あまり 訃報というものを シェアしたくないものの
やはり 思いが 溢れてしまって 取り上げてしまった
谷川俊太郎さん 九十二歳 老衰で 逝かれたとのこと
初めて意識したのは 詩というよりも
ピーナッツブックスの 翻訳者だったかな
クレヨンハウス関係で
お目にかかれるチャンスが なかったわけではないものの
たいてい すれ違いであった
でも 作品には たくさん 触れさせていただいた
よんだり うたったり あそんだり…
同時代に 生身でおられる まごうことなき「詩人」と 呼べる人のひとり として
まど・みちおさんと 谷川俊太郎さんは 特別の存在だった
詩を書いたことのある人…ではなくて
詩人
ことばのひと
声で伝えることについての可能性を 再認識させてくださった人
3月に NHK放送文化賞を 受賞なさったときのことば(息子の賢作さんが 代読なさったもの)
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「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」
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わかりやすい ことばだなぁ
お目にかかれていなかったからこそ余計に
逝ってしまわれても
かわることなく
ずっと 思いが ことばが 作品が これからも ともにいてくださる思いで
一番新しく手に入れた(昨年4月に 復刻された『えをかく』絵 長新太/講談社)本を また 開いてみる
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