今 町中で 馬鹿護岸工事もされていない
こんな無防備な川 なかなか 出会えない
決して澄んだ水ではないのだけれど
草や花が ひらはらと 沈んで
やがて澱となって
次の 何物かを 育む…
そんなさまが 見える…うつくしいなぁ
2013 年 3 月 20 日 のアーカイブ
無防備な川
「あのあんみたいに」
ごぼうポタージュ
しましまさんが太る
ソファーのお役目
墓参り用?
墓参りに持っていく菓子類…
酒のつまみのナッツやら
ココアにいれるための マシュマロしかないや…と 袋につめるも
これじゃあんまりか…と
取り急ぎ 草焼き餅なんぞ 作ってみる
この間 たいといた 餡子なかに入れて
なかなか いい体裁じゃないの…と 思いきや
固い…
ま じいちゃんばあちゃん 餡子好きだったしね
いいよね…などと
ぶつぶついいつつ 出動
今回は 親戚の 墓参りは ごめんなさいして
うちのだけ 一人参り
からすさん対策で
供え物は 置きっぱなしにしないでね…てな お達しがあって
それ以来 供養になるから…と その場で みんなで 食べるようになったのですが
ぼんにゃりのんびり 墓の横っちょに座って
供えた 草餅やらナッツやらマシュマロを 食べていたら
ほかの皆さん み~んな お供え もりもりに おいたまんま お帰りになってらっさる
一人で 墓に 座って おやつタイム…の なんと異質なこと
通るひとの視線感じるのは 気のせいだよね…なんて 振り払いつつも
なんとはなしに 噛み砕く速度が 速くなる
いやまてよ そんな様子の方が 怪しい感じ?
昔 お墓のお供え専門に 食べて暮らしてる…てな 「たまごや」さんて 呼んでた人がいたっけ
その人の分も考えて お供え持っていってたおばなんかもいて
あぁ 共生であったことよのぉ と思う
からすにも なにか あげたい気持ちあるんだけどさ…とかいいつつ
気づいたら 完食
ははは すまぬ からす
お馴染み吉川彰浩さんより
いろんなこと山積み過ぎて
単純な「あれれ?」てなこと
横においておかれたり
うやむや知らんぷりされたり…
煙に巻かれぬようにしなくちゃ
吉川さんの お話を うかがいつつ
いつも そんなことを思います
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明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。
なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。
今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。
もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。
納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。
私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか
簡単にまとめると
明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。
4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。
ほぼ逆転の現象が起きます。
このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。
被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。
原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。
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