2025 年 4 月 10 日 のアーカイブ

あんちゃ幸福誕生日

2025 年 4 月 10 日 木曜日

本日は あんちゃの 誕生日

そして 五十鈴姫が 母親デビュー記念日(懐妊した日も 母だとしても 生身の赤子を抱いた日 てことで)でもある

おめでと ケーキを 買おうか と 迷ってたものの

キッチンスタジオ(台所)で のすのす 舞台振付やら 動きやら 確認しとったら もう 夕方になっちまい

結局 なしにした

後日 後祭みたいな感じで やるかね

母が この母で

あんちゃが このあんちゃであることが

なにより ありがたくうれしいのようぅ

面と向かって あまり言えずにいるけど

あまり言うと 暑苦しいので ほどほどにしてるだけ

いつも 

ありがとうようぅ

幸福誕生日

めでたし

花束 後祭

2025 年 4 月 10 日 木曜日

いただいた 花束は

花に 近いところが 早いうちに

くなり と 萎れてしまうことがあり

やはり 花咲かせるというのは 大変なことなのだろうな と 思う

花束 ではないけれど 大根頭子さんも

花咲かせる気 満々で ぐんぐん 薹が立った後

蕾膨らむ…の 途中で 

くなり になることがある

ぐんぐん 伸びすぎて

咲かせるための 力が出し切れなくなるのか?

んで くなり のあたりを 切って 

短いのを 剣山などに支えてもらって 挿しておくと

咲く に 届くこともある

今 台所窓辺しげしげさんとこは

そんな 大根の 花咲き間近?とか

花束由来の お花の くなり後のものたちで ちみっと 華やか

あと お花だけでなく

茎の 元気なやつ

葉っぱの 内側の ちみっちゃいさんが 

育つかもしれないよ?と 姿を見せてるのが 愛しい

大抵 お花を保つために 余計な芽は 取り去られていることが 多いのだけど

幸運にも 残ってることがあって

あわよくば 地植えもできたら♪なんて 思ったりする(以前 薔薇で 失敗重ねてるけど)

花束 後祭 気分を ありがと〜

たえさんのこと

2025 年 4 月 10 日 木曜日

出会ったきっかけは 真夜中過ぎの 顔本投稿

父の 癌やらなんやら 入退院祭り 落ち着いたかな?と思いきや
兄が倒れ
母が倒れ
…つぎはなんなのすか?と 半ば 虚脱しつつも
なんとか かんとか やるしかねぇな…なんてなあたり
「がん家族」という言葉とともに かつてご自身が 得ようにも得られなかった 支えるがわへのサポートを やっていくぞ…のクラウドファンディングを 試み始めた たえさん…こと 酒井たえこさん

まっすぐに かつての痛みの日々を 飲み下して 
消化して 
昇華して
だれかの 痛みが 和らぐための活動へと繋げ続ける 偉業

癌に 出くわした時の その人
その周辺の人たちの 受け止め方って ほんと 千差万別だけど
それぞれの 狼狽えや 痛みが 
内向きに ぐるぐるするばかりではなくて
より良いあり方に 繋げていけるようになるといい
怖気づくことなく
恥じることなく
立ち向かって
救われていくといい

いまたえさんの なさろうとしていることが 静かに 広がって
誰かの心を救っている

これからもよろしくね

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嫌われるかも知れませんが、私が長年蓋をしていた心の内を書かせてください。平成に父は食道がんになりました。

告知されたときは初期だと言われたので、ショックはあったものの手術して悪いところを取れば治るだろうと軽く考えていて、実際、手術は12時間かかりましたが無事終わり入院生活も問題なくいけました。

でも父が末期になったときのことは今でも後悔することばかり。

高熱が続き入院した時なんて、父は狂ったように大暴れして私の夫を「ドロボードロボー!」と叫んで殴りかかろうとしたり、兄が来たときは「たえこはどこやー!どこやー!」とずっと大声で叫び続け、暴れる父を私たちが腕をつかみ「お父さん、ここは病院だよ、たえこはいるから」と

伝えても父の腕は言うことを聞いてくれません。点滴の棒を振り回した時に主治医が入ってきて先生を見た父はピタっと止まり、先生に促されるままベットへ戻りました。

あれはせん妄だと後で知り、自分の父があんな風になるなんてショックで病院のトイレで嗚咽して泣きました。

二週間後退院し自宅ですごすことになりましたが、手術した場所やお腹、背中全部が痛いと言うので、大学病院の先生に貼る麻薬と、痛み止め数種類と吐きどめをもらいこれでなんとかなるかと思いましたが、父には全然足りないようでした。

次の通院日に先生にそれを伝えると先生は痛み止めのガイドが記載された冊子を見せてくださり、「ここに書いているとおりの量を出しているから、効くはずです」と言うのです。

それでも他に薬はないかと食い下がってみたのですが、当時は緩和のための薬の種類は少なかったのです。

先生が怠慢で薬を出さないわけではないのでそれ以上も言えず、一つ痛み止めを増やしてもらい帰りました。 でも帰ってから父はまた高熱を出し、次の日また痛い痛いと言うんです。

病院でもらってきた痛み止めを飲んで、座薬を入れても痛みで手が震えています。痛みで手が震えるなんて、かわいそうでかわいそうで私は父の部屋から逃げ出したくなりました。

◆◆

そんな父の姿を見て母はオロオロしたり、イライラ怒っています。 普通の母(妻)なら病人を見てイライラし怒ることはないのでしょうが、母はしかたないのです。

母は重い心の病気を長年患っているので、家の誰かが病気になるとパニックになって怒りだし、時には訳のわからない言葉で罵倒します。そんな母のパニックを見慣れていますが、それでもこの時は悲しく嫌でした。。。 
ここから消えたいと思いました。

母の病気は母のせいではありません。

でもこのような病気になると家族はバランバランに破壊されるのです。スキだらけの我が家には、毎日違う宗教家の方が来ました。山一證券で400万円もの詐欺にあい、そのことを警察からの連絡で知ったこともあります。

もちろん近所からはキチガイの家だと言われることもありました。とうぜんのように私もこんな家庭が嫌で大暴れしたり自傷行為を繰り返し家に寄りつかない最低の娘でした。

そんな我が家でしたが、私も兄も大人になり兄なんて結婚をして、私たちがあれだけ憧れた家庭をもつことができました。だから少しですが両親の苦悩を理解できるようになったので、たまには一家全員でご飯を食べるようになってきた時に、父に食道がんが見つかったのです。

◆◆◆

そんな理由もあって私がキーパーソンとして父の看病をしていたワケですが、一生懸命看病をしてもやるせなかった。常にどうしてなのと叫びたくなりなました。
なぜ父の痛みを止めてあげられないの! なぜ状態の悪い父を遠くの病院へ通わせないといけないの! なぜ、自宅での看病はこんなにも大変なんだ! 今の私ならこの疑問の答えはわかります。

今なら緩和ケア専門医がいるよ、
介護支援が受けられるよ、訪問診療を受けられるし、訪問でも緩和ケアを受けられるよって。 でも当時(平成)にはなかったし、知らないことばかりでしたから一人で考えるしかなかったんです。

叫んでも泣いても誰も助けはきません。

でも実は、私はやるせなさの反面、驚くほど冷静に父の治療を決定し、治療のため様々な書面にサインをしていました。手術の同意書、入院の書類、高額医療費の書類、輸血のための同意書(当時は血液製剤の問題があった)などなど。

それは母のせいだと思います。
私は親の手続きをしたり警察や市役所と話をすることが慣れていました。もちろん親戚に事情を説明することも慣れています。これが功をきしたのかもと自分では思ってます。医師と話すことや患者本人と話すこともたぶん、他の方よりハードルは低かったのでしょう。

◆◆◆◆

ここからナゼ私が心の内を書きたいと思ったかという本題です。 私は父の看病を終えてからずっと探していました。患者だけでなく、看病者に心を寄せてくれる医療者を。

いや、いるんですよ、いるんです。

でも今まで出会ってきた医療者は「患者さんにケアが必要。それにご家族もケアが要りますよ、無理しないでね」って言ってくださいます。

でも違うんです。 無理しないでと言われても、看病をする家族は無理をします。してしまいます。 無理しない家族は、看病すらしません。 でも違うんです。 患者と看病者は土俵(フィールド)が違うから、たまには引き離して違うケアが必要なのです。

理由は患者にしかわからない辛さがあり、看病者にしかわからない不安があるからです。 だから、患者は患者のケアが必要で、看病者は看病者のケアがそれぞれに必要だと言ってくれる医療者を探していました。すると2年前に出会えたのです。

◆◆◆◆◆

それは広島のがん専門医、瀬尾先生でした。 二年前、瀬尾先生から「がん家族」について講演をして欲しいと誘ってもらったときは内心驚きました。

講演の日、瀬尾先生にナゼ「がん家族」なんてマイナーな講演を依頼してくださったかを聞くと、瀬尾先生はご友人をがんで亡くした時のことを話してくださったのです。

ご友人は瀬尾先生に、がん患者とその家族を診れる医者になってくれと言われたそうです。「患者である自分はいいんだ、いろんな人が支えてくれるから。でも家族は違うんだ、悲しみを抱えながら僕を看病してくれてる。僕は家族のことが心配なんだ」。

このご友人とのことがあったからがん専門医とプライマリーケア医になるべく一心に勉強と経験を積み続けてこられたそうです。

そしてがん患者さんのご家族支援を専門でやっているところはないかとXなどで探していたが、なかなかないんですね。 でもある日見かけた、私(酒井)の投稿が「なんだこの人、おもしろい」と感じずっと投稿を読んでいたら、がん家族の苦悩や支援について直接聞きたくなりお声をかけてくださったようです。

私はこのお話しを聞いたとき感動したんです。

自分の感情が二十年前にタイムスリップして、あのとき心の中で「なぜ、こんなに辛いんだ!」って叫ぶ自分の目の前に、医師が立っている。そんな感情になりました。ここは上手く言えずごめんなさい。とにかく、感謝したのです。 家族を理解し、支えたいと心を寄せてくれていることに心からありがたいと感じました。

それに、瀬尾先生はこうも話を続けました。「これから広島で、がんサバイバーのための町のクリニックを建てる計画中なんです。大きな病院だけでなく、細かいところをクリニックで診れたら、患者さんもご家族も安心でしょ」。

私、この計画を聞いて更に感動しました。

かつて 私たち親子が家で暮らすのに、あんなに苦労したのは町のクリニックではがん患者のその都度の体調変化の対応をしてもらえなかった問題が大きかったからです。

それが瀬尾先生のクリニックでは解消(支援)できる!!感動と私で何かお役に立てればと考えていたら、

昨年、瀬尾先生が、がんサバイバー向けの講演をして、広島の人にクリニックが出来たから安心してほしいとお伝えしたいと企画を教えてくれたので、ぜひ手伝わせてくださいと手をあげた次第です。

◆◆◆最終章です◆◆◆

でもここで問題が出てきたのが

私に影響力がないことです。情けないくらい力がないんです。
講演の企画を手伝わせて頂けることになりましたが、講演を沢山の方に知ってもらうことが難しい。

がん患者さんや、そのご家族にぜひ「がんサバイバーの困りごとや解決できること」の話を聞いて欲しい!!

SNSで伝えたり広告も出します。でも講演に来て下さるのか不安でたまりません。そこで、もしかすると嫌われてしまうかもと思いながら、私がなぜお手伝いしたいと思ったのかを知っていただきたくて本当のことを書きました。

嫌な気分になった方がいたらすみません。 でも、がんサバイバーの方々の不安が解消できるお話しを聞きたくないですか?もしよければ、私に少し力を貸してください。

少しでいいので、SNSで広げることをお手伝いいただきたいのです。 勝手なお願いで、本当に申し訳ありません。 どうしても、がん患者さんとご家族に届けたいのです。 長くて思いのままに書いた文章を、最後までお読み下さりありがとうございます。
(今夜4/10 20:00講演お申込みとポスターを投稿いたします。よろしくお願いいたします。)
全国に届きますように。

酒井たえこ

7daysbookcoverchallengeSpinoff 2025 その20

2025 年 4 月 10 日 木曜日

かつて 求龍堂さんの セール?だったかで まとめ買いした 熊谷守一さん関連本のうちの 一冊

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

#7daysbookcoverchallenge …という 流れがあった

コロナ肺炎という 未知のものに 人々 おたおたして

コロナ禍…てな言葉も生まれ

外出の制約やら 自粛始まった 混乱のあたり

お家滞在時間を たのしく♪とか

読書文化復活を!とか

なるべく楽しく快適に乗り越えようではないか という流れが始まった(言い出しっぺについて わたくし存じ上げませんで)

もともとは 誰かから バトンタッチされて バトンタッチしてゆくもので

7日間

本の表紙のみ紹介だったのは

著作権の問題とかもあったからかな?

受け渡してくれた人や 受け渡す人を タグ付けするとか 

いろいろ 制約あったのだけど

やはり 読んだ気持ち 言いたくて

制約取っ払い

#7daysbookcoverchallengeSpinoff と 題して

己の読書 記録的に 続けてる

6年目かな

懲りずにやるよ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その20

『いのちへのまなざし 熊谷守一評伝』福井淳子(求龍堂)

しっかりと 見知っていたわけではないけど

ぼんやり 熊谷守一さん作品 好きだ て 思ってた

んで ことばと 心の 恩人♪と たくさんの救いをいただいた 詩人であり「朗読芸人」の 故 みおよしきさんとこに 訪ねていったとき

「ちょっと 美術館行くか」と さらりと 連れて行ってもらったのが

岐阜県美術館の「熊谷守一展 守一のいる場所」(2014年)だった 

あわわわわ〜!な気持ち

なんかしらんけど しんみりするようで かきたてられるようで 何かがぢわりとしみこみ重なる感じ…

うまくいえないけど もっともっと観たい!と 思ったっけな

涙目になって 

わ〜 もっと 守一さんと仲良くなりたい みたいなこと言ったら

みおさんが「うんうん なかよくなるのがいい」て 言ってくれたのだったかな

その後 池袋の 熊谷守一美術館にも 辿り着いたのだったよ(何度か行って毎回迷ってる)

そして今 この 著者 福井淳子さんの「熊谷先生」への 敬愛の思い溢れる 細やか丁寧で 引用たくさんある 本に触れて

また 作品観にいきたいなぁ て 思う

己の作品作りの 難航中に なに 読書なんぞしてるんか!?だけど

今だからこそ の 時間にも 活きるはずだ

おんなじ なんて 烏滸がましいこと 言っちゃ いかんけど

「何がほんとうなのか、知りたい」の思い

「これだ!という一瞬を掴み取る」

境界 とか 狭間にある 自分の存在に 通じる思い

あぁ と 心動くこと

でも うまくいえなくて

だから「作品」という 「形 成し」に 向かってるんだよ と

自分の 日々のことへも 目を向ける

また 踏み出す