2011 年 6 月 9 日 のアーカイブ

消毒砲?

2011 年 6 月 9 日 木曜日

海沿い 被災地に 
消毒をする風景が ニュースで流れた
肩掛けバズーカみたいな白い煙幕出るやつ(正式名称知らず)
幼い頃(土壁の 借家住まいのとき) あれが時折やってきて
ぶおおおおおお~ という 爆音とともに 漂う消毒臭
怖い思い半分 
あの匂いが好きだったために
非日常の わくわくも感じていた(だめ・・・といわれていたのに あの煙が充満する家の中に こっそり入ったりした)
被災地の皆さん そんな 感傷的な思いなんて 湧いてこないでしょうけれど
懐かしさとともに たっくさんいた うれしくない虫たちのことも思い出して
ああ 大変だけど 乗り切れますように と 願う
何十年もたった今でも ああいうのが 有効なんだね

役立たず

2011 年 6 月 9 日 木曜日

震災後にしばしば さいなまれた思い
わしなんぞ何の役にも立たぬ・・・などね
でも しばらくそんなこんな思い巡らせて 気づいた
今までだって そんなに すばらしく 役立ってたわけでもないのに
なんで あせって 何か成し遂げようとするかな・・・と
でも 多くの人が こんな状況で 何か少しでも役に立ちたい!と せきたてられるような思いになったことも 確かなんだねどうも
なんなんだろう やさしいね みんな
まあ 今は あせらず 自分の身の丈の できることをやることにして
それは 役立つかどうかは また別なんだけど
もともと 自分の 与太みたいな 行いの数々
実用的ではないけれど 
誰かが 実用に立ち向かっていく 一歩手前の 
気持ちの立ち上がり部分に ちょこっと 緩みとか 潤いとか 
そんなささいな 部分に そよ と 動く 空気の移動程度のもんでもいいから
いやな気分が ちょこっと 薄まればいいかな くらいの気持ち
たやすく へこむ へなちょこですけんど
そんな 身の丈を 時々取り出して眺めて
うん そうだったね自分 と 確かめる
11日 「ピースウォーク」と 「反原発デモ」の間で 踊ることになるであろうわたくし(それらの団体さんとは 知り合いだけど 関係ない イベントで踊る)
いかにも 身の丈だのお
いや 主催者さんや ほかの出演者 ともに踊る仲間 来てくださるかたがたは
わたくしと比べ物にならぬくらい いろいろ成し遂げている人たちなんで
わたくし個人に限っていってます・・・卑下でなく 
むしろ 誇りなのかも  

夏近し

2011 年 6 月 9 日 木曜日

わたくしの むんつけ パソ
勝手 強制終了頻繁にやり始まりまして
昨年の夏もそうでして
ああもう 寿命近いかなあ
げりげりげりげり とか 妙な音鳴らしたり
ディスクドライブに 入れ物すると む”~! とか うなるし
・・・と 思っていたものの
秋冬には 落ち着いたのだった
・・・が ここ最近また 蒸し暑い日々
あっつ~!やってらんねえ ぷん てな感じで 切れまくり
保冷剤を 左っかわに当てながらやると 結構保つこと判明
「絶対それ だめなやり方だと思う」と 言われても
水が垂れ込まないようにしてるから 今のところ大丈夫
なんか 時折 機械じゃなくて 人格みたいなもん感じるのよ この子

失念しすぎ

2011 年 6 月 9 日 木曜日

とある映画の話になって
あんちゃから「君 観たって言ったよね」といわれ
え~観てないよお~ といって後 ん?観たっけ?など 記憶の残骸の奥から ぼやんと なにか 浮上しかかった
・・・あ 観たかも
「君が観そうじゃない映画なのに・・・て 驚いたのを 覚えているんだよ」といわれて 呆れられた
観たくて観たくて 思い募ってみた映画
なんかのついでに観た映画
観る ことに凝っていた頃に見た映画
覚えている度合いが違うにしても 「ひどすぎる」と言われた
むうう
かつて 東京に パントマイム稽古のため 通い始めたばかりの頃
東京でしか観られない!と 情報誌で 映画の時間を調べまくり
箱根細工のように 緻密に時間組んで 
多いときでは 4~5本観たりしたっけね
そのほかに 舞台なんかも観ちゃったらこれ 覚えてるわけないっつ~の
『バスキア』『心の顔』『死んでしまったら誰も私のことなんて話さない』『ナッシングパーソネル』『秋刀魚の味』・・・だめだこりゃ
あの頃のパワーはもうないので
一本一本 大切に見たいもんです
・・・が わざわざ出かける気力もなくなってきている気がする とほほ

つまむ

2011 年 6 月 9 日 木曜日

一粒でひと草むら分の実りありちっこい希望は
つかみ損ねた なんて 嘆かずに
欲張らないで
ちょいと つまんでみるのさ
ちっこい一粒から
そりゃもう わっさわさの 希望が 芽を出すぞ
そんなことを お子の指先から 教えられる