2013 年 2 月 10 日 のアーカイブ

さがしもののあとのかたづけがすすまない

2013 年 2 月 10 日 日曜日

今ちみっと 部屋が
のっぴきならないことになってます
先程 ドリアン助川さんの『あん』の ブックレビュー書くに当たって
過去の著作やら エッセイなど
資料として 引用できるか…と
数少ない 手持ちのものをあさろうとして
あぁそうだ THE BIG ISSUE にも 書いておられたではないかと
あちこち探す…
散逸
ちょうど書かれた辺りの 号数が 見当たらないということは
この時期 買わなかったのか
まとめてどこかに あるのか
み゛~~~~
己の整理整頓しなさ加減に 濁点気分
なんか ちっ なんて舌打ちなどもして
これをきっかけに なんでこんなもんとっておいたかな!?と 声をあげたくなるような
胸かきみだれる 感傷的な物の数々に 八つ当たりしそうになったところを
ヱビス麦酒さまにて 鎮めたところ…て
問題棚上げですがな!!
まいいや
でも 夜までに 寝る場所確保できんのかなぁ…
東亜日報は 捨てるもうっ!!

もう片付けるのも つかれちまい…と 弱音はきそうになったら
中学の 頃に 彫った お面が出てきて 睨まれた
すんまへん がんばります

ディープ アンタッチャブル領域の 布抽斗開けたら
何年かぶりで
北東方面の 壁が見えた
あ~ なんか作りたい…てほらまた
寄り道道草

何年も乗っていない 自転車を
廃品回収に出さない…と 言い出した
ものものものもの…に埋まる部屋のわたくしを
ハの字眉
眉間にゃ川の字の 母
さぞかし 娘の行く末が 心配なことでせう
で この声で目覚まし誂え時計なのですが
捨てろよ…と 思ってずっととってあるの なんでか!?
未練とか 感傷というよりも
写真焼き付けてあったり
声が入っている 機械があるわけで
それを 半端な形で捨てる…てのが そこに なにやらか持っていかれそうで 嫌なのだろうか
かといって 粉々に 粉砕する 気力もなく
ぼんやり見つめる
なんなのあたくし!?
ばっかじゃないの!?
「ちょっと…こんだぁなんの塵みてんの!?」て
はなくそみてぇな 感傷未満だっ

葉っぱの重さ

2013 年 2 月 10 日 日曜日

葉っぱの重さ
あるいは あたたかさ
こんな風に
ふうわり そっと
話しかけていきたい
やがて その奥の 土に届くように

今日は33日…

2013 年 2 月 10 日 日曜日

うちの茶の間の時計
ほっとくと の~びのび でたらめな 日付に突入する
なにせ0日から39日まで 表示できるのだから
だぁれもこれで日付確認などいたしません
しかし 曜日までずれていることに気づく
まぁ うちの茶の間は 今2月(もしくは1月!?)33日(土)てことで よしとするか

レビューを書いてみた

2013 年 2 月 10 日 日曜日

『あん』ドリアン助川著(ポプラ社)
Hontoのブックレビューへの投稿
反映までに何日かかかるらしいのですが
内容的に問題あると 削除されることもある…てなおはなし

魂込めて書かれたものに
不用意な発言もできぬので
こちらも
心して書きました…が
心しすぎて誉めちぎり
まるで身内のようになるのもいかんよなぁ…と
省みつつ…
以下 まだ反映されておらぬブックレビューです

「『あん』それはいのちの輝き」

丁寧に 慈しみ育てられた素材を撫でるようにして作られた食べ物を口に含むと
その命が この身に働きかけ
細胞の一つ一つが にこにこと 笑顔になるような感覚を思い出した
作者 ドリアン助川氏は かつて「叫ぶ詩人の会」として 社会とのそぐわなさ
魂のあるべき処を 思いあぐね悩む人々の思いを代弁するように叫んできた
しかし今 彼が 自らを名乗る時「作家・詩人・朗読者・道化師」と
声高に叫ぶ姿はもうない
今回の著作は 構想10年
ハンセン病についての 丁寧な取材に基づくもので 彼自身の人生の集大成
魂の書ではあるけれども
自分だけの力ではなく「出会った人たちの魂が書かせてくれた作品でもある」と 語っている
「ハンセン病について触れた作品」というと
辛く思い事実を ぐいぐいと突きつけられる イメージも多いが
この『あん』は それぞれの姿、辿った人生が どんな形であれ
命を持ったものが生きていくこと そのものを愛おしむ 温かな光に満ちている
決して 甘やかな 夢物語としてだけではなく
遂げられぬまま逝ってしまった命や思いを受け取り
届けようとする 静かに熱い思いは 塩辛さを感じさせぬ 微妙なバランスで
隠し味として 物語を 要所要所で 引き締めている
人と人とが出逢い 心で触れ合い
それが 鍵となって 次に踏み出す道への扉が 開かれてゆく
役立つとか 立たぬとか そんなことは 生きていく上で ほんのおまけにしか過ぎないという 安心感
著者自身の足で歩いた 地面の感触
季節の移ろいを 詩人として 見つめ 掬い上げ 紡いできた視点の 清涼感…
ドリアン助川氏の これまでの人生の集大成には違いない
しかし、かつて若者からカリスマと崇められた頃のような 叫ぶ形をとってはいないが
熱い思いが水底に脈々と流れ続けており
それを ぶつけることなく 優しさで包みながら 人の手へ 確実に届けようとしている
更なる進化の第一歩に過ぎない
著者が 今後また その足で歩き 出逢い 触れ合いながら 踏みしめてゆく 一歩一歩の 足跡に咲いてゆく 花のような作品が 楽しみでならない