2022 年 5 月 31 日 のアーカイブ

まーがれっとちゃん

2022 年 5 月 31 日 火曜日

かつて うちの庭にもいた

まーがれっと

その おはなおはなした 見てくれ

言葉の響きの かわゆらしさも相まって

少女漫画の主人公にも 用いられたっけね

でも くんくんすると ちょっと くさいな とか

いつも ちっこい マルカメムシみたいなのいたっけな

…ま それはさておき

いつの間にか 駆逐されてしまったか

庭から 消えてしまって久しい

近所の空き地に 道端には 健在なので

そのうち にわにまた きてもらおうかな?なんて

これ以上 また何をか増やすのか!?性癖 実は むずむず

マーガレットというと

大学時代

ミッション系なもんで「花の日礼拝」というのがあり

礼拝に 花を持ってくるように と 言われていた

下宿の方に 頼むのも 気が引けて

わざわざ買うのも 懐具合が 頼りなくて

うむむ と 悩んだものの

どんな花を…という 制約がないのだから ゆく道々 目についた とっても良さそうな花を持ってゆこう と

坂道の途中(坂しかない 中山近辺に 下宿しとりました)の 石垣から ひょひょひょ と 咲いていた マーガレットを 一輪 いただきます ぷち して 持っていった

学校の門のとこに 花屋さんからの 出張販売があったりして

礼拝会場の バケツには

ラッピングされた 美しき花々

盛籠アレンジメント などなど

オサレなお花ばかり

…ひぃ

内心 おののきながら

バケツに マーガレットちゃんを 一輪 入れたら

それを見てた おともだちやらが

「ふふふ あやぼうらしいね」て 笑ったんだったな

『ちいさなかごに』という 讃美歌とともに

真っ直ぐだったり

斜に構えていたり

その どれもが 少しずつ 人と ズレてはみ出して

それでも 凛としていよう と 気を張っていた

若い心持ちの 自分を 思い出す

沸騰 冷却 適温で

2022 年 5 月 31 日 火曜日

母 診察後

あまり よろしくないことを言われて 落ち込み

よろしくないことが よろしくない思いやら なんやら 引き連れて

なんもかんもうまくいかないできないいたいつらい…と 頭駆け巡ったようで

「生きてんのやんだぐなったわ」と きたもんだ

病院の廊下にて

は!?何 言ってんの!?と カッとなったものの

一旦 呑み込む 尖った 思い

深呼吸してから

めそって 涙拭う 母のほっぺを ちみっと つまみつつ

なにいってんだよもぉこのめそめそぷ〜♪と

無理に笑ったのち

言葉出せなくなった 

煮えくり返る思いなどあり

しかし 煮え煮えのまま ぶちまけたいのでもない

その言葉の真ん中にある

生きていたくない…ではなく

生きていく上で嫌なことはあってほしくない→嫌な思いせずに生きていたい→にこにこいい気分で生きていたい…という思いに 気づいてほしいのだ

そして わたくしの この 煮えたぎる思いの 真ん中にある「生き死にに関して 気軽に言う」ことへの 嫌悪とともに

ほんとはそうじゃないことにきづいてほしい という 願いもある

倒れて間もないあたり

母から も少し ストレートに

「生きていたくない」に 近いことを言われ

本気で言ってんのかよこのやろぉ命を終わらせる方法は知ってるからよ本気でやってくれてんならやれなくないんだよ娘を犯罪者にしてもいいなら今後の森家周辺に迷惑かかること承知ならやったろうかってんだごるぁあ!!!と 激昂&号泣の わたくし

あまりの 剣幕に 目が点になって そののち「ごめんねごめんね!」と なく母

「なに おかさんば 泣かせてんだ!?」と 言ったものの やべぇ…と 思ったか フェードアウトする 父

ああいう 収拾のつかなさに 転がり込みたくはないし…

結局 帰宅した後 

酸素ボンベやさんとの やりとりやら

昼食の支度やら 終えて

食後まで ほぼ 零下何十度!?くらいの 冷え冷えむっつりのまんまおって

母のお昼寝助太刀…てな段になってやっとこ

さてと 母は 辛いなと思うこと 痛みとか 自分でどうしようもないもどかしさとかいろんなこと 重なって やんだぐなる思いになっているとしても それは 生きている事自体 すべて嫌になってしまったわけではないでしょ?ときいてみる

はじめ え?なんのこと?みたいな表情だったものの 言わんとしていることに気づいたようで うんうん 頷く母

色々やんだぐなる気持ちはわかるけど それを 生きていることまでまとめてやんだぐなったなんた 勘違いしないでほしいんだよおぉ…と ここまで言って泣いてしまう わたくし

母も 泣かせてしまったが もうしょうがない

「そんなこと」だとしても 色々積み重なると 些細な「そんなこと」が 大きなことみたいになって やんだぐなったとしても やんだ…と思うのは「そんなこと」なだけだってこと 気づいてほしいんだよ 自分もそんなことに陥りやすいから 忘れずにいたいんだよ ほんとにほんとに やんだぐなって 死んでしまいたいならそれならそれで方法はあるんだよ でも そうして全て台無しにしてしまってもいいくらいの覚悟あるかどうか そこんところ 思い巡らせてから言ってほしいんだよ 

なるべく愉快な気持ちで 気持ち切り替えられるように言いたかったんだけど うまくいかなかった…ごめん

そこまで 言ったら 母も

「わかってるわかってるんだよごめんねこれからもよろしくねかんばっからねよろしくね」と

二人で 鼻 かんでから 握手した

沸騰 冷却 適温…とは なかなかうまくいかず

いつも 無様なのだけど

諦めずにいくよ て 思う

いつだって

誰に対してだって…だ

少し泣いたりしながら

2022 年 5 月 31 日 火曜日

こことこ 朝 余裕あるときは

ブログ投稿復旧しておる

顔本が「○年前の今日」と 思い出表示をしてくれてるおかげで ある程度できる

しかし 顔本の 思い出表示は 全てでもなく

抜けていたりするようなのだ

以前気づいたのは

文章だけのものが あまり 表示されず

画像つきのものは 比較的 埋もれてないのでは?ということ

それから 毎回 文章にあまり関係なくても 画像をつけるようにしたのだったな

定かではないけどね

2015の 今時分は

ぴっちっちっ(当時二十歳にならんとす ♀)が でかけたきり 帰ってこなくて うろたえていた

以前ほどの 号泣はしなくなったものの

いろんな 肌身の感覚も 薄れたものの

削ぎ落とされ淘汰されてゆく真ん中に残る

「かなしい」という気持ちの 振動のようなもの

どうしようもないものだな

まだまだ 泣いたりする

かなしさは 愛しさと重なり合うものでもあり

生身が引き剥がされたことによる 欠落感でもある

涙が流れたあとの くぼみに

大福など 埋め込むように 食べようとして

いかん

ゆっくり味わえ!と

小さく切り分けてみる

己の気持ちとの せめぎあいつつ

また 今日を生きる

もしや オオキンケイギク?

2022 年 5 月 31 日 火曜日

最近あちこちでよく見るなぁ と 思ってた

黄色いコスモスみたいな花

もしや オオキンケイギク?

だとしたら 特定外来生物

行政によっては 駆除を呼びかけてるところもあるやつ

かわゆいんだけどねぇ

よく見るようになったなぁ というものと

見なくなったなぁ というものが

年々 緩やかに 変わっていく

全く変わらずにあることの 難しさを思う

まだ諦めきれない感じ

2022 年 5 月 31 日 火曜日

「もう終わりかも」とあった

孟宗竹

終り初物なら また 東向いて笑う 森んちですが

あと一回くらい あるといいなぁ…と

諦めきれずに 笑わずに 食べた

でも おいしくて にこにこは しちゃったけどね

母ったら めずらしく ひとくち口に入れてすぐ「んまいごだぁ♪」と 言って

おかわりまでしてくれた

普段「んまい」と 口に出すのは わたくし手作りの 杏仁豆腐くらいなのにね

本日 糖尿病外来

前日夜の ご飯おかわり ごときで

血糖値が大きく変わることはあるまい と 思いつつ

このごろまた 注意怠っていた風の 結果になっちゃうかな…と 

ちみっと どきどき

雨降りなので

また 騎馬戦的に 手を組んで 股下から 持ち上げて 車に乗せるぜ

ふぁいとだ わたくし!と

ご飯 もりもりに 食うてみる