
ここ一ヶ月以上
「本読んでる時間あるならばもっとやらにゃならんことがあろう」的な 思いで
ゆっくりと 本を読んでおりませんで
…とはいえ 数ページ 捲ったり…てのはありましたる
そんなこんなで
ちょ と 時間かけてしまった 一冊
コロナ禍…と言われ
外出の制約やら 自粛始まった頃
お家滞在時間を たのしく♪とか
読書文化復活を!とか
#7daysbookcoverchallenge という流れが始まって
7日間
本の表紙のみ紹介だとか
誰かに 繋いでタグ付けするとか
いろいろ 制約あったのだけど
やはり 読んだ気持ち 言いたくて
制約取っ払い
そこから 勝手に 派生させた
#7daysbookcoverchallengeSpinoff
飽きずに やっとります
2024年 その80
シリーズ ケアをひらく『どもる体』伊藤亜紗(医学書院)
ちょっと前に読んだ『わたしの身体はままならない 障害者のリアルに迫るゼミ特別講義』(河出書房新社)で
あと なんにゃらかへの寄稿で 伊藤亜紗さんの ご著書をもっと読みたい と 思って 入手していたもの
自分の中で 思いの速度と はなすことの速度のズレや
言い換えがあるし
とある 役割 立ち位置をつかまえられたときには 難なく 滑り出てくれる実感もあるので
「どもる」ということに 親近なる思いはあったりする
なにか問われて
「え〜と…」とか
「そうですねぇ…」なんて 探る間合いも
ある意味 近似な気がするし…
単に どもる 吃音 ということにとどまらず
発声するメカニズム
モーフィングのこと
かなり 深く取り上げていた
中に「古代ギリシャで黙読が発見されたのは、遅く見積もって紀元前五世紀。それ以前は、声に出す以外、文字から意味を取り出す方法」はなかった
「読むということは、自分の声を書かれたもののために役立てること」
「読んでいる限りは、自分の声を相手に引き渡している」
…という 一節は なるほどな と 改めて 思い巡らせてしまった
昨日の「朗読の旅」では 物語が生まれなおし
誰かに 引き渡されていた
受け取る人が そこで 改めて 感じる扉を 開いて
そしてまた その思いを 物語り 受け渡していた
うけわたしあいたいおもいがあるからこそのことば というものを 思う
かつて 知り合った方が 吃音を持っておられたようだけれど
それに気づくのに ちょ と 間があった
はじめ 噺家さんみたいだなぁ て 思って そう伝えたら
「そんな事言われたことないっすよ」と 照れておられた
事務的やり取りをせねばならないときに
その方が「難発」になることに 気づいたのだったな
かなり 役柄の設定のようなもので 乗り越えておられたのかもしれない
今はもう会えなくなってしまった その方のことなど
思い出したりもした
とりとめなく
でも どこかしらつながっているなぁ


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