『破片のきらめき』

「芸術とは、治ってはいけない病気なのだ」

にしぴりかの美術館で であった 本木健さんの ことば

作品も ことばも 胸の奥の奥まで ぐいぐい迫ってきて

息がとまりそうにもなった

この力は なんだ?

詳細を 知らぬ人の 心を揺さぶるものとは…

「にしぴりかの映画祭」では 観ることのできなかった 本木さんも 出演なさる ドキュメンタリー『破片のきらめき~心の杖として鏡として』の DVDを 買った

精神病院内の アトリエに通う方々を 10年以上に亘って記録した 高橋慎二監督の作品

さまざまな「症状」を 持つ人たち

その 原因や 治療法を 掘り下げるでなく

淡々と しかし 柔らかに 添うように 

日々様子を うつしていた

その 片寄ったような行動の 数々は

突飛なものではない

わたくしのなかにも 相似形がある

馴染みのものばかりなのだ

かつて なかなか人と同じようにできないことや

突き上げるような 衝動に

己の 狂気という萌芽に おののいたこともあった

あの なつかしい手触り…

おさまりきれない たましひの 躍動を

枠におさめるのでなく

伸びゆく方向へ

息切れしたら 待ったり 息つなぐ 生きつなぐ方へと 手をさしのべたりもする

「たましいの営みの場として」そこにあるアトリエ

これは 病を得て その場に 巡り会えたのが むしろ しあわせで 羨ましくさえある

にしぴりかの映画祭の 座談会で 同じく高橋慎二監督の フランスの アトリエ ノンフェール(なにもしない という意味)についての ショートムービーに触れたときも 痛感した

「社会の枠組みに合わせられる」ということが むしろ 病であるのかもしれない

そんな 小手先の器用さで 魂を封じ込めることができる 多くの人たちにこそ

実は 手をさしのべ 解放されねばならないのではないか…ということ

そんなことを 思いながら

絵だけではなく「ことばの人」でもある 本木さんの 詩画集を 再び めくる

『或る決意 重大な』の 一節

「一日一日 ただ与えられた時間をこなしていくのではなく 語れ 語り得ぬものを 未だ人生の途上なのだ」と

問われる 己のあり方

やはり 震える

揺さぶられる

問いながら ゆこう

「命の楔 命の礎として…作品は共に在る」

うん

そうして刻んでゆこう

コメントをどうぞ