2011 年 3 月 のアーカイブ

自主・・・ていわれても

2011 年 3 月 28 日 月曜日

自ら動くことが困難な人たちに

こういうことを 言い放って 

支援物資も届かないままになっている

たまたま いわきやら 南相馬あたりの知人友人親戚は 県外に出ることが出来た と

知って ほっとしたけれど 

見知らぬ人が まだそこにいることは 

心底 安心などできない

「地震津波火事放射能 全部やってきちゃったよ でも 今日生きることで精一杯で 退避なんてことに構っていられないよ~」と 遠い場所の避難所に 貴重なガソリンを使って お隣さんの分の支援物資も 受け取りにきては 

また 自主退避地区に戻っていく おぢちゃん

何をどこにどういったら

どうしたら こんなことが なくなりますか?

誰か 知っている人 いますか

素早い・・・

2011 年 3 月 28 日 月曜日

お手紙届きました
国民年金機構から
「引き落としできませんでしたよん」てね
まあ今月分のことじゃなく 先々月とか うっかり重なったやつね
でも 今月も 情けない話なんですけど
ま お手紙来ちゃうであろう状況
いや 払うつもりありますから ゆくゆく
仕事再開したり いろいろ 始まったら・・・ね
なんとか 回していきますさ
天下の回りもの だもんねっ

はしゃぐ

2011 年 3 月 28 日 月曜日

午前中に どか~んと いただいた 救援物資を
闇雲に 食うな・・・とばかりに 分けてしまいこんでしまった わたくし
おっかねえ 配給オバちゃん みたいになっちまって と ちちあんちゃ 若干不満顔
「マンゴードライフルーツって 美味しいよね~」と 母が言っていたので
今日は それくらい 出そうかな・・・と 思いつつ
用足しに出かけちまい
帰宅すると ナイスな従弟 隆志&夏美ちゃん それから 隆典おぢさまからの お届けものが・・・
あれこれ おいしたのしもののなかに なんと マンゴーのドライフルーツもあって
すでに みんなで食べていた
ありがたいねうれしいねおいしいね~
みんなの身体が心配・・・とはいえ
こんなに 嬉しそうに 笑って食べてりゃ
免疫力アップするって話もあるし
ま いいかあ~なんつって
日の高いうちに 峰花の 送ってくれた 焼酎に手をつけるわたくし
「はしゃいで あんまり飲むなよ」などと 一番心配なの わたくしですかね

マンホールは強い?

2011 年 3 月 28 日 月曜日

ずっとここにいたんすけどね町中の あちこちで
マンホールが ぐぎぎっと 伸びています
・・・ちうことは ここで使っている 鉄管は とっても丈夫だってことなんだね
まわりの アスファルトが 柔らかいってだけの話かもしれないけれど
家も こういうので作ると いいのかな?
ああ でも 夏暑くて 冬寒いか
しかし あちこち 伸びたり ひっこんだり
町を歩くと こんなところに あったんだね と
あらためて その存在に気付く

残念だったけど

2011 年 3 月 28 日 月曜日

今朝 テレビを見ることの出来る 宮城県民の 多くの人が
東北高校の 春の選抜高校野球大会での 健闘を讃えた
出発ギリギリまで 避難所で 
疲れも厭わぬ笑顔で 立ち働いてくれていたという
冷え込みのキツイ日も 
給水のための 入れ物に 素手で 大切な水を こぼさぬ用に注いでくれたとか
勝負に いろいろな言い訳は しちゃいけないというけれど
たくさんの人たちが 
勇気付けられたんだよ~
ありがとう

湿度の高い朝

2011 年 3 月 28 日 月曜日

ニュース見ても 新聞読んでも
胸が ぎゅうと なる
今こうして 生きられること ありがとう と 思いながらこれでしばらく暮らしていきます おすそ分けにも行けます
亡くなった方 多くを失った方を 思う
ひとそれぞれ 自分を生きるのだから・・・と 思う反面
時折やってくる 申し訳なさの波に のまれそうになる・・・甘甘で すいません
んで そんなところに 峰花から どか~んと 救援物資の箱
大丈夫間に合うよ って 言ったぢゃないか もう~~
「適当になんか 送るよ・・・送らせて~」なんて 軽く言っててこのぉ
生活全般 思い浮べて あれやこれやそれやどれや
量的なことにも圧倒されたけれど
食事おやつ生活用品・・・彼女が あれこれ思い巡らせたラインナップに うれし泣く
母も 横に来て 泣く
ホットケーキの粉に寄り添うように ホットケーキ用シロップとか 酒とともに おつまみ数種・・・
「さすが あんたのお友達の品揃え・・・ああ ちょうど うんこの袋なくなりそうだったんだ・・・」母 涙浮かべてまで うんこのはなしですかまったく
でも 気持ちの奥が みゅ~んと 大きく息を吸って 立ち上がる
大丈夫だ
折れたりしない
ときどき 撓う程度の 思い
ありがとう 思い出させてくれて
峰花の旦那の YUJIさんの絵 ごしゃめしゃな わたくしの部屋でも 無事だったんだよ~
そんなこんなしてたら 大阪の こんどふから タップ仲間の 由紀姫から 
その後 どですかメール 繋がる 
ああ なんて 心強いんだかもう
お日様も照ってきて きもちも きりきりしゃん!

しばしベッドとして

2011 年 3 月 28 日 月曜日

よりどころにこの頃 4時か5時には 起きてしまう
普段そのくらいに 起きてらっしゃる方には なんだそんなこと・・・と 言われそうですが
「休みの日には 早起きなのね」と 笑われる 子供状態
今朝も 早起きさんだわ~なんて 半身起こしたら
うっすら日がさした 出窓に出たいけれど 障子開いてないことに むっとしていたような
ぴちこさんと目が合った
よし そこを ベッドと決める・・・と のすのす 腹の上に上がった
うっし~よりは 軽いけれど 
変な体勢のまま いると 腰にくるからなあ・・・と身じろぎしたら
落ちまい!と 爪を立てる
いてててて 
しかも その後 みしりみしり 余震・・・更にしがみつく
いだだだだ
でも だいじょうぶだいじょうぶ なんて 説得力無いことを言って
自分が その ほにゃほにゃの毛玉に 慰められている

服のせいじゃなく

2011 年 3 月 27 日 日曜日

てたぱた母
別に 急ぐ用事があるわけでもないのに
小走りで わたくしの座っている横を通り抜けようとして
どだ・・・なんか鈍い音
と思った瞬間 尻の辺りが ひゃっこくなった
あが~! 仏壇横の 花瓶 倒しましたね 奥様
急いで 座布団二枚どけて 炬燵のスイッチ拭いて 布巾で畳み拭いて・・・
まあ 水がこぼれたくらいでよかったね
地震でも 割れずに耐えた花瓶
こんな うっかりで 壊したら 残念だものね
父も 丁度 部屋に引っ込んだとこだったし(いたら お小言連射必至!) 
後始末するだけで 済んで・・・ねえ
「これこれ!この服のせいだわ」なんて ちょいと 肉厚な 上着の裾 ひらひらさせるが
あんちゃとわたくし ふたりして 服のせいではなく 御召しになっている方のせいでは?と 意見一致
冷え込む夜に どれだけ乾くか 期待できないけれど
新聞紙など乗っけて 吸水しつつ 
証拠隠滅試み中

まだ溜め込むか

2011 年 3 月 27 日 日曜日

箪笥を ばらして 引き起こして・・・と
納戸の整理をしたついでに
母 いろいろなものを 思い切って 「なげる(捨てる)」と宣言
んが 思い出のもの あれこれに ひっかかって 懐かしんで
なかなか すすまないわ~ん と 父 脳腫瘍手術の時の イラスト入り日記やら
もらった手紙なんぞ はらりはらりと めくって 見入っている
んも しょうがないねえ なんて のぞきにいくわたくし
あら・・・これ?と ゴミ袋覗いたら
「おとさんの 背広の ハギレ・・・全部 とってたけど もう無いものばっかりだし 思い切ってなげたのわ」
自分の物以外は 意外と さっぱりと投げられる模様
わ~ご立派な ウール生地ですやん と ながめているうちに わたくしの もったいない病 物欲 スイッチオン
あ このハギレもらう~ なんて 言ったら 母 しまった顔
「ああ~ また 溜め込むこの人はもう~!見せるんじゃなかった~」なんて 大声で あんちゃに こぼす
その後 刺繍糸やら 針(一時期 凝って クロスステッチのクッションとか 作ってましたっけね 裁縫嫌いな母ですのに) 見つけ出して あげる・・・と いってくれた
片付け というか 
ものが わたくしの部屋に 移動しただけだったりして

ありゃなんだ

2011 年 3 月 27 日 日曜日

苛々虫 長引きそう・・・と 覚悟していたのに
一瞬 うとうと として 目を開けたら
なんだか いろんなこと どうでもいいぢゃん てな
いつもの ぼんくら気楽虫に なっておった
なんだったんですか さっきの ぎりぎり苦虫噛み潰したような・・・
あ もしかして 噛んで 潰れたのか?
ああ 茶などのんで 口直しぢゃ