2017 年 11 月 19 日 のアーカイブ

竈ばんざい

2017 年 11 月 19 日 日曜日

朝 若者たちより すこぅし 遅起きの 酒気帯び もりあやこ

でも しっかりと 朝御飯いただき

その後は かっちゃん よっちゃんの指示のもとに

若者たち(慶應の 一味…だとか ふふふ♪青春)と 収穫祭準備

わたくしは まずはじめに 竈で ご飯炊き 仰せつかりましたる

米洗ったけど

水つもりは よっちゃん

火加減の タイミングの 見極めも

よっちゃんに おうかがい しいしい

くべるための 木の枝を ぼきっ やら ぽきっ と 折りながら

生きてきた その力

命を繋ぐに いただきます なんて思いも 生まれる 

焚けてゆく 

炊けてゆく

うまくいったのかどうか 開けるまで どきどきだったけど

手応えが 楽しい

竈 ばんざい

神事!?

2017 年 11 月 19 日 日曜日

毎年 11月の 第三日曜日に 行ってきた という 豊穣庵の 収穫祭

今までずっと 感謝の祝詞とか

拝みみたいなものをやってくださってた方々が

みなさま とりおこなうことができなくなった という話を 昨夜 前乗り宴会にて うかがい

むうぅ それは さびしいお話ですねぇ と いいかけたら

「そこでね 収穫への感謝の 神事みたいなものを 森さんにやってもらおうかな と 思うんだけど どうかなっ♪」と 朗らかに よっちゃん

えええっ!?そんな 大それたことを と いったような気もするのに

気づけば うっかり 引き受けておった

むむむむむ

身のほど知らず いつものこと

でも

森…杜 盛 守

これらは 森羅万象 神的な 力を 人に繋ぐ 狭間のものたち

そんな役割のはなしを 聞いたことがある

やれるやれない とか 

何かをあらかじめやろうとする 己の判断を越えたところから 

その時 その場所で 生まれるものを 掬い上げる血の流れが 幾ばくかでも わたくしの中にあるのなら と

どうしよう…の 思いを手放してみる

もちろん わたくしが 今までやって来た あれやらこれやらの 道のりがあってこその なにかになるのだろうけど

パントマイムでも ダンスでも 謡いでも 語りでもなく

どうなるのだろう と 望洋のような 思いで

木々を 見上げ 

葉っぱの降り積もる 土を踏みしめ

風に吹かれていた 朝