2016 年 7 月 13 日 のアーカイブ

吉川さんの おもい

2016 年 7 月 13 日 水曜日

事実を受け止め
逃げることなく
現場にたっておられる人たち
今もだ
これからもだ
よろしくお願い致します

↓↓↓↓↓

私は今酒に酔っている。

いわき市の中心街で酒を飲もうと思えば、代行を頼めば1万はかかるだろう。

今日は遅くなるから、深夜にお迎えをお願いしますと妻に頭を下げた。旦那が一人だけ飲みに行くのは正直面白くはないだろう。

でも心よく送りだしてくれた、事情が事情だから。

震災から同期入社の元同僚たちは原子力事故を防げなかった背景から、毎年開いていた同期会を自粛した。
それは少しでも騒ぐ・楽しむことが被災された方々の思いに反するからだ。
 
この度、原発事事故から6年目、同期会が開かれた。
辞めて久しい自分も呼んでもらえた

あらためて出身を聞けば、2人を除けば皆地元の人間たち。
原子力事故の責任を分かっているのかと問えば、痛いほどわかっているのはこの地で生まれ育った彼らだ。

だからといって原子力事故の責任を許されるものではない。
だとしても赦されて欲しいと正直思う。
 
まだ戻れない地域が残ると言えど、日々の個々の日常を平常を取り戻しつつある、子供と旅行に行ったり、遊んだり、酒を飲んだり、望めば出来る。

だけど罪として背負い、やらない同僚たち。
その姿が正直素晴らしい反面、そこまで追い込む社会とは何だと怒りも覚える。

彼らに罪はない。同期入社で辞めたの私一人だ。そのほかは社会からの厳しい声は当たり前として受け止めながら、生まれ育ったふるさとのために今日も明日も汗をながす。

今日は震災後、恐らく私が辞める時の送別会を除けば忙しい合間をなんとか都合をつけて集まった飲み会。

夜7時30分から10時という時間でほとんどが帰った。
朝まで飲んでいたことは震災前に出来ていたこと。
明日も6時過ぎには家を出なければならない。

面倒や辛いではない、一日さぼれば一日復興が遅れる。
これほどまでに自分を律する友達たちに私は苦しく思った。

彼らは絶対に社会に不平不満は言わない。
それは原子力事故を背負っているからだ。
それは美しい姿だと思うが、6年目の今、それはどうなのだろうと思う。

彼らは変わった。ふるさとを、被災された人を第一に考えている。
そんな仲間がきっとギリギリで現場を支えている。

愛おしい同僚達、私は社会にこういった友達が廃炉が支えていると胸を張れる。
でも社会が許してくれない。それはとても苦しい。

僕らは若造だ。たった36歳の人間たちが勝手背負っている。
もっと大人の人たちはどう見るだろう。
東電社員だから当たり前だ、罪の意識を背負え、一生そうしていろという人がいたら、自分は諭したい。

思いでもふるさとも住む場所、未来も壊してしまった。
それは死んで許されるものではない、死んで元通りになる保証があれば自分も喜んで死ぬ。
それだけのことが起きた。

そんなことをしても未来は変わらない
だから同僚達は明日も汗をかく。

本当は酒飲みの場で、堅苦しい話などしたくはないはず
でも勝手に場をしきりこんなことをいった
「みんなで廃炉の現場を進めていこう!頑張ろう!」
誰も異論は唱えなかった。

双葉、浪江、大熊、楢葉、ふるさとで育ちふるさとを良くするために置かれた環境が東京電力だから、廃炉を頑張るという
仲間たち。

私は36歳の短い人生で、会社と仕事をさんざんに見下し、一生懸命になれない人間を多々見てきてきた。
最低だと思う、嫌ならやめればいい、おかしいなら変えればいい。

今日は現場の泣き言を一つも言わなかった。嘘だ。
そんな現場ではない。
 
でも言わない。もっと大変な人達がいるからだ。
 
私は現場出身でなかったら、とっくに双葉郡を見捨てている。
それは当たり前、現場の汗を知らないから。

でも被災された方も、廃炉現場を預かる東京電力・協力企業の方々の汗を知っている。

だからとことん信じる。彼は絶対裏切らない。
 
結果を小さな時間軸で見れば、問題は多々ある。
現場の厳しい課題を知らない人からすれば、たるんでいると映るだろう。
 
6年前を見れば、生きるか死ぬかの現場だった。
血だらけになりながら、家族の安否も分からぬまま、俺が頑張らないと日本がないと現場に向かった人をどれだけ見たか。
 
命をかけれる。それも人のために。美談にはしたくない。
二度と味わいたくない
でも本当にふるさとと被災された方々のために自分の命なんて惜しくないと正直思えた。
 
私の動機は社会に名前も顔も出ない人達だ。
でも命がけで地域を守ろうとした。そして守れなかった。
彼らは罪人のごとく苦しい思いを今ももっている

だけど、福島第一原発を良くすることが出来る当事者は彼らしかいない。
だからいつまでも私は応援する。

同期会、厳密にいえば辞めた私は呼ばれる立場にない。
でもその場に参加して思ったのは、彼らはふるさとを守るために今も一生懸命だ。

その姿は否定されるものではない。否定するならば私は盾になる。最前線の人をせめてはならないからだ。

私は原子力事故を許してはない。許されるものではない
自分自身も許せない
多くの方の人生を狂わせたからだ。
何億円払おうと一生空いた空虚は埋まらない。

だが今思うのは、ひた向きに現場で汗を流す彼らは責めないでもらいたい。

やれてない、人の人生を狂わせた罪は吉川に向けて欲しい。
だから会社を辞めた
一つも建設的には現場は進まないからだ。

AFWは甘い組織だ。
東京電力を信用し、改善を社会に伝える。
それは被災された方々の心を正直えぐる。

でもそれは思いあってのこと、廃炉が円滑にいかなければ復興はない。
そして現場の元同僚達を信じているから。
 
賠償と被災された方々へのケアは私はいつまでも東京電力を糾弾する。
まだまだ足りない。
人の人生を狂わせた。軽いことではない。
だからといって、必要以上にやり込める必要はない。
 
愛する職場と被災された方々のはざまで
自分はみんなが前に進める道を外から作れないかと試行錯誤している
もう4年だ。

善か悪か
白か黒か
0か100か

そんなもので測れるほど、この世界は未熟ではない。

はざまの中で出来ることを模索していくことこそ、人の強さだ。

この世界は悪くはない。
人の思いで回っている。

ほろ酔いで一人歩く自分は、そんなことを思うのでした。
 
この地でどや顔してやる。
絶対被災したふるさとを笑顔で包んでやる
何者にも負けない

立つ わにわに

2016 年 7 月 13 日 水曜日

遅々遅々遅々の 壁絵

本日は 窓枠を描き足しまして

わにわにを 立たせてみました

せっかくなので

窓枠に カナブンなど とめてみたけんど

この間 描いた 蚊よりも 小さいという…

なんとも 相変わらずの 比率の いい加減適当さ

明日も そんな 比率 すっ飛ばしの 

次の展開…わにわに お祭りに 誘わるる てなあたり

なんとかやってみるです

ただ 絵が 増えてゆくのでなく

移動するというのも

いい感じの 反響(お昼寝からさめた お子たち「あぁっ!わにわに 立った!」とか しばし 目を剥いたり♪)あったもんで

また そのあたりも 一捻りしたくなる…て

いらん手間 かかるのですけどね