ちのうた

ぎりぎりまで またもや もやっとしていたという

定禅寺通り2×3での 己の作品周辺のこと

すべて やったことがあるものだとしても

その場所でやるための 備えがなっていたのかどうか

普段の 備えとて 大したことないのだけど

そこならでは の 心身の状態に 持っていけるのかどうか…そんな不安 持ちつつ

いや いってしまえばなんとかなるものだ…と 甘えていたとこも 多々ある

『豊穣庵収穫祭奉納舞 五穀豊穣より~ちのうた~』

那須町の あのたんぼだからこそ 生まれたものを 定禅寺通りという場所にもってゆくことは

そのまんまの奉納舞ではないもんで(そのまんまなんて覚えてもいないが)

何を?どんなことを?の 問いかけには

あのとき生まれた「ちのうた」を あの場所だけでなく 地続きのここでも 呼び覚ましたいからだった

そもそも「舞」的なものは

ご依頼いただいたり

その場での呼び掛けをいただいて

または あがりえおっちゃんとの 稽古的なもので

たんぼで 神社で 山の上の石舞台で 蔵開きで…と

人に見せるものというよりも

その場への「納め」であるものが ほとんどだった

巫女でもないのだけど

なぜかそういうお役目をいただくことがあったのは

僭越 と 思いつつも

森…守り…杜…そんな 血の流れのなにかなのかもしれない と お受けした

まぁ そんなこんな 個人的事情 伝えたいわけでもなかったので

「なんかわかんないけどよかったです あの 奉納舞」と

見知らぬ方に 声かけていただいたのは

やってよかった…と 思えた

ほっ

豊穣庵で 収穫された 精麻と

麻光の ふっちゃんご縁で 手に受けた 屋久杉勾玉と 麻紐の 首飾りを 身につけて

胸元 はだけそうなとこ

あがりえおっちゃんの インド土産の スカーフ巻いたよ

ありがとね

空を仰ぎながら 手を繋いだ気持ちだったよ

ち に みちよ

ち の みちよ

ち から うけ

ちえ を つめ

ちりおちて

ち に かえり

ち を こやす

ちから もて

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