

たどり着けた
観る♪
受け付け番号が
昨日とおんなじ
はははははの 8

にしぴりかの映画祭
最後の 上映作品に 滑り込めた
古居みずえ監督『ぼくたちは見たーガザ・サムニ家の子どもたちー』
細々と 習っている アラビア語が 全くもって 使いもんにならん わたくしですが
それでも 映画の中から聴こえてくる ことばの いくつかは
単語として 届いた
でも そんなひとつ ひとつ 意味として 光を当てる前に
あまりにも わたくしの 日常とは かけ離れた光景が 畳み掛けてきて
ものが 喉に つっかえたような 心持ちになったまんま
目の前で とうさんかあさんを 殺され
そのことについて 質問されて
「ここで とうさんは撃たれたんだ これが その時の血がついた石」
「この瓦礫の下に 遺体があったよ からだがばらばらになったから まだ 肉の欠片とか 残ってる」
「ここで とうさんかあさんがなくなったから ここが好き 住みたいくらい」
瓦礫のところで 時には 笑顔さえ見せて 淡々と 応える
しかし 時が過ぎて
心のケアを重ねてゆくうちに?
その時の出来事の 意味や
それに対する感情が 目覚めて
やがて 哀しみの色合いが濃くなってゆく
感情を表すことができるようになってくる
それなのに 恨み憎しみを語るのではなく
「わたしたちはなにもできない…でも 抵抗はできる。イスラエル軍の望まないことをするのです。神に祈ること 神を敬うこと 我慢をすること…」
「とにかく ガザであったことを みんなに知ってもらいたいのです」と まっすぐに 言う 年端もいかないような お子
なにもせぬのに なにもかも奪われると言う 理不尽な 目に遭って なお このことばとは!
驚愕に 震える
そして まぶししいほどの 希望の光だ
それに引き換え…と 己の腑抜け具合が 恥ずかしい
しかし 逃げ場もないくらい 照らされて 明るみにさらされつつ思う
恥じてる場合ではないぞ と
ひとつ ふたつだけだとしても 受け取れるものがあるご縁
わたくしなりに 活かして 届けてゆかねばならぬ
お子たち相手のお仕事で
目の前のひとと きちんと向かい合って
わらいあって
わけあって
思いあって
生きあうことの
うれしさ たのしさを
丁寧に つないでゆくこと
一人ずつ 繋げてゆけば
その先に 確かな「平和」の 輪郭になるよね
まだるっこしくても
…そんなことを 改めて思う
でも そのもすこしすすんだところへの 受け渡しのことも
ぼんやりと 思い描く
見知らぬ遠い国の話ではなく
おんなじ ぢびたの上のこととして
も少し 身に 迫らせながら
なんとも ずしりとした手応え
そんな出逢いを ありがとうございます


にしぴりかの映画祭は ほんとうに 素敵だ♪
思いがあるからこそ
思いを伝えたい人のことを 汲み取って
受け渡す手助けをする
今年は なんと 実行委員さんたち 独自に「バリアフリー字幕」を 作ったという 偉業!
背景の音についても 字幕が出るもんで
有能補聴器オーティコンアジャイルプロライトミニさんを 装着していても とらえられなかった その音を 浮かべて
もう一度 映像の中へ 潜って 探して
より 情景に 深みと幅が できるような 感覚
嬉しかった
今まで出逢った どの字幕よりも 分かりやすくてよかった
思いがけない 繋がり
出逢いの扉を 開いてくださった
つっち~先生はじめ
真紀さん
最後に声をかけてくださった 林さん(昔 幼少のころ?わたくしに あったことあるかもしれないって)
スタッフのみなさん
ありがとうございますた
きっとまた♪

















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