2011 年 7 月 1 日 のアーカイブ

サボり半分 

2011 年 7 月 1 日 金曜日

仕事がなくなったので
合唱練習に顔出す・・・と 昨日まで思っていたものの
朝起きたら のんびりやすもう と 思ってしまいまして
結果 休日に しちゃいました
隣町の さなおばが うちにくる予定で お昼寝姉妹
電車に乗ろうと駅に行ったら 財布忘れて・・・なんてな さすが「母の妹」なことを やらかした連絡はいり
お迎えにあがったりして
震災後の 与太話などで 大笑い
相手の話に 触発されて 次々 話が転がっていくので
しゃべるしゃべる人たち
脳みそ洗浄中 て感じ
やせるとか言っていたはずが
「こんな風に美味しいもの食べて笑って・・・太ったっていいさね」と 笑い飛ばす おば
平和ぢゃ

種を植えるなら

2011 年 7 月 1 日 金曜日

今朝方 もう会いたくないかも と 思っていた人に
忘れかけてた言語を 必死に 駆使して 
何か伝えようとしていた夢をみた
目覚めて ぐったり
なんだったんだ?
寝る前に ふとした出来事の一部分を ある人に 教えていて
その出来事が ちょいと 切ないことごとの中のものだった・・・からかな?
「一部分」自体は 単に笑い話になるようなものなのになあ
もっと かろがろと笑い飛ばせるもんに 芽吹いてほしいもんだわ
なんて ことを ぼんやり考えていたら
先日 道端で入手して そのままになっていた クマツヅラの種のことを 思い出した
どうせ植えるなら みんな わぁ♪ て 顔ほころばせるような 種がいいなあ
脈絡もなく 強く思った  

郷愁の味

2011 年 7 月 1 日 金曜日

ひさしぶりに ウイスキーなんぞ口にしたら
わわわ なんか 学生時代のあれこれ 切ないような甘いような苦いような思いが ざわざわざくざく 滲むように しみてきた
酒を 堂々と飲めるようになったうれしさに
めちるでもえちるでも・・・てな勢いで 莫迦みたいに飲みましたっけね あの頃
ビール→ウイスキー→日本酒 最悪の ちゃんぽんパターン
「コンパ」なんて 色気づいちゃって(大抵 合唱のサークル同士の それほど「カップル作ってやるぞー」的 ノリとはまた違ったものではありましたが)
初めの頃は それがきっかけで よからぬ男に引っかかるのではないか・・・などいう
夢のような話を 心配していたらしい 父も
しだいに あまりの 莫迦呑みのみ・・・の わたくしに あきれ果て
「おんなのこはなあ ちょっと口にしたら『もう飲めない』くらい言って頬染めてるほうが 可愛げあるんだばか者!」なんて きつく言ったこと ありました
悔しいんで 親戚の飲み会(法事)で そこそこ飲んで「もう飲めませぬ~」とかいったあと ばんばんぐいぐい飲んで べろべろになり
「嫁さも 行かねえで 親さ 心配かけでよ おめえは」との おじ(父の兄)の突っ込みに
「ほんだごど あんだいの息子 なんとかかたづげでがら ずってくないん(そんなこと あなたのうちの息子 なんとか かたづけてから~結婚させてから~ いってください)」など 暴言吐きましたっけ 
ひ~ ごめんなさい(このノリと突っ込み・・・なんどか このおじと 交わしたことあるのですけど)
ま それはさておき
学生時代のコンパで 「酔っ払うと 水割りに パセリつっこむ奴」と評判立てられ
一回二回 やっただけなのに 「このひとさー」とか「うわさでは パセリ突っ込むらしいじゃん」「うわやめてねやめてね」なんて周りが 必要以上に騒ぐから
お誘い・・・と 受け取って ご要望にお答えして わざと やって差し上げたりしていました
愛情表現もあったけど 今ではわかる・・・そんなんじゃ 伝わらねえってことをよ
あれこれ思い出しつつ ちみっと よっぱ

なつかしいまちのなまえ

2011 年 7 月 1 日 金曜日

小学生の頃
日曜学校の 遠足で出かけた
福島県の 霊山こどものむら
目新しいものがあったわけではないけれど
そびえる山の斜面を駆け上ったり降りたり
小川の小石を拾ったり
草を摘んでしおりにしたっけな
今でも探せば 部屋の何処かにあるはず あのしおり
去年あたり またあらためて行ってみたいな と 地図開いたっけ
「ホットスポット」が 見つかって 指定避難区域になったとか
こんなニュースで再会するなんて 切ない
地元のかたがたは・・・そんな 感傷と比べ物にならないくらい 
やるせないだろうな
うう 無力