昨日 とある方の 手術があった
父と 同じような感じの。
糸魚川出身という その方の無事を
家族の方の 心身の安寧を 思って
なにもできぬまま
糸魚川で拾って 勾玉形に細工した 石を 握って 祈る。
無事済んだという知らせを聞いて ほっとしたり
これからのあれこれを思って 再び 石 握る。
かつて 自分が 対面したこと
感じたこと
皆さんに 思いを寄せていただいたことに 救われたこと
あれこれ思い出して
自分には どれほどの役にも立たぬけれど
何もせぬより 救われるような
かつての ありがたさへの 感謝にお返しできるような(錯覚)気になった。
いつも 保育園には ピアスはつけていかぬのだけれど
今日は 無事済んだことへの 感謝と これからの健闘を祈って
こっそり つけていたんだ。
お子が 引っ張ったり あむ ってしたりせず
何事もなくて ほっとした。
自己満足で すみませぬ
2010 年 6 月 2 日 のアーカイブ
どこへむけていいかわからぬけれど 祈る
空気が変わる
いつだったか 市川海老蔵てひとが
道を歩いていて 水脈の変わり目とか
空間の境界線で 空気が変わるのが わかる・・・てなことをいっていたけれど
そんな 繊細な 敏感な 鋭い話しではない
地面が 息をしている感じのところと
息詰まった感じのところの違いみたいなの
アスファルトで ふさがっていても 苦しくないところと
地面が見えているのに なんか 息のしづらい感じのところ
何の違いか よくわからず
きょろきょろ見回して すんすん 鼻を鳴らして 匂いをかいでみたりする
・・・やっぱ わかんね。
今日 空き時間に 北仙台 周辺を うろうろっとした。
なんだか ほわっとしてて 「昔ながら」が そっと 隠れ残っていて いい感じだった。
仙台浅草で ちょいと 御参りして
東北大学 農学部のあたりに 抜けて
空気がもっと すう と 楽に吸える感じに変わった。
「Cafe kotonoha」という かわいらしい お店で
ガレットと 紅茶を買って
草の写真とって
葉っぱのおかげかなあ・・・と 気持ちのいい空気で 身体のうちそとを洗った気分
緑の理由
なんでそんなに緑が好きなのか その理由は?
と 何度か 問われたことがある。
作品を作る身なのだから そういったことも 分析して
わかったほうがいいのでは?・・・とも。
で、取り急ぎ考えて そのときは「いつも 兄が 緑や青のものをもらってて、私は 赤っぽいのばかり。ずっと 憧れてきたのかもしれない。」なんて 言ったかな。
でも 青は そんなに 渇望しないしな。
で、やはり 草や葉っぱからきているんだと思った。
「緑色が好き」というより「葉っぱ色が好き」・・・てのが 正直な気持ち。
葉っぱに囲まれて育って 葉っぱで遊んで・・・そこがふるさとのような 安心する場所
画材・素材によって「緑」にもいろいろあるけれど
それらを駆使しても 「好きなものの真似」気分は 拭えない。
着たい服・・・というか 身に纏いたいのは
葉っぱ色 というより 本当は 葉っぱ。
アダムとイブ・・・の あんなふうなんじゃなく
さやさや 風に揺れている 草草を そのまま さやさやと・・・
無理なんだけどさ。
編んだり 括りつけたりすると もうそこには さっきまでの さやさやは いなくなっていて
「やはり野に置け」てな気分になってしまうしね。
で、その代わり 葉っぱ色にする。
どんな服を着ていても 代用・とりあえず・・・なんて 気分が いつもどこかに隠れている。
原始人かよ!?
つないだ手
安心な気持ち 
心配な気持ち
笑ったり 泣いたり
しがみついたり ふりほどいたり
ちょっと前の、そして まだ来ぬ先の つまらない思いに とらわれず
精一杯
今あることに 立ち向かっている 小さな手
救いの手を 差し伸べられているのは わたくしのほうだ
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