珈琲チケット~そこに いる こと~

最近 偶然に こちらのブログに訪れてくださった
神戸の 喫茶・輪の akaruさんのブログに
今 もう「ここにはいない」方の 珈琲チケットが
いまもそこにある・・・という記事を読んで 
自分のこと
「そこに いる」ことを 思い出した
以前も確か そんなことを 書きましたっけね。
人生の中で 自分じゃ 結構重要な ポイントだったもので
何度も繰り返し 思い出し 語ってしまうのね・・・しつこくてごめんなさい。
自分が 何かになろうとして あがいていた時
うまくいかなくて 
街頭アンケートで 職業欄に何を書いていいか わからなくて 愕然として
自分て何?と 途方にくれて
いつもの喫茶店に 何するでもなく座っていたとき
ほとんど会話を 交わしたことなく 何年も通い続けていたその喫茶店
今日も何もしないでしまった・・・と 無為に過ごした自分への嫌悪感を うっすら身にまといつつ 会計へ
壁に貼ってある 珈琲チケットを 指し示そうとするより先に
「もりあやこさんですよね いつもありがとうございます」と
いつもは あまり喋らない お店の方が そういって わたくしのチケットを 一枚 きってくれた
ただそれだけのことだったのだけれど
「私って何?」とか どうしたらいいんだろう・・・なんて もやもやな思いが
ああ、私は もりあやこだったんだ
何者だかわからない とか 存在価値が・・・なんて ごにょごにょ 思いをこねくり回している間も
そこの壁に ちゃんと目印が貼ってあって
みていて 知っていてくれる人がいて・・・
なんか それで充分じゃないか などと 単純に 腑に落ちて
救われるきっかけになったのだった。
遠い 見知らぬ 喫茶店でも
きっと誰かが 安らいだり 救われたり
今はいない人の 姿を 思って つないでいく 心優しい方がいて
・・・そんな 時間と空間を思って 柔らかな気持ちになる

コメント / トラックバック 10 件

  1. akaru より:

    明るく頑張ってはりますねえ。こちらも元気をもらえます。
    今日のブログ読ませてもらって、ジワリと来てしまいましたよ。年を重ねると涙腺が弱くなります。

    • bunbun より:

      ありがとうございます~。
      わたくしこそ 輪の店内にて しみじみ 珈琲でも飲んでいるような気分になって 勝手に 和ませていただいております。

  2. ぐりろたるぱ より:

    あぁ、なんだかしみるいいお話です。
    そして身に覚えのあるあの焦燥感。
    どうして
    今あるかたちのどこかに収まらなきゃ許して(誰が?自分が?)もらえないんだろう。
    どうして
    向こうにはいつもゴールが置いてあるんだろう(置いたの誰?自分?)
    あれを越えなきゃ、半端者なのかしら?
    ・・と、なんとなくどこからも微妙にはみ出してしまう私と
    すっかりおなじみさんになってる脅迫観念のようなもの・・だいぶ
    距離をとることが出来るようになりましたが。
    あやこさんの文章は心地よく力が抜けます。

    • bunbun より:

      ぐりろたるぱさま いつも ありがとうございます
      ず~っと「あのこ かわってるから」と やさしかったり ちょっといぢわるだったりする 周りの声を
      何十年も聞きつづけてきたけど
      実は 決して 慣れっこ平気!じゃないのですね 未だに。
      逆手にとって楽しんだりも できるようになったとはいえ
      いまも うっすら これじゃいかんのだろか?なんて惑ってます。
      でも そんな 惑うのも また 紛れもなく 自分の リズムで 
      迷ってけつまづいて転んだ目の前の 草や石ころや虫との出会いもあったりして
      面白がらにゃ 損ぢゃ~!と 時には 開き直ったり・・・
      こんな とほほな道でも ぐりろたるぱさんにも出逢えたし
      人生 捨てたもんじゃないわ
      と しみじみ 思える今日この頃です   

  3. あしゅりん より:

    若い頃、十代~二十代のはじめ頃は変人と言われるのが嬉しくて、殊更に妙なキャラクター設定を自らに飾り付けていました。
    しかし、大学の社会学の授業で「変わり者であろうとするのは青年期によくある心理状態です」ときいて愕然としました。
    変わり者どころか、若者の典型だったと。
    以来、普通に普通に生きてます。
    自らが基準となって、好きなものが好き、嫌いなものが嫌い、な「普通」。
    できるだけ無理なく自分をやって、それでも「変わってる」と言われるなら、そここそが僕の変わっているところなのでしょう。

    • bunbun より:

      奇を衒っていたこと・・・ありました。
      でも なんか 疲れて やめてみました
      でも、周りの評価は ほとんど 変わらず
      人が「こう思われたい」と装い飾っている部分て 結構 わかるものです
      きっと 周りは そんな わたくしの 装い以外の部分を 云々していたのでしょうかね。
      自らを基準にして 丁寧に物事を 推し量りながら生きる・・・てことを「変わってる」と 言う人は多いですね。
      誰かが 迷惑してるわけじゃなけりゃ いいかなあ・・・なんて思います。
      ぁ・・・家族が 若干 迷惑そうかも。
      あしゅりんさんの まっすぐていねいに 好きなものに向かってる姿は 変わってる・・・とかより 素敵なことだと思います。

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