2019 年 5 月 28 日 のアーカイブ

ちのうた

2019 年 5 月 28 日 火曜日

ぎりぎりまで またもや もやっとしていたという

定禅寺通り2×3での 己の作品周辺のこと

すべて やったことがあるものだとしても

その場所でやるための 備えがなっていたのかどうか

普段の 備えとて 大したことないのだけど

そこならでは の 心身の状態に 持っていけるのかどうか…そんな不安 持ちつつ

いや いってしまえばなんとかなるものだ…と 甘えていたとこも 多々ある

『豊穣庵収穫祭奉納舞 五穀豊穣より~ちのうた~』

那須町の あのたんぼだからこそ 生まれたものを 定禅寺通りという場所にもってゆくことは

そのまんまの奉納舞ではないもんで(そのまんまなんて覚えてもいないが)

何を?どんなことを?の 問いかけには

あのとき生まれた「ちのうた」を あの場所だけでなく 地続きのここでも 呼び覚ましたいからだった

そもそも「舞」的なものは

ご依頼いただいたり

その場での呼び掛けをいただいて

または あがりえおっちゃんとの 稽古的なもので

たんぼで 神社で 山の上の石舞台で 蔵開きで…と

人に見せるものというよりも

その場への「納め」であるものが ほとんどだった

巫女でもないのだけど

なぜかそういうお役目をいただくことがあったのは

僭越 と 思いつつも

森…守り…杜…そんな 血の流れのなにかなのかもしれない と お受けした

まぁ そんなこんな 個人的事情 伝えたいわけでもなかったので

「なんかわかんないけどよかったです あの 奉納舞」と

見知らぬ方に 声かけていただいたのは

やってよかった…と 思えた

ほっ

豊穣庵で 収穫された 精麻と

麻光の ふっちゃんご縁で 手に受けた 屋久杉勾玉と 麻紐の 首飾りを 身につけて

胸元 はだけそうなとこ

あがりえおっちゃんの インド土産の スカーフ巻いたよ

ありがとね

空を仰ぎながら 手を繋いだ気持ちだったよ

ち に みちよ

ち の みちよ

ち から うけ

ちえ を つめ

ちりおちて

ち に かえり

ち を こやす

ちから もて

ちりめん山椒達人への道

2019 年 5 月 28 日 火曜日

今年こそは

中の種が 黒く固くなる前に 摘んで 用いたいと

庭の 山椒 二枝分ほど 収穫

美しき緑

あくぬきも まぁまぁ うまくいったけど

しらすとの 炊き合わせ方が いまいち

あの美しき緑の面影や いずこ!?

味は 素敵な ご飯の友的なんだけどなぁ

今度やるときは 醤油 少な目がいいかな?

熱入れすぎない方がいいのかな?

実が おがりすぎんうちに

また やってみよう

昔は 苦手だった 山椒と

じんわり 距離 縮め中

とりあえず円満

2019 年 5 月 28 日 火曜日

父 午後二時過ぎに どうにか帰宅

フォーレ交換だけでなく

血液検査やら

呼吸器科も 泌尿器科も 診察ありだったで

昨日のいきさつのことも 何か関連あったかどうか…と 待ち構えていたらば

「あぁ ほいづのごどは 関係ねぇがら 言わねがった」ですと

てへぺろ みたいな顔さえして…

おいこら!

そこ大切なとこでしょうがっ

なんか 関連性あるかもしれないんだし

身体の状態を なるべく詳しく 報告してこそ 診察もいい具合に 運ぶものではないか?

去年の夏みたいに また 歩けない食えない毒がまわったの命に別状ありありになったりしちゃうか!?とか 緊急入院になったらどうしたらいいか とか 今日のことだって あんちゃ休めないなんてでかけてしまうから おばが予定キャンセルしてまで来ようとしてくれたり もし あぶなそうなら わたくしも仕事休みの連絡いれねば とか 母を急遽デイサービスで受け取ってもらえるか聞いてみた方がいいかな?とか 一人だけの話でなくなってんだ みんなしんぱいしてたんだぞおら!…なんつって

ついつい 何様!?なる キツい口調で 捲し立ててしまった

「…わかりました」丁寧語で ぼそり と 返された

心配するとか こちらがわの勝手な事情だけどね

ほっとして つい いっちまいました

母も あわわ 娘 怒ってる…と ひやひや顔しつつ

「んだよ おとさん 嘘こいでだめなんだよ」

「嘘こいだんでねぇおん」

…ま 嘘ではないのだろうけどな

いいはじめ まついのりこさんの 紙芝居『ごきげんのわるいコックさん』の 表紙みたいな 顔だったろうな わたくし

最後は ふふふ なんて みんなで 笑った

とりあえず 円満

待とう

2019 年 5 月 28 日 火曜日

朝の 父

どうなることかと はらはらしていたけんど

昨日よりは 大変そうでなく

どうにかこうにか 自力で 歩行器(ピックアップ)に 掴まり歩きできた

お熱も 下がったようだ

ご飯も いつもの感じで 食べることができた

焦がし少な目 カラメルプリンも

「うむ…」と 食べてくれた(父は そんなに プリンが好きなわけではない)

うまくいったけど このいれものからじゃ 切り分けてだすのが 難ありだわこりゃ…と いったら

ぷすっ と 笑ってた

昨夜 窮状助太刀頼めるか と さなおばに電話してみてたもんで

早朝「どうしてものときは…」と 自分の予定 キャンセルしても駆けつけようか と 申し出てくれた おばに

だいじょぶそうだよありがと と 連絡して

通常運行決定

病院へは 送るだけ

角田幼稚園「リズムであそぼう」活動も キャンセルなしにいたしましたる

こういうとき ほんに いろんなこと ギリギリのバランスでやってるなぁ と 思う

備えあれば…といわれている あれこれ

手付かずだけど

バランスとれるうちは とっていよう とも思う

ちょ と ほっとした

母としては 一人で 待たねばならぬ時間が 不安で 落ち込んでたけど

過ぎてしまえば なんつーことなかった風

父の帰りを待って

遅めの 昼御飯を食べよう

プリン そして 父お熱

2019 年 5 月 28 日 火曜日

割っちゃった 卵たち

プリンにしてみたものの

分量が だいぶ アバウト

蒸し焼き上がりは 良さげだけど

まだ 味を見ていない

デイサービスから戻った ちちはは迎えに出たとき

スタッフさんが「あの…」と切り出すので

土曜に 膝痛めた母のことかとおもいきや

なんと 父 お熱ですと!

わたくしには 言わなかったらしいが 昨日の夜あたりから 喉が がさついてたとか…

デイサービスで 風呂やめといた方が…と 言ったものの 火曜に病院いかねばならんから 今入っておきたい…なんつって 頑張って 入っちゃって

余計に 体力消耗して 熱上がったとか

茶の間で 茶など飲んで のち

ばんげの 食卓にはつけたものの

あまり 食欲もないみたいで ご飯残し

早めに 寝なはれ と 言ったものの

なかなか 動き出さず

そうこうするうち こんだぁ 歩行器で 身体支えるのも ままならなくなり

途中で崩折れ

支えて 立て直し…が うまくいかず

ちょいと 引摺り ベッドへ近づけ…でも 一人では無理で

帰宅したあんちゃ

着替えもそこそこにトイレに入っちゃったとこ 大声で呼ばって

どうにかこうにか 二人がかりで ひきずったり 抱えたりして

ベッドに 尻 乗っけた

重てええぇ!

昨年夏のあたりのこと ふと思い出す

あのときほどの ことではなかろうが

ちょいとこりゃ ただ事ではないのかも と うっすら 困る

明日の 病院…おしっこ袋ちゃんフォーレの管交換予定だが

送迎するだけじゃ済まぬであろう…かも

翌日の不安に

母「おかさん一人でどうしたらいいの?何も役に立たねくて…」と めそりはじめる

気持ちわからなくもないが いまここでそんなめそられても困るだけだ母は そのまんまでいてくれたらいいんだ まずは ゆったり構えててけろ

…なんつってな

何の段取りも整わないのに 言うだけ言うんだ はったり娘わたくし

また もし救急車になったとしたら

母も一緒に乗っけてもらうかなぁ?

帰りどうすんだ?

ま まずは 朝 立ち上がれるかどうかだな

ふうぅ