2026 年 2 月 11 日 のアーカイブ

カウンターで 泣くとか…

2026 年 2 月 11 日 水曜日

本日

昼ごはんを 近場に食べに行くか という あんちゃの提案

親戚の「割烹 遊膳」は 予約のみの日だったようで

「味亭すけろく」さんに ゆくことになった

団体さんが 到着せんとす てな まだ「準備中」札の どたばたのところ

「あっ どうぞどうぞ〜」と 開けて 迎えていただいた

んもう わたくしは 何年ぶりでしょか?くらい

先代が 父と 同級生だった 仲良しさん

その方が 亡くなった後も

父が 車でなく 電車通勤などもしていた頃

真っ直ぐ 帰らずに

すけろくさんに 寄ってから 帰る…なんてこともあり

飲みすぎて れろれろして うちに電話よこして 迎えに行きがてら お相伴にあずかる とか

「おかあさん」に うちまで 送っていただくなんてこともあったっけな

でも それよりも 震災直後

すけろくの「おかあさん」が だし巻き玉子を

「とってたって 駄目にするばっかりだから みんなに食べてもらいたくて」と

「回覧板回すあたりの人たち」に 配り回ってくださったんだ

翌日は つてのところから 牛乳を 受け取ってきて

「鍋かなんか持ってきて〜」て 呼びかけて

分けてくださった

あの日々のこと ありがたくて あちこちで 喋りまくって

そして 喋るたびに ありがたさや 心意気のあたたかさに 泣いてしまう

「おかあさん」ご本人に 何度か お伝えしたこと あったものの

本日 カウンター越しに 厨房におられる姿に 頭下げたらば

出てきてくださったので 

またもや そのお話 してしまった

話してるうち 

あの日の 牛乳は 舘山から 譲り受けたもので ごしゃめしゃになった 狭い道を ドキドキしながら車で行った とか

お店に 出入りしてる方の車は 流されて 会社のトラックで 帰ってきた とか

震災の日に 四千枚の 海苔届く筈だったけど 東京に戻ってしまって 後日 四千枚に だいぶ上乗せして 白石営業所まで(震災後 しばらく 個別宅配できなくて 営業所止まりになってた)取りに行って 避難所に 差し入れした とか

新たな エピソードなども 聞かせていただいて 

多くの方々が「すけろくさんに 足向けて寝られない」て 言っておられたっけな なんて話して

ついつい「おかあさん」と 二人して 泣いてしまった

ちょうど そこについていた テレビで 震災後十五年 とかいう 文字が見えてて

「あれから十五年…て 十五歳年取っちゃったってこと?もう 83よぉ」と おっしゃる

いや 歳って数字じゃないわ とか 改めて思う

あの日のそんなこんながあったからこその 今

ひとの 思いに 励まされ続けるということを

きっとこれからも 忘れない

味亭ちらし丼 美味しうございました(あんちゃは 天麩羅定食)

これからも みんなの胸のうちに灯る あたたかな光の存在でいてくだされ