2010 年 4 月 19 日 のアーカイブ

そっと背中を押して

2010 年 4 月 19 日 月曜日

こもごもの 落ち込み 前略 草々
つまらんこと と思えるなら 
もう こだわらなくたって いいぢゃん
・・・と 自分にいいきかせようとするけれど
今ひとつ 決め手がなかったりして 二の足を踏む
そんなとき ふと触れる 猫の毛ざわりの柔らかさ
在り方の 柔らかさに
何故か「ま、なんとかなるさ」と 仕上げの一押ししてもらえるような 気がする。
きっと 自分ひとりで 踏ん切る自信のなさを
にゃんこのせいにしてるだけなのかもしれないけれど。
いつもありがと~なんて すりすりしたら
うっさい!とばかりに あむっとされて 叱られ気分
でも 勝手に 気楽になって 
あはは なんて 笑っている自分 
のんきだね

渋滞も楽しむ

2010 年 4 月 19 日 月曜日

桜トンネルくぐりぬけ今日も 桜の土手を通って 病院へ
ほぼ満開の樹が 多くなってきて
桜トンネルの風情
いつも通らぬ道を 回ったり
母と二人「おかげで 毎日 花見ドライブだねえ」なんて ほにゃほにゃ気分
ちちなんざ 一見 なんもないよな 健やかさん表情で 
「ズボンつり(サスペンダー)買っといてくれ」の「免許更新に行くのが先か 高齢者講習を受けに 自動車学校に行くのが先か 訊いといてくれ」なんて
先々のこと 心配しちゃって
順序違うような気はするけれど 前向きでよろしい。
待てば海路の日和あり 待てば甘露の日和あり・・・だね

むづぉ~さん

2010 年 4 月 19 日 月曜日

今朝「もりむづぉ~さんの お宅ですか?」と 電話
えとえとあの・・・まあそうですが
「おられますか?」
おられる・・・て 誰がですか?
間抜けな受け答えをしてしまった
森睦郎・・・もりむつお とは 我が愛するじいちゃんの名前
もう20年以上前に 亡くなってしまった。
当主の名前を言ってから その家の人を呼び出す・・・てことも ままあるから
そういうことだろか?と 一瞬 思った。
ないいっとんぢゃ?といった感じで その 黒川郡の「なんにゃらさん」(聞き取ることできず)は 「むづぉ~さん おられますか?」と もう一度 おっしゃる。
いや、あの 祖父はもう 20年以上前に 亡くなりまして
・・・というと 「えっ! 亡くなられた!?」と絶句するように がしゃ と 電話を 切った。
兵隊の頃の部下の方や じいちゃんが立ち上げたとか言う 早稲田大学出身者 宮城県南の会「阿武隈稲門会」の方だと も少し かしこまった物言いを なさるので
じいちゃんと 同じくらいの年代か? とすると 90代かも。
その人の中で じいちゃんがずっと健在であったことで
ふいに あたりに じいちゃんが蘇った。
朝日に向かって敬礼
ラジオ体操の歌を 一緒に歌いながら 庭で体操
木刀素振り
軍人せいしょう・・・
弱りかかった 心持に 一番効くのは 
心身ともに 真っ直ぐで 健やかな人 じいちゃんの 生き様だった。
この人の 孫であることは 「私なんか・・・」と 
ぐじぐじ下向きになる わたくしの胸倉を掴んで 胸張ってよろし!と 上を向かせてくれる。
人は 死んでも 生き続けるのだな・・・ 
朝から ちょっと泣いてしまった 

やわやわ気分

2010 年 4 月 19 日 月曜日

疲れてる 意識はないのだが
どっか 弱っているかもしれぬ。
そういう時 道を歩いていて 向こうから来た人と 上手くすれ違えなかったりすることが多い。
自分がどっち側をすり抜けるか・・・の 信号みたいなモンが 上手く出せず
相手方が どっちへ行こうとするか 推し量ることができず
同じ方へ身を傾けて 鏡ごっこしてるみたいになったりね・・・
昨日 人でごった返していたとはいえ
スーパーでの買い物の時 何度か 人と すれ違いうまくできなかったもんで
あ・・・なんか 弱ってるぞ と 気付いた。
以前 「身から発する信号の訓練」・・・なんて 勝手に名づけて
人がすり抜けようとする側を 先読みして 
敢えて 「そちら側へ私も行くのだ」信号を出すような気持で 相手方へ挑戦して歩く・・・なんて やったことありました・・・馬鹿だなあ 自分。
弱ってると 新興宗教の勧誘やらにも 声かけられやすいかも。
そういう「隙」みたいなもん 人は ちゃんと 読むんだよな
ある意味 すげえ。