こことこ 朝 余裕あるときは
ブログ投稿復旧しておる
顔本が「○年前の今日」と 思い出表示をしてくれてるおかげで ある程度できる
しかし 顔本の 思い出表示は 全てでもなく
抜けていたりするようなのだ
以前気づいたのは
文章だけのものが あまり 表示されず
画像つきのものは 比較的 埋もれてないのでは?ということ
それから 毎回 文章にあまり関係なくても 画像をつけるようにしたのだったな
定かではないけどね
2015の 今時分は
ぴっちっちっ(当時二十歳にならんとす ♀)が でかけたきり 帰ってこなくて うろたえていた
以前ほどの 号泣はしなくなったものの
いろんな 肌身の感覚も 薄れたものの
削ぎ落とされ淘汰されてゆく真ん中に残る
「かなしい」という気持ちの 振動のようなもの
どうしようもないものだな
まだまだ 泣いたりする
かなしさは 愛しさと重なり合うものでもあり
生身が引き剥がされたことによる 欠落感でもある
涙が流れたあとの くぼみに
大福など 埋め込むように 食べようとして
いかん
ゆっくり味わえ!と
小さく切り分けてみる
己の気持ちとの せめぎあいつつ
また 今日を生きる