とある 制作に絡んでの ちょっとしたことで んむむ・・・と 思ったこと
このままでは もやっとした 思いが
よからぬ形に育ってしまいそう・・・と
伝えてみた
でも それは いちゃもんつけようってんではなく
大きくなる前に 正直なところを伝えておいて
それについての 向こう側の思いや事情を聞かせてもらった上で
一緒に進めて行けたら良いな・・・ということ
かえって「申し訳ない」思いをさせてしまって こちらが申し訳なかったけれど
でも 一緒にやっていく上では もっと 様子うかがうでなく
手の内を 見せながら すっきり やっていきたいんだ
すみませんでした Iさん Kさん
過ぎたる お気遣いいただいたりして 恐縮です
これからも宜しくお願いいたしまする。
で・・・個人的な 人付き合いも そうありたいんだけど
大抵 「そんなことまでいうことないぢゃん」とか「おとななら だまっているもんだよ」とか
「けんか売ってんの」とまで 言われちゃうことあるんだ
黙ってないふりしてるのが良いのか?
ことばの選び方がまずかったのか?(以前「なんて言ったっておんなじ」と 言われたことはあるが 出だしで失敗だったかも)
仲良く共にやっていきたいからこそ 手の内みせまくりなんですけどね。
様子うかがって 推測したり けん制したり・・・てのは
結局 どんどん 発言しちゃった方が 知られた弱み というか
分が悪くなるようなのを 懸念してのことか?
取り澄まして 優位保って なんの 実を結ぶ?
うまくいかねえなあ
2010 年 9 月 13 日 のアーカイブ
けんかうってるわけぢゃなく
光のような 花束のような
来週の ひまわりピアノ・ヴァイオリン教室での パフォーマンスについて
主宰の 瀬上むつみさまと 打ち合わせ
綿密に 段取り打ち合わせから・・・なんてことよりも
なんとなく いろいろなこと・ものにまつわる思いを 話し 分け合っていく感じ
共感する部分がたくさんある ということだけではなく
むつみさんが 生きてこられて 実感として得た 思いを
言葉や 力加減などが とても 人に届くように 選んでいるのだなあ と その優しさを思う
わたくしが 嬉しがることばかりを 言ってくれているから というのではなくて
その 思い 選ばれた言葉 ひとつひとつ とても 希望に繋がる というか
光に向かっている感じというか 花束をもらったような・・・ああ この人 好きだぁ て思う
一足先に いただいた プログラムの冒頭に「小さな頃から大切に育んできたレッスン生たちです」という 一文が 実感として迫ってきて なんでか 涙にじむ
生徒様への思いなども あれこれうかがっていたら
どうにも 焦点が定まらずに もやもやして 自分の 中で
いつまで もったいぶって 何ごねとるんぢゃ!?と 焦れていた部分が
ああ ここでは こっちの方向でやりたいかも・・・と 見えてきた気がする
この瞬間の為に もやっとしていたのね
なんて 自分の 怠慢を 棚上げて 言い逃れしてしまいそうだけど
思いの中にも 光を当ててもらった気分
来週 皆さんの思いの中に わたくしが 花束を 捧げるような思いで やらせていただきまする
ものものに 映す思い
ふと 昔 書き散らした ノートの一文に出会う
なんのためなのか わからぬほどに とんがって
牙も刃もむき出して 切りかかるような かつての わたくし
うわべなど 許さぬとばかりに
皮をはいで 取り繕いを剥ぎ取って
剥いてめくって・・・挙句何も無かったと 嘆く
まるで 玉葱の皮を剥いて 中に何も無かった・・・と 嘆いていたようなものか?
その皮一枚一枚が 充分に そのものの存在であったことを その頃の自分に伝えたいような気分
でも 泣きながら 一枚一枚 剥いでゆく 徒労のような行為も
それもそれで 若さの ほとばしりのようなものだったのかな
昔の 鋭い牙に 噛み付かれそうになって 照れ笑いつつ 玉葱を剥いてみる
みしみしの原因 もっと
ジャズフェス がっつり 立ってみてたから・・・てのもある
でもその前に 頼れる?うっし~の
部屋の真ん中で よそ猫侵入阻止のための 番猫状態 昨夜も でして
布団がちゃんと敷けず 「く」の字ならぬ 「ん」の字 もしくは「そ」の字になって 寝たのでした うう
あと 仙台からの帰り道 道路に 例の ぴょんぴょこさんたちが 飛び出してきて
うわあああああ~ん つってね あああ いつになっても慣れないわ
肩に力はいりまくり
明日 つうか もう今日だな 起きられるかしら とほほ
ま、うっし~は さっき あんちゃの部屋に 移動したので 今のうち ちゃんと 布団 敷いとこっと
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