2016 年 12 月 23 日 のアーカイブ

音楽に洗い流してもらう

2016 年 12 月 23 日 金曜日

圧倒的に 透明だとか

美しいとか

そんな 音楽たちに 洗い流してもらう

雲も流れている

流れだそう

シトーレン

2016 年 12 月 23 日 金曜日

クリスマスシトーレンのこと

はじめに教えてくれたのは あんちゃであった

食べ物のことを取り上げる 出版社に 勤めていた頃

パン特集の ムックに携わり

そこで あれこれ 知識を得て

パンにもこだわるようになった

特に ドイツパンに 凝ったのだったな

それで シトーレンの話

クリスマスを待ち望む期間に

すこうしずつ(五ミリから 一センチくらい) 切って 食べてゆく…とかね

文学的 浪漫なる 語り口だった たぶん…

見知らぬ風習ではあるけれど

待ち焦がれる感じが なんだか素敵で

それ聞いて以来

アドベントの気持ちもない 森家ではありますが

つい 買ってしまうのでした

んが しかし「すこうしずつ」と 教えてくれた あんちゃ

五センチくらい ごっつり切って 食う

なにが すこうしぢゃ!?と 問うと

「わかってても ほら そういう文化じゃないし」とか

しれっと 言うわけだ

むうぅ

でも それはそれでまた 別のシトーレンなんかも 買いにいっちゃうわけで

「ここのは…」なんて こうるさいこと言われた日にゃ

ごっつり食うやつに シトーレン批評される 筋合いねぇやい なんて

小憎たらしいこといってみたりする 妹わたくし

んでも

「お♪これ んまいね」て 言わせたかったりして

あちこちの 手にいれるのでした

今年は ficelle パン工房の シトーレン

大事大事にして 五センチには 切らせませんでしたもんで

まだあと 二センチほど 残ってる

クリスマスまて 2日だから

今年は ほかの シトーレン なしかなぁ

もしくは クリスマス以外も 焼いてくれる「バーニャのパン」の シトーレンかなぁ

そんなこと ぼんやり思う

本末転倒的 森家アドベント

稜線

2016 年 12 月 23 日 金曜日

どこにでもありそうな 山の端 

踏切

薄暮れ時

でも 

幼い頃からみていた ずろたろやま(次郎太郎山)の 稜線

「またね」と いいながら

楽しい時間を 閉じねばならなかった 切なさや

懐かしさを撫でる

ここ…胸のうちにしかない 心象風景

照らしてもらった

2016 年 12 月 23 日 金曜日

照らしてもらった

ありがとう

また 照らしてね と 

土へ 埋める

子孫を繋ぐ そのいのちの向き…遺伝子と

繋げたい また 照らされたいという 己の 欲との

符合

幸せなる 重なり

己の欲求のぶつけ合いばかりになりませんように と

空へ 思いを 放ちながら

深呼吸しつつ

2016 年 12 月 23 日 金曜日

昨夜は 保育仕事のあと ピアノ仕事終えて

遅めの帰宅

へとへと が からだだけでなく 心持ちにも うっすら まとわりついていた

それぞれの自尊心からくる 意地の張り合いみたいなものやら

弱味に つけこまれるような「金銭問題」やら

ちちははの どうにもできぬもどかしさから来る ぶつぶつちくちくいらいらやら

あんちゃの 悪気一ミリもないむちゃぶりやら…

なんやらかんやら…

それぞれ とってみれば 些細なことなのだけれど

んもう どうにも まとめて 団子塊

どす~ん と こころとこらだに のっかって

視線を 水平より上に 上げられぬような 心持ち

まずいぞ

でも 吐きたいようなる「毒」を そのまんま 撒き散らすと

自他ともに ズタズタに 爛れそうな感じも わかるぞ

ううう なんだこりゃ

余計な口きくと 泣きそう…てのは かなり 疲れてしまってる

いかんな 

己の目の前だけに とりあえず 毒を並べてみる

それぞれが通したい筋は それぞれで間違ってないつもり…なのか?すれ違いはなんなのだ?

そんなこんなぐなぐなしているうちに 自室にて 記憶寸断寝

めそめそしてるであろう母の マッサージも おしっこ助太刀も やらぬまんま

変な形で 寝入ってしまっていたのに気づいて 

真夜中すぎ 寝直した

生暖かな 夜風のお陰で

風邪など引くこともなく

朝 寝坊したものの

結構すっきり目覚めた

寝て どうにかなるなんてもんは

ほんと はなくそ

気の迷い 気のせい

「気」の 野郎に からだまで どうにかされるとこであった

一時の 気の拗れを ぶつける 発散でなく

大切に思うことを 守るために 届く力加減で 伝えればよい

そんなこと 改めて 思って

深呼吸しつつ あま茶など 飲む

だいじょぶだ