2020 年 3 月 20 日 のアーカイブ

また潤う

2020 年 3 月 20 日 金曜日

乾いてしまっても

また 潤う

乾いてから

うるかした 大豆の うまみたるや!

むしろ 乾いてよかったのだな

そんな風に いられたらいいけど

わたくしは イソフラボンの 素晴らしさの足元にも及ばぬまんまだ

しかし まてよ

大豆は イソフラボンは

もりあやこを生きることなど できんのだから

恥じ入ることはない

…なにいってんだ!?

朝から あほうな 自問自答などで 戯れ 紛れさせつつ

おからをこさえる

搾りたて豆乳を飲む

ちょっと 火傷などする

春分の日

かなしいまんまだけど

2020 年 3 月 20 日 金曜日

突然 逝ってしまった 順子(よりこ)先生

ここ数日 あまりにも その仕草や声が そこいらに満ちている

かつての 恩師 と 生徒という 間柄だけではなく

ここ二年くらい 先生宅にお邪魔して

タップとピアノレッスンをさせていただいてた

その 出逢い直しの日々が

とても 大きかったと 改めて思う

本来なら タップとピアノ合わせて 一時間半

しかし お喋りさしはさみすぎて 二時間半くらいになっちゃったりもした

人生において

さほど 長い時間 ご一緒したわけではない

でも からだのもちいかたを じっくり向き合ってやるということは

何故 今ここに力が入るのだろう?とか

この動きに片寄り勝ちなのは こんな風に 心とからだが 構えてしまうのだな とか

体のあり方だけでなく

からだに向かうときの その人の 思いの向けかたも

じいいっと みつめ 繙いてゆくような時間

その人の 来し方 越し方…生き方に 思い巡らせることであり

その 過剰な力み よろしくなさに 気づいてもらって

より良いところへと ゆるめ すすみ

こころとからだ 解放してもらうに当たり

どうしても 精神分析的な 物言いになってしまうことがある

ごくごく 具体的な からだへの アドバイスを

「え~っ!?なんだか 今までの悩み 分析してもらったみたい!すごく納得した~♪救われるわ~♪」なんて 言ってくださっていた

先生の 特徴的でもある 明るさや 笑い飛ばしは

相手に 気をつかわせないための 気遣いの賜物で

これまで いろいろなものに 立ち向かってきた 力みでもあり

ひとつの 防御の方法でもあったりする

ゆるせないっ!と 思われることにも 熱くまっすぐで

すべてが素直に からだにあらわれているかただなぁ と

しみじみとしたのだった

開いてくださっていた

こちらも 覚悟を決めて 洗いざらい 開いていた

そんなひとときだった

濃密に 深く出逢うというのは こういうことなのだろうなぁ と 思う

あぁ

考えたとて

「かなしい」は 「かなしい」まんまだけどな

出逢い

出逢い直させていただいた 得難いひとときを

ありがとうございます

「荷物整理してたら あやちゃんたちの中学時代の写真出てきたの あげる~」て

順子先生からいただいたもの

そうして 思い出など あれこれ また 転がり出てくる

中学時代

担任していただいたことはなかった

数学の 大沼順子(よりこ)先生

部活の顧問ではなかったけど

三年の時

文化祭が 一般公開しないことになり

そりゃねぇだろ!と 生徒たちの不満噴出

学校側に 理由を問いただす 全校集会のようなものがあったものの

結局は 決定事項を説得される流れに 終始するという

すったもんだ

順子先生は

生徒の側の 応援についてくださり

結局 一般公開は叶わなかったけど

その時 わたくし はいってた 演劇部を 全力で応援してくださったのだった(演目『身知らずの柿は残ったか』)

金八先生という テレビ番組が 始まった頃で
流行りに乗っかるように 似たような 突っ張り発生して

数々の騒ぎ 起こす学年ではあったけど

「突っ張り」代表格も

順子先生には「手出ししねぇ」て 言ってた

味方だって 思ってた

先生方の間で 浮いてしまってるようなことも 薄々感じて かばってさえいたようだ(突っ張る君たち 本人から聞いたぞ)

何かのきっかけで

敬虔なクリスチャンであることを知って

何人かの友人と共に

三浦綾子さんの 『塩狩峠』を 読み込んだり

聖書の勉強をするような 小さな会を

先生のおうちで させてもらった

高校辺りまでは そんなこんなで 接点があったものの

大学で みんな 散り散りバラバラ 離れた

短大卒業後

保育専攻科の 聴講生を 暫し続けて やめちゃって

やりたいことがあるようなないような…と

なんとなく人生に迷っていたようなとき?

しばらく離れていた よりこ先生から

とある不登校の生徒に「家庭教師みたいなの してほしい」と

連絡があったのだった

相変わらず あつくあたたかく 寄り添っておられるのだな と 感じ入りながら

その なかなかに つわものの お子のおうちに 行かせてもらった(族の 合図…バイクの噴かす音とか 教えてもらったっけな)

その後 また しばらく 年賀状だけの やり取りになったとこへ

早めに 退職なさって 新聞の読者記者みたいなん やりはじめて

その記事のひとつとして 是非 書かせてほしい…と

角田の しんたなさんちの倉庫 時々 天神小劇場になってたとこで やらせてもらった「もりあやこ故郷で錦を織るシリーズ 第二弾 TAP SHOTS TheTap-full time~タップてんこ盛り!の ひとときwith クリスチャベス」を

取材してくださった

それから また しばらく 密に お会いすることもなく

しかし おばと 繋がりもあるてことで

時折 話を聞かせてもらう程度

一昨年 おばと そのお友だちたちが タップとパントマイムをやりたい と言ってくださって

船岡に「ぶんぶん倶楽部」という 集まりができたとき

「小波(さなみ…わたくしのおばです)さん すんごく楽しいこと始めたんだって!?私も 是非やりたいんだけど うちに来てくれるかしら♪」と 連絡をいただいた

それから ほぼ 毎月 二回

先生の おうちにて 順子先生と 三女さんと タップ

ほどなくして 先生から「実は ピアノもやりたいの」と

タップレッスンのあと ピアノもやることになった

かつて やっていた バイエルの復習を と 先生からの希望はあったものの

本当にやりたい曲があるなら 後回しにしないで それもやっちゃいましょう と 提案すると

大喜びで 讃美歌などの 好きな曲を 示してくださった

食品ロスをなくす活動の 助太刀もしておられ

大手スーパーマーケットの 放出食品を ご自身のつてに 受け渡せないときは

「誰かに わたしてっ!」と 連絡をくださった

出張タップ稽古で 用いてる シートと コンパネ

順子先生が わたくしの車の後ろに 運んでくださった そのまんま 積んである

船岡の 教会(ヨークベニマルや マーブルマーブルに 程近いところにある)で

本日 午後三時から 前夜式

明日 九時半からが 葬儀

のすのすのしあわせ

2020 年 3 月 20 日 金曜日

未明に

のすのすのす…と 布団へ

毛のもの きたる

その 重み

あたたかさ

湿り気

いのちを

愛しさを 思う

胸元 息苦しくなりながら

よろこびなども わきあがる