朝 ちみっと 尾てい骨に近いあたりの・・・坐骨神経?・・・ところが ちくり
ああ、昨日も コーラスフェスティバルの 椅子片付けの時も ちく・・・があったっけ。
ああもううう、今週は あんちゃの 手術後初 外出控えてるし
ここで 悪化させたら いかん と
そろりそろり動く。
んでもって 再び 子供の家エミール リトミック仕事・・・ごめんなさいした。
全く動けないわけじゃないと、サボり気分満載・・・うう。
納得して 決めたとはいえ 心身ともに うなだれ気分になってたら
それを見て父「なんだ、家中ぼっこればりだな」・・・家中 身体壊したやつばかり・・・てな 意味
父も 痺れが未だ残ってて よたよた~本日 病院へ~
母も 腰だけでなく 身体中 みしみし(心臓だってほんとじゃないし)~明日 病院へ・・・今日は 父診察付き添い~
それでも 笑い飛ばしながら
今ある身体で じたばた やっていくのさね。
腰 冷やさぬように ゆるゆるしながら
ちちはは病院行きを見送ったら そこへ 心配電話from U.A.E.再び
今度こそ 聞き取れなくても 受け取らねば!と 話す。
やはり 挨拶言葉しかわからぬ・・・勉強の甲斐なし。
ところどころの 巻き舌英語も かいつまめば
やはり手紙受け取ったこと、何か他にもあれこれ言ってくれてる・・・わかんね。
わかんねのに 「たまーむ」(OK)とかいっちゃいかんな わし。
ZAHR先生によると、前回いただいた電話の 音声メモは
元気だか?ということ、勉強頑張っているえらいえらい ということ、神の祝福・力が届くように・・・というような内容だそうで、今回もそんなかな?
とにかくね、ぐにゃけそうなときに 遠い国からまで励まされる ありがたみは がっつり受け取らせていただきました。
更に 聞き取れるように ちゃんと 自分の言葉で 受け答えして お礼を言えるようにしようっと。
2009 年 10 月 のアーカイブ
「ぼっこればり」
雲を仰いで
昨日 角田コーラスフェスティバルからの帰り道
秋に満ちた 辻辻を てくてく
家まで 2~30分の道のり。
お堀跡に泳ぐ魚や ヒヨドリジョウゴの赤い実
誰かの庭先に 色づきかかった 花梨の実
四方山あたりの もくもくな雲
温かい歌声を聴いたあと 静かな町の裏道通って
ああ 角田が好きだぁ・・・と 思う。
道中 知り合いの方が 通りかかるたびに
「なんだぁ!?歩ってんの?乗せてやっから」と 車へのお誘い(ナンパでは決して無い)
ありがたいお心遣いだけど 歩きとうございましたので
ご辞退いたした。
人情も 満ちる 秋の午後でござりすた。
はがいぐ
・・・はかどる とか すすむ・・・てな意味です。
発音は「ぐ」のところ 鼻濁音でお願いします。
今日の夕食サイドメニューとして
大量にいただいた 薩摩芋 消費対策の 試作で
薄く短冊切りにして ごま油で じゃかじゃかっと ごま塩ふりながら 強火で炒めてみた・・・んまかった。
結局 夕食始める前に ヱビスビールのお供として 一瞬で食べちまいました。
薩摩芋を あまり食べないははの箸も 「はがいぐごだ いぐごだ」(すすむことすすむこと)
今後の おつまみの 定番になりそうだな。
まだまだ学ぶ
かつて わたくしが ピアノを 教えていただいていた 八島幸男先生
コーラスフェスティバル会場に 来賓としていらっしゃってた。
「もう ピアノの教えは引退だ」など おっしゃいながらも
音楽はやめられなくて 今は楽譜を勉強しているんだ・・・と
楽しそうに語る 八十代。
若い頃の自分に 反省しきりだけど・・・など おっしゃいますが
あの頃の 先生のびしばし!愛の鞭が 今のわたくしを 育ててくださいましたし
先生の 音楽への思いは いまでも 変わらず 熱くひたむきで
本当に素晴らしいなあ、先生に教えていただいてよかったなあ・・・と 頭あがりません。
とある 会場でのコンサートの話をしたら
「あんな環境で 演奏させるなんて、演奏家を侮辱するのと同じだ!」と 本気で怒ったり、音楽愛するが故の 厳しさ健在。
そんな先生から「今日の演奏は、ちょっと強めのタッチではあったけど、歌の伴奏はそのくらいでないとね。ちゃんと聴こえてきて、歌をのせてあげられてて よかったよ」と
お褒めの言葉いただく・・・うれすい!
以前 先生がいらっしゃるものだと思って 「とある会場」で 再演した
『あの頃~チェックのスカート~』て曲・・・先生の率いていた 角田少年少女合唱団の思い出を歌った歌
今度は ちゃんと 聴いていただけるようにしたいなあ。
角田コーラスフェスティバル
いつもなら 白萩コーラスのみなさんの 伴奏と
コールきんもくせい(角女OG)で 歌うのだけれど
今回は 伴奏だけにしますた。
他の団体さんで とってつけな 助っ人で歌ったこともあるのだけれど
やはり 合唱って そんなんぢゃだめだ。
今回 練習も 二回くらいしかいけなかった。
きんもくせいのみなさんは「気にしないで いつでもいいよ」とか 言ってくださるのだけど
仲良しだからこそ 大切にしたいんだ
共に 積み上げたからこそ かもし出せる温かみやら 音色
また今度 ご一緒させてください。
あるいはほんとに 来てるのかもしれない
時折 あんちゃの口から出る「さっきまで ばあちゃん来てた」と。
日誌にも「ぱあちゃんがきて そのあとかあちゃんと交代」など。
以前 もう亡くなったんだよといったら「またまたそんなこといって~。だめだよ、外で頭冷やしてきなよ」と 言われた母。
別の時は 亡くなったことを「うん」て わかった日も あったけど
今日ははが 日誌を 覗いたら「祖母がやって来る」とあったらしい。
目の前に見えたことを 覚えていて後から書く・・・という 機能は今 ちいとばかし 滞っているので、実際に目の当たりにしたことではないのだろうと思う。
でも あんなに ばあちゃん子だったあんちゃ、あんなにあんちゃ大好きだったばあちゃん・・・この非常事態に 呼び合って守りあっているのは ありえぬことではない・・・なんて思う。
完全看護だからって 病院に任せちゃおられん!と 布団持ち込んで泊り込む ばあちゃんがいるような気がする。
心強いな、頼む。
来週 初外出 試み
手術後 機能訓練もかねて 5時間ほど 外出(あんちゃ)予定
あんちゃの好きな 十割そば食べてから 家に戻ってみる。
いつもしていたことを 思い出せるかどうか。
ぴち&うし は どこまで 思い出してなついてくれるか。
ばあちゃんはもう亡くなっていることについて どう受け止めるか。
どきどきわくわく。
一ヵ月半の 不在に慣れかかってきても
「いないことがあたりまえになってたまるか」・・・と、決して 慣れることを許さない気持の動きがある。
だって 今のは 非常事態なだけで、戻ってくるはずなんだもんね。
何か違っているとしても、ここで暮らすのが いつものことなんだもんね。
懐かしい言葉
かっぱ様「ホムペ」で ちょいちょい でてきた「アパシー」
若い頃 この言葉を知った時(そのときは「スチューデントアパシー」て言い方だった)
わたくしのことぢゃんか!と思った。
んで、その後ずっと やる気 出ねえ・・・て時
頭の中で 「あ ぱ し~~~」
て うらめしや~ みたく この言葉がめぐったっけ。
アパシー=無気力・・・でない時は 出さぬがいいんだ
無理やり出るもんぢゃなし。
頑張らんでも ぐんぐんやる気湧いてくるよな たなからぼたもち的 期待は 今もしちゃうけど
発想の転換、姿勢を変えるだけでも、少し「気」が動く 自分なりのこつがわかってくると
ちょっと 楽になる。
あと そんなこといってる余裕なくなると
やる気なくても やんなくちゃああああ!と じたばたしてるうちに のりのりになったりね。
火事場の馬鹿力信仰・・・みたいなの ありますわたくし。
なんにせよ 得がたき 高校生活青春真っ只中
たのしんでくれたまへ。(かっぱ様は高校生・・・てばればれだわな。ばらしてすまん)
吐く息も白く
朝晩の ひんやり湿った匂いが 好きだ。
田んぼのあちこちで 稲刈りあとの 藁を燃やす 香ばしい匂い。
寂しいとか 物悲しいとか
センチメンタルにならずに
色づく葉や 艶めく木の実 秋の花々に うずうずする。
天高く 午年女 肥ゆる秋ですだ。
庭のかまさん
動きゆっくりになってた
急がないと もっと寒くなっちゃうよ・・・と
背中 押しても
とりたててまあ・・・ね
とでもいうように そのまんま。
これでいいのかな?
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