2016 年 10 月 11 日 のアーカイブ

『破片のきらめき』

2016 年 10 月 11 日 火曜日

「芸術とは、治ってはいけない病気なのだ」

にしぴりかの美術館で であった 本木健さんの ことば

作品も ことばも 胸の奥の奥まで ぐいぐい迫ってきて

息がとまりそうにもなった

この力は なんだ?

詳細を 知らぬ人の 心を揺さぶるものとは…

「にしぴりかの映画祭」では 観ることのできなかった 本木さんも 出演なさる ドキュメンタリー『破片のきらめき~心の杖として鏡として』の DVDを 買った

精神病院内の アトリエに通う方々を 10年以上に亘って記録した 高橋慎二監督の作品

さまざまな「症状」を 持つ人たち

その 原因や 治療法を 掘り下げるでなく

淡々と しかし 柔らかに 添うように 

日々様子を うつしていた

その 片寄ったような行動の 数々は

突飛なものではない

わたくしのなかにも 相似形がある

馴染みのものばかりなのだ

かつて なかなか人と同じようにできないことや

突き上げるような 衝動に

己の 狂気という萌芽に おののいたこともあった

あの なつかしい手触り…

おさまりきれない たましひの 躍動を

枠におさめるのでなく

伸びゆく方向へ

息切れしたら 待ったり 息つなぐ 生きつなぐ方へと 手をさしのべたりもする

「たましいの営みの場として」そこにあるアトリエ

これは 病を得て その場に 巡り会えたのが むしろ しあわせで 羨ましくさえある

にしぴりかの映画祭の 座談会で 同じく高橋慎二監督の フランスの アトリエ ノンフェール(なにもしない という意味)についての ショートムービーに触れたときも 痛感した

「社会の枠組みに合わせられる」ということが むしろ 病であるのかもしれない

そんな 小手先の器用さで 魂を封じ込めることができる 多くの人たちにこそ

実は 手をさしのべ 解放されねばならないのではないか…ということ

そんなことを 思いながら

絵だけではなく「ことばの人」でもある 本木さんの 詩画集を 再び めくる

『或る決意 重大な』の 一節

「一日一日 ただ与えられた時間をこなしていくのではなく 語れ 語り得ぬものを 未だ人生の途上なのだ」と

問われる 己のあり方

やはり 震える

揺さぶられる

問いながら ゆこう

「命の楔 命の礎として…作品は共に在る」

うん

そうして刻んでゆこう

塩パンは なかったことに…

2016 年 10 月 11 日 火曜日

角田幼稚園のあと

hori-panさんに 行った

ローズマリーと 岩塩の フォカッチャ 二分の一と

クリームパン2つと

ほりぱん的 塩パン3つ

…ですが

帰路 車

うねうね曲がり角で

パンの袋が ずれたで

直そうとしたら パンの かほり ほわり♪

たまらず 塩パン あむっ と してしまった

一口で 止まるブレーキがなくて

暴走(車は 安全運転)

塩パン 一個は なかったことになりました

んまい♪

ほりぱんさんは どれもこれも 隅々まで んまいなぁ

らぶ♪

落着

2016 年 10 月 11 日 火曜日

どきどきして とんま抜けな お薬不足申告

結果待っておりましたらば

コンピューターなどで 在庫との照らし合わせしたらば

めでたく? 在庫が 登録数より 多かった…てことで

もらうことができました

ふぅ

たまぁに あることらしいけど

もしも 誰かのところに 間違って 多目に渡されちゃって

プラスマイナスゼロになってたら もらえんかった てことにもなるな

これは 受け取ってすぐ 確認きちんとしないといかんね と 反省

今後気を付けますわい

どきどき待機

2016 年 10 月 11 日 火曜日

母の お薬

1ヶ月前に 2ヶ月分もらいましたる(正確には 買った…つうのか?)

んで 受け渡しの時に 確認もして

いつものように 薬の管理 父に任せっきりで

舞台周辺のことで どたばたしてて

なんとなく 一段落した 今日この頃

一昨日 父が「おかさんの薬 一種類だけ 足んねぐなった」とな

えっ?

受け取ってから 1ヶ月も経って こういうこと判明するって 間抜けすぎるけど

あと1ヶ月 なしで 過ごすのも どんなもんなんだろか?

血圧を下げる薬の中のひとつ

それないと 大変なことが起こる…という感じでもないものの

まずいなこりゃ…

てなわけで

薬だしてもらったとこへいって

事情と 推測的なことなど(一回に 二個飲むものを 一個計算で 出してくれちゃったのでは?なんてな推測…要らんお世話ですね)伝えて

ドキドキ待機

手間かかってもいいから

もらえますように

痛いの おさまれ

2016 年 10 月 11 日 火曜日

一昨日 蓮根と共に 切っちまった 左手親指先

密封式絆創膏して 介護用ゴム手袋はめて その上から 布手袋

その日のパフォーマンスが 会場うろうろ風船どうぞさんだったもんで

これ幸いに 左の手袋は はずさずにおりましたる

風船膨らますとき 用いる手は

左指先が あちこち当たらぬようにするため

いつもと反対になっちまったものの

ゆるんと 和やかに お子達とやり取りするリズムだったもんで

まぁまぁ 不都合はなかった

無事仕事終えた~♪なんて 浮かれて

イベント出店の 伊達の屋台さんからかった 石巻焼きそばで

黒ヱビスさま ぷしっと やったのですが

ごぷごぷっ♪と 呑んだあと

傷 飛び起き 目覚めたみたいに

とっくんとっくんとっくん!と 心臓と繋がってますけんわしら と

いきなり 存在主張始めましたとさ

黙りこんでてくれたのか…現場あどれなりんどーぱみん びゅん♪ですもんね

アルコールは 傷ついてるとき よくないのだけどね

いでででで…

でも 呑んだ

昨日も 天婦羅あげながら 呑んだ

やっぱり 指先の鼓動が 大きく感じられるのでした

いかんいかん

今日からまた 2日くらいは 呑まない予定なんで

痛いの痛いのおさまれよぅ

己の治癒能力に 期待

えいごをダシに

2016 年 10 月 11 日 火曜日

本日の 角田幼稚園「えいごてあそぼう」活動

えいご…というか 相変わらず えいごを 口実に?ダシにして?

あそびました

まぁ 文字通りっちゃ 文字通りですけんどね

色を探そう も 

形を探そう も

我先に 自分が見つけたところアピールしたくて 

わたくしに 大声で呼び掛けたり 体当たりしてきたり 手を引っ張ったり スカートめくったり…

興奮しすぎちゃうさんは グーで 殴りかかってきたりするものの

前にされたのより 痛くない

…加減してくれてる

思わず めんこめんこ♪と 思って グーを 掌で受け取って「グーはどうなのかな こ~ちょこちょ」など言って ふざけてそらして くすぐって ぎゅううと 抱き締めてしまいました

もう一人の おふざけさん 男の子も なぜか やって来て

真似っこして その子を ぎうぅ なんて ハグして

なんだか ちょいと ほのぼの

そしたら 興奮しすぎちゃうさん

んふ♪なんて 照れ笑いして

こんだぁ 殴る真似だけして 駆け出していった

そのあと そのお子は 殴ることなく 手をつかんできて 自分の言いたいことあるとこまで 引っ張っていってくれたりもした

まぁ そう毎回 うまく流れるわけではないけれども

なんとなく やり取りしあって ささえあってる クラスの空気なんかも

前よりずっと 柔らかくなってるんだなぁ

実りの秋…なんて

しみじみ染み入る 昼下がりでしたとさ

おみくじ

2016 年 10 月 11 日 火曜日

お薬 手違いで 優しくしてもらったとか

それが嬉しくて 斜め向かいの 青麻神社いったら

お金をいれる口もない なんとも 無造作な おみくじがあって

なんだか 人を信じるって 優しいなぁ

捨てたもんじゃないなぁ なんて ほのぼのしたりして

でも 人って 捨てたもの…と 疑ったりしてるのも 己の勝手な 思い込みで

なんか まぁ 日々 あることを 

あまり 構えず決めずに

すとんと 受けとれたらよいね なんて

のんきなこと 思いながら「末吉」など 引いてしまいましたよ

末は すべて吉となる てことで

生きとし生けるものの安寧を

2016 年 10 月 11 日 火曜日

起きたばかりの 朝顔の 折り目

手放した 葉柄の 上の 冬芽の 準備

やまとしじみの 沈黙

柿の葉の 思い出話

団子虫の 置き土産

いのちの ひたむきさに 触れると

生きとし生けるものの 安寧を 願わずにはいられない

願わねばならぬ 不穏を 憂いながらも

いのちの 光に 導かれ

諦めることなく

笑いあっていたいなぁ