小葱
もげて 洞のようになったものを
水につけといたら
ねっこ 出てきた
しかも 真ん中から また のびてくるもんがあって
葱中仏だわぁ と
拝みたくなる
葱に というか
その 姿の
奥の
まんなかの
命の力の 生まれくるということに
小葱
もげて 洞のようになったものを
水につけといたら
ねっこ 出てきた
しかも 真ん中から また のびてくるもんがあって
葱中仏だわぁ と
拝みたくなる
葱に というか
その 姿の
奥の
まんなかの
命の力の 生まれくるということに
昨日の日付 越える前に
お役目のひとつ「苺のものを買って 供える」なんとか できました
母のすぐしたの 妹「妙子ちゃん」
3歳で 肺炎(ネフローゼであったのではないか との話)にて 亡くなった日だったのでした
苦しむなかで「いちごがたべたいよぅ」と 言うので
森家で 働く人 親類縁者 ご近所さんたち 方々手を尽くして 探し回り
やっとこ 山越えた隣町 山元だか 亘理だか…
農家の方のところに 奇跡的に あって
それを食べさせたら「おいしいねぇ」て いって そのあとすぐ 亡くなったとのこと
うちの庭の 苺は 今の時期 青々葉っぱで
次世代への 備えで 株を増やす営みに突入してて
もう 実など ひとつもない
70年も前
ビニールハウスのシステムなど そう確立されてもいなかったろうし
探してくれた人たちみな 自動車もってたわけでもなく
情報も 人づてであろ
そんななか 探してくれた人たちにも 頭が上がらない
ばあちゃんは 妙子ちゃんの 遺影に 苺のシールを貼って
ずっとずっと 幼く いぢらしく 可愛いまんまの 妙子ちゃんへの思いを 抱き締めていたのだった
「お供えしたら その人の好きだったものだぁ て じっくり味わいながら その人を思い浮かべたりして あかるくやさしくしあわせでいる て 思うといいんだよ」て
昨日 悠合ちゃんが 観音様みたいに ふわんて 笑いながら言ってくれたっけな
会ったことがないので 直接的な繋がりの 思い ではないから余計に
その人を 思い浮かべる…というよりも
繋がりのある人を たどったり
その周りを取り巻く人たちを 思い浮かべて 存在が浮き上がる
供えてのち 飲んだ 苺ヨーグルト
今まで生きてきたうちで 一番 ゆっくりと 味わったかもしれない
一人で 飲んでいるのじゃないような 気持ちにさえなりながら
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