2014 年 3 月 30 日 のアーカイブ

ももにく

2014 年 3 月 30 日 日曜日

最近 うっし~を 撫でたりさわったりするときに

どうしても むっちりむっちりの 股肉を つかんでしまう

腰と足の辺りを

ぽふぼふぽふぽふ と 叩いて

ももにくっ♪などと 呼んでしまう

大迷惑 な 顔をされても やめられん

病気だな わたくしも

舞台周辺 どさくさのこと

2014 年 3 月 30 日 日曜日

踊る人だけでなく

受け付けてくださるかた

照らしてくださるかた

鳴らしてくださるかた

送り出してくださるかた

そんな人たちに支えられている

そんなことをいつも じわわんと 感動しつつ見入る

影アナコーナーのところに おりましたるわたくし

はじめのアナウンス終わっても

ほぼそこの辺りで 舞台観ながら 

にょろにょろ 身体動かしておりまして

おっと出番ぢゃ と タップシューズ履こうとしたら

会館付きのかたが す と 手元明かりを照らしてくださった

舞台監督さんがいなかったけど

ずっと観ていて 必要なことを 汲んでくださる方がおられて 

また 更にスムーズに すすむのであるよなぁ と 思う

舞台周りが好きなのは

みんなが みんなが光に向かっている てなとこにもあるよなぁ と思う

わぐや(涌谷)の ナイスガイ かどぅさんに お願いしておりましたる

「おのくん」

ついにわたくしのもとに たどり着きました

名字は「めんどくしぇ」なのだ
そう

わはははは♪

ナイス

昨年 斎理幻夜を 観にきてらしたとき

ぶんぶんパフォーマンス後の わたくしに

声をかけてくださった かどぅさん

知り合ったばかりなのに その行動力と 心のフットワークの軽さで

あちこち繋いでくださったり

わたくしの ちょこっとパフォーマンス現場にも 駆けつけてくださったり

しかもそれは あちこちかけもちしたりはしごしたり の 大移動の中で!

昨年 ドリアン助川さん ピクルス田村さん 半片ブラザーズさん 似顔絵の熊谷祥徳さんたちお呼びして ご一緒公演させていただいた『道化が 語る ものがたり』の 流れを

宮城学院女子大学の学園祭で 映画『じんじん』(助さん作の絵本『クロコダイルとイルカ』が 映画製作のきっかけになったとか)上映後の トーク&ライブに 橋渡ししてくださったのも

この かどぅさんなのでした

きっとそんなこんなのノリの中で 

東松島市の 小野駅前応急仮設住宅の方々が 奥松島の復興を願って生みだした という おのくんをみて

おのくん里親仲人を 心意気ひとつで引き受けなさったのだろな

いやいや そんな大袈裟に気張ったものではなくて

「こいづ めんこくておもしぇなんや んでおれ こいづおもしぇがってけるしとさ みせでやりでぇ」なんてな

軽やかな わくわくからはじまっているのだろうな

ほんと なんだかそんなあたり

何気なく あれもこれもなさってて

見ればみるほど

できそうでできないことだよなぁ と 思う

ありがとうございます~♪

んで この 味ある「おのくん」ですが

かつて アメリカの貧しい労働階級の母さんたちが お子たちにプレゼントするために とうさんの靴下から作った ソックスモンキーからヒントを得たそうです

おのくんの中身「おのにく」は ナイロン綿(ダイソーの綿がよいとか)

からだはもちろん靴下

里親だけでなく それらの支援も 募集中だそうです

里親になるためには たったの1000円

なんだかとっても 手の繋ぎやすい たのしい復興支援だねぇ と 思う

よかったら おのくんホームページなど 覗いてみてくださりませ~♪

http://socialimagine.wix.com/onokun

久しぶりに ガツンと打ち上げまで 参加させていただきましたる

グァテマラジャズダンススタジオさん ステージ

二回目のステージ最後の方で

思いがけぬ 尻切れアクシデントもありましたが

なんとか 締めに向かいました

みんなの胸のうちに 残念感が くすぶったりもしていたものの

それを 引きずらず

主宰の とみこさんとしても それを声高に取り上げて嘆き合う という方向には もってゆかせない

それは 取り上げることで 人の手違いを責め続けることになるから
 
「文子さん ごめんなさいねぇ…でも こういうこと起きたときに どう対処してゆくかっていうのも 本人の経験になると思うし」と 

こっそり 耳打ちして 次へと進む
 
とみこさんを 真ん中にして

スタジオのメンバーさんたちが 団欒しているような 打ち上げに 混ざりながら

あぁ このかたの 柔らかさと 潔さに集う 温かい 家族なんだな と しみじみ思う

ジュニアクラスの頃からずっといて

そのママも ずっと お手伝い参加してて

親子三代で 踊っていた方もおられて

ほんとうに ずっと仲良しなのね

いいないいな

始めてあったとき ころころ転がる ビー玉みたいな 小学生だった子が

お年頃の おしゃれなおねぇちゃんになってたり

お酒を呑める歳になっていたり

所帯もったり

あぁ もぉ そんな姿 ずっと見せてもらってたおばちゃん 泣いちゃうよ などと
 
ちょっと 涙ぐんだりもして…

これからも踊り続けてほしいな

繋がりを大切にしてほしいな

わたくしが言わなくても

ここでは ちゃんとそういうことが 続くところなんだな

踊る家族 ばんざい

昨夜はお泊まりだったし

一昨日は リハーサルで 遅かったから

母の足マッサージ 2日できなかった

わたくしの舞台を観るのを いつも楽しみにしていてくれたから

本番の日の朝 いってきます言った時 泣かれちゃったのね

「観さ行ぐでがったのに…早くまた観られるような身体に戻れんのかなんだか…」とね

今度 角田でやっからさぁ なんつって

笑って受け流したのだけどね

んで 2日ぶりのマッサージしながら

効いてくれよ と 思いを込める

効いてないよな 無力感や もどかしさに

苛立つこともあるけれど

そんなもん いつまでも いじらんといて

病がつれてきてくれた

また てれることもなく 触れあうことのできる喜びを 撫でていこう

できないことがあれば

どうしたらできていくかを 探そう

「転じる」

これが ここしばらく支えになっている 思いだな