2014 年 12 月 25 日 のアーカイブ

なだめてきりかえて

2014 年 12 月 25 日 木曜日

「いつもの」に 甘えたり

「たぶん」で やり過ごすと

うまくいかなかったときの 

すれ違い 肩透かし感たるや!

出現するはずのもののない 空(くう)を前にして

憶測やら悲観やら打消しやら焦りやら

じわ じじわ と にじみて 注ぎ込む

いかん!

このままでは ぐなぐなしてしまうぞ…というわけで

言い訳で塗り固める前に

しっぺ返しを喰らわしたいような毒が溜まるまえに

珈琲時間で なだめて

切り替えよう

傷は浅い

みのさんツリーで メリー♪

2014 年 12 月 25 日 木曜日

地味な みのさん

まぁ その 地味さも 狙いなのであろ

きらきらしく 飾り立てずとも

何が 足りて 何が 足りなくても

己の 命の道筋を

ひたすらに ゆく

その姿は あまりにも 神々しくて

神へ祈る…などせずに 暮らしておるけれど

あなたのいのちに 平伏す思い

すべての いのち 壽ほぐ思い 

これはこれで メリー♪な朝

高円寺「七ツ森」にて

2014 年 12 月 25 日 木曜日

連絡つけようとしていた人 数人と

返事が返ってこなくて

やり取りができず

萎れました

みんなから おいてけぼりにされてるんか?なんて

すぐにへたれる心持ち

メールの新着問い合わせしてみたとて なかった…のに

さっきやったら 45通!

げえぇ!

あ~う~のトラブルか?

わたくしの携帯電話の問題なのか?

寛容なる心持ちで 解釈できたり できなかったり

己の中で ぐろぐろと とぐろをまいてしまったものに 辟易してもおりまして

泣きそうでもある

無いことに 押し潰されるのは ばかだ…のに

高円寺 七ツ森で 

やさしいカボチャポタージュに

でもまぁ 解決してよかったぢゃ…と

撫でてもらう

めそめそ

きれいになってた!

2014 年 12 月 25 日 木曜日

十なん年かぶりで

目黒寄生虫館に 来てみた

改装かなんかされたか

明るくきれいになったような気がする

前来たときも

すれ違いかなんか あった日だった気がする

すれ違うと 寄生虫なのか?

がつんと フラれた外国の街中で

泣き寝入りしたあとに

人体の不思議展 行きましたっけ…などと

既に ネタにしている話などを 思い出して

不憫なやっちゃな などと

すこぅし 自己憐憫の思いなど しみだす

こんな もたついた日も いいやね

…いつもか?

研究者たちの 偉業を称えつつ

空きっ腹に アイスクリームレギュラーダブル食うて

ちみっと 失敗かも などと

とことん かっちょわるい午後

目黒で迷走したあとは

稽古で 発奮するわい

甘く 香り高い 森です

2014 年 12 月 25 日 木曜日

金銭など 入れる 帯で作った 小バッグ…

使い倒して 煮しめたような色に なっちまってたので

一旦おやすみ

新作は 年明けにでも 作るかなぁ と 保留にしといたら

今回の 上京の 折り

不便ですのよ

肩掛け鞄が ないわけではないのだけど

稽古着など 入れた 椅子にもなるリュックもおるし

あまり ごてごて 大きいのはねぇ…

てなわけで 久しぶりに 中バッグ

和服地でないものの

鳥獣戯画柄が 気に入りの

帶紐肩掛けもの

くたくたして 結構いろいろ入ってしまう 
んで 色々入れてしまう

中で 踊ってしまう…

結果 うっかり 袋から こぼれ出たチョコレートと

熱々の 缶のお茶が 仲良しになり

なんだか 甘い匂いするなぁーと 思いきや

あが~!

布バックの底に チョコレート コーティング!

ぐなり…

この鞄を あまり使わなくなった理由は

中身を 小袋に分けていれたりしないと

みくすとあっぷ しちまう てことでしたっけね

そんなことを ぼんやり思いだし

まだ 人の少ない 車両の中で

チョコレートを 拭う

有能補聴器オーティコンアジャイロプロライトミニさんも 外袋だけの コーティングだし

携帯充電器も ダメージ受けてないようだし

まぁ よしとしよう…と

うっすら うなだれる

甘く香り高い 乗客 森です

珈琲の香り

2014 年 12 月 25 日 木曜日

今より若い頃

己を 生きることを 見失いかけたとき

喫茶店の壁に貼ってある 自分の名前の 珈琲チケットと 

その周辺事情に 救われたことがあった

心持ち 万年迷子のような わたくし

よく うろうろしてしまうのだけれど

あの日の そんな些細な 出来事が

「難しく 考え込まずとも たやすく こころは 救われるのだよ」 と

珈琲の香りと共に 思い出させてくれる

光さす 転機に 珈琲の 香りが 漂っていた

たとえば 以前

フリーライターあんちゃが 東京から うちに戻ってきたばかりの頃

食後の珈琲を いつも淹れてくれていた

久しぶりに また 一緒に 暮らせる嬉しさで

ちょっと 濃いめの 雑な味の 量販ものだとしても

うきうきして 飲んでた

んで 2009年8月 くも膜下出血で 倒れ

もう 戻ってこれない…とまでいわれていたのが 奇跡的に 生還し

入院中の 一時帰宅のとき

珈琲を淹れようとしてくれた

フィルター用の粉を カップに直接入れるのを見たとき

ちょっと 震えたけど

それはそれで そこにいてくれることの嬉しさで

涙 滲んだっけな 

高次脳機能障害(短期記憶障害程度)とか言われたわりには

ライターのときの まめメモ習慣健在のお陰で 

わたくしよりずっときちんと 覚えていたりもする

今では 

かつて 淹れ方間違ったなんて記憶は消え去り

なんの問題もなく 淹れている

でも「君がいるときは 『美味しい』つって こだわってる豆の珈琲 淹れてちょ」なんて 

大好きな おともだち しっし~のとこの「太陽と月の珈琲」から 送ってもらってる 豆を 指さす

でも そんな 言いぐさも 嬉しかったりするのだな

「この歳になったら もうインスタントでいい」なんつってた父も

「そんなに んまいつって ずっと 買ってるやつのらば 飲まなくてねぇな…お前がいるときは 淹れてもらうことにする」なんて 言い出して

珈琲あまり好きでない母までが

「これは んまい」なんて

珈琲を 真ん中に

なんとなく みんな 集まってくる感じ

ひとりで ゆったり飲むときも 

あは♪ んまい とは 思うけど

そのとき いつも 珈琲の香りに 救われたひとときなども じんわりしみだしてきて

うまさに 嬉しさが 加味されているかもしれないなぁ なんて 思う

珈琲の香りに 思いを纏わせて

更にまた 好きになっているのかもしれない