2009 年 10 月 15 日 のアーカイブ

みっちり病院内

2009 年 10 月 15 日 木曜日

あんちゃの 入院生活に 部分的に 密着。
昼ちょい前から 他愛ないようなお喋りしながら
ご飯→昼下がり読書→リハビリ→シャワーから戻る15:50まで。
GYROのかたからの お手紙を読んだあと 自分の編集した 会報誌にダメだしをしていた。
木曜なら東京に行くはずじゃないの?・・・と 習慣にしていたことは(わたくしのことでも) 覚えている様子。
さっき〇〇さんに会ったよ・・・てのは 大抵 脳内構築物語であるらしい。
そんなこんなを ちまちまメモとりつつ 時々 アラビア語宿題したり うたたねしたり。
そんな格好で (宿題)やってると よくないから テーブル使ったら?なんて 心配される。
あと、何度か口にした 「自分がわかってないことが ぼんやりとわかる」というのは ものすごく進歩したんだなあと しみじみ思う。
何か買ってこようか?に とりたてて 希望を 述べなかったのが
「チョコレートでも買ってもらうか」なんて ニヤリと笑ったりして、ふざけ具合も いい感じだ。
リハビリ室へ ちみっと 心許なそうだけど 自分の判断で到着できたし、
パソが使えるかどうか・・・も 見事だったし。
あとは「文章を見ながら キーを打っている時はわかってるけど、それが頭に残っていないなあと なんとなくわかる」・・・て。
その先へ・・・いつの日かわからないけど 行けるよね。 
まあ なにがあっても そうか今はそういうことか・・・と 受け止める。

心配電話 from U.A.E.

2009 年 10 月 15 日 木曜日

HAJIおぢさんから 多分心配している・・・てなかんじの 留守番電話入ってた。
ちゃんとリスニングできないから 「多分」なんだが。
たまたま ちちの手術のときに電話きたときは、片言アラビア単語 羅列で「ちち・肝臓・ガン・手術・病院のなか・忙しい」と 言ったもんで、しばらくして ちちはどうか?というような電話 再びくださった。
今回は、アラビア語の先生(シリア人 ZAHR先生の添削済み文章中心)の手紙であんちゃのことを伝えたから 多分そのことについて 言ってらっさるのだろうな。
なんか ありがたさに 気持安らぐ。
U.A.E.の方角にも ありがとうございます と頭下げてみた・・・どのあたりかわかんないので ぐるっとまわって。

声を 荒げる

2009 年 10 月 15 日 木曜日

朝っぱらから いかんね。
ちちもさあ、味噌汁に卵の殻入ってたくらいで(落とし卵)「ぜんぶまずくなる」とか むんつけんなや。
母に対して言ったので、わたくしにむかって 言ったわけぢゃ無いけど、
その後 何とか和まそう・・・なんて 余裕もあったはずなののだけど、 
他の事にも ちみっと ひっかかってたもんで、
わたくしの調理したキク芋の根っこ炒めを
やれ「トリカブトじゃないのか」「おまえのとってきたもんは危なくてしょうがない」とか
ははまで「一家三人で中毒死したらシャレになんない」
なんて 畳み掛けられたら
「じゃあもう食べなくていいよ、あたしが1人で食べて一人で死にゃあよかろう」
・・・なんてな。そういう問題ぢゃありませんね。
言いたくない言葉を 口にすると、その毒気がまわって 中毒症状出るがね おぇ。
反省。
三人互いに まずい・・・てな雰囲気になり
茶を飲んで バカ話して少し和む。
学習せんかい!てな 大人三人であった。

あんちゃの仕上げた仕事

2009 年 10 月 15 日 木曜日

手術前にした 取材編集 鴨川リゾートクラブ会報誌『GYRO』no.31が 届いていた。
あんちゃの 手がけている仕事が わからないまま 部屋を調べて 
二件ほど 当たりをつけて 連絡した際に
すぐ返事を下さったのが GYRO関係の方々だった。
心配してくださって気遣ってくださっている お手紙に 涙・・・
こんなにも 心根の優しい方々と 仕事できてたこと
うれしゅうございます。
きっときっとまた ご一緒できたらと 祈る思い。
文字が にじんで 冷静に 読めないや。
ちいと 頭冷やすか。