
さっきの投稿に 入れるつもりだった
ficelle のパン工房 清美さんの こしらえた
パンやら オードブル
当日の夜から 翌日以降
ずっと 楽しませていただいてます
あっ オードブルは もちろん もう 食べちゃいましたけど
あれらで 支えられてる 今日の心身も
頼もしく 動いてくれました
感謝






ピアノと パントマイムと パン周辺の美味しいものと…
そんな ジョイントライヴでした『伝えたいこと』
清美さんの「ficelle のパン工房」
おきゃくさまが 美味しく 気安く ゆったり朗らかに過ごせる空間と 食事を…と
気を配る 整える
素材のよさを 美味しさに変えて 届けようと 最善を尽くす
いつも パンも ランチも
すべての素材の声を聞いて 表も裏も隅々までも やさしく 撫で撫でしたように 作り上げられる やさしく確かなる美味しさ
しかし こことこ 蓄積疲労で 体調崩してしまってた 清美さん
でも ちょ と前に 色々あったりなかったりで 聴こえに難を得てしまったこととも
今は大分折り合いつけられてるようでもある
知識と経験と 五感の繊細なる働きで 作り上げてきた 美味しいもの…
聴力に 難が 生じると
その バランス感覚は 失われてしまうものだよね
目指す 理想の高みの 味
届かぬこともあったろうね
やり続けてゆくかたちと 違ってしまう 歪みの辛さは
「より 思いの通りに完璧に」届かぬ くやしさかなしさもあったろうね
おきゃくさまには 変わらぬ美味しさのまんま 届いていて
ほとんど 気取られぬ 変化だったとしても
これではだめだっ と 挫けそうな思いや
それでも 待っててくれる人たちに 届けねば と
悶絶もしたろうね
でも そんなこと 今 微塵も みあたらない
延原にいちゃん…こと 延原祐さん
人柄そのものの 真摯さと お茶目さと あたたかさと 詩情溢れる 旋律
初めて タイの パントマイムフェスティバルの 劇伴で 聴いたときは
なぜだか からだの穴という穴から 滂沱!てな 有り様になり 慌てた記憶がある
思いを 奏でに 伝えるって こういうことだなぁ と 腑に落ちたのだった
二年ほど前 CIDP という 稀少難病を 得て
その 前向きさや 楽天性にも 影を落とし
心ない人の仕打ちやら 言葉に 次の一歩を踏み出す気持ちも失せてしまった時期もあるという
今 前は 動いたはずのことが 叶わなかったり
目指す 音に 届かなかったり…
残念さも 多々あるようではあるけれど
やはり それも おきゃくさまには「難あり」でもなんでもなく
変わらずに 暖かく美しく心地よい旋律たちなのだ
思い描いたものに 届かないとしても
生じた 難やら アクシデントやら その場所の空気やら 事情やら…
今までの 知識と経験と感覚と 今持つ能力とを 総動員して
今 作り上げてゆくこと→「現場力」で 創造してゆくこと
それは 思い描いた 理想の 高みでなかったとしても
思い描く以上に 素晴らしき稜線を 描く 高みに至るのではないかと思う
なんてったって 誰も 己さえも 見たことも思い描いたこともない 想像を越えてる 創造なのだもの
それこそ ライヴ 生きてるってこと
抱えた 難ありなこと
喧伝するのも 気遣われてしまったりするのがいやだから 言わないで…てこともある…あった
でも それでも こんな風に越えてゆけるんだ て
誰かの 勇気に繋がればいい
いろんなことがある て 見知ってもらった方が
「心無い仕打ち」やらかしてしまう 「そんなことまだ知らないうっかりさん」も 少なくなっていくと思う
分かち合えない と 諦めたくない
そんなこと 思う
いろんなひとが 思い受け取って 伝えたくなって
それが光に繋がっていけばいいな
改めてそんなことを 思った
己の稚拙さは 別問題だが
まぁ とにかく たからもののひとときでした
ありがとう
そこに至るまでのすべてに!



昨日の 本番前の 何枚か
与太話ばかりしているようで
そこの場所を
いてくれる人たちの 心持ちを
ほぐして あたためていたよね
そこにいるひとが
ふふふ て わらってほしかったり
ほっとしてほしくて
喋ってたね
延原にいちゃんも
わたくしも
脈絡なく
とりとめなく
でもそれは おんなじ方向を むいていて
なんだか うれしくなった
ピアノと仲良しになるために 本番前に ちょいちょいと 奏でつつ
カメラ向けると カメラ目線で 演奏を止めたりする にいちゃんに
関西人めえぇ! て 突っ込む
それも 二人のやり取りというよりは
そこで そこにいるから で
そんなこんなも 延原にいちゃんと だからこそなんだな
たのしかったぁ
始まる前から ずっとずっと
最近のコメント