 2 件

  1. akaru より:

    その記事、わたしも読んでます。
    いつも、胸の奥をえぐられる思いで読んでます。

    • bunbun より:

      そうでしたか 
      神戸のほうでも 読むことが出来るのですね
      お会いしたことが無くても akaruさんが 同じような思い(わたくしなんかが言うのは とても失礼を承知の上で)に 
      胸を震わせていらっしゃることを 知って 嬉しく 
      また このご縁の不思議な ありがたみのようなものを しみじみ かみしめております

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