2016 年 7 月 3 日 のアーカイブ

葱中仏

2016 年 7 月 3 日 日曜日

小葱

もげて 洞のようになったものを

水につけといたら

ねっこ 出てきた

しかも 真ん中から また のびてくるもんがあって

葱中仏だわぁ と

拝みたくなる

葱に というか

その 姿の 

奥の 

まんなかの

命の力の 生まれくるということに

ねこばかみんな

2016 年 7 月 3 日 日曜日

よろり と やってきて

のさり と 床に 寝転がる

処構わずのようで

ちゃんと 気持ちよく 風が通るとこだったりもして

んもぉ そんなとこで 寝やがって めんこめんこ~♪などと

猫ばか

おんなじように 寝転がりて 写真など撮っておったら

「邪魔ぁっ!」と 叱られる

ちぇっ

まぁ でも 寝転がって「めんこめんこ」とか 言われたい訳じゃないのですけどね

あまりにその 扱いが違いすぎるよなぁ て 思うのでした

いちごのもの

2016 年 7 月 3 日 日曜日

昨日の日付 越える前に

お役目のひとつ「苺のものを買って 供える」なんとか できました

母のすぐしたの 妹「妙子ちゃん」

3歳で 肺炎(ネフローゼであったのではないか との話)にて 亡くなった日だったのでした

苦しむなかで「いちごがたべたいよぅ」と 言うので

森家で 働く人 親類縁者 ご近所さんたち 方々手を尽くして 探し回り

やっとこ 山越えた隣町 山元だか 亘理だか…

農家の方のところに 奇跡的に あって

それを食べさせたら「おいしいねぇ」て いって そのあとすぐ 亡くなったとのこと

うちの庭の 苺は 今の時期 青々葉っぱで

次世代への 備えで 株を増やす営みに突入してて

もう 実など ひとつもない

70年も前

ビニールハウスのシステムなど そう確立されてもいなかったろうし

探してくれた人たちみな 自動車もってたわけでもなく

情報も 人づてであろ

そんななか 探してくれた人たちにも 頭が上がらない

ばあちゃんは 妙子ちゃんの 遺影に 苺のシールを貼って

ずっとずっと 幼く いぢらしく 可愛いまんまの 妙子ちゃんへの思いを 抱き締めていたのだった

「お供えしたら その人の好きだったものだぁ て じっくり味わいながら その人を思い浮かべたりして あかるくやさしくしあわせでいる て 思うといいんだよ」て

昨日 悠合ちゃんが 観音様みたいに ふわんて 笑いながら言ってくれたっけな 

会ったことがないので 直接的な繋がりの 思い ではないから余計に

その人を 思い浮かべる…というよりも

繋がりのある人を たどったり

その周りを取り巻く人たちを 思い浮かべて 存在が浮き上がる

供えてのち 飲んだ 苺ヨーグルト

今まで生きてきたうちで 一番 ゆっくりと 味わったかもしれない

一人で 飲んでいるのじゃないような 気持ちにさえなりながら

お前を届けろ

2016 年 7 月 3 日 日曜日

名のある誰かが言った ことばとか

歌い継がれる うただとか

素敵だよ

大切に思っていいよ

でも それがすべてじゃないんだ

前に言った ことばだとか

言ってない ことばを 言おうとか

気張らなくて いいよ

同じとか 違うとか 比べなくていい

今の おまえの 思いを 聞かせろ

まっすぐ 迸らせろ

解き放たれた おまえを 届けろ

同じように咲く

しかし 全く違う 今の花が

そう呼ぶのだ