2014 年 3 月 13 日 のアーカイブ

雨降ったら 濡れるのだ

2014 年 3 月 13 日 木曜日

何度か ご紹介しましたが

仙台の 履物店 ますやさんと

東北大学の ドクターホッキーこと 堀切川さんご共同開発した 雪駄の裏っかわ

雨でも滑りにくいうたい文句の通り

滑らず快適

るるる♪

でも 濡れるのだよ

雨降ったら濡れるのは当たり前だから

まぁ 構わぬ

3年目のその日のあと

2014 年 3 月 13 日 木曜日

三年目のその日の報道のあと
もう事は済んだように しらばっくれさせてはいかんです(吉川彰浩さんの 顔本投稿より)

↓↓↓↓↓

避難生活から3年が経ちました。

今日は私とその親族をモデルに避難生活を送る方々が「帰る事が出来ない理由」の一つをご紹介いたします。

長期化した避難生活は家族、親類を分断しました。
事故直後は親類宅などを頼り、皆が一緒に行動をしていました。
それが3年という月日の中でそれぞれが借り上げ住宅や仮設住宅に移り住みました。
主に生活の為です。

私の親族は福島県、千葉県、宮城県、愛媛県に分かれました。
それぞれが判断し住みやすい場所を求めた結果です。

帰れない理由について語ります。
それは年老いた親の面倒を誰がみるかといったものです。

避難先の住宅は2世帯が一緒に住めるような規模ではありませんでした。
近場に祖父祖母が別に暮らしています。
私の場合、祖父祖母は90歳に近い年齢です。
千葉県内〇市内に別々に暮らしています。

祖父祖母の面倒を見るため、父母は千葉県を離れることはありません。
そして同様にその父母の面倒を見るためには私達もおいそれと遠くに住む事が出来ないのが実情です。

私達の帰還の条件は家族みんなで安心して住める状況にならないといけません。

厄介な事に私達は避難指示解除準備区域に指定され、父母、祖父祖母は帰還困難区域です。
私達は近く帰れるようになります。
ですが親類は帰れるようにはなりません。

家族が他町村にまたがっているケースは私達ばかりではなく、多くの避難生活を送る方々が同じ環境です。

また帰る第一条件には暮らしていける職業がないといけません。
帰ることを決意した際には現在の仕事を辞めるといった選択をしないといけません。

家族が一緒にいる事の幸せを学んだ震災
だからこそ一緒に戻る、戻らないを選択しなければいけません。

仮に除染が進み、産業も出来、帰還出来るとなったとしても
帰還が実質困難になります。

帰りたいけど帰れない

私達は3年経った今も近未来のビジョンすら示されていません。
具体的にいつ帰れるのか?帰っても暮らしていけるのか?

暮らしていく為に廃炉作業を選択するしかないのではないか
私は元々そうですから何ら構いませんが、一般の方々はそれを受け入れる事は出来ないでしょう。

3月11日を終え、また被災地の現状が取りだたされるのは1年後です。
去年の今からどれだけ生活が変わったか
多くの被災者の方が言うのは何も変わらないです。

「ただ生かされているだけ」と皆が言います。
これが全てを物語っているように思います。

3月11日が幾度来てもそれは通過点です。
現在進行形で悩み苦しんでいる人達がいます。

今必要なのはお金でも物資でもなく「生きていく希望」だと強く思います。