2020 年 3 月 のアーカイブ

かみしめる

2020 年 3 月 22 日 日曜日

泣く てぇのは

体力 気力を消耗するもので

帰宅後

昼御飯食べたらば

すとん と 日向ぼっこ昼寝(ちどごろ寝)夕方までしてしまい

目覚めた頃には

すっかり 買い物にいく気も 失せていて

あぁ ばんげは ありもので何とかしよう と 決めた

身欠き鰊と へそ大根と 馬鈴薯の 味噌煮 しこんであるし

野菜天婦羅ならできるな

野菜だけだと物足りないかな…と

あれこれやって

やりすぎました

いやはや

足りない感じするかな と 思ったときほど

過剰になっちまうな

しかし おかげで 心身立ち上がれてきた感じ

動く

作る

食べる

生きる

思い どうあれ

まずやれることある しあわせ

噛み締める

昨日の夕方

うたた寝から目覚めたとき

母も 横で 車椅子のまんま うたた寝してたのから うらり と 目を開けたところで

やおら「今 おかさん(「お母さん」…自分のことを わたくしに語るときに 用いる)の生前葬やってて 婦長さんだの 前の 事務長だの 挨拶終わって 最後に『はい 生まれ変わりました』つって おかさん出でって 挨拶し終わったとこなの…ひゃっこくて んまいもの 食いでぇごだ」とな

夢の話すか?

いきなり夢の話するとか

いつものことなのだけど

脈絡なく おやつ要求に 着地してる…これも 母なりの脈絡 昔からだ

取って置き過ぎて 霜 付着しまくりの アイスクリームが 冷凍庫の奥に 一個あったはず と

三等分して

母 あんちゃ わたくし で 遅めの おやつ

んまいねぇ ていいながら

こんな ささやかなことよろこべる のんきさとか

父も 口から 食べること 復活できるといいなぁ てな 「無理かも」といわれても諦められない 希望とか

手放しかかっている 作品への 思いや 熱への 焦燥やら

なぜか一気に 吹き上がりそうにもなり

あわわ と ひっそり 狼狽えて

しかし 焦燥だけ 横においといて

改めて んまいねぇ なんて 味わい直して 言ってみる

大丈夫

心は動いてる

充電しながらゆく

最近 あんちゃ

蓄積疲労だかなんだか

風呂でうたた寝してしまうようで

はらはら

母なんて「おにいちゃん 風呂さ 沈んでんでねぇがって 心配で心配で 眠らんねぇ」と めそめそするので

なるべく 母とわたくし起きてるときに 早めに 風呂に入ってくれろ と お願いしてる

…とはいえ 互いに 慌ただしくして

うっかりそんなことも 失念したりして

昨夜は わたくしが ばんげののち 炬燵で ちどごろ寝してる間に 風呂に入ったようだ

あんちゃ 風呂上がって「お風呂どうぞ」の 声にて

あわわ!無事でよかった と 起きた わたくし

心配だからさぁ て 言ったら

「君こそ心配だよ 呑んだくれて 変な格好で 転がってるからさ」とな

久しぶりに 焼酎 お湯割り…いつのものとも知れぬ 梅干し結晶化した塩を 接眼レンズでまぢまぢ見て

晶洞みたいだは~♪て うっとりしたまんまの格好だったもんでね…わはは

ま そんなこんなでしたが

わたくしも 風呂に沈む(よくない意味で)ことなく

二日酔いになることもなく

健やかに朝を迎えましたとさ

わたくし以外 誰も喜ばない 「おふかす」 など こしぇでみる

母と あんちゃ

餅米を あまり好まぬものの

「お祝いだから」と しぶしぶ お相伴

誕生日に 自分で 蒸かして 自分だけ喜ぶ

おめでたい

いや しかし 固いぞ

追い蒸かししたけど

固いまんまだぞ

古米だから とかでなく

まだまだ 加減がわからないからなんだが

こういうの自分は 好きだ

自分で作った うたなどもうたいながら つまみ食いで

腹いっぱい

『てんのご』

おでんずさんの おまづりで

ばあちゃん おふかす こしぇでけだ

朝の五時がら こしぇでけだ

(ぽーぽーゆげでる おふかすば)

てんのご てんのご すて けぇば

ほいづが いづばん んめぇんだどぃん

ばあちゃん ほいなぐ おしぇでけだ

「てそずらすい」ど ごっしゃぐ 母の くづの周りさ ごはんつぶ

やっぱりおららは 親 子 孫

↑↑↑↑↑

三十年くらい前

やなせたかしさん編集の『詩とメルヘン』の 方言詩の 頁に 載せていただいたときは

(ぽーぽーゆげでる…)の くだりがあったものの

その後 旋律をつけた際に その部分は 省いておりました

午後には 叔母助太刀に 出掛けるので

ばんげのことなど 対策たてねばならないけど

お腹いっぱいだと 頭 回らぬ

洗濯でもして カロリー消費しようかな

泣いてもどうしようもないのだけど

2020 年 3 月 21 日 土曜日

泣いてもどうしようもない

誰のためにもならない

自分のためにもならない

でも

ためになるとかならないでなく

泣きたかったから

泣いてしまった

たくさんの 愛に満ちた ひととき 思い出は 変わらなくある

むしろ 大事に磨かれてゆく

肉体のなかだけにあった たましひ

いまは そこいらに満ちてくれてる

これからは なるべく 無駄に泣かないでいようと思います

おわかれ というより

区切り

仕切り直しとしての日

愛を 思いながら

また潤う

2020 年 3 月 20 日 金曜日

乾いてしまっても

また 潤う

乾いてから

うるかした 大豆の うまみたるや!

むしろ 乾いてよかったのだな

そんな風に いられたらいいけど

わたくしは イソフラボンの 素晴らしさの足元にも及ばぬまんまだ

しかし まてよ

大豆は イソフラボンは

もりあやこを生きることなど できんのだから

恥じ入ることはない

…なにいってんだ!?

朝から あほうな 自問自答などで 戯れ 紛れさせつつ

おからをこさえる

搾りたて豆乳を飲む

ちょっと 火傷などする

春分の日

かなしいまんまだけど

2020 年 3 月 20 日 金曜日

突然 逝ってしまった 順子(よりこ)先生

ここ数日 あまりにも その仕草や声が そこいらに満ちている

かつての 恩師 と 生徒という 間柄だけではなく

ここ二年くらい 先生宅にお邪魔して

タップとピアノレッスンをさせていただいてた

その 出逢い直しの日々が

とても 大きかったと 改めて思う

本来なら タップとピアノ合わせて 一時間半

しかし お喋りさしはさみすぎて 二時間半くらいになっちゃったりもした

人生において

さほど 長い時間 ご一緒したわけではない

でも からだのもちいかたを じっくり向き合ってやるということは

何故 今ここに力が入るのだろう?とか

この動きに片寄り勝ちなのは こんな風に 心とからだが 構えてしまうのだな とか

体のあり方だけでなく

からだに向かうときの その人の 思いの向けかたも

じいいっと みつめ 繙いてゆくような時間

その人の 来し方 越し方…生き方に 思い巡らせることであり

その 過剰な力み よろしくなさに 気づいてもらって

より良いところへと ゆるめ すすみ

こころとからだ 解放してもらうに当たり

どうしても 精神分析的な 物言いになってしまうことがある

ごくごく 具体的な からだへの アドバイスを

「え~っ!?なんだか 今までの悩み 分析してもらったみたい!すごく納得した~♪救われるわ~♪」なんて 言ってくださっていた

先生の 特徴的でもある 明るさや 笑い飛ばしは

相手に 気をつかわせないための 気遣いの賜物で

これまで いろいろなものに 立ち向かってきた 力みでもあり

ひとつの 防御の方法でもあったりする

ゆるせないっ!と 思われることにも 熱くまっすぐで

すべてが素直に からだにあらわれているかただなぁ と

しみじみとしたのだった

開いてくださっていた

こちらも 覚悟を決めて 洗いざらい 開いていた

そんなひとときだった

濃密に 深く出逢うというのは こういうことなのだろうなぁ と 思う

あぁ

考えたとて

「かなしい」は 「かなしい」まんまだけどな

出逢い

出逢い直させていただいた 得難いひとときを

ありがとうございます

「荷物整理してたら あやちゃんたちの中学時代の写真出てきたの あげる~」て

順子先生からいただいたもの

そうして 思い出など あれこれ また 転がり出てくる

中学時代

担任していただいたことはなかった

数学の 大沼順子(よりこ)先生

部活の顧問ではなかったけど

三年の時

文化祭が 一般公開しないことになり

そりゃねぇだろ!と 生徒たちの不満噴出

学校側に 理由を問いただす 全校集会のようなものがあったものの

結局は 決定事項を説得される流れに 終始するという

すったもんだ

順子先生は

生徒の側の 応援についてくださり

結局 一般公開は叶わなかったけど

その時 わたくし はいってた 演劇部を 全力で応援してくださったのだった(演目『身知らずの柿は残ったか』)

金八先生という テレビ番組が 始まった頃で
流行りに乗っかるように 似たような 突っ張り発生して

数々の騒ぎ 起こす学年ではあったけど

「突っ張り」代表格も

順子先生には「手出ししねぇ」て 言ってた

味方だって 思ってた

先生方の間で 浮いてしまってるようなことも 薄々感じて かばってさえいたようだ(突っ張る君たち 本人から聞いたぞ)

何かのきっかけで

敬虔なクリスチャンであることを知って

何人かの友人と共に

三浦綾子さんの 『塩狩峠』を 読み込んだり

聖書の勉強をするような 小さな会を

先生のおうちで させてもらった

高校辺りまでは そんなこんなで 接点があったものの

大学で みんな 散り散りバラバラ 離れた

短大卒業後

保育専攻科の 聴講生を 暫し続けて やめちゃって

やりたいことがあるようなないような…と

なんとなく人生に迷っていたようなとき?

しばらく離れていた よりこ先生から

とある不登校の生徒に「家庭教師みたいなの してほしい」と

連絡があったのだった

相変わらず あつくあたたかく 寄り添っておられるのだな と 感じ入りながら

その なかなかに つわものの お子のおうちに 行かせてもらった(族の 合図…バイクの噴かす音とか 教えてもらったっけな)

その後 また しばらく 年賀状だけの やり取りになったとこへ

早めに 退職なさって 新聞の読者記者みたいなん やりはじめて

その記事のひとつとして 是非 書かせてほしい…と

角田の しんたなさんちの倉庫 時々 天神小劇場になってたとこで やらせてもらった「もりあやこ故郷で錦を織るシリーズ 第二弾 TAP SHOTS TheTap-full time~タップてんこ盛り!の ひとときwith クリスチャベス」を

取材してくださった

それから また しばらく 密に お会いすることもなく

しかし おばと 繋がりもあるてことで

時折 話を聞かせてもらう程度

一昨年 おばと そのお友だちたちが タップとパントマイムをやりたい と言ってくださって

船岡に「ぶんぶん倶楽部」という 集まりができたとき

「小波(さなみ…わたくしのおばです)さん すんごく楽しいこと始めたんだって!?私も 是非やりたいんだけど うちに来てくれるかしら♪」と 連絡をいただいた

それから ほぼ 毎月 二回

先生の おうちにて 順子先生と 三女さんと タップ

ほどなくして 先生から「実は ピアノもやりたいの」と

タップレッスンのあと ピアノもやることになった

かつて やっていた バイエルの復習を と 先生からの希望はあったものの

本当にやりたい曲があるなら 後回しにしないで それもやっちゃいましょう と 提案すると

大喜びで 讃美歌などの 好きな曲を 示してくださった

食品ロスをなくす活動の 助太刀もしておられ

大手スーパーマーケットの 放出食品を ご自身のつてに 受け渡せないときは

「誰かに わたしてっ!」と 連絡をくださった

出張タップ稽古で 用いてる シートと コンパネ

順子先生が わたくしの車の後ろに 運んでくださった そのまんま 積んである

船岡の 教会(ヨークベニマルや マーブルマーブルに 程近いところにある)で

本日 午後三時から 前夜式

明日 九時半からが 葬儀

のすのすのしあわせ

2020 年 3 月 20 日 金曜日

未明に

のすのすのす…と 布団へ

毛のもの きたる

その 重み

あたたかさ

湿り気

いのちを

愛しさを 思う

胸元 息苦しくなりながら

よろこびなども わきあがる

春の中

2020 年 3 月 19 日 木曜日

もっと近くで 春を…なんて

よくばる

もう 春のなかに

いるというのに

先輩風

2020 年 3 月 18 日 水曜日

つまむと 黄色い「やだやだ汁」出すから 気を付けてね!なんて

お子を 心配するというより

てんとう虫を心配してる

指に 乗っからせる やり方を

自慢気に して見せてる

…仕事の一環だよ

風は強かったけど

うららかな春の日

先輩風ふかせてる

ひよこ豆

2020 年 3 月 18 日 水曜日

ひよこ豆ご飯

豆のおかげか

ちょこっとだけいれた 伊達の旨塩の おかげか

ご飯の 炊き上がり具合が

なんとなく もっちりする

ひよこ豆

好きだ

うちの庭でも 育てられないかなぁ

諦めてない

2020 年 3 月 18 日 水曜日

カンファレンスは

「あまり明るい言い方できませんけど…」という言葉も

予想していたし

みるみるぐんぐんを 期待していたわけでもない

離床のことも

お襁褓はずしのことも

口から食べられたらいいな の ことも

焦ってない

諦めてない

できたらいいな♪の 気持ちは変わってない

10日以上 会えずにいるなんて

もしや 人生初かもしれない

誕生日寄せ書きもった 父を 写してくださったの

いただいた

どっかの研究室に 籠ってる 博士みたいな髪型になっとる!

「なんとかしてやんないと」と 母は 言うけど

床屋さん 申し込みできるかな?

落武者みたいに 伸ばして

ちょん髷結ったら 愉快かも…と 思うけど

反対されそうなので

まぁ やめとく

がんばれ~

わたくしも がんばる

カンファレンスへ

2020 年 3 月 17 日 火曜日

夕方 父についての カンファレンスへ 行く予定

入り口で 検温して おっけサインが出てから…てことは

玄関入る前に するのかな?

いまだに面会 制限してるんなら

そこまで徹底してくれていい

洗濯ものたまってるかな?

こちらで溜めてしまってた洗濯物

一部しか 乾かなかった

もって行く 準備したつもりが

何一つ 揃っていない

訃報を 脇にどけられず

おろおろな気持ちでいても

用事は きちんと やりとげねば

渡しそびれて 賞味期限が切れてしまった お菓子を ぼんやりと 食みながら

顔見られないかもしれないけど 父のいるとこに近づけるのは うれしがろう

あわよくば…なんてきたいしすぎるとがっかりするから

「リハビリ相変わらず頑張ってらっしゃいますよ」の ことばを よろこんでゆこう